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技術革新と労働の疎外(労研通信No.14 1985.10.20刊)
ー新しい社会の展望をめざしてー
  松江 澄


 私は一九八一年一月、京都大学現代資本主義研究会の理論研究合宿で「技術革新」について話したことがあった。これは後にテープをおこして復元され、労研一四五号に「誌上講座」として掲載された。私はこのなかで今日の技術の発展を労働手段の最高にして最後の段階ー従って人間と労働手段の転倒の完成ーとしてとらえ、それがもたらす労働過程の分断と労働の全体像の喪失が労働者の意識におよぼす影響について述べた。そうして資本主義社会の産物である最高の技術体系が資本主義社会の産物である最高の技術体系が資本主義生産にとって合目的的なシステムとして作用するように、社会主義になればその同じ機械と技術が社会主義生産に合目的的なシステムとして作用する、ということでよいのであろうかと疑問を提出した。そうして私は、それではいけないはずだと社会主義ー共産主義社会における技術体系=労働手段のあるべき位置についての再検討・再探求という課題を提起した。
 その後私はこの課題が常に念頭にあったが、最近「労働運動プロジェクト・チーム」の数度に亘る討論に参加して多くの実践的知的刺激を受けながら、この課題を再追求する機会を得た。とくに私は、かって私が労働手段=技術体系の問題として提起したものが、実はすぐれて労働そのものの問題ではないのかといま考えている。従ってそれはまた、われわれの追及する新しい社会のあり方と深くかかわり合った課題ではないかとも考えている。そこで前掲載文の文脈に添いながら新しい問題への発展を追及するために一つの試論として提起する。
 私が前記論文のなかでも重要な意味をもつと考えたのは、機械大工業時代における工場での機械は労働者を労働から解放するのではなく、労働の「内容」から解放する、というマルクスの指摘であった。(「資本論」第一部第十三章第四節「工場」)つまり労働が無内容になるということである。それでは労働の「内容」とは何であろうか。マルクスは同じ文章のなかで、機械労働は極度に神経系統を疲れさせるが、また筋肉の多面的な働きを抑圧し、すべての自由な心身の活動を奪ってしまうとのべている。そうしてまた、労働者と労働条件の位置の転倒は機械装置をもって初めて技術的に明確な現実性を受け取る、と指摘する。
 マルクスが産業革命時代の機械から展望される技術体系を労働手段の最高の形態と考えていたとしても不思議ではない。どんな天才でもその生きた時代に制約される。だが機械と技術は今日、当時では考えられもしなかったほどの著しい飛躍的発展をとげた。それはただ自動機械の速度やしくみがすばらしく発展したというだけでなく、それまでの機械が人間の筋骨にたとえられるなら新しい機械と技術は人間の頭脳ともいうべき質的な飛躍と発展をともなってている。それはすでに人間の「知力の対象化」というよりも、人間そのもの「疑似」対象化とでもいうものである。こうした新しい技術体系は、自由な心身の活動を奪うだけでなく、労働が本来もっている「創造」という質を最後の一かけらまで奪い取り、労働の分断は極点に倒する。
 労働は「人間と自然との過程である。すなわち人間が自然との物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、調整する過程である」、従って人間はその労働の過程において、「彼の外にある自然に働きかけこれを変化させるとともに、同時に彼自身の自然を変化させる。」(「資本論」第一部第五章第一節「労働過程」)、対象である自然(間接的な自然を含めて)を加工するとともに、そのことによって人間が自然にもっている能力を発展させる。対象を変革することによって自らを変革する。それこそが労働が本来もっている「創造」的な質であり、労働の「内容」ではないのか。しかし搾取社会は人間の労働能力を弱めるだけでなく、徐々に労働の分断を内包しつつ資本主義に到ってまず精神労働と肉体労働を完全に分断し、次いでそれぞれの労働をさらに細く分断し、最後に機械と技術がその分断された労働を疑似的な「頭脳」で再統合することによって分断を完成する。そこには労働手段と労働者=技術と人間との最終的な転倒がある。
 マルクスは「経済学・哲学手稿」において、資本主義社会では「労働が労働者の本質に属していないこと」、従ってその労働は「ある欲求の満足ではなく、労働以外のところで諸欲求を満足させるため手段」となっていることを、「労働の疎外」と呼んだ。そこでこの疎外を仮に労働の疎外「社会的」疎外というなら、さきにのべた労働の内容からの疎外を労働の「技能的」疎外と呼ぶことはできないであろうか。労働の「社会的」疎外が労働のおかれている位置と本質にかかわるものであるならば、労働の「技能的」疎外とはそれ自体が内包する本性と能力にかかわるものである。
 労働の「技能的」疎外は労働の「社会的」疎外から生まれる。従ってそれは労働の「社会的」疎外がなくなならなければ消滅しない。しかし労働の「社会的」疎外がなくなっても、そのままでは労働の「技能的」疎外は自然にはなくならない。何故ならば、いったん機械と技術の体系によって内面にまできざみ込まれた労働の「技能的」疎外は、かつてそれを生み落とした原因がなくなっても肉体的に残存する。いったん最新の技術と機械に仕えた習性は一朝一夕には消滅しない。それはひきつづき機械・技術による管理を労働者が受け入れる素地となる。それは労働それ自体が本性的にもつ自由な心身の活動とそれが生み出す創造性とを奪うことによって、自由で創造な社会的諸活動を制約する基底となる。
 従って新しい社会は労働の「社会的」疎外の克服をめざして意識的に追求するとともに、労働の「技能的」疎外を消滅させるために目的意識的な努力をすすめなくてはなるまい。こうした疎外からの解放はもちろん権力が移動しただけで自然に実現されるものではない。それは新しい権力のもとで解放をめざす不断の努力によってこそ報われる。そこではじめて労働者が「職場と生産の主人公」になるという闘争のスローガンが現実のものとなり、機械・技術による人間の否定は再否定される。それがいわゆる「自主管理」であはあるまいか。そうして職場と生産の「自主管理」を基底として再構築される社会こそ経済と政治の「自主管理社会」と呼ぶことができるだろう。それは共産主義社会への欠くことのできない過渡である。(一九八五・一〇・九)


生産力発展と労働者ヘゲモニー(労研通信 No.60号 一九八九年七月二〇日)

松江 澄

 

共産主義(目的社会)とは何か

 「必要に応じてとる」ということを、マルクスは『ゴータ要綱批判』で述べている。これをどうとらえればよいか。マルクスは、それ自体の基礎のうえにつくられた共産主義社会でなしに、資本主義から生まれたばかりの共産主義、すなわち第一段階の社会においては「能力に応じて、労働に応じて」ということを原理的なものとして捉えている。この「労働に応じて」か「必要に応じて」へと、転化=発展することが、共産主義社会の扉を開くというとらえ方をしている。レーニンは、これにつけ加えて、そこで国家が死滅していくと言う問題に照応させている。この「必要に応じて」ということを、何でも無尽蔵にあるから欲しいものだけとれるという意味にとらえるのは正確ではない。「能力に応じて働き、労働に応じて取る」という最初の段階で重要なのは、「労働に応じて」ということは決して“平等”な社会ではないという点である。

 この点で、スターリンもフルシチョフもブレジネフも、また毛沢東も間違いをおかしている。不平等な労働に応じては、不平等な分配が行なわれる。だから、平等ということは権利であって、権利が存在するということは、まだ決して平等な社会ではないということである。権利があるためには権利を保障する国家も必要になる。働き手が三人しかいない十人の家族と二人の家族があるとして、労働に応じて分配すると、何人の家族であるかは考慮にいれられない。だからマルクスはこれをブルジョア的な権利、ブルジョア的な「母斑」と言っている。毛沢東はこれを資本主義が中国において十分発達しなかったところからくる遅れた社会的要因としてとらえ、これをとりのぞくところから問題を組み立てている。ソ連でも、この時期の問題は適当にとばされてしまう。

 マルクスを読むときに注意しなければならないことは、マルクスは『ゴータコ綱領批判』というかなり後期の著作ではじめて、そして唯一の、しかもごく短い文章で、理想社会にふれているにすぎないことである。そこで彼がいっていることは、純粋に培養された資本主義が、一挙に新しい社会に転化したという前提のもとで、純粋な第一段階をとらえて語っているのである。それが第二段階に移るとどうなるということをかという追跡のしかたをしている。現実にある社会がどうなるということを言っているのではない。当時も今もそのような社会はない。現存社会主義はまだそれ以前である。マルクスの資本主義分析の中から生まれた、ある意味では非常に抽象的な、原理的な展望であるといえる。第二段階の「必要に応じて」というのは、第一段階からみると、巨大な時間の差があるということである。これは、作為的に、いつの時期に第二段階にはいったか、あるいははいろうという人為的なものではない。いわば規律か自然の習慣になるように長い時間を経て協同組合社会が生まれてくるという想定をマルクスはしている。

 そのような社会においては規制とか平等というものはなくなり、いわば「己れの欲するところを行いて、法(のり)を超えず」という状態が集団として行なわれる。「必要」というのは『何でもとっていい』という意味ではなく、マルクスの云う「一人の自由が万人の自由と矛盾しない」、あるいは資本論でいっている『自由な人間の連合』としての社会が生まれた状態、そのような社会のルールとして「必要に応じて」を掲げている。これは生産力の高さというより、むしろ、そういう人間のまったく自然な、無作為の状態が、巨大な時間を経て生まれ、そこにはもはや規律もないし、従って国家もない社会状態として想定している。ちょうど原始共産社会における人間が、権威によって結ばれるのではなく、尊厳をもって結ばれていたような時代の社会を高い次元で―もちろん生産力の発展も含めて―再現したような社会としてとらえている。このような視点から『ゴータ綱領批判』のこの部分はよまれるべきである。

 さらにいえば、『経済学哲学手稿』で提起した問題が最後に『ゴータ綱領批判』において到達されたといえる。その間には『資本論』等において、いくつか触れている箇所がある。『経済学哲学手稿』ではそもそも人間の本質は類的な存在であるか、歴史的な現実としての人間は類的な存在から疎外されているということ、それは「人間からの人間疎外」であるという問題を前提としている。そして、キリスト教の伝えるように、一人の男性と一人の女性が婚姻して子供を生んで次第に社会が発展するというのではなく、人間は集団としての存在が実は人間の本質であるととらえている。ところが、社会の発展は生産手段の発展と不可分だが、やがて生産手段が私物化されるなかで物をつくるが、つくった物はつくった人に属さないという「生産物の疎外」が生まれる。マルクスはそこから「労働の疎外」を」導き出している。それを追求する中で搾取論を明らかにしていくことになる。そして資本主義の「墓堀り人」としてのプロレタリアートが、闘いを通じて新しい社会をつくりあげる。このようなものとしての新しい社会が『ゴータ綱領批判』の記述に発展していったと私は思う。

 ただ、この『ゴータ綱領批判』の第二段階の中で、人間が全面的に発達することにより協同組合的な富の泉があふれるような表現がある。必然的にそういう社会になれば人間が全面的に発達するのだから、障害や疎外なしに生産力が全面的に発展し、富があふれんばかりに生まれてくるという想定をマルクスはしている。この点からみて、当時マルクスが経験している現実と比較してかなり進んだ生産力の発展が想定されているが、マルクスの思想としては、生産力の高さもさることながら、必要か必要でないかを「自由」に判断することが、他の人の「自由」の妨げにならないような新しい社会を提起しているととらえることが重要である。まざす新しい社会にとって、生産力の発展はどの程度のものを考えているかと聞かれると、私は答えられないが、大切なことはそのような量的レベルが事前に想定されたり、これでなければだめだということではなく、それをそこに荏んでいる人間あるいは人間の集団が選択し、判断するということこそが必要だと私は考えている。もちろん、ポルポトのように都会を排して、田舎での農業労働を強制するというのは問題外で、一定の生産力は必要であるが、そのレベルはあらかじめ想定できない。

 それに関連して、生産力と生産関係の照応の法則というものが勝手に一人歩きしている。マルクスが棺から起き上がれば「おれはマルクス主義者ではないよ」と言うような、マルクス主義の教条が世界を潤歩している。生産力と生産関係の照応の法則というのは、従来の教条主義的マルクス主義からいうと「生産力の発展が、生産関係の制約によってさまたげられる。そこで社会革命がおきて、停滞していた生産力が再び発展する。また制約によって停滞する。また突破する。」という形で、あたかも生産力が主人公のように、発展と停滞をくり返すという論につくりかえられている。マルクスは『経済学批判序説』でそんなことは何もいっていない。ただ社会革命がどうして起きるかというと、生産力と生産関係が発展の一定の段階になると、照応しない矛盾が生まれ新しい社会革命が起きるということを言っているにすぎない。これが拡大運用されて生産力無限発展論がでてきている。今でも日本共産党はこれに依拠しており、代々木系の学者は「原子力というのは今の社会だから悪いのだ。新しい社会になればすばらしい生産力になる。」と述べ、原発に対する闘争の足をひっぱっている。だんだん変わってきたが、まだそのしっぽが残っている。安全の問題については強調するが、もう一歩つきぬけた原発に対する態度が鮮明ではない。

 生産力と生産関係についていえば、生産力の基礎は、量的には次第に少なくなっても人間の労働であり、生産力と生産関係の両者の中心に立っているのは人間であることを忘れてはならない。そしてマルクスがそうであったように、人間の解放ということを前提にこの問題を捉えていかなければならない。そこではどんなすばらしい生産力もそれが害をなすことになれば、それを制約し、あるいはそれを停止させるということが当然あるはずだし、またなければならない。つまり、人間が主人公であれば、人間が自由に選択し、判断するということがここでも必要になってくる。

 

“労働者が主人公”とは何か

 

 最後に「労働者が主人公」とは何かという問題について述べておきたい。日本のどの労働組合でも一回は『労働者が主人公になる』ということばは使っていると思うが、そのくらいこのことは労働組合運動において強調されてきた。「職場の主人公」「生産の主人公」でなければならないという表現は、諸外国と比較しても、日本がいちばんよく使うのではないだろうか。私も何べんも出会っている。

 人間が人間的な本質的な存在になるということは対象的世界の加工、すなわち生産ということは一人ではできないのであって、そこに類的な存在としての自己自身を再確認する。そういう意味で生産が人間的な制作活動として類的な生活活動であるというというとらえ方は終始一貫してマルクスの基礎にある。労働の外化、すなわち、労働が労働者にとって外的であるということ、労働が労働者の本質に属していないこと、つまり「労働の疎外」からの解放というものが、主体としての労働者が人間的本質を獲得するうえでの最も重要なものとしてとらえられている。

(つづく)

そして私がもう一つつけ加えたいのは、人間か対象的世界を加工して自分の獲得物に変えていくという制作活動をとおして類的存在を発見し、労働が人間自身のものになるという過程で、「自らの解放がすべての人々の解放が自らの解放となる」ような階級、つまりプロレタリアートが形成されるということである。解放の問題がなぜ労働者が提起しなければならないのかというと、労働者は、労働者以外のすべての階級が解放されることを通じてはじめて自らが解放される。同時に自らが解放されるということは自ら以外のすべての階級が解放されるからである。これは『ドイツ・イデオロギー』その他でマルクスが強調しているところである。そういうものとしての労働者にとって、生産の場における労働者のイニシャチブ、生産に対するリーダーシップということは、ある意味では決定的に重要な問題である。

 日本の労働運動を縦糸のように赤い糸でつないでいくとすれば、いちばん最初は戦後八月一五日から始まった北海道における中国人捕虜労働者、朝鮮から強制連行されてきた労働者が先弁を切って闘い始めた炭鉱での闘争である。ここには賃金や労働条件とかをめぐる闘いではない。生産それ自体を自分たちの原点に据え直そうとした。それが飛び火したものが東京における読売争議である。新聞の生産を、戦犯である編集局長や主筆ではなく、彼らを追放して、新聞の生産労働者が握るという闘争であった。長期にわたる闘争で遂に敗れたけれども重要な闘いであった。そういう闘いの系譜が戦後初期には存在し、生産管理闘争と呼ばれた。ところが当時イニシャチブを握っていた共産党によってしだいに、生産管理が賃金闘争の戦術に変えられていく。そして「民族民主革命」の時代になると、生産の自主管理は民族産業防衛闘争にすりかえられてゆく。

 それがもう一度でてきたのは三井三池の闘いである。三井三池の闘争では、労働組合自身が生産現場における闘争委員会連合になっていった。組長を選んだり、生産量を決めたりすることは第一線の生産労働者が合議で決定する状態が出現する。やがてこれはつぶされ、闘争自身も労働組合主義の方向にむけられる。しかし、この闘いの系譜のなかに国鉄・郵政のマル生反対闘争がある。国労・動労の行なった順法闘争では法律を守るということを端緒にして、列車を走らせる速度、時間を、列車を操作する現場の労働者自身が選択し、判断し、決めていった。全逓の場合は、ベルトコンベアの速度を労働者が決定するためのブツダメ闘争がある。これは生産管理闘争と呼ぼうと、自主管理と呼ぼうと、いくたびか労働運動の波をくぐりつつ、時として、出現する重大な闘いである。資本主義社会ではそれが完成することはあり得ない。あり得ないけれどもそれはたえず出現する。

 「労働者が主人公になる」という意味は二つある。一つは労働者が自己の生産・自己の職場の文字どうり主人公になることである。

これはしばしば闘いのなかで出現するが、その延長の上にすべての労働者がそうなるということはありえない。政治革命というもながなければ、それを超えていくことができない。ところが超えたはずの政治革命の後で生まれた生産のなかで、現存社会主義の中でも労働者が主人公になっていない。そこでポーランドのように、現存社会主義労働者が本当の意味で生産の主人公になるという自主管理の問題を改めて闘わなければならなくなる。ポーランドでは粘り強く、数年にわたって闘ってようやく組合が合法化されることになった。これが国際的な労働運動に与える意味は大きい。このような意味でわれわれが追求している新しい社会の重要な萌芽形態ということが、労働者が主人公となることの二つめの意味である。

 さらに労働者が諸階層のリーダーシップをとるということがある。これは決して「おれたちがいちばんえらい。おれたちが解放されなければ解放されない。」ということではなく、労働者が労働者階級でありうるのは、労働者階級以外の層の中にはいっていくことによってはじめて確認されることである。労働組合運動の発展も重要であるが、他の諸階層を含む地域の住民・民衆の闘いを援助し、支援し、リードしていくことが不可欠である。

 労働者が主人公になることと、生産力の上昇とは必ずしもうまくマッチしないといわれるが、それは僅かにその通りで、二兎を追えばどこかで調節し、妥協しなければならない。残念ながら現状では、それを調節し、妥協するというのではなしに、資本の方からいやおうなしにノルマが示され、そのノルマに対する闘いとして、労働者が主人公になることをめざす闘いがある。賃金よりもおれたちはこちらを選ぶという形でこの闘いの姿をあらわすというところに重要な意味がある。社会主義といわれている社会で両方とるというはどうなのかという問題がある。私は案外、労働者が中心になって生産も量も測り、生産の量いかんによって支障がでるものについては停止したり縮小したりする経験的な能力はむしろ現場の労働者は持っていると考えている。しかし、それが非常に難しいのは一つの部門だけではできないことである。本来社会主義というのは、物象化されたなかでばらばらに寸断されているものが、新しい社会の端緒として、もう一度人間的に統一されていかなければならない。その場合、労働者を中心とした生産の統制が、国家官僚によってではなく、生産を基礎にして、生産労働者によってなされなければならない。綿密に計算し、全体的発展という枠の中で必要ならば質的な規制も決めていくべきである。同時に生産と消費については消費の側に立った意見も反映されるものでなければなるまい。大切なことは生産と消費が対立的にではなく統一的に総括できることである。

 

主な質疑応答

 

Q マルクスは非常に遠い先の共産主義のイメージについてコメントしている。いま問題なのは、遠い将来ではなくて、近い将来において、しかもある一定の制限された生産力のもとで、どういう人間的な社会を構想するかということだと思う。

A すぐ近い社会を構想する場合、一国的な展望で生産力の問題を語ってはならない。他方には明日にも食えない状態の諸国がある。自分たちだけでなく、地球上に住んでいる者全体が、お互いに調節をとって、全員が食える状態を達成し、少しでも上昇していける枠組みをどのようにつくるかということが重要である。私は「アジアの民衆との共生」という問題を以前提起したことがある。アジアの民衆から収奪したものを、アジアの民衆へ返すということを、新しく追求すべきわれわれの社会がまず果たすべき課題だと思う。アジアの民衆と共生できるような追及がなければ納得のいく社会は実現できない。日本の生産力だけ高ければいいということではけっして共生できない。日本の生産力の高さというのは単に日本だけでつくりだしたものではない。日本帝国主義は単にアジアだけでなく、世界的規模で展開しているが、特にアジアの場合は戦争による殺戮、収奪がある。日本に高い生産力をもつ社会主義社会が実現したと仮定した場合にアジアの民衆との連帯の中で過去の累積を返すということの具体的な内容は何かということが問われる。

 

戦後初めは「ソ連を見ろ」と云う演説が説得力をもった。今は社会主義の理想としてのソ連像は完全に崩壊している。抽象論ではなく、ある程度具体的に、われわれが追求している社会主義のイメージを提出しないと誰も納得しないだろう。さらに現状分析の中では主体と原動力を析出していかなければならない。技術革新の進むなかでの労働者自身の変貌をみきわめながら、新しい変革の主体はどこにあるのかという問題を解かなければならない。今日のテーマに関していえば、資本のグロバリジェーションによって国家はなくならず、逆に資本に対して、国家が逆襲する力も存在する。今後

必要なのは運動の主体の析出の問題、つまり労働運動とエコロジズム等の他の諸運動との関係をどうとらえて、一つの変革勢力としてどう構成いくのかという問題が明らかにされなければならない。移行過程の問題も、かつてのように権力の打倒を、権力に対する急襲

により奪取するという形態だけで想定することでは不十分である。国家の正当性が希薄になることに対応して、それを利用しながら徐々に変革の端緒を形成すると言う形態も想定しうる。ただ確実にいえることは早くでもゆっくりでも国家の権力を変革しなければ革命にはならないということだ。それだけはわかっているが、それ以外はあいまいなまま残されている。この点では多くの問題がるが、どこからまず手がけていくべきか、整理しなければならない。

 マルクスは共産主義について極めて原理的な提起はしているがその具体的なイメージはマルクスを含めて、当時の社会主義者のだれも提出していない。社会主義社会が現実のものとして現れてくる可能性が必ずしも目の前にあるとはいえなかった当時においては無理もないといえる。しかし社会主義とは何であり、どういう状態になって、それをどういうふうに民衆が動かしていく社会であるかということを明らかにすること、すなわち、社会主義像を原点から再構築することは、現代においては、極めて必要なさぎょうである。その意味では、現存社会主義国がきずきあげたかに見える社会主義像は今日においては留保して新しく再出発したほうがいいだろう。したがって、革命論としては@現状分析 A目標社会 B移行過程という三つの要素があるが、今日においてはまずAの問題、すなわち社会主義像の再構築から始めることが必要であろう。何故ならば目的と目標があるからこそ人々は闘うのだから。社会主義像で納得できれば、次は何をどのようにしてという問題に展開できる。

 

Q ハンガリーのへゲデューシュは『社会主義と官僚制』の中で、一定の効率化を実現するには専門化は必要であり、そこに官僚制の源泉があり、主観的な誤りの結果ではないとしたうえで、官僚機構に対して社会的な統制が行なわれるようなシステムの構築を提言している。専門化の必要性と、労働者の自主管理とはどのように両立されるのか。

 

A 職場における労働者が自分たちの生産を管理するという問題と、労働者のリーダーシップのもとで全国的な経済計算や長期計画をつくるという問題についていっしょにするわけにはゆかない。だが、それを専門家が行なうのではなく、労働者が、その専門家に替わって行なえるようにならなければ本当の社会主義にはならない。それだけしかできないとい

う意味での専門家が生まれれば必然的に官僚化すると思う。日本のように高い段階で、生産力が社会主義になっても下がらない、あるいはますます発展するという前提で新しい社会を考えると、今と同じような産業官僚制を存続し、専門家のリーダーシップで生産を行なうことになってします。新しい社会をつくるということは組織の組立て方自身を変えていくということであり、それが変わることなしに、資本主義と違った社会はでてこない。これまでの考え方は、資本主義の実現したすばらしい生産力をまず獲得し維持発展するという点が強調されすぎていたと思う。新しい生活と生き方、新しい生産や労働のしくみを明らかにしていくことが重要である。旧来の社会主義像は、資本主義にたいする「追いつき追い越せ」路線にあまりにも執着しすぎていた。ソ連や中国のように。

ヒロシマ もう一つの顔」を読んで  兼井 亨 (労研通信No.24号 1986.8.28発行 掲載書評)

 

広島市の市会議員だった山口氏康氏の『ヒロシマもう一つの顔』(青弓社・千六百円)が出版された。その前書の一節は次のように書かれている。

 -―四〇年前に原爆の惨渦にみまわれた広島は、「ヒロシマ」として世界的に有名である。だが、ノーモアヒロシマの言葉のもつ陰影、悲しき、清潔さの混じり合ったイメージとは違う、もう一つの顔がある。それは、広島市役所を舞台として市長ら理事者と市議たちが演じる政治劇である。ドロドロした流れの中を、人影がうごめいている舞台とでも言おうか。それを私は書いてみたいと思う。

 私も山口氏同様に広島市内に住む百万市民の中の一人である。いまは広島市域に編入された郊外に生まれ、地元の新聞社に勤め、応召したがために原爆をまぬがれ、戦後再び記者生活に戻り、多少とも広島市政にかかわりをもった者にとって、「広島」はいつも二つの顔をもっていた。「きれいなヒロシマ」と「きたない広島」の共存である。ノーモアヒロシマを叫ぶ為政者が、同時に私利私欲のために権謀術数をめぐらせる。この二重性は今後もなかなか変わりそうにない。なぜなら、市民の大多数は保守的な風土に身をゆだね、政治や行政はあなた任せであるからだ。この本は、その意味で。広島市民への告発の書である。

 目次の順に内容を簡単に紹介すると、[ボス議員との出会い]では保守系の大ボスが市議会での多数派工作のため、革新系の新人山口氏の自宅へ元日に突然訪れ、「御年玉 御室様」と、しるした封筒を置いて帰ったエピソードが出ている。中身は二十万円の札束だった。同氏はむろん突き返す。

 [開発公社汚職事件]と[暴かれる疑惑の数々]は圧巻である。議員のだれもが見過ごす決算書から『疑惑の芽』を見つけ出した山口氏は、極秘裏に調査を始め、以来三年間にわたり執拗に追求し続ける。同氏の努力で議会に設けられた百条調査特別委員会は、保守会派の画作で結局、審査打ち切りとなるが、財政局長ら市の幹部、ボス議員、宅建業者たち計十人が捕まり、助役の一人は辞職した。このほか荒木武、現市長や通産官僚の疑惑、地方財界に食い込むフィクサーの逮捕と自殺など、スリルに富んでいる。

 [議員の任務]では議会のチェック機能の重要性を説く一方で、市長ら理事者に尾も熱質問原稿を理事者に事前に見せ、答弁しやすいように内容を変えて恥じない議員などが描かれている。

 [議員の生態]は共産党議員の偏狭さを示す具体例をあげているほか、山口氏がタクシーに乗っていてふと耳にしたラジオの、主婦の声をヒントに、市が取り過ぎていた水道料金一億円を返還させる痛快きわまる話、無意味な国内や海外の行政視察、不明朗な調査研究費の使途など、市税無駄遣いの実態を明らかにしている。

 ところで、この種の本は著者のプライベートな面に触れないのが普通である。どんな生きざまをしてきたかが抜けたまま、公的な人間像だけを読まされる。だが、山口氏は[私の生い立ち]のなかで隠すとこなく自分の出生と遍歴を語っている。家が没落し里子にだされた幼少期、小学校高等科を終えると、すぐ酒屋へ丁稚奉公に入った少年期、恋に目覚めたものの、おのれの貧しさに自ら逃避して船乗りになった青春期、軍隊応召、原爆、敗戦、共産党入党、同党との決別―を読んでいて、それは山口氏の恥辱ではなく、勲章だとつくづく思う。

 [市民とともに]では夫に死に別れの女性への支給される児童扶養手当の不備を、女性たちとともに中央官庁に陳情して法改正させたり、杓子定規の開発許可や市道編入、地区の美化、かまぼこ業者の集団化事業などを、粘り強い折衝で解決した事例を紹介している。

 [大衆闘争]では締め出された漁民のための漁協設立、大田川流域下水道の建設反対闘争という二つの問題に、地域住民と取り組んできた経過、さらに学校事務職員の地位向上に成功した顛末を書いている。

 [決定とは何か]では、一九九四年(昭和六十九年)に広島市を中心に開催されるアジア競技大会の用地建設と西部埋め立て地開発の奇々怪々な動き、中央卸売場市場移転問題のからくり、ぜいたくすぎる市庁舎の建設などが取り上げられている。

 最後の[原爆・平和]では広島市が「非核宣言都市」を渋々宣言したうち内幕をあばくなど平和問題への取り組み方の不十分さを大胆に批判している。

 以上がこの本の大まかな内容であるが、それが事実に即して多くの実名で書かれている点も注目される。したがって、無味乾燥な広島市史に比べ、ビビットな資料として貴重な出版物であると保証してよい。

 広島市政を内側からつづったものは戦後、故浜井信三市長の『原爆市長』しかない。彼は原爆投下の日から二十年間の、復興期の広島の歩みを記録した。それに続くのが、昭和四十六年から五十八年までの十二年間を記録した山口氏のこの本である。しかも、広島市議会の内側からの執筆は同氏をもって初めてとする。

 私は長年、新聞記者をし地方自治体に少なかならぬ興味をいだいている関係で、それに関する本にかなり接してきたつもりである。しかし率直にいって落胆する場合が多い。役人の書いたものは固苦しい条文解釈にすぎず、学者のものは抽象的である。知事や市長など地方自治体の責任者のものは自画自讃で、私のような新聞記者は現象面をなでただけ、といった具合である。山口氏の本は、こうした欠点を見事吹き飛ばし、驚くべき行動力と研究心とで、公正な市政が運営されるために活躍した一市議員の清潔で勇気ある姿が結晶している。

 この中に書かれている事例は全国の地方自治体共通の課題が多い。一見、不可能や不条理に映る難題も、豊かな感受性とひたすらな研究心があれば解決することを、この本は証明してみせる。また、主義、信念という抽象概念はそれ自体無力であり、大衆のなかでのみ開花くものであるということを教えてくれる。

 ヒロシマの素顔を知りたい人も、自分に一番身近な町や村の政治・行政を見直したい人も、さらに「物を考えるヒント」を楽しみたいだけの人も、ぜひ一読してほしい。文体もさわやかである。

 (筆者は元中国新聞特別解説委員)

 


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