最後の未発掘映画『老少五個半』


映画が始まった。画面に映し出されたのは、フリル付きの白い服に、白い傘を差した少女…。
法衣やチャイナ服を身にまとった彼女を見慣れている我々にとって、それはあまりにも鮮烈な映像だった。
『老少五個半』。それはキョンシーブームの余韻も残る1989年に制作され、我が国では日の目を見る事なく時代の狭間へと消えていった、テンテン唯一の現代劇。13年の歳月を経た今、我々はついにあの『新十二生肖』以上の幻と言われた本作に辿り着いた。だがその道のりは決して平坦なものではなかった。

 やけに梅雨冷えのするある日の早朝、私は一本の電話で起こされた。まだ夜も明けきらない、電話をかけて来るにはあまりにも非常識な時間帯である。枕元の携帯を取って通話ボタンを押すと、聞こえて来たのは聞き慣れた声だった。HKSARさんはその卓越した中国語力を活かし、2年以上前からネット上のテンテン、キョンシーシーンで何度もスクープを掴んで来た。当時は仕事の関係上香港に在住していたが、現在はすでに帰任し、都内で会う機会も多くなった。彼がこんな時間に電話して来るとは、ただごとではない。私は半分寝ぼけながらも、それだけは瞬時に判断できた。果たして淡々と話し始めた彼の口調とは裏腹に、その内容は私の眠気を瞬時に吹き飛ばすに十分なものだった。
 「老少五個半が関東で見つかった…」


 テンテン主演映画『新十二生肖』が発掘されたのは記憶に新しい。それまで『燃えよテンテン戦え!十二支の大冒険』という邦題だけは明らかにされていたが、誰も目にした事がなかった幻の作品。決め手となったのは台湾のテンテンファンであるAaronくんからの情報提供により、原題が『新十二生肖』と明らかになった事で、その情報を元に私はアメリカでの発掘に成功した(詳細特集)。これにより、まだ見ぬテンテン主演作品は『老少五個半』ただ一本だけとなり、テンテンシーンに残された最後にして最大の謎となったのである。
 順を追って説明しよう。テンテンのデビューCDである『ベートーベンだねRock'n'Roll』の歌詞カードの下の部分に、テンテンの最新作品として、『燃えよテンテン戦え!十二支の大冒険』と、もう一つ『見えますか、心の絆』なるタイトルが記されている。『燃えよテンテン〜』については当時(1990年頃)からその存在は知っていたのだが、この『見えますか、心の絆』については何の情報もなく、完全に謎のベールに包まれていた。
 私がこのHPを開設して数ヶ月が経った頃、読者の方が情報提供のメールをくださった。昔テンテンが来日してイベントを行った際に、会場で『テンテン主演!自閉症の少女5と1/2』という映画関連のグッズを買ったとの内容だった。なるほど、タイトルはまったく違うがこれがあの『見えますか、心の絆』と同一である事は直感した。しかし依然として謎のベールに包まれている事には何の変わりもない。タイトルからしてキョンシーなどのアクション作品とは関係なさそうだし、『幽幻的写真回憶録』のLEONさんと都内で会合を持った際も、何度も話題に上ったが、結局は二人で首を傾げるだけに終わった。


イベント風景の珍しい写真。90年に撮られたもの


右隅の女の子の手元を拡大。映画のグッズだ
 知り合いがメールで、1990年に行われたイベントの写真を送って来てくれた。非常に珍しい写真で、キョンシーブーム直後のテンテンの微妙な成長ぶりや、実は作り起しの黒の衣装など、注目すべきポイントがいくつもあるが、ここで注目したいのは、右すみの女の子が持っているグッズである。ノートか下敷きのようなものに、白い服を着たテンテンが映っている。先に情報提供のメールをくださった方も、おそらくこれと同種のイベントに参加されたものと思われる。後の調べで分かった事だが、当時は三共教育映画社の主宰で、『自閉症の少女5と1/2』のキャンペーンイベントが各地の公民館や文化センターのような場所で行われていた(三共教育映画社とは、当時『新十二生肖』や『老少五個半』の公開権を所有していた会社)。このイベントでは映画の上映も行われたとの情報があったので、『自閉症の少女5と1/2』はこれらのイベントで公開されたのではないかとの推測もなされたが、実際には上映されたのは「キョンシー作品」との事で、『自閉症の少女5と1/2』のキャンペーンイベントではあるが、『幽幻』シリーズか『来来』の上映を行ったようだ(『新十二生肖』が上映されたとの情報もあるが未確認)。
 tomoeさんが作っているテンテンファンページの掲示板に、常連の方が有力な情報を書き込んだ。関西にアジア映画の上映会を毎月行っている団体があり、その団体が上映した『老少五個半』という作品の出演者欄にテンテンの名前があるという。さっそくその団体のHPに行ってみると、確かに名前があり、また過去に2回上映されている事も分かった。そこには映画の大まかなストーリーも書かれており、それによると自閉症の少女が登場するストーリー。そして1989年の作品。という事は『自閉症の少女5と1/2』=『見えますか、心の絆』=『老少五個半』と見て間違いない。これを発見した方はかなりの手柄である。『新十二生肖』の例を挙げるまでもなく、原題が分かると分からないとでは捜索に雲泥の差がある。これで一歩前進したと言えるだろう。
 とは言うものの、『新十二生肖』の時のようにはすんなり行かない。『新十二生肖』は台湾ではかなり有名な作品であるため、情報収集もしやすかったが、こと『老少五個半』については台湾現地でもまったく知られていない(公開されたのかどうかも不明)、当然ビデオやVCDなどソフト化されたとも考えにくい。私は日本国内の華僑向けビデオ店はもとより、台湾、中国大陸、アメリカなど、旅行に行った先々で捜索して回ったが、ソフトが見つからないどころか、『老少五個半』というタイトルすら知っている人はいなかった。例の関西の団体にLEONさんが問い合わせてみた事があったが、以前はレンタル業務も行っていたが、現在はやっていないとの事で、こちらも絶望的。捜索は壁にブチ当たった。
 6月にアップした『3周年記念コラム』の最後に、今後の目標として『老少五個半』の発掘を掲げたのは、八方塞がりの現状を打破したいという願望からだった。何とか突破口を見いだそうと、私は香港に狙いを定めた。作品の出演者の中には香港の有名俳優の名前も見られる。その線から香港でVCD化されていないかと考えたわけだ。香港に住んでいたHKSARさんが見つけられなかったのだから期待は薄いが、とにかく行動を起こさない事には始まらない。夏休みになると航空券の値段が倍に跳ね上がるので、シーズンオフぎりぎりの7月上旬に香港行きをセッティング。HKSARさんから電話がかかって来たのは、チケットもホテルも手配し、出発まで1週間と迫ったある日の朝だった。


 『老少五個半』が関東にあった。HKSARさんは辛うじて平静さを保っているようだった。ここ1年半はネット上で主だった活動はしていない彼だが、水面下ではずっとこの映画の発掘に全力を注いで来た。言葉の壁を乗り越え、独自の情報網を構築している彼が調べ上げたところによると、関東のとある台湾関連の資料館に、『老少五個半』が16mmフィルムの状態で保存されており、貸し出しも行っているという。時間は午前4時を回ったところ。新聞配達が朝刊を届ける音が聞こえた。
 私は布団から飛び起き、インターネットに接続した。メディアが16mmフィルムとなると、ビデオのように簡単には見る事が出来ない。高価な映写機が必要だし、専門的な知識がないとフィルムを回す事も出来ない。なんとか見る方法がないかとインターネットを使って模索したところ、 16mmフィルムを見れる施設は公民館、図書館、社会福祉施設、映画館や劇場など、様々ある。私はそれらの施設の営業開始時間を待って、片っ端から電話をかけまくった。それ以外にも16mmを見る方法を模索し続け、結局この日は休日だった事もあり、一日を情報収集に費やした。
 翌日、私とHKSARさんはあらゆるスケジュールをキャンセルし、一路資料館へ向かった。我々にとって『老少五個半』の発掘は何を置いても優先されるべきものだからだ。電車に揺られ、資料館まで辿り着くと、早速1階のカウンターで『老少五個半』のタイトルを告げ、貸し出しを申し入れた。日本語の流暢な台湾人女性が応対してくれた。しばらく待っていると、別のフロアから紺色の大きなケースが運ばれて来た。そこに貼られていたのは、褪せた色が年代を物語ってはいるが、紛れもなく「老少五個半」と印字されたラベルだった。探し続け、ようやく見つけたフィルムを前に、我々はしばらく言葉を失った。
 身分証の提示や申請書類への記入などの手続きを進めていると、「誰がフィルムを回すのか?どこで上映するのか?営利目的か?」などの質問を受けた。個人で16mmフィルムを借り入れる例はほとんど無いらしく、また16mmは基本的に映写技師の訓練を受け、資格を持っている者が回す事になっているため、少しけげんな顔をされた。しかし我々は正直に「個人的に鑑賞するもので、まだいくつか候補を挙げている段階だが、専門の業者に映写してもらおうと思っている」と話し、後日映写技師の詳細を連絡する事を約束すると、フィルムケースを抱え資料館を後にした。
 初めて持った16mmフィルムの重さ。ズシリと来る。その頑丈なケースを開いてみると、直径約40cm大のフィルムが2本入っていた。ビデオ、VCD、DVDなど多くの映像メディアが氾濫する中、まさか『老少五個半』が16mmフィルムで見つかるとは思いもよらなかった。ケースラベルには、フィルムのシリアルナンバーもしっかり記されている。このへんがビデオソフトなどとは明らかに違う。それにしても重い。16mmフィルムとは、こんなにも大きく、そして重いものだったのか。だがそれほど苦に感じなかったのは、ついに念願の作品を手にした喜びと、早く見てみたいという欲求のほうが強かったからだろう。私とHKSARさんで相談した結果、いくつかある候補の中から都内にある映画会社へフィルムを持ち込む事に決まった。早速電話をかけてアポイントを取ると、すぐにまた重いフィルムを抱えて電車に飛び乗った。小一時間ほど電車に乗っただろうか。最寄り駅からさらに15分ほど歩くと、目的地のビルが見えて来た。
 担当者の方としばし相談する。我々が16mmフィルムを見るには、いくつかの方法がある。せっかくフィルムの状態で入手したのだから、ぜひとも一度大きなスクリーンに映写し、ビデオでは感じられないフィルムの質感も味わいたい。だが現段階では費用の問題もあり、フィルム内容をビデオテープに変換する方法を選択した。
 しかしここでまた大きな問題に直面した。「このフィルムは個人の所有物ですか?他人のフィルムを無断でビデオへ変換すると、所有者の権利を侵害する危険性が高いので、先方の同意書が絶対に必要です」。予想はしていた。自分の物だと嘘をつくのは簡単だが、フィルムにはシリアルナンバーも打たれているのですぐにバレるだろう。なにせ相手はこの道のプロフェッショナルである。我々は借り入れたものだと正直に話し、この日は一旦フィルムを預けて映画会社を後にした。所有者の同意とは言っても、資料館が個人相手にそのような同意をしてくれるかなどまったくの未知数。映画のフィルムを手にしてからも、容赦なく立ちはだかる難関に、我々は頭を抱えた。映画を見たいという沸き上がる熱意はファンなら誰もが持っているだろうし、私もその一念でこれまであらゆる手段を講じ『新十二生肖』の発掘や現地ドラマの入手などに心血を注いで来た。しかし今回は話の次元がまったく違う。権利侵害という社会通念の問題がついて回る以上、そんな感情論など何の役にも立たないどころか、逆に足かせにすらなりかねない。必要なのは正式な同意を得るための然るべき手順とは何か、そしてそれをどのように乗り越えるかを考える事である。どうすれば先方の権益を侵害せず、迷惑をかけず、そして交渉をスムーズかつ有利に行えるか。私とHKSARさんはミーティングを重ね、とことん検討した。イメージ画像権利問題の関連書籍にも目を通した。特に我々は、決定打に欠ける事でいたずらに交渉が長引き、たとえわずかでも信頼を失う事だけは避けたかった。一発勝負しかないと見た我々はあらゆるケースに対応できるよう、同意書の書式、無断複製を行わないという誓約書、変換作業を依頼する映画会社のデータなど、交渉の場で必要となり得る書類をすべて揃えた。
 「フィルムを回してもらう業者が決まりましたので、ご報告に参りました」。我々は再度資料館まで足を運び、まずはそう切り出しておいてから本題に入った。
 …それからどれぐらいの時間が経っただろうか。門を出た時、我々は朱印が押された同意書を手にしていた。万全の準備をしておいたおかげで、心に余裕を持って交渉に臨む事もでき、最大の難関はなんとかクリアした。我々は取り急ぎ映画会社へ同意書をFAXしたのち、電話にて作業を開始してもらうようお願いした。あとは映画会社の作業が終わるのを待つだけだった。
 それから2日経ったある日の昼下がり、仕事場にいた私の携帯が鳴った。映画会社からだ。作業終了の連絡かと思いきや、事はなかなか順調には運んでくれなかった。話によると作業中に機材が故障し、いつ直るかもはっきりしないのだと言う。思いがけず足踏み状態となってしまったが、もうこうなったらじっと待つより他ない。この期間がどれだけ長く感じただろうか。資料館へはHKSARさんが事情を説明し、フィルム貸し出し期間の延長を申し出てくれた。2週間が過ぎた頃、ついに映画会社から作業完了の連絡が届いた。さっそく我々は時間を調整し、翌日受け取りに行く事になった。
 次の日の夕方、電車を乗り継ぎ映画会社を訪れると、預けておいた16mmフィルムと、ビデオテープを手渡された。待ちに待っただけに喜びもひとしおである。映画会社の方は作業が長引いてしまった事を我々に詫びると共に「テープの内容を確認しますか?」と聞いてきた。我々はビデオとモニタのある一室に通された。ソファーに腰掛けモニタを凝視する私とHKSARさん。映画が始まった。画面に映し出されたのは、フリル付きの白い服に、白い傘を差した少女だった。 


テンテンが演じるのは自閉症の少女イーイー。彼女の持つ白い傘も、この映画のもう一人の主人公と言えるかも知れない。
ジャッキー映画や霊幻道士シリーズにも名を連ね、その多才ぶりを発揮する香港映画界不動の重鎮、午馬(ウー・マ)氏が出演。老人役を熱演している。
この映画では学校でテストを受ける場面や台北の市街地を駆け抜ける場面など、キョンシーシリーズでは絶対に見られないシーンの連発である。
イーイーが自閉症になったのは、両親の教育方針に問題があったようだ。
若者たちと生活を共にしていくうち、イーイーは明るい女の子へと変わって行く。
サングラスをかけたテンテンが見れるのも、この映画ならでは。
キョンシーなどのアクション映画とはひと味違う青春モノ。彼女の現代劇をもっと見てみたかった。
髪型や衣装も変化に富んでいる。テンテンとはまるで違うイーイーという少女を演じきり、役者としての幅も見せつけた。


民國77年(1988年)台湾電影年鑑より
 今回の特集では、『老少五個半』発掘までの一部始終を紹介した。まさに東奔西走、何かと神経をすり減らし、費やした金額も相当膨らんでしまったが、ようやく出会う事が出来た本作は、期待に違わぬ傑作であり、見所も多かった。また、この『老少五個半』の発掘を以て、当HPはテンテンの出演作やリリース物についてはすべて網羅した事になる。今回は幸いにも我々の執念が実を結ぶ結果となったが、実際にこれだけの道程を踏まなければ辿り着く事が出来なかった事を考えると、今日までなかなか発掘出来なかったのも当然かも知れない。映画の詳しい感想などは出演映画のコーナーで述べるとして、後日談としては、この作品の元となった脚本が1988年の優良映画シナリオ賞を受賞した『老人與女孩』であるという事が判明した。映画の英語タイトルも『Old Man And Girl』となっており、従って一部では直訳である『老人と少女』が 本作の邦題として用いられている事も分かった。これで邦題はこの『老人と少女』と、『自閉症の少女5と1/2』『見えますか、心の絆』の3つになったが、当HPでは最終決定項であったと思われる『見えますか、心の絆』で統一したいと思う。今回は権利問題などが複雑に入り組んでおり、またご協力頂いた関係各位への配慮の意味で、団体に関する問い合わせ、ダビングの依頼等は一切お受けしかねるのでご了承頂きたい。しかし同時に、フィルムが日本に存在する以上、この映画を見れる可能性は、まだ様々な形で残されているのだという事も強調しておきたい。
 

(文責:ダーク三世)


老少五個半
〜見えますか、心の絆〜

※この作品は民國77年(1988年)優良映画シナリオ賞受賞作『老人與女孩』を基に制作されたものです。

 一人の少女がいた。白い傘を差していた。その表情に笑顔はなかった。
 独り善がりなキャリアウーマンを母に持つ李依依(リー・イーイー=テンテン)は、その理不尽とも言えるスパルタ教育の影響で自閉症を患っていた。そんな彼女の唯一の友達は一本の白い傘。いつも肌身離さず大切に持っていた。両親は教育方針の違いから夫婦仲の不和にまで発展するが、離婚調停の場で裁判官を上手く言いくるめた母親に親権が渡される判決が下された。傍聴席でそれを聞いていたイーイーは発作的に裁判所から飛び出し、後を追いかける両親をなんとか踏切で振り切った。一目散で走り続けた彼女は、とうとう出合い頭に一人の若者が運転する軽トラックとぶつかってしまう。幸い軽いかすり傷で済んだが傘がタイヤに轢かれ壊れていた。何よりも大事な傘を必死に開こうとするイーイー。目ざとく前方に警察の姿を見つけた若者は慌てふためいた挙句、「傘を直しに行こう!」とイーイーをとっさにあやして車に乗せ、郊外で盆栽園を営む一人の老人の元へと連れて行った。老人はイーイーの膝を手当てしながら、話し掛けても何も喋ろうとしない彼女が風変わりな少女であることに薄々と気づき始める。耳が聞こえないのでは?と疑った老人がオルゴールを持って来て差し出すと、イーイーは手にとって、興味深げにそのオルゴールを見つめ続けた。壊れた傘を直しながらその様子を横目で見ていた老人はやっと、彼女が聾唖とは違うことを悟る。裕福とはかけ離れ、細々と暮らす老人だったが、身銭を切って洋服を買いに街へ出たり、ご飯を作ってあげたりと大変可愛がり、何かイーイーに特別な想いを抱いているかのように見えた。お嬢様育ちの彼女だが、老人の作った質素な料理の代表格「すいとん」が気に入ったようで掻き込むようにして食べた。この盆栽園には、3人の男性と1人の女性で結成されたグループがメジャーバンドを目指して住こみで働きながら音楽活動に精を出していた。老人も彼らの夢に理解を示し、協力を惜しまなかった。
 ある日、イーイーが庭の畑を散歩していると敷地内の小屋から歌声が聞こえてきた。リズムにつられて中に入ると一人の若者がピアノを弾きながら歌っていた。彼女はその横にちょこんと座り、歌声に耳を傾けた。若者が立ち去った後、イーイーは自分でピアノを弾き始めた。その曲は、なんと老人のくれたオルゴールの旋律と一緒であった。この頃、イーイーの両親は彼女の捜索を続けていたが何も有力な手がかりは掴めていなかった。若者たちの音楽活動も全く順調に行かず、小さなオーディションすら暗礁に乗り上げ、メジャーへの道など完全に閉ざされていた。あくる日、イーイーはピアノでオルゴールのメロディを弾き続けていた。メンバーの一人が作曲中の譜面を出して弾いて聞かせると、イーイーは未完成の部分を即興で弾き始めた。彼女のおかげでその曲は徐々に完成していった。それと同時に、自閉症のイーイーに眠る音楽の天性の才能がメンバーを魅了し、気がつくといつの間にかイーイーを含めた5人で練習をするようになっていた。バンドの練習や炊事など、寝泊りの生活を若者たちと共にした彼女はだんだんと笑顔を取り戻し始め、メンバーの一人にほのかな恋心も抱いているようだった。しかしそのメンバーに恋人がいた事を知った彼女は老人の家を後にし、長い道のりを真夜中まで歩いて両親の待つ家へと辿り着いた。イーイーの帰宅を喜んでくれる母ではあったが、威圧的な押付け教育の態度が少しも変わらないどころか逆にエスカレートしているようにさえ見えた。イーイーは翌朝、老人の思い出の味、すいとんを自分で作って食べていた。それを見ていた母親は何事かとあっけにとられた。そしてこんな粗末なものを食べずに自分の作った目玉焼きを食べろと強いるのであった。イーイーは学校に行っても授業には出ず、音楽室でピアノを弾き、テスト中も呆然と外の景色を眺めているだけだった。
 イーイーがいなくなってからというもの、老人は寂しさからか、毎晩酒に浸っていた。見るからにヤケ酒である。酒を飲む時、老人の右手にはいつも古めかしい白黒の小さな写真。幼いままにこの世を去ってしまった自分の娘であろうか。その顔立ちはイーイーとウリ二つであった。老人は今まで彼女との触れ合いを通じて今は亡き自分の愛娘との思い出にふけっていたのかも知れない。だからあれほどまでにイーイーを溺愛していたのだろう。
 その夜も、イーイーの両親は何やら揉め事をしていた。母親は明日もまた精神病院に引きずって行くと言い張り、父親は荒療治ばかりせず、もっと彼女の意思を尊重すべきだと主張する。隣の部屋でピアノを弾いていたイーイーは、遂にヒステリー状態になった母親に激しく怒鳴られてしまう。「明日は出かけるんだからもう寝なさい!ピアノ教室に通わせた時は全然弾かなかったくせにっ!!」。両親が寝静まった深夜、彼女は黙って一人で着替え、また老人の家へと歩いて戻った。老人はベッドで寝ていた。しかし様子がおかしい。それに気付いた若者たちが急いで病院に担ぎ込んだ。老体には少々酒量が多すぎたようだ。これ以上酒を飲ませてはいけないと医師は若者たちに告げた。イーイーは一人で病室に入り老人の手を握った。老人は目を覚まして体を起こし、「すいとん…、すいとん…」と自分にいじらしく語りかける不憫なイーイーを強く抱き締め、心から再会を喜んだ。

 老人が退院し、また大勢で囲む食卓。イーイーはすいとんを懸命に掻き込み、みんなの和やかで平穏な笑いを誘った。バンドの新しいオーディションを申し込む際、彼女はピアノの担当として正式にメンバーに加わることとなった。新しいバンドの結成である。バンド名はイーイーの考えた「ファイブ・アンド・ア・ハーフ」(五と二分の一)に決まった。元のメンバーと老人で5人、そして自分が二分の一であることを指している。一方この頃、イーイーの両親はまたもや必死に彼女の捜索に明け暮れるハメとなっていた。
 しかしイーイーには全く帰る気など無かった。両親がイーイーを探している事をラジオで知った老人が彼女の母親と電話で連絡を取り、家に連れて行く段取りをしていると、イーイーは壁に頭を打ちつけてまで、それを拒否した。老人は彼女が家出する原因を知りたかった。一人で彼女の両親に会いに行ったがその答えは母親に会った瞬間に分かった。誘拐犯だとの罵倒や警察に通報するとの脅しも全て老人の耳には届かなかった。老人は「このままだとイーイーは二度と戻って来ないじゃろう…」と忠告しその場を立ち去った。そして自分がイーイーを守ってあげようと強く思うのであった。事を理解した父親は半狂乱で老人を追いかけようとする母親をあえて制止した。
 イーイーは既に普通の少女のように明るい女の子になっていた。明るく元気良く、バンドの練習に参加しメンバーと寝泊りを繰り返す充実した日々が続いた。イーイーの両親は母親主動で警察に捜索願いを出していた。
 自信満々で応募したオーディションのオリジナル曲が全て落選していた。メンバーは限界を感じながらやりきれない気持ちを爆発させた。しかしある日偶然ラジオから聞こえて来たのは彼らの曲だった。レコード会社が盗作したものだった。身も心もズタズタにされたメンバーだが、紆余曲折を経ながらも何とか結束し、バンドのコンテストに出場して優勝すると誓い合った。
 その一方で警察によるイーイーの捜索も進んでいたため、やはりイーイーは親元へ帰すべきではないかと老人と若者たちも再度検討した。しかし彼女の意思は固く、家へ帰る事を拒否し、コンテストで歌いたいと強く望んだ。老人が出頭している間に彼女はメンバーと一緒に他の場所へ身を隠したが、捜査の手はすでに老人の家まで及んでいた。突然連絡がつかなくなった事を心配した彼らは、老人の家へ様子を伺いに戻って来た。イーイーは老人の背後に両親と警察がいるのを目にすると、周囲の制止を振り切り必死に走って逃げた。逃げる途中、彼女は足をすべらせ橋から湖に落ちてしまう。助けようと無我夢中で飛び込んだ老人も、発作を起こしてしまった。2人は若者たちによって助け出されたが、老人は意識不明の重体、イーイーは警察に保護された。
 イーイーに対し執拗な取り調べをする警察と相変わらずの母親だったが、身をなげうって救出に飛び込んでいった老人の姿と、すでに自分を取り戻していたイーイーに、両親の誤解が解けるのは時間の問題だった。意識が戻った老人の病室に、イーイーと共に見舞いに訪れた両親は、これまでの非礼を謝罪すると同時に、彼女の希望通りメンバーの一員としてコンテストへ出場させてほしいと頭を下げた。「きっと優勝するから!」そう約束して病室を飛び出し、会場へと向かったメンバーたち。トップクラスのバンドが全国から集結したコンテスト、その戦いはハイレベルなものとなっていた。そんな中でファイブ・アンド・ア・ハーフはオリジナル曲『未來的自己』(未来の自分)を堂々と歌い上げ、見事グランプリに輝いた。優勝カップと、レコード会社との3年契約を手にした彼らがアンコールに応えて『年輕是我們的名字』(若さは僕らの呼び名)を熱唱。その最中、老人も看護婦に車椅子を押されステージのすぐ下へとやって来た。老人は栄光を勝ち取った若者たちの晴れ晴れしく自信に満ちた姿に目を細め、演奏を最後まで見届けると、静かに息を引き取った。
 老人の墓は景色の良い郊外に立てられた。墓前に花をたむけるイーイーと若者たち。「さあもう遅いから帰りましょう」。イーイーの母に促され、メンバーたちは名残惜しそうにその場を後にする。その時、にわかに強い雨が降り出した。希望を胸に、人生の再スタートを切ったイーイーに対する、老人の素直な嬉し涙であろうか。イーイーは振り返り、再び墓へ歩み寄ると、手にしていたあの白い傘を広げ、老人の墓石の上にそっと差してやった。誰よりも優しかったあの老人が、風邪を引かないように…。(劇終)

(02.8.1)