Re: On the dating of 松菊里遺跡

投稿者[ 韓国から ] 発言日時 [6月10日(月)13時46分03秒]

元の発言 [ Re: On the dating of 松菊里遺跡 ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 6月10日(月)07時03分17秒 ]

>> しかし、米の件は中国北部では稲作がなかった事を考えると北廻りの稲作伝播はないだろうと感じていました。

返事感謝させていただきます.

先に韓国の場合,考古学籍な発掘の回数が日本のように多くなくて最近になってからこそその数が急増してイッギテムンにまだ十分なデータを確保する事が出来なかった段階だと言えます.ただ,このごろもおっしゃった部分のような稲作関連情報は続いて出ているのに,この部分を簡単に申し上げれば,

韓国では農耕と係わる石器が出ますが,この石器の系統が中国北部地域ともっと関連があることと知られているようです.そしておっしゃったどおり中国北部は稲作よりは佃作がもっと盛んだった地域で見えるのに,この農耕関連石器が韓半島南部地域では稲作用で使われた,と報告しています.たぶん系統上では佃作用の農耕関連石器たちを稲作用に専用して使用したことではないかと思います.最近,渤海北部地域が3000- 4000年前には今より温度が高くて農耕に相応しい地域だったという報告があるようです.考古学的な報告を見ても遼河西の方には夏家店文化というのがいるのにこの文化の下層部は農耕文化の様相を見せてくれるが,上層部は遊牧的な性格が強い姿に変わると言います.今よりは渤海北が農耕にもっと相応しい地域だったのがあったと思うことで,この時期に渤海湾北を経過して農耕が伝えたと見るようです


>> 稲作伝播については日本列島と韓半島は同条件であると考えたのです。
>> そして近年、縄文時代の遺跡からモミが発見され、私の「感」は立証されたと考えています。
>> 既に韓半島で金属器の使用が始まっていたのに金属器は日本に来ず、米だけが来た。
>> ということは縄文時代の稲作は半島経由ではなく、直接日本に来たものではないか。
>> この時、同時に韓国にも稲作が伝えられたのではないか。

おっしゃったことと一緒に思える見ます. 韓国と日本皆新石器時代と繩文どおり稲作の淵源がさかのぼっているのに, これは無文土器や彌生文化とは違う稲作の開始を上程して見られる思います. ただ, 韓国の場合は稲作の淵源が上がると言っても, 無文土器時代に見せてくれる高度の社会発展で繋がれる面は, 新石器時代には捜してみにくいようで, 人は無文土器時代には以前とは違う方式の稲作文化を持つようになったという意味があると思います. 最近B.C. 15世紀まで溯及される無文土器時代の 水田が発見されたが, この遺跡では水田が初めて作られる時期から潅漑施設が確保される時期までの発展段階をそのまま見せてくれる一連の遺跡が確認されました. 初めには湿地を利用して稲作を作ってから (紀元前 15世紀) 松菊里文化段階へ来れば, 潅漑施設を作って発展の成り立つ状況が見えると言います. これは韓国でも松菊里文化段階になれば以前とは違う様相の稲作文化が形成されたということだが, 実際に韓国の無文土器文化も松菊里段階になれば, かつての様相とは違い, 村が小國のような政治単位で発展して行くきっかけが形成フ なると見えます. 私は彌生時期開始期の潅漑施設に注目しているのに, 稲作自体が彌生時期に始まったと思う事はもう難しいですね. ただ, 彌生時期と繩文の社会にいて大きい差が存在すると思うのに, この冷たくは正しくこのような稲作方式の転換がもしかしたらもっと大きい役目をしたのではないのかする考えをして見ます. 現在彌生初期に発見される韓半島関連住居地や農耕関連石器の場合, 皆松菊里型文化と関連があることで分かっているのに, 彌生開始期の意味を稲作の開始で見るはずなのか, ではなければ稲作文化の発展で見ようかと言う悩みは韓国の青銅器時代にも同じ悩みをして見られるようです

>> 当然、縄文時代の人間も韓半島と少しは交流をし影響を受けたでしょうが、土器の形態は全く日本独自のものです。

おっしゃるとおり繩文期で彌生期への転換時期に土器の連続性はもう立証になったんです. 正しくこのような点で彌生文化が外来文化の影響以外に伝統的な流れが続いていたという点は否定することができないと思います. こんな面が結局, 類似の文化的影響の下にあったにもかかわらず韓国と日本が他の模様の社会を作るようになる重要な理由すね. ただ, このような土器たちの中でどうなのが繩文期の影響の下にあることかと言う面はまだちょっと時間を枝と考えて見る余地が残っている思っています. 韓国の場合, 彌生文化と密接な関連を持っていると思うことは松菊里型文化だったが, 最近松菊里形文化とその以前の孔列土器文化の間に別個の文化が漢江流域で確認された事があります. まだ発掘数が多くなくて全貌を確認することはできないが, この文化の特徴中の一つが現在日本の繩文末期に確認されている刻目突帶文土器です. この土器は従来韓半島には発見されないと考えられられて来たことだが, 松菊里型土器に比べて少数ではあるが, 発見される刻目突帶文土器とほとんど同じなのが漢江流域で確認されるせいでこの点に現在学者たちが注目して追加発掘を試みていることで分かっています.
しかし, 個人的にはとにかく繩文で彌生への転換を人種の代替という側面で見ることは事実と違う面が多いと考えられるのでこれからの発掘を土台でもうちょっと愼重に立論する必要があると思います.

>> 弥生時代の到来のように大きく文明が変るには大勢の移動が必要でしょう。
>> この時は秦の始皇帝が中国を統一する時で中国南部から大勢の流民が日本列島にやってきたと思います。
>> 当然中国での動乱は韓半島にも圧迫を与え流民を生み出し、日本にやってきた可能性があります。
>> 二つの地域からの流入が同時に起こり、日本に弥生時代をもたらした。
>> しかし、秦は北方民族を恐れて万里の長城を作ったくらいですから大量の流民はなく限定的なものだったでしょう。

この問題に対してはちょっと愼重に近付く必要があることが, 秦漢交代期に中国人の移住は韓国側の関連史書にもたまに出ていますが, 果してこの移住が何を意味することなのかに対してはちょっと再考の余地があると思います.
韓国の辰韓という社会は史書によると秦漢交代期の中国人がこの地域に入って来て辰韓という社会を形成したと出るが, いざ考古学上な発掘ではちょっとこれとは違う姿を見せてくれているようです. どんな姿かと言えば, その以前の無文土器時代とは確かに他の姿だが, おこるのに鉄器を伴った集団が出現するのに, 一部は細形銅劍文化の連続線上にある人々やこれよりちょっと後期には瓦質土器だとして, 中国文化の影響を受けることはしたが, 中国人そのもので見るには難しい集団が韓半島南部まで分かります. このような現象が生ずることはB.C. 300年頃, 遼東一帯に中国係鉄器文化が急激に広がって入って行ったからにしなさいと見えます. この鉄器文化の影響でその以前まで非中國的な青銅器文化の影響の下にあったこの地域に鉄器文化が本格的に拡散するのに土器の様式も以前までの無文土器文化が新しい打捺文土器だと呼ぶ様式が出現します. 韓半島南部地域で見える該当時期の文化の主人公はまさにこれらだと見えるのに, これらは中国人だと規定作りにはちょっと困難があると見えます. 彌生文化の金属器の使用と関連のある集団がまさにこれらだと見えるのに, 彌生文化ではいわゆる金海式甕棺を使う人々です. こういう面で韓国と日本四書に共に見える中国人の移住という点に対してはまだちょっと時間を持って見直して見る必要があると考えられます.


>> とは言え、韓半島からの流民は青銅器の使用などでは中国人より強い影響を与えたと思います。
>> 青銅器など重量物を中国南部から持ってくるのは大変ですから。
>> 韓国から金属器の便利さを知らされた倭人達は金属を求めて韓半島との交流を深めていった。
>> というのが弥生時代の姿だったと思います。
>> 「國出鐵、韓、[水歳]、倭皆從取之。」という魏志東夷伝の記述、九州で沢山見つかっている朝鮮式銅鐸などがこれを示しています。

この問題はまず韓国の青銅器文化に対する理解がちょっと必要なようです. 韓国の場合には青銅器の使用開始と鉄器の使用開始がちょっと差があります. まず, 青銅器の場合, 現在B.C. 10世紀まで溯及されているのにその起源は非中國的樣式を見せています. 琵琶形銅剣文化というのがB.C. 4世紀以前の物で以後には細形銅劍文化というのがつながります. この細形銅劍文化の段階に北で鉄器文化が入って来るのにこのために細形銅劍文化 (B.C. 4世紀-西紀元年)は青銅器文化後期でもあるが, 初期鉄器時代だと呼んでいます. 鉄器が使われることはしたがをすっかり使わないほどになることはできなかったというのですね.まさにこの段階の金属文化が彌生時代に伝わるから日本では青銅器と鉄器の使用年代が大きく差がないです.
鉄器の開始年代だけおいてみようとすると, 韓国や日本や大きい差がないと見られます. これは東アジア全体の問題で, 中国も西洋と比べると鉄器の使用は大きく早いと思うことができなさそうです. 韓国では金属奇聞華中, 青銅器文化は非中國的文化, 鉄器文化は中国係文化で見做しています.

>> しかし、韓半島から伝わったものも日本では大きく変化してしまいます。
>> 韓半島の人間とは違う人種だからでしょう。
>> 韓半島が日本にもっと強い影響をあたえたのは古墳時代からであろうと考えています。
>> というのが考古学素人の私の見解です。

この部分についてはやっぱり彌生文化の日本固有の独自性という問題に対しては異見がないです. 外部の影響があっても彌生文化を発展させたことは日本列島の人々だから実際に彌生後期に早ければ同じ文化で始めても韓半島と日本列島の状況はよほど他の発展様相を見せると思います. ただ, 一つ申し上げたいことは古墳期の開始にだけ兩地域の交流を設定することはちょっと私の考えと違うと思います. この問題に対しては一応, 私が申し上げたいことは現在まで確保されている韓国の無文土器文化と青銅器に対する情報を少しだけ検討して見たらと思って勧めて上げたいです. 兩地域間の密接な関係を上程しなくては理解しにくい文化的同上性を見せるということを易しく分かることができると思います.


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