1997年 2月 1日

1995年12月23日(土)午前0時・あの日あの時あの場所で

このタイトルだけで、何が書かれているか分かった貴方も

「あの日あの時あの場所」

に居たのですか?


1995年12月22日(金)午後10時55分

帰宅し、居間でニュースを見ていたHARIの目に飛び込んできたのは、「あの場所」からの生中継であった。
普段のこの時間なら、車すら少ない「あの場所」がまるで休日昼間の様な賑わいだった。その理由は、各種メディアで(大手新聞でさえも)取り上げた「あれ」の発売だ。
アメリカで一部のショップが「午前0時発売」をやって成功(?)した為、日本でも一部の店でやる事になったのだ。
HARIは、一般に提供された「あれ」の最終評価版を使っていたし、製品版の予約もしていた。
だから、「あれ」は22日午前中に「あの場所」に行って購入しようと自分に言い聞かせていたのだ。
もちろん、午前0時に行くか行かないか、内心では迷っていたが。
午前0時に向けて益々賑わう「あの場所」をTVで見て、HARIは決心した。
「行くしかない!」と。

しかし、問題は交通手段だ。
電車では、行きはともかく帰りは絶望的だった。
「かかと」を三回合わせれば家に帰れる靴をHARIは持っていない。
駐車スペースが不安だが、車の他に方法は無かった。
数分後、HARIは駐車場へと自転車を走らせていた。


1995年12月22日(金)午後11時45分

「なんとか、間に合った」
偶然見つけたスペースに車を駐車して「あの場所」の大通りに向かう。
歩道は人でいっぱいであった。
HARIが「あれ」を予約した店では、既に長い行列が出来ていた。
苦笑しながら、列の一番最後に並ぶ。
歩道には、報道陣・様々なメーカーの方々(宣伝のおねえさん含む)、見物人で賑っていた。
ライバルと言われた機種のユーザーがプラカードを持って歩いていた。
もしかしたら、休日午前中並みの混雑かもしれない。いつの間にか、HARIの後ろも人が列を作っていた。


1995年12月23日(土)午後00時00分

花火と拍手が、かすかに聞こえる。
後日、テレビでその瞬間の大手販売店内部を放送していたが、あんなお祭り騒ぎは一部だけで、本気で買いに来た大部分の人はあの時、列に並んでいたはずだ。
大通り真ん中でやっている工事と、大通りを挟んだ向かいの店の様子を見ながら、HARIは「あの時」列に並んで寒さに震えていた。


1995年12月23日(土)午後00時15分頃

列の進みは異様に遅かった。
目と鼻の先ほどの距離なのになかなか進まない。
時折、小雨も降ってくる。
傘は車の中にあるが、列を離れる気はない。
たくさん貰ったパンフレットを頭にかざす。
どこからか、「うちは並ばなくても買えますよ」との呼び込みが聞こえる。


1995年12月23日(土)午後00時30分頃

ようやく店の入り口付近まで来た。
驚いた事に、「店内入場規制」の「総入替制」で販売していた。
おまけに、店内はもちろん、入り口にも取材陣がいた。
あと少しの距離であったが、相変わらず列の進みは遅かった。


1995年12月23日(土)午後00時50分頃

あれ」の製品版・同時発売の製品・発売記念品(ガムだった)・予約/先着者特典をGETし、車に戻る。
又、小雨が振り出してきたが、まだ並んでいる人たちは大丈夫なのだろうか?


1995年12月23日(土)午後02時00分頃

自宅につき、荷物を自宅に運ぶ。
これから、車を駐車場に持っていかなければならない。
ふと紙袋をのぞくと、「あれ」の箱が誘っているように見えた。
「寝て起きてから」とつぶやいたものの・・・。

結局、就寝したのは午前3時すぎだった。
その日の午後、「あれ」のイベントがある「あの場所」へ再び出かけていった事は書くまでもない。


あの日を思い出す度、「行ってよかった」と思う。
もう、あのような事は無いだろうから。

「あの日あの時あの場所に、HARIは居たんですよ。」


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