Re: 日本の稲作の起源

投稿者[ くみ ] 発言日時 [7月11日(木)06時23分45秒]

元の発言 [ Re: 日本の稲作の起源 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 7月11日(木)02時27分07秒 ]

マルセさん、こんにちは。

>>  主食の定義次第の話だと思います。たぶん、弥生時代以降、最もコメを食べなくなったとの現代だと思いますけれど。現代でもコメが主食というなら、ずっと主食だったでいいんじゃなんですか?

今ほどコメを食べている時代はないのではないかと思っています。
私は田舎が山梨なんですが、むか〜し・・・お祖父さんがいたころは、夜は必ず「おほうとう」でした。野菜の入った煮込みうどんです。そのころは家でも田圃で米を作っていたのですが、そんなでした。

昭和初期の主食データがありました。例えば昭和元年の山口県や熊本県の主食は米といえるでしょうか?
http://www.ruralnet.or.jp/guide/noubun2/kenweb/yamaguti/table.htm
http://www.ruralnet.or.jp/guide/noubun2/kenweb/kumamoto/table.htm

明治や江戸さらにその前の方が昭和初期より米を主食にしていたとは思われません。
以下のような説明もありました。
http://www.museum.comet.go.jp/fukyu/2002/200206.htm
> 麦は、弥生時代から栽培され、古くから食糧とされていました。江戸時代には、麦は大麦と小麦とが栽培されました。小麦はうどんや菓子などに用いられましたが、大麦は、米が農民の年貢であったため、農民の重要な食糧となりました。江戸時代の阿波国では、麦は米とともに年貢となりましたが、大麦は麦めしといわれ、農民の主食でした。
> この行事では、江戸時代の農民の主食であった麦ごはんなどを食べ、厳しい食生活を強いられた江戸時代の農民の粗末な食事を体験します。

http://www.hokuriku.fo.maff.go.jp/kanazawa/komeqa/pqa16.htm
> ただ、お米が本当の意味で主食になったのは、ごく最近で、江戸時代中期に書かれた書物には「米46%・麦類19%・雑穀35%(ひえ、あわ、きびなど」だったとあります。

・・・捜せばまだまだ出てきそうですが、日本の主食は米だというのはやっぱりちがうと思います。
お米は上に書いてあるように年貢としての価値があったのだと思います。

ちょっと話が脱線しますが、お米を作っている農家が米を食べないことが粗末な厳しい食生活だったとは思えません。うどんも蕎も美味しいです。
例えば江戸時代は飢饉とか五人組とか暗い話題もありますが、明治政府が江戸時代を悪い時代だと言いたかったのだと思います。

またこんなサイトを見つけてしまいました。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/museifu/dialogue04.html
> 確かに江戸時代の年貢の割合は、五割とか七割とか非常に高い率になっているそうだ。また、農村の主食は米ではなかったらしい。これだけをみれば、「収穫のほとんどを召し上げられ貧困にあえぐ農民」という図式ができあがる。しかし、これには裏があるんだ。網野らによれば、年貢は米だけで支払われる。ところが農村は米だけ作っていたわけでもないし、農業だけをやっていたわけでもないというんだ。実際の農村は実に色々なものを生産しており、米は産物の一つにすぎない。米以外の生産が盛んな地域や、商業の発達した地域には年貢率がたとえ十割でも困らない所さえあったそうだ。

あ・・・、このあと、私と同じことが書いてある。はい、網野善彦さんの本は好きです。


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