淀調 「俺は男だバレエ編」 

はい、淀調でございます。

まあ、もう、いまさら、とも思いつつ「リトル・ダンサー」、また話題に上ったところ

で少し便乗させてくださいね。


最初の場面から古いレコードプレーヤー、CDじゃなくて曲の頭探してかけ直すあの仕

草、若い人はもう知らないかも知らん、なんとも懐かしいあれは、手探りで欲しいものを

探してるの。そして出て来る曲がCosmic Dancer、宙を舞ってるほそっこい男の子

の身体、手、足、ぺろぺろのトランクス。汚い台所、ゆで卵2個作ってトースターからはね

飛ぶトーストお皿に受け止める、これは「ウオレスとグルミット」を髣髴とさせる場面。

お盆にセットしてまあ誰に持っていくか思えば、相手はまだらボケがきてるおばあ

ちゃん、グランマ。目を離すとふらふら抜け出て徘徊してる。掴まえて連れ帰るその上

にカメラが行くと炭鉱スト、ピケ張ってるのね。ダディと兄さんは炭鉱夫で組合活動

に命かけてる。そしてビリーに毎週50ペンス渡してボクシングやれ、言うの。グラブ

はお爺さんからのお下がり、コーチは組合の仲間、父親にとっては何の疑問もない、明々

白々の世界なのね。


英国がこんなにマッチョだったなんて、と誰かが書いていましたが、これが英国の階級、

クラスというもの。ボクシング、サッカーに始まり、次がフットボール、テニス、クリケ

ット、と階級ごとに愛好するスポーツが全部違う。中流階級で許されるサッカーチーム

はただひとつだけ。それ以外は陰で「まあ、あの人、お里が知れるわねえ」言われる。

まあ、これも大分崩れてきてる、とは思いますが。そこで場違いなのがあのピアノ、

死んだお母さんのピアノ、古ぼけて長いこと調律も出来ていない。これがなんであんな

狭くて汚い長屋にあるのか。そのもう、まともに音も出なくなってるピアノをビリーが

そっと耳を押し付けるようにして弾くでしょう、お父さんはうるさい、言う。お母さんを

思い出すから。このピアノはお母さんそのもの、娘時代からずっと習ってきて親しんで

きたピアノ、お母さんはだから貧しくてもお父さんより少し階級が違ったのがこれで

わかる。あとで出てくるお母さんの遺品、みんな金だったものね。


でも息子は炭鉱夫の息子、バレエの先生の家に行って、これがまあ、内装から何から

違う。娘の部屋もきれいな壁紙貼って羽枕で。それで先生にも言うの、「あんたに

何がわかるか、この中流野郎が」って。日本は皆上に上がろうとするの。英国は違う、

階級がそれぞれ自分の生活様式を持っていてそれを誇りにして別の階級を馬鹿に

するの。ここのところを押さえないと、なんで父と兄があんなに泣くのか、兄が

「あいつはまだったった12なのに」と繰り返し言うのか、別れ際に先生が「感謝して

ます」言うビリーに「さあ、どうかしらね」と答えるのか遂にわからないままで終わる。


ロンドンに行った事もない、考えたこともないお父さん。ダーラム言うたらあの大聖堂、

司教領から発展したダーラムの象徴、それさえ見たことがないビリー。このふたりが

ロンドンに行ってロイヤル・アカデミーの建物見て螺旋階段見てびっくりするでしょう、

試験官の物腰、喋る英語も全然違う、そういうところにあの強い北イングランド訛りの

ビリーが入っていく。知的な受け答えも全然出来ない、他の受験生に肩抱かれて

殴り倒して「協調性」言われるでしょう、「ああ、この野蛮人が」いう表情が試験官みんな

に出てる。イングランド人特有の距離をおいた慇懃無礼なあの表情ね。このなかで12

歳のビリーはやっていかなきゃならない。バレエというよりはダンス、それも優雅とは

程遠い男の子のダンスを踊るビリーがロイヤル・アカデミーでどう変えられてしまう

のか? ここから引き離されてビリーは自分の居場所を見つけることができるのか?

家族よりもバレエの世界を知っている先生は彼を送り出したあと、専門家として

複雑な気分になるんですね。


その答えがラスト。ノーブルな王子様をロイヤル・オペラハウスでやってるんじゃない

のね。技術の上に立った彼のバレエ、彼の白鳥の湖、観る人によってはグロテスクな白鳥、

しかしこれが俺のバレエだ、いう気迫。長い基礎訓練もロイヤルバレエの格式も彼の牙

を矯めることは出来なかったのね。正統からははじき出さざるを得ない毀誉褒貶半ば

する彼のバレエ、しかし彼の舞台を観に来た人で劇場は満席、絢爛孤高のダンサー・

ビリー。これが英国流サクセス・ストーリーの真髄なんですね。

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淀調 「バレエ・シューズの下には」 

ハイ、淀調でございます。

ロイヤル・バレエ好きですよ。ロシア系と違って群舞の手足が揃わないとことかが

かえって。しかしバレエはねえ、小さい頃手足が蚊トンボみたいにひょろひょろで

間が抜けてて、ちっともきちんと踊れないじゃないか、いう子供が大きくなって

ノーブルな役踊れるようになるんですね。空間の取り方が柔らかいんですね。

関節がしっかりしててぴしぴしぱしぱし踊れる子はあくが強くてね、なかなかむず

かしい。

おささんが書いておられた「白鳥の湖はゴースト・ストーリー」、あれが結局はこの

映画を読み解く鍵みたいなもので、みんな知っていてでも黙っている隠されていた

ものが表われ出る、そんな風に観ましたけれども。先生の嫉妬はあるでしょう、

ただ嫉妬するにはあまりにビリーが異質なので嫉妬しきれずこれでよかったのかと

遅まきながら逡巡する、と。家族でいえば、前回ちょっと書きましたがお母さんの

ピアノ、これがクリスマスに薪がない、いうんで叩き壊されて暖炉で燃やされる。

ビリーが「ママが悲しむ」言うとお父さんが「彼女は死んだんだ」と答える。

ああ、罰当たりやなあ、これは祟るで、思うていたら果たして物語が急速に動き出す。

ビリーはお父さんの前でも臆せず踊って見せる。お父さんは何かに憑かれたみたいに

いきなり先生の自宅へ行って「いくらかかるんだ」と訊く。お母さんは死んでないの

ね。どうしても足りない旅費の工面に形見の品が出てくる。


更に言えば、物語の舞台、ダーラム。ここは19世紀まで司教領で王権が及ばなかった

んです。有名な大聖堂をちらりとも出さない贅沢なつくりに感服しましたが、この

大聖堂の扉、ノッカーは人の顔になってて、国王の暗殺企んだ大罪人でもこの取っ手に

手を掛けたらもう司教の保護下に入ってしまって逮捕されずにすむ。一種のサンク

チュアリですね。そのダーラム地方、ヨークよりも更に北、地図で見てもロンドンの

はるか遠く、英語だってわからないですよ、あの訛り。どうしてこういうところを

物語の舞台にしたか。だいたい、「嵐が丘」でも「秘密の花園」でも北が舞台でね、

それまでのしきたり、因習から自己を開放するとか、理性で押さえきれない本能とか

を扱ってますね。北イングランドは古いイングランドの象徴、あの荒涼としたムーア、

がさがさした喋り方。スコットランドと戦いながらイングランドの国境を守ってき

たという強烈な自負心、ハンザ同盟はなやかなりし頃は隆盛を極めたけれども交易

路が移るとともに首都から遠く離れ見捨てられた、という屈折した歴史。ここから

出てきた子供がフランス語が支配するバレエ界に入り、やがてそこから離れて

あの「白鳥の湖」を全く違うスタイルで踊る。

25歳のビリー、靴はいてないの。あの白鳥、タイツもはかない素足でしょう、あの衣装、

あのメイク見てたらドイツのオペラの演出思い出したのね。ふんわり砂糖菓子じゃない、

ぎりぎり人間の奥底に踏み込んで容赦ないきつい演出。それでね、ああそういえば

英語も昔はドイツ語だったなあ、思うたのね。古英語は古いドイツ語と兄弟、そこにノル

マン・コンクェストで入ってきたフランス語が乗っかる。支配階級はフランス語、ラテン

語から派生した言葉を喋り、被支配階級は古英語から派生した言葉を喋ってきた。

これが英語の二重構造、英語がハイ・ブリッド言語だ言われる所以です。だから英語は

単語数がフランス語の2倍もある。そして階級ごとの英語が違うのも使う単語が違うから

。これね、そのまま「リトル・ダンサー」の世界でしょう。ビリーの踊る「白鳥」が炙り出す

のは昔々の英国の姿、イングランドという国の陰の流れなんですね。この映画自体が

何重にも仕組まれたゴースト・ストーリーだ、思うた理由です。

それにしてもラストの舞台袖、群舞が入れ替わり立ち代り出たり入ったり。家族が来てる、

言われても軽く頷くだけで動じないビリー。彼ひとり動かないからあっ、これは、

主役やなとわかる。みんながざあっと退いて跳躍する肢、床を掴んで広がる足先。

荒ぶる魂が立ち現れるこの瞬間は本当にいいですね。芸術の裏の残酷さと華麗さと。

瞠目すべき瞬間でした。

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