1997年 5月 17日

いつか黄門様が

HARIは肉体・精神共に疲れ果てていた休日の夕方、再放送の「水戸黄門」で印篭を出すシーンを見ていて不覚にも涙ぐんでしまった事がある。

下々の者を苦しめ、自分は私腹を肥やし豪遊三昧。
そんな悪人に、突然「絶対権力者」が現れて裁きを下す。
考えてみれば、これほど日本的な番組は他国にありまい。

悪人の存在、これは江戸時代だけではなく現代にも当てはまる。
スケールを小さくすれば、あなたの生活にも水戸黄門的なパターンがあるのではないだろうか?
「公私を混同して何かと雑用を押し付けたり、無理難題を吹っかけてくるくせに自分は楽しているやつ」といえば、みんな思い当たる人がいると思う。

そこに突然、「絶対権力者」が現れて裁きを下す。
そんな想像をしただけで泣けてはこないだろうか?
疲れ果てていたHARIはその時、そんな光景を無意識に想像していたのかもしれない。

そして、「水戸黄門」エンディングを見ながら呟いていた。

「HARIの所には黄門様、いつ来てくれるのだろうか。」

その時、HARIが裁かれる立場ではない事を祈って。


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