淀調クリスマス編 鋏と神と怪物と 

お久お久の淀調でございます。
改名して淀川氏の長寿にあやかろうというつもり、ではございませんが新世紀に入ることでも
あり宜しくお願い致します。
まあ皆さん、クリスマスですね。おうちの玄関、庭の樹とイルミネーションなさるお宅が増え
まして此の頃は裏道歩いていても退屈しませんね。夜道も明るくて怖いことないですね。本当
は英国ではクリスマス言うたら怪談の季節なんですがこれではお化けも出ませんね。それで思
い出す映画といえば今はもうすっかりスターになってしまったJ.ディップがまだ変な男の子
だった頃に作った「シーザーズ・ハンズ」、これは怖くないクリスマス映画、ジェントル・ゴ
ーストの映画ですね。
アメリカの地方都市、エイボンの訪問販売員が迷い込んだお城でみつけた鋏男、一人ぼっちで
かわいそう言うので家に連れて来て社会性を身につけさせようとしたところ、不器用で何にも
出来ないはずの鋏男が庭の樹は刈る、人の髪は切る八面六臂の大活躍。たちまち街の人気者で
目出度し目出度しで終わるかなと思ったらやっぱりそうは問屋がおろさない。不良一味に巻き
込まれ、追い立てられて元の古城に逆戻り、でも彼は生きていて氷の像を削っているの、なぜ
って暖かなこの地域にもクリスマスには雪が降るようになったから。と、鋏男を愛した女の子
がお婆さんになってから自分の孫に語るベッドサイド・ストーリー、御伽噺なんですね。 
でもベッドサイド・ストーリーズは聖書の話がお約束。
だからこれは、「シーザーズ・ハンズ」は結局のところは神の手、「ジーザーズ・ハンズ」の話なの
ね。聖者が町にやってきて奇跡を起こしたけれど、迎え入れた観衆に最後は追い立てられる羽
目になる。それを口に入れるとふっと溶けて消える軽くて甘いスイ-ツみたいに描いた映画。 
顔はなるほどフランケンシュタインみたいだけれども鋏男は逃げおおせて何十年経っても彼の
ことを覚えていて語り継ぐマグダラのマリアがいるのね。自分は罪を犯しました言うてこぼし
た涙を自分の長い髪で拭く売春婦。墓の傍でじっと待っていた改心して忠実な若い女。そのは
るか子孫がこのヒロイン。こういうのを描かせたらホントにうまいのアメリカ映画。さてしか
し。本家本元は違うのね。重くてきつくて暗くて怖い。

まあ皆さん、フランケンシュタイン、と我々が呼んで久しいあの怪物、アダムス・ファミリー
にまで出る有名人、つぎはぎだらけの顔にボルトの刺さった首、唸り声を上げてぎくしゃく
ぎくしゃく動き回る巨大な男、キングコングやドラキュラと一緒くたにして思いがちなあの
怪物が作られた 1810年代当時には実はあのミルトンの「失楽園」を読んでたんですね。頭
良かったんですね。神 に歯向かって地獄に落とされた堕天使サタン、あれは自分のことや言
うて自分を作り出したヴィクター・フィランケンシュタインに抗議するんですね。獣にも雌
がいるのに自分には家族もない、この孤独、自分に伴侶が与えられるならばこの先荒野を彷
徨い続けても不満はない。そう言うて博士に自分の花嫁を作るように説得するんですね。それ
でヴィクターはもう一度あちこちの墓場やらをあさって女のモンスターを作ろうとする。しか
しじっと自分を見つめているモンスターの視線を感じ、彼らから生まれるであろう子孫の姿を
想像して完成間近のモンスターをばらばらにしてしま う。まあ、モンスターは怒りますね、お
前の婚礼の日にまた会おう、言うて復讐を誓います。
当然ですね。彼には遂にマリアは現れないんで永遠に一人ぼっちなんです。酷いですね。
さあ、このモンスターが文字になってから100年後、今度は映画になりますね。 
演った人はボリス・カーロフ、作った監督その人は「ゴッドANDモンスター」の主人公です
ね。 23日からレイト・ショーが始まりますからそれまでもう少し映画版フランケンシュタイ
ンお勉強致しましょうね。 

まあ、もう時間きましたね。それでは次回まで皆様ごきげんよろしゅう。
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淀調クリスマス編Ⅱ 世紀を超えて 

はい、淀調でございます。
PRIDE AND PREJUDICEのお正月放送、まあ、待ちに待った再放送ですね。
コリン・ファースの代表作が三夜連続でお家で見られるんですね。本当に良かったですね。こ
れで字幕でコリンの声が聞ければ言うことないですね。
いるいるサンもどんなにか喜んでるでしょうね。おめでとうございます。

			
PRIDE AND PREJUDICE出てきたらモンスターは引っ込むが道理なんですが、乗りかかっ
た船ですから続き喋らせてくださいね。オースティンとモンスター、関係ないでしょと言わ
れるかもしれませんが、実はあるんですね。「高慢と偏見」が出たのは1813年、「フラン
ケンシュタイン」が出来たのが1816年、オースティンは翌17年の7月に死んでますから
「フランケンシュタイン」は読んでないかもしれませんがメアリ・シェリーは逆に読んだかも
知らん。何より彼女のお母さんのメアリー・ウルストンクラフトはフェミニストとして
知らん人はいない。「高慢と偏見」の元は1790年代に書いた「第一印象」ですが、それか
らオースティンが10年以上経って書き直した「高慢と偏見」、賛成にしろ反対にしろ
ウルストンクラフトの影響が出てるんですね。コリンズ牧師がベネット姉妹に読んで聞かせ
ようとするSermons to Young Womenは ウルストンクラフトが「女性の権利」の中で
散々にやっつけた本なんですね。そのウルストンクラフトの生命を奪ったのが生まれて
きた娘、モンスターの生みの親のメアリー・シェリーだったんですね。

			
メアリー・シェリーはそんな高名なお母さんを持って、これまた毀誉褒貶の激しい急進派ゴド
ウィンいう思想家をお父さんに持つんですね。両親はフランス革命支持者でお母さんはフェ
ミニストやのに、お腹にいる子供は男の子と決めてかかるんですね。名前までつけて
ヴィクター、ヴィクター坊やと呼んで日記にも手紙にも書く。それを娘は読むんですね。お
母さんはいない、お父さんは妻を殺した娘なんて見たくない、と言う。長じてパーシー・
シェリーと結婚してからは、金貸してくれ、言うてくるんですね。イングランドの知識階級
なんてほんとに狭い世界ですからね、誰がどんな人間か仲間内では皆知ってる。メアリー・
シェリーの半生はほんとに激しい。フランス革命とナポレオンの世界に生まれ育って、
急進派の両親と夫を持って、夫ひとりに妻二人の同棲生活しようとしてシェリーの奥さんに
自殺されて正式に結婚する。その中で書いた「フランケンシュタイン」だから、その時代の
最先端の思想、文学、そして情念が一緒くたに詰まってる。だけど時代は変わるし人間も
変わる。19歳の頃には生きていていつ島抜けするか思われてたナポレオンも死ぬ。ご主人
のシェリーも湖で溺れ死んで保守化する英国でメアリは子供と生きていかなくちゃならな
い。30年代に出した改訂版では「フランケンシュタイン」は神に背いた傲慢の罪で罰せられ
る科学者、いう教訓話に書き換えられてしまうんですね。

			
さあ、それから百年、ジェームズ・ホエール監督がアメリカ行って映画「フランケンシュタイ
ン」を作りました。あの屋敷のセットは吸血鬼ドラキュラで使ったものなんですね。役者も
同じベラ・ルゴシだったんですね。ところがベラ・ルゴシ、突然降りる、言い出したのね。
ドラキュラは化け物でも貴族でしょう、ところがこのモンスターは台詞が一言もない、唸
ってばかりでメイクもどぎつくて嫌だ、やめる言うたのね。それでスタッフは困って困っ
てようやく探して連れてきたのがボリス・カーロフだったのね。これでカーロフがフラン
ケンシュタインの怪物そのものになってしまった、百年の間、あるときは革命家に、また
あるときはブルジョア、資本家、大衆に擬せられてきたモンスターのイメージはひとりの人
間に定まって動かなくなった。すごいことですね。

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淀調クリスマス編Ⅲ 続・世紀を超えて 

でも、このホエール監督の映画はインテリには評判悪かったのね。ヴィクターがヘンリーに
なってる、怪物が殆ど野獣だ、あのエピソードがないこのエピソードがない、それにだいた
いハッピー・エンドとは何事だ、大衆に迎合しすぎだ、言うて。

			
だから今度の「ゴッドANDモンスター」観たときは驚きましたね。まるで「ジェームズ・
ホエールの弁明」いう作り、原作者から監督からホエール本人が乗り移ったか思う出来栄え、
映画が出来てから一世紀、ホエールの「フランケンシュタイン」さえ飛び越えてメアリ-
・シェリーにまで迫ろうかいう勢いの本歌取り、まあよくもこんなに作ったな、思うくらい。
メアリー・シェリーが自分の読書記録をパッチワークにして原作にちりばめて入れ子入れ
子に作ったように、この映画では映像を古いのも新しいのもパッチ・ワークにして、でも
監督は男だから原作のように生真面目には行かないで、嘘もいっぱいついてよそ見もして
鼻歌も歌って仕上げてる。例えば庭師の若い男に葉巻吸わせるとこ、「フランケンシュタ
インの花嫁」観た人ならああ、思うところ。でもこの葉巻はマフィアと結びついたイメージ
が邪魔してるけど、昔から階級の違う人間をいたぶるための小道具なのね。今でも例えば
日本人なんかがヨーロッパ行って上つ方と少し仲良くなるとこれをやられる。三島由紀夫
も貧乏な作家仲間を自宅に呼んでやってたの。「どっち切るんですか」と聞く相手を馬鹿に
して強い葉巻にくらくらきてる顔を見て愉しむのね。全編全部その調子でホエールは英国
の労働者階級の出身なんだけれども、アメリカにきたらもう英国人なのね。押さえが利か
なくなったらぽろぽろとお里が知れる振舞いも出てくるけれど、庭の芝刈りしてる若い
男と並んだら全然違う。喋る英語も英国特有の回りくどい言い方して、テーブルマナー
もきちんとして、飲むものもアイスティー、赤ワイン、枯れかかった爺さんなのに寝る
とき以外はいつも襟付きシャツにネクタイをきちんと締めてる。家政婦はポーランド
人なんだけれども、対する態度がいかにもあのポーラックが、いう感じ。若い男は昼間
は芝刈りして夜には酒場に行って女引っ掛けてトレーラーの中で寝るの。
電話も家もない、面倒くさいから女を口説くこともしない。まともな女は俺なんか相手に
しないよ、言うて自分のことがわかってる。こんだけ差があったらどっちが博士でどっち
が怪物かすぐにでもわかる。でもそんな風に作りながらそう観る観客も作る自分も洒落
のめす余裕がこの監督にはあるの。最初のほうにホエールのインタビューに来る学生が
いるのね、何でも聞きたいものだからホエールに言われるままに一枚づつ着てるものを
脱いでブリーフ一枚になっちゃう。いかにもへろへろしたこの映画オタクはでも抜け目
なく今をときめくキューカー監督にインタビューしたついでに助手にもぐりこんで、
英国王女臨席のパーティーに引退してるホエールを引っ張り出すくらいに才覚があるの。
観てるほうは彼のことを最初は笑ってるけど、よ~く考えたら笑うどころじゃないでし
ょ。それでも芝刈り男と比べたら彼は貧弱な肉体しか持ってないの。そういうところ、
この監督はきちんと出してる、水ももらさぬ作り方なのね。
芝刈り男のキャスティングもそう。ポーランド人の家政婦に彼はチープだから雇いました、
言われる役どころ、首が太くていかにも不器用そうで、でも顔の中の瞳が違和感があるの。
嵐の夜にホエールの前に全裸で立って、それでやっと釣り合いが取れる、それくらい強い
強い瞳なの。もうね、思わずおおお!言うくらい今では古典的な男性美なのね。その彼
ホモ大嫌い、男と男の関係なんて話聞くだけでも嫌なの。ホエールに惹かれて戻ってきて
も、ゲスな話は願い下げだ、とはっきり言うの。その態度は最後の最後まで崩れないのね。
これだって、何でもありの今の世の中、映画でもホモ可哀想、美しいわかります同情し
ますのオンパレードのなかで見せてる、確信犯なのね。
  
そう、この映画はホエール役のうまさに引きずられがちだけれども彼の強さがあって
こそのあのエンディング、 キャメラが引いて引いてサイレント映画、あのラストに比べ
れば「アメリカン・ビューティー」なんて児戯にも等しい。スピルバーグは子供だから
あれで丁度満足だったんでしょうが「ゴッドANDモンスター」、あれはほんとに映画
でしか表現出来ない、言いようのないラストでしたね。

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淀調クリスマス編Ⅳ 完・世紀を超えて 

ラストの話をしないでは終われない、そう思っておりましたが、若干のお詫びです。
あの家政婦はポーランド人じゃなくてハンガリアンだったのね、失礼しました。でもね、一般
の英国人に東欧の人間の見分けがつくのだろうか。滞英中、あいつはポーラックだから、とい
う言葉は聞いてもハンガリアンだからいうフレーズは出なかったですね。血の気の多い人間の
代名詞だそうですけど、でも「オリエント急行」ではちゃんと区別してたものね、ともかくも
失礼!しました。

			
それでね、一晩寝て考えたんだけれども、やっぱりあの若い芝刈り男はどうしたって変なん
ですね。妙にきれいで清潔なの。第一無精ひげがない、いつもつるつるだもんね。女とやれ
る年齢なんだから上も下もひげ生えてないわけないでしょ、トレーラーで寝起きしてその日
暮らしの生活で、酒場で飲んで女引っ掛けて、それで生活臭が出ないのね。王女臨席のパ
ーティー行って、ホエールがまた意地悪だから会う人会う人にうちの庭師だ庭師だ言うで
しょう、こいつは身分が違う虫けらなんだよ言うて回られてさ、卑屈にもならず怒りもせず
超然として全然平気な顔してるのね。そんなの観てたらこの子、余程のボケじゃないかど
っか他所から落ちてきたんじゃないか人間じゃないんじゃないか思えてくる。
ホエールはあの喰えない爺さんはああ、そうだろうな、思うの。前の同棲相手、ホエールを
持て余してでも騒ぎになるのは嫌だからその場だけでも繕っておこう、いうあの男もわかるの。
映画オタクに呼ばれてくるボリス・カーロフ、功なり名を遂げて姪の子供だか孫だか赤んぼ
をあやす好々爺に成り果ててる、その横のフランケンシュタインの花嫁役やった女が写真
とられながら有名だっていい気持ちねえ、言う。それを見て怪物は自分の頭の中にしかいない
と言うホエール、観てる方は無理がないからふむふむ頷くの。だけどもこの坊やはねえ、観
てても観ててもどこにもはまらない。ああいう目付きしてふっくらした唇で、ホエールが
「トゥガ」言うたのは凄いセンスで羽根生やさずにガスマスク付けさせたのはこの監督の
矜持やねえ。
さてそれであの見事な対句になったプールのシーンがあってラスト近く、ホエールの映画を
テレビでやっててそれを見てる子供の顔が出て来るの。父と息子の会話があって奥さんが
キッチンから、あんた、ゴミ出してよなんて言うてる。坊やがまっとうな家庭を持って息子
持って息子も生まれて一家団欒、こっちはああ落ちたなあ、甘いなあしょうもないなあ
思て観てるわけ。父さんがガタガタペール鳴らしてひとりで外に出てくる。外は暗くて雨か
なんか降ってる。そこ振り仰いでね、それからが凄いの。甘いなあ落ちたなあ思わせてその
気持ち逆手にとってね、その油断が何倍にもなって観てる方に返ってくるの。こう書いたらね、
皆さんまあどんな場面を想像するか?
何もない、別に何も起こらない、音もなくてキャメラは引いててひとりの男を後ろから撮っ
てるだけ。それなのにね、坊やがホエールと別れてからの歳月、心のうち、全部全部わかる。
顔なんか見えない、音も一切ない、ただ動きだけ後ろ姿だけなのに。
この男、ホモは大嫌いなの。触られただけでも嫌なの。あの嵐の夜に、寄るな触るな寒イボ
立つ言うて騒いだでしょう、殺してくれ出来んのか意気地ない大したことないそれでも男か
、ホエールに言われても嫌だ嫌だと泣いて震えてね。結婚して子供できた今でもホエールに
触られたらね、また同じこと繰り返して騒ぐはずなのこの男。そのまったくのノーマル男が
、このラスト。もうね、ほんとに最初からここまで観てる人の記憶に降り積もった台詞と映
像がこの小さな男の後姿に触れて突然変異を起こす瞬間なのね。ホエールの作った怪物が
ぎこちないのも言葉をよう喋らんのも頭良くないのもそうかそうかみんなこのためやったの
か思わせる、そのくらいのエンディング。だからね、ホエール好きな人も知らない人も一遍
観てくださいね。レイト・ショウ無理やったらレンタルでもいいから。これはね、いいおうち
のお母さんが会社や幼稚園や学校にみんなを送り出してからこっそり観て、みんなが帰って
きたら知らん振りしてまあお帰りいうようなのが似合う映画でもあるんですから。

			
長いこと有難う。それでは皆様良いお年をお迎えください。

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