1997年 7月13日

人の作りしもの

HARIの近所に、最近「親水公園」が増えてきている。
「親水公園」とは、人工的に作った小川と、小川にそって作られた遊歩道を中心とした公園である。
幅はそんなに無い代わりに、長く作られている。
小川には魚が飼われていたり、場所によっては子供が水遊びを出来る様にしている所もある。
ちょっとした散歩に最適な公園だ。

だが、何故そんな土地が少なからずあったのだりうか?
実は、「親水公園」が作られた場所は、昔は生活排水を流していた、いわゆる「ドブ川」があった所が多いのだ。
「ドブ川」と言っても、昭和20年代はきれいで泳げる所もあったらしい。
ところが、いつしか水は汚くなっていき、ヘドロは溜り、「死んだ」川になってしまた。
そういた川は、いつしか下水道に取って代わられたり、蓋をされたりして「人の目」から徐々に消えていった。
しかし、もとが川だけに細長い土地は残った。
そして最近、「親水公園」として復活しているのだ。

だが、本当に「親水」なのだろうか?
確かに川とは親しめるだが、それはあくまでも人工的な川でしかない。
つまり、自然の生物の影が見えない場所が多いのだ。
親水公園に小川に流れている水は循環・濾過されているので澱んでいる事は無い。
だが逆に、その為に生物が住みづらい環境になっているのではないだろうか?
本来、自然が行うべき「水の浄化」を人工的に行った結果、自然はその小川には何も与えようとはしないのかもしれない。
または、少しでも発生すると繁殖前に採りつくされてしまうのかもしれない。
こんな話がある。
ある親水公園で、子供たちが「ザリガニ」を採れるように善意で放したところ、大人が組織的に、根こそぎ採っていってしまったとの事。
こんな状況では、自然は何も与えてくれなくて当然かもしれない。

HARIが子供の頃、まだ「原っぱ」はあった。
ザリガニが採れる沼や、カエルがいる池も少ないとはいえ、あった。
もちろん危険もあったが、自然とは共存していた。
だが、今の子供が都会で遊べるのは、安全で清潔・きれいだが人工的な場所しかないのかもしれない。

昔、どこにでもあった場所は、今や人が昔の面影に似せて作った「人の作りしもの」だけになってしまった。


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