Steve Reich


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MINImalism For MAXImizing Effect

とりあえずライヒについて知るにはこちらへ
スティーヴ・ライヒの音楽語法
作品リスト/ディスクガイド



■ ミニマル=マキシマル・ミュージック

たとえば初期の『ピアノ・フェイズ』のあのアナログ的なズレを
伴う変化を、デジタル的発想そのものである西洋音楽の楽譜に記
譜することはまず不可能である*。

*
アナログとは「連続する」が本来の意味。それに対してデジタルは「分割さ
れた」が原義である。ラテン語'digit' は「指」を表わし、5本に分かれてい
ることとの意味のリンクがある。西洋音楽の楽譜は小節線というユニットに
基づいているのだから、これはデジタルな表記法に他ならない。


瞬間ごとの響きの変容のあまりの複雑さ、つまり、生成され続ける
音楽的イヴェントが多すぎていちいち書けないとも言えるし、それ
が縦割りリズムでの現象ではない(小節線によって区切れない)と
いうことによっても、どの瞬間を切り取って記譜すればいいのかと
いう問題があって、従来の楽譜は無力となる。結局のところ、この
曲の楽譜は基本となるパターンと、それが次の音型に移るまでを点
線で示すにとどまっている。あとは二人の演奏者間の微妙なテンポ
のズレに任せられて、音楽は流れ続ける。

作曲者の完全なコントロール(作曲)から、予想できない結果をも
たらす(複雑多様を極める響き)音楽。

ライヒが、自身の音楽をミニマル・ミュージックではなくマキシマ
ル(マキシマム)なものだと語る理由が、ここにある。

一つの作品に用意された素材がミニマルだとは、ある種のライヒの
作品には言えるかもしれない。しかしそこから生まれ出る響きの多
彩さと言ったら....ということなのだ。万華鏡の無数のパターンを思
い浮かべながらライヒの初期作品を聴くと、この変化の文字通りア
ナログ的連続が感じ取れるだろう。

■ プロセス・ミュージック

ところで、ちょっと考えてみればすぐに気付くことだけれど、万華
鏡はその変化を映像に記録し、連続写真や映画のコマとして各瞬間
を静止した状態で見ることができる。そして、音はそれができない。
しかしできなくてもいいのだ。万華鏡も、ある瞬間を写真に撮って
静止画として見た場合、それほど美しいとは思わないこともあるだ
ろう。音楽で疑似的な静止状態を得ることもできる。ある和音や旋
律断片を取り出して弾けば、同じような体験が得られるから。しか
しそれも、静止画像として標本になってしまうというつまらなさは
同じだ。たとえどの瞬間を切り取っても美しい音楽こそが「名曲」
ではあっても。瞬間の連なり、変化のプロセスこそが、生命である
のだから。そう、音楽が時間芸術であるということをライヒの初期
作品は聴き手に強く意識させる。

■ シンプルなありかた、複雑な結果

かつての前衛音楽の停滞は、専門家と作曲者自身以外の聴衆一般に
作品の理知的理解を求めたこと、そしてその理解が困難を極めたこ
とがひとつの原因だったのだろう。ミニマルという分かりやすさと、
その響きが即座に感じ取れながらも無限のヴァリエイションを期待
することのできるこの音楽のスタイルが本来的に持っていた可能性
は、音楽を流麗に流れさすだけでなく、これほどの聴衆の獲得を現
実のものにもした。

仕掛けは単純、響きは複雑だが難解ではなく、身体に染みいる緩や
かな変化に耳が喜ぶ、という幸福なシステムが、スティーヴ・ライ
ヒの音楽のエッセンスである。そしてその当初の単純さを、いかに
魅力的な響きとして出力し続けるかというライヒの作曲の一貫した
テーマと長いキャリアを感じ取りたい。精緻なタペストリを織るこ
とにも似た何かが、ライヒの音楽の奥に必ず存在している。

■ 聴き手が作曲手法を知るということ

さて、ライヒのおおよそ60年代から始まる創作には、基本になる
いくつかの手法の変遷とその組み合わせがある。ある作品にはひと
つの手法が、別の曲には次の作品で全開することになるアイディア
の芽がすでに、というように、彼の作品を年代順に追いかけること
は、その明快なコンセプトとそこから導き出される、そして一聴し
て実感できる鮮やかな音響効果の魅力とから、聴き手にとってもま
た簡明で楽しめるアプローチであると思う。

スティーヴ・ライヒの音楽語法
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・h o m e・ ・minimal・