ハンニバル
1998.01.11作成 → 1999.04.10修正

逃げるが勝ち!」に関連して歴史の話を一つ。
カルタゴの天才戦略家ハンニバルと共和制ローマに関する話。

とにかくハンニバルという人、戦争をすれば必ず勝つ。
カルタゴから軍勢を引き連れて、意表をついてイベリア半島からアルプス山脈越しに(カルタゴは海商国家なので常識では海を渡って攻める。)攻め入って、ローマ本土を荒し回る。数では圧倒的に勝る共和制ローマ軍は二倍〜五倍もの兵力で入れ替わり立ち替わり迎え撃つものの、ハンニバルの見事な用兵術の前に、ことごとく、完ぺきに叩きのめされる。

問題にしたいのはその後の共和制ローマ軍の対応の仕方だ。

どうやらハンニバル相手にまともに戦っても勝ちめがないらしい。相手が強すぎるのだから。で、ローマ軍がとった戦略が単純明快 =「戦わない」だ。

つまりハンニバルの軍隊にコバンザメのごとく、くっついて回ってプレッシャーだけはかけるし、敵の所在は常に正確につかんでおく。

ただし、もし敵の本体が攻めてきたら一目散に逃げる。
そして、相手があきらめて後退したらまた追っかけていってぴったりと一定の距離を保つ。とにかく間違ってもまともには戦わない。

あとはもう正規の軍隊によるゲリラ戦に徹する。
補給の邪魔をする、本隊から離れた少数の別部隊を袋だたきにするなどあらゆる手段を尽くしてハンニバル軍を物理的、精神的に追いつめる。

結局16年後、イタリア半島の端にまで追いやられてしまったところを、ローマの小スピキオがカルタゴ本土に侵攻したことによって、ハンニバルはカルタゴ本土へ引き返すことを余儀なくされる。

もちろんこの消極的な戦略を採用するに当たりローマ軍内部からもずいぶん反対の声があったらしい。しかし、こういう戦略しかとりようがなかったのだから仕方がない。

第二次大戦の日本帝国軍の陸軍、海軍の勢力争いなどから生じた稚拙な意志決定過程を知るにつけ、二千年以上も前のローマ軍の見事な戦略眼と比べるとちょっと恥ずかしい気持ちがする。

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