承前 倭人伝の異同(画像求ム)

投稿者[ やまし ] 発言日時 [5月7日(火)07時47分34秒]

>> >>もし正確を期するなら、その時代に残っている最も信頼性の高いとか古いとか
いったものを転記しませんか。3冊以上を見比べることも可能かもしれません。

>> #たぶん、こうゆうのは現代人の感覚だと思います。

裴松之は、相当特別だったわけですね。
仕事をできるだけ正確に遂行したいという考えが、
古代と現代で変わるわけはないと思います。
どちらかといえば、個人の性格によるものでしょう。
そして、いい加減な性格の人達が正史70万字を書写したというのは、
ちょっと信じられないです。

>> >>それらの写本との異同はどうなのでしょうか?
>> >>随分違ったものもあるとどこかで見たので、実際にどこが違うのか調べてみたいです。

>> #吐魯番から出たやつは、孫権伝の黄武元年部分の写真が「日本の古代1」に載っています。
次の部分ですが(○、…は読めないところ)、

>> ○○元年春正月陸遜部將軍宋謙等攻…
>> ○○破斬其將三月潘陽言黄龍見蜀軍…
>> 據險地前後五十餘營遜隨其輕重以兵…
>> 拒自正月至閏月大破之臨陳所斬及投…
>> 首數萬人劉○奔走僅以身免初權…
>> ○而誠心不款魏卻遣侍中辛[田比]尚書
>> 桓階往與盟誓并徴任子權辞讓不…
>> 九月魏乃命曹休張遼臧霸出洞口…
>> ○濡須曹真夏侯尚張[合β]徐晃圍…
>> 遣呂範等督五軍以舟軍拒休等諸…

>>  この短い文章の中でも、現行テキストとは、破斬(破之斬)、潘陽([番β]陽)、
遜隨其輕重(遜隨輕重)、魏卻遣侍中(魏乃遣侍中)の4か所で異なっています
(一番最後の例は、トルファンのほうが正解でしょうね。他ははっきりしません)。
>>  これ以外については、中国に実物を見にいくしかないのでは。

もっと多くの異同を見たいですね。
どのくらいの量が比較可能なんでしょうかね。
見に行くのは大変だから、何とか頼んでみるかなあ。
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>> #例えば、「掖邪狗」ですが、一番最初のところだけは「伊聲耆掖邪拘」となっていて、
「狗」の字が間違っています。紹興本もいわゆる紹熙本も同じに間違っているのを見ると、
この二つの本が、古い時代に分かれた別系統の本というのは、
ちょっと信じられない話です。おそらく、両者とも、咸平本の重刻本か復刻本ということ
なのでしょう。

確かにそうですね。あるいは、もともと「拘」だったか。
下の「紹熙本」系では、どちらも「狗」になっています。

>> >>それから、「都支」は変化がないようです。(「郡支」もあったはずですが、
どこで見たかなあ。汲古閣本?)
>> >>これは、どちらも「黄幢」に読めるのですが・・・。

>> #一瞬、なんのことやら?と思ったんですが、なんとなく分かりました。
やましさんが紹熙本といっているのは、百衲本のことではないでしょうか。
百衲本は、紹熙本系と言われていますが、宮内庁書陵部にあるいわゆる紹熙本とは
微妙に違っています。紹興本などによって校訂されているのでしょう。

>>  宮内庁の本には、「郡支」「黄憧」とあります。
>>  ちなみに、この大論争の資料として乗せてある紹熙本も百衲本です。
ページの下に注記があります。
こうゆう議論をしているときには、ちょっと紛らわしいですよね。

資料がはっきりしないというのは面倒ですね。
「**系」といわれているのだから、いくつかあるのでしょうね。
集めて見比べてみたいのですが、きちんとした画像はないでしょうか?
「郡支」については、以下で見たことがありました。
http://inoues.net/yamataikoku/gisiwajinden.html

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『対海と対馬』

>> #前に書いたように、地の文や中国内の地名と外国の地名の場合とでは条件が異なるので、
このように比較することに意味がないと思います。
>> 1.元々、間違いやすさが異なる。(以前書いたとおり)
>> 2.地の文や中国内の地名は、一度、間違えられても、次に書写する人が、
気づいて修正することがあるので、写本が繰り返されても、誤字が累積されにくい。

一般的にはそうでしょう。しかし、それは三国志に誤記が多いことの証明にはならないと思います。
多くの音訳語を調べることが大事でしょう。

>> #「海」の上古音を藤堂の字典で見ると、「m」の下に「。」があって「m。6g」。
この音って、口を閉じた状態から、鼻から息を抜きつつ、口を丸めないで「ア」に
近い感じで出す「オ」という音ですから、日本語の「マ」の音というよりは、
どっちかというと、「ホ」とか「ヲ」とかに近いんじゃないでょうか。
>>  また、当時、倭人は「マ」を「m。6g」に近く発音したと考えても、他の部分の
「マ」が全て「馬」であるのがうまく説明できませんので、「海」は単に誤刻とする
のが妥当でしょう。

「モ」でいいんじゃないでしょうか?
それから倭人伝における音訳時期は必ずしも同時ではなかったと考えています。
特に、対海の音訳時期は、かなり古いとしなければなりません。

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『巳百支と已百支』

>> >>「巳百支」→「已百支」・・・「巳」と「已」の使用法。
>> >>最後は分かりますか?

>> #宋代のテキストを見ると、どちらも「已百支」は「巳百支」にみえますね。
漢字の字体については、よく分かりませんけれど、「巳」と「已」はもともと同
じ字だったのですから、後代に写されたテキストとして、どちらを使うのが正解
というルールはあるんですか。倭人伝の「他人就歌舞飮酒已葬舉家詣水中澡浴」
「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大」の部分の「已」も「巳」に見えますよ。

一般に「巳」「已」「己」は別字とされています。
語源から見ればそれは本当でしょう。
別字だとすれば、意味から見れば「他人就歌舞飮酒巳葬舉家詣水中澡浴」
「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年巳長大」における「巳」は「已」の間違いです。
すると「巳百支」の「巳」も「已」の間違いだったとしたのでしょう。
しかし、一方で「巳」が「已」の意味で使われていたとされています。
つまり、本来は間違いではなかったのに、全て改変しています。
ついでに音訳語まで変えるというのはどうかと思いますが。



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