結婚と恋愛
1999.05.11作成 → 1999.05.17追記

残念なことに、結婚に至る恋愛って、「純粋な恋愛」から一番かけ離れた恋愛だ。

単なる恋愛は二人だけの問題だ。宗教思想(?)の自由は何人にも侵すことができないものだ。日本国憲法にだってちゃんとそう書いてある。本来心の中で誰を好きになろうが他人は文句を言えない。

しかし、結婚するとなると話は本人同士だけではすまない。
親兄弟、友人、職場等々身の回りの人すべてが関係してくるし、なによりも社会的に認知されなければ結婚は成立しない。
「二人が結婚する」のではなくて「夫婦として社会的に認知される」のが結婚なのだ。

つまりどんな純粋な恋愛だって「結婚しよう」という方針を決めた途端に純粋なものではなくなってしまう。二人の気持ち云々よりも、むしろ「結婚式どうしようか?」とか「子供は何人?」とか恋愛からは程遠い無味乾燥な現実に向き合うことになる。

「本人同士の気持ちが一番だ」なんてよく言うようだけど、本音を言えば、親兄弟をはじめ周囲の人にとってみれば、そんなことはどうでもよい。必要なことは、不幸にならない程度に二人がうまくやっていければそれでよいのだ。

つまり、結婚相手として選ぶなら「愛し合っているか?」なんていうことより「家庭を崩壊させず、お互い不幸にならずにやっていけるか?」ということのほうが、よほど大事なことだ。

恋愛は「病気」だし、結婚は「責任と義務」に他ならない(「愛と責任」参照)とすれば、「好き」と「結婚したい」とはまったく別次元の問題、と考えたほうがよいだろう。
結婚する相手を愛している必要はないし、ましてや、愛しているから結婚しなくちゃいけないなんてことはない。

したがって、愛していない人と結婚することや、実は愛し合っている人を見捨ててしまうことに罪悪感を感じる必要はない。

愛したい人を愛して、で、結婚するときは打算づくで結婚しよう!
でも夫婦は仲良く、円満に...ね。家庭の破綻は個人的にも社会的にも、あまりにもコストが高すぎる。

余談1.
問題はある程度の経験を積まないとどんな人と結婚すれば長続きするか?ということがなかなか把握できないことだ。
だからこそ現代人の中には結婚を後悔する人が多い。一昔前なら後悔している余裕なんてなかなかなかっただろうに。

追記:
...とはいうものの、やっぱり好きな人と結婚したいよね。好きな人と仲良くやっていければ何にも問題ないわけだし...仲良くやっていけるかどうかなんてやってみないことにはわかりゃしない。


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