Re: まとまらない(Re: (承前)高麗が原)

投稿者[ 牛頭 ] 発言日時 [12月28日(土)22時35分47秒]

元の発言 [ Re: まとまらない(Re: (承前)高麗が原) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 12月28日(土)00時21分59秒 ]

>> 光源氏だけでも,道長とか,いくつか説がありますよね。

源氏物語に書いてある事は日頃良くあること、あっても不思議のない事を集大成し、一人の人物に理想的人間として投影したのでしょう。
自分を父親の妻に子供を産ませ、幼女をさらって自分の家に連れ帰り妻とするような人物ですが、その行為が小説の中でことさら批判されて
いるようには見えません。
侍女が幼女(若紫)のもとへ3日続けて通ったのに妻としてあつかってくれないなど不満を言う所くらいですかね。
ところが源氏は若紫に他の男が興味を持ち親を介して手を出そうとすると今度は拉致して自分の家に連れて行ってしまう。
こう言うことは人間にありがちな心理でこのあたりが男女間の駆け引き見たいで真に迫って平安時代の女性を熱狂させたのでしょう。

しかし我々の感覚では「はちゃめちゃ」ですね。
きっとこのような事は茶飯事だったのだと思います。
たぶん中国ではこのような事をする民族は不淫とは言わないでしょう。

>> >> 同時代を描いていますし、破天荒なエロ小説であったとは考えられません。

>> それは,人生観が深遠とか,名文,高度な作品性,そういう意味なのでは?

>> それで,作者の紫式部は好色ですか? ぜんぜん違いますでしょ。

いやその時代にあってはそれなりに倫理的感覚の持ち主であったろうと思います。
最も愛した紫の上が自分を裏切って他の男のもとに行く事を因果応報として描いています。

ただ現代の日本あるいは三世紀の中国でも紫式部の感覚とは一致しないでしょう。

>> >> 百人一首を見ると僧侶が読んだ恋の歌なんかもある。
>> >> 儒教だの仏教が貴族の間で本気で信奉されていたとは考えられませんね。

>>
>> 恋を禁じるほど野暮ではないでしょう。

>> 一般には,そこそこ信奉されていたから,お堅い一方にもなるわけで,
>> 慈円の例があるように,逸話があって背景と事情を伴うわけです。


>> >> タミル人でなくても南から来た人は沢山いるのでは?
>> >> 一種類だけ来たとは限りません。

>> ここの論点は不明です。

4〜3万年前氷河時代に北方から来たと思われる人は縄文時代に生き延びてはいなかったでしょうか。
私はこれがアイヌではなかったかと思います。
氷河時代アイヌは沖縄、台湾、海南島あたりまで分布した。(女性の入墨の風俗に現れている。)

一万年前くらいに温暖化で海面が上昇した時、スンダランドから逃れた人々は日本まで来なかったでしょうか。
(これがアイヌと交わり縄文文化を生み出した。大方のアイヌは北方に逃れ、一部は列島や沖縄、海南島に取り残されている。)
縄文の日本に稲をもたらしたのは誰でしょう。
江南地方の人々ではなかったでしょうか。
縄文時代に限らず江南地方からは絶え間なく日本に来ていたと思います。
この中にある時期ヒマラヤを越えて中国にきたタミル人が混じっていたかも知れないと考えます。

>> >> 出雲は投馬国には比定可能かも。しかし楽浪土器は畿内にはないですから。

>> 以前とは主張を変えるわけですね?

伊都国が有明海にあってもぐるっと迂回して船で出雲へ行くことは可能と言うだけです。
投馬国は薩摩の方が妥当だと思いますが。



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