Re:冢と墳

投稿者[ 大場嘉門 ] 発言日時 [7月31日(水)12時32分21秒]

元の発言 [ Re:冢と墳 ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 7月31日(水)06時44分12秒 ]

>> しかし、それでは『卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩』の意がわからなくなりませんか?

「大いに冢を作る」という表現から、記録者(張政?)は冢(地下施設)の築造工事を見ていたのかもしれません。
そしてそれを覆う墳の径(円形のさしわたし)が百余歩・・・。
ま、倭人伝は「其死、有棺無槨、封土作冢」で、冢を単に墓という意味に用いているようですから、大作冢(=墓)で宜しいんじゃないでしょうか。

>> 30mにしろ150mにしろ大きすぎます。

地下宮殿のような大冢もあるようです。

>> これから感じ取れるのは外形の大きさです。

「作大冢」なら外形の大きさを感じ取れることもあるのかなとは思いますが、
「大作冢」からどうして外形の大きさを感じ取れるのか不思議です。
大きさ・形は「径百余歩」です。

>> 三国志の時代においては大きさの違いではないかと思っています。

ALEXさん『始皇帝陵が「冢」と呼ばれていることは既に述べましたが、出所は史記そのものと異物志にあります。両方の時代に挟まれた魏晋期だけは「冢」は小さいものを指すことになっていたと考えるのは不合理でしょう。』
根拠も無しに「墳は大きい、冢は小さい」という主張はナンセンス。

>> 「因山為墳」で墳は山のように大きい。
>> 「おおきな墓を作るなら自然の山を利用しなさい」という遺言ではないかと。

「亮遺命葬漢中定軍山、因山為墳」です。
「おおきな墓を作るなら」ではなく、定軍山を墳とみたてて「おおきな墓を作るな」という遺言です。
ここから定軍山は大きい、だから墳=大きい墓というのは、始皇帝陵の墳は大きい、だから墳は大きい墓だというのに等しい。



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