Re: 失礼、上のは間違い

投稿者[ 游惟 ] 発言日時 [8月7日(水)20時06分14秒]

元の発言 [ Re: 失礼、上のは間違い ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 8月7日(水)18時22分12秒 ]

>>なんかをみると、グスク時代の人骨をもとに、その時代までに
形質の変化があったことを論じています。

http://www.nichibun.ac.jp/omoto_home/members/kojin/doi.htm

>>ここでは沖縄の縄文人の骨をもとに、沖縄では縄文人から弥生人へは
連続しない可能性があることを論じています。

>>総じて日本人の二重モデルにについて、アイヌ人は該当するが
(これも縄文人に相当北方系民族の影響が入って成立したらしい)
琉球人は本土系(渡来系)であるとしてよいのではないですか。

>>すくなくとも琉球人や琉球語を縄文以来の生き残りとするのは
成り立たなくなってきたと思います。

>>沖縄には支石墓や須恵器など、各時代に本土の影響をうけた痕跡があり、
>>言語的にも上代日本語経由と思われる漢語起源の言葉もあり、
>>稲作が定着するまで相当数の人間の南下があり、稲作が定着してから
>>次第に独自性が高くなってゆくようです。

>>このあたりは”おもろそうし”以降の琉球語の成立と整合的だと思うのですが。

11〜12世紀以降のグスク時代に本土文化の受容があったことは以前から言われていますが、琉球語の起源がその時代まで下がると言うことは言語学・方言学では否定されており、もっと古い時代に形成されたものと考えられています。
そのような新しい時代に本土から入ってきた人々が広めた言語にしては、日本語との親縁性が遠すぎるからです。

今まで書き忘れていましたが、記紀で「熊襲・隼人」と呼ばれ、魏志倭人伝で「狗奴国」と呼ばれている南九州の人々は(私は一応邪馬台国九州説に立っています)、B.C三世紀に入ってきた渡来人系の弥生人達が南九州には向かわずに本州・四国方面に向かったために、弥生人化(皆殺し強姦混血)されず残った南方系縄文人だと考えています。このことは方形周溝墓等の弥生遺跡の分布状況からも確かです。弥生人達が南九州に向かわなかったのは、シラス台地で米作には向かないと判断したためでしょうが、それがおそらくA.D3〜4世紀に大和朝廷によって征服されるまで続き(日本武尊伝説や応神紀)、その間にこの地域にも弥生文明だけが流れて人口も増え国家を形成する程になっていたのだと考えられます。
方言学の方でも南九州にも方言境界線が引かれていますが、その名残と考えられます。但し、熊襲・隼人は、朝鮮語などの影響を受けて独自の発展を遂げた北九州やその他地方の弥生人の日本語から見ればひどい方言であっても、元々日本語を話していたため(むしろこちらの日本語の方が本家ですが)、関越線以北の蝦夷に比べれば同化は早かったでしょう。
ですから、大和朝廷に服属する前の熊襲・隼人の言語は琉球語に近かったと思われます。(と言っても方言差はもちろんあったはずですが)




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