Re: 倭人伝の誤字率

投稿者[ やまし ] 発言日時 [4月9日(火)08時19分33秒]

元の発言 [ 倭人伝の誤字率 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 4月7日(日)18時14分53秒 ]

>> >> (マルセ)これは、読んでみれば、三国志が間違いだらけなのがすぐわかります。
>> >> ええ?本当に間違い(誤字・脱字)だらけですかね。
>> >> まず、410ケ所はすべて確実な間違いとして良いわけですか?

>> #校記という性格上、他の史料から推定されるほぼ確実なものだけが載っているわけですから。
少し見てみたのですが、ある文献とは異なるということを書いていますね。
三国志側が全部間違っているとしてもいいわけですか?

>> >> そして、410ケ所がすべて間違いだと仮定して、全体の何%になるのでしょうか?
>> >> 範囲が良く分からないので、教えてもらえませんか?

>> #三国志全体です。

>> >> そしてその割合だと、2000文字の倭人伝に何ヶ所の誤字・脱字があると推測され、
>> >> 50文字の国名に何ヶ所の誤字・脱字があると推測されますか?

>> #そんな推測をしなくても、倭人伝の部分を数えてみればいいわけです。
答えは・・・「0」です。だって、他に大して史料がないのですから、
勘合なんてできませんよね。

あれ?0と思われているのですか・・・?
国名で3割程度ではなかったですか?

>>  また全体の誤字・誤記の確率が1/2000程度だとしても
(判定できないのもあるので、実際はそれ以上あるのは確かですけれど)、
倭人伝の部分もそうだと言えません。
>>  常識的に考えて、写す人にとって聞きなれない地名などは、
誤記される可能性が格段に高くなるのは当然です。これについては、
以前に、やはり正史である宋史での例で示しました。

「誤字・脱字」の話がずれているような。
70万字にも及ぶ「三国志」を写すのですから、結構な労力ですよね。
そこで「誤字・脱字」が起こるという話ではなかったですか?
似たような文字とか文字が読みにくいとか、そういう理由で誤字となる
というのではなかったでしょうか。
校訂による書き換えとは違う話のはずですよね。

宋史の件はもういちど詳細に検討したいと思います。
校訂なのか誤字なのか。地名は本当に対応していないのか。
ところで、宋史の他の部分はどうなっているのでしょうか?
かなり誤字・脱字が多いのでしょうか?

>> >> そして、「邪馬壱国」も正誤の可能性は半々だろうと思います。
>> >> せいぜい、誤7分、正3分くらいまででしょう。

>> #99:1より差があるような気がします。「聖壹←→聖臺」
もそうですけれどね。

う〜ん、専門家が本当にそう思ってるかな。
「邪馬壱国」だった可能性として次のようなものがあります。
まず、史書の著述者は四史くらいは読んでいるだろうし、
その当時の「大倭(やまと)」という国名も知っていたでしょう。
そうすると「邪馬壱」は「邪馬台」のミスだろうと思っても
おかしくないし、いったんそうなったら別に注記つける必要もないでしょう。
そのように、倭人伝を引用に用いるときにはすでに「大倭(やまと)」
を知っているので、「邪馬台」にしてしまう。
ところが、三国志全体の70万文字を写すときには、必ずしもその当時の国と
対応させて写すわけでもないでしょうから、原本から引き継いでそのまま
写してしまった。
そういう可能性も十分あるのに、99:1ですか・・・。

質問なんですが、12世紀の三国志は原本から何回くらいの
転記を経ていると思われていますか?
私はせいぜい1〜5回の範囲だと思ってるのですが。

>>  やましさんは『「倭人伝」は様々な史料の寄せ集めをそのまま記載したもので、
複雑ではあるけれども、それぞれの文章についてはかなり正確である』と仰っていますが、
マルセは、『「倭人伝」は様々な史料を寄せ集めて、陳寿が1本化したもので、
全体としては概ね妥当な話ではあるけれども、それぞれの文章については陳寿なり、
陳寿が参考にした書物の著者の独自の解釈が入っていて、必ずしもそのまま信用できるもの
ではない』と考えていて、仮に旁国21か国を陳寿が地理的な順番のつもりで記述していた
としても、「魏使が実際に行って確認したわけではなく、たぶん倭人が話した国名を書き
留めただけであるので、魏使、その報告を受けて記録した者、陳寿ほか誰かが、
21國の順を地理的なものと誤解した可能性がある。」くらいには、いいかげんなものと
思っています。

倭人伝以外の部分でいいかげんな態度が見られればそう思ってもいいでしょう。
中国の文章ですからもちろん誇張はありますが、順番でないものを順番に
あると誤解されるような記述が本当に多いですか?
「陳寿の文章は質朴で簡潔である」というのが一般的な評価だと思います。
倭人伝中の固有名詞の日本語らしさ、例えば次清音の回避などは
信頼に足る資料だということを示していると思います。



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