カトルは、中東諸国に向かう飛行機の中で、今回の旅の成果を思って微笑んだ。
事の始まりは、三ヶ月前から始まっている月面基地再開発である。
かつてロームフェラが管理していた月面基地は、Gとの戦闘やWFの占領と撤退を経て、ようやく再開発に着手できるようになった。月面基地の再開発の半分をウィナー家が担うと決定してから、三ヶ月。とうとう来月から有人による作業がはじまる。
月面基地は、かつて軍事基地であった。その為、基地の構造といっても、ロームフェラ財団から提出されたものや、WFの残存資料では、概要しか掴めていない。安全を帰すためには、もっと細かい資料を必要としていたが、軍事機密に阻まれて、いくつかの施設については詳細は不明とされていた。
そこでカトルは、個人的にどうにかならないだろうかと、ドロシーに打診していた。

「再開発にご協力するのは、吝かではございませんわ。ですが、ただ塩を送るわけにはまいりません」
ドロシーは、きっぱりといった。口調はあくまでも事業家としてのものだが、その瞳は裏切っていた。いたずらをしている子供のように輝いている。
「塩・・・ですか」
確かにロームフェラー財団は、宇宙開発から撤退しつつあると言っても、まだまだウィナー家の事業と競合しあっている。
「そうですわね、カトル様個人にでしたら無理を通しても・・・というより乙女の特権を行使しても構いませんわ。
お忙しいのは理解っております。ですが、それ以上の利潤はあるかと思いますが如何でしょう」
「慶んで伺わせていただきます」
カトルは、ドロシーに即答した。
それから地球に降りてくるまでのカトルの予定は、殺人的と言ってもいいものになった。ただ、ドロシーに会って資料を貰ってくればいいものではない。
例え非公式と謂えども、人に会った会わないで、西欧州に傾倒して中東をないがしろにしているだの、地球圏統一国家をないがしろにしているなどと言い掛かりをつけられるのだ。
結局、カトルの地球での滞在期間は、半月に及ぶ事となり、欧州で最初の1週間を過ごし、これから中東で1週間過ごした後、コロニーへ戻るのことになった。
それに、何とか予定を付けてくれたトロワとドロシーが、一緒に飛行機に乗ってくれている。欧州にいる間、ゆっくりと3人でお茶を飲むことも出来なかった事もあり、こうして飛行機が着くまでの間、3人だけで色々な事を話せるのはカトルをすごく幸せな気分にしてくれた。


「ようこそ、中東へ」
歓迎の声。非公式なだけに、迎え人は少ない。一企業家であるカトルには歓迎式典もない。民族衣装を着た政府の高官と、その護衛の人がカトルを出迎えた。だが、カトルにはそれが嬉しかった。彼は、青と白の民族衣装を着て、一段一段トラップを降りた。
乾いた風。
熱い日差し。
それはまさに砂漠の空気だった。
時間を見つけて、二人を砂漠に案内しよう。
乾いた砂だけの大地に案内しよう。
乾いた風に煽られて、カトルの金糸が空を舞う。
「ようこそ、中東へ。オレンス」
カトルの瞳は、一瞬空を彷徨った。
すれ違いざまに、政府の役人の一人が口にした言葉。
カトルは、自分の服を確認する。青い民族衣装。
間違ってはいない。
カトルはさりげなさを装って彼を捜した。
彼は、口だけ笑ってカトルを見ていた。年は40を少し過ぎたあたり、真の通った精悍な顔立ち。彼はその位置を変えずにその場に立っていた。
見覚えのある姿。
立ち止まる訳には、行かない。
他の人に気づかれる訳にも、行かない。
だがそれも、無駄な努力に過ぎなかった。

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「砂漠にいきませんか」
客を送り出した後、別室に待たせてあるトロワとドロシーの元に向かうと彼はそう切り出した。
「カトル様、まずはお座りになったら如何ですか」
ドロシーは、部屋に入ってから扉の前に立ち、それ以上部屋の中に入ろうとしないカトルにそう言った。
「カトル、何もそう慌てる事はない。お前は、少しも休んではないじゃないか。俺に、気兼ねする必要はない」
カトルは首を振った。
「僕は、大丈夫です。疲れてなんかいません。
しかし、・・・そうですね、此方こそ申し訳ございません。まだ、砂漠はいいですよね。乾燥は躯に悪いですし、今日はゆっくりしていらしてください。砂漠にはまた明日、ご案内することといたしましょう」
カトルは、そういうと微笑んで見せた。そのまま、軽く頭を下げると、部屋から出ていこうとする。
「カトル様、まずはお座りになってください。」
ドロシーは、立ち上がってカトルを椅子の元へ案内しようとする。だが、カトルはその腕を拒んだ。
「ドロシー、お前は此処で休んでいろ。・・・カトル、砂漠を案内してくれないか」
「何をおっしゃるの。カトル様は疲れておられるのよ」
ドロシーは、トロワに詰め寄った。彼女の目からみても、カトルの様子はおかしい。
それに気づかぬ振りをするのは、当然だといっても、砂漠にいくなど論外だった。
「トロワ、ドロシー」
カトルは、変わる変わるに二人を見比べた。
「行きましょう、砂漠へ」
結局、ドロシーはカトルの目に負けた。

濃い影が、砂に落ちる。その姿は、流れる熱い砂によって、微妙に姿を変えていく。
三人は、皆民族衣装に着替えて砂漠を歩いていた。
護衛は、車の中に待たせてある。砂漠は視界が広い。目の届く範囲にいることが条件で、3人だけにしてもらったのだ。
「オレンスとは、誰だ」
トロワは、二人の少し前を歩いていくカトルに静かに声をかけた。
くっきりと浮かび上がった足跡は、砂が崩れるとすぐに姿を隠す。彼らの通った跡を消してしまう。
トロワは、初めは亡くなっているカトルの兄の内の誰かの事だと思った。だが、カトルの兄の名にそんな名前の人物がいないことを思いだして不思議に思った。
「聞こえていたんですか、トロワ」
トロワは、首を振る。聞こえて等いなかった。口の動きを読んでいた。彼はカトルにだけ聞こえるようにそう言ったのであろう。
「オレンス・・・・オレンスって確か。アラビアン・ロレンスのこと」
ドロシーは、トロワの横で風を避けながらそう言った。
はためく布で、自然と声は抑えられたものとなる。
「間違いないでしょう。」
静かに、そう静かにカトルは肯定した。
「僕も迂闊でした。彼は何処かで僕が地球に降りてきた時の映像を手にいれたのでしょう。あの時は、着替えることなく地球に降りてきました」
あの日、カトルは白い衣装を着ていた。今回の訪問は非公式だった。パーティなどにも殆ど出席していない。
「ロレンスは、好んで純白の婚礼衣装を着ました。僕は中東では意識的に白い服は避けましたが、少し気が回らなかったようです」

彼は、ファイサルから渡された白い衣装を着ていた。

「ロレンスに例えられても、それ程問題ありませんわ」
カトルは、力無く顔を横に振ると、言葉を発した。
「いいえ・・・・いいえドロシー。彼は僕らの世界では裏切りものなんです。」

彼は白い白い婚礼衣装を着ていた。

トロワとドロシーの顔は歪んだ。
切なげな表情でカトルをみる。
無論、彼らも特に中東ではロレンスの評価が、極端に割れている事は承知していた。
「確かに、彼はアラブを愛していたのかもしれません。
確かに、彼はアラブ統一の理想で行動していたのかもしれません。」

白い民族衣装に託された想い。
白い婚礼衣装に託された想い。

それは、彼への評価だけではなかった筈だ。
彼への願いの形だった。

砂漠との婚礼
アラブ民族への帰属

「・・・ですが、彼は裏切りものなんです。
彼が生涯英国人で在ったことにはかわりがないのですから」
彼の誓いは結ばれぬまま、彼は一人英国に戻った。

砂漠を愛し、ベトウィンを愛し、ファイサルを愛したとしても、彼が英国の為に行動していた事には違いはない。

そして、それは自分も同じだった。
砂漠を愛し、砂漠に暮らす民を愛したとしても・・・コロニーのウィナー家の為に行動する事には代わりがない。
だからこそ、避けなければならなかった。
外に映像が出ることがない場合には、地球側、特に欧米人に好印象を与えようと、意識的に白い服を着るようにしていた。
「それ程、問題ないですわ。カトル様」
ドロシーは、重ねていった。
「ロレンスが、何をしたとしても、カトル様には関係のない事です。
勿論、彼が何を思っていたかということなどは、言わずもがなです」
くすくすと、カトルは笑った。
彼女らしい、実に彼女らしいものいいは、カトルにはうらやましかった。
「ドロシーさんは、強い人ですね」
ドロシーは、頬を少し膨らませて、横をみる。トロワは、大げさなそぶりでため息一つついて、真剣な顔をして言った。
「カトル、こういう場合は冷たい人というのだ」
「何ですって。貴方にだけは言われたくありませんわ」
ドロシーは、高い声を上げる。大きく口を開けてしまった為かせき込む。カトルはドロシーに水を差し出した。
「確かに判ってはいるんです。
僕がこれほど気になるのは、僕がL4コロニーの人間で、僕はヒイロや、プリンセスの様には成れないって事だということが」
「まあ、線を引き直せばいいだけだ。実際、その動きはある。あまりにあからさますぎて二の足を踏んでいるがな」
トロワは、ことなげにいってみせる。
「よく先程の台詞を私に言えますね」
選挙を行えば、間違いなく地区代表に選ばれると言われている人物を、いとも簡単に切り捨てる。と、トロワは言っているのだ。
「別に、これは合法だろ」
「そうでしたか?」
「法律がまだ定まってないからな」
「確かに」
こくんとドロシーは頷く。
「どうするんだ、カトル」
優しく微笑みながらトロワが尋ねる。
「勿論、接触します。」
何もせずにほっとくわけにはいかない。
彼はわざわざカトルに接触を持ってきた。
そして、わざと口にした。『オレンス』という言葉を。
意味がある筈だ。ただの揶揄でそんな言葉を口にする人物とは思えない。
「そうだろ。まあ、成るようになるものだ」
カトルは振り返った。
一面の砂漠。砂の大地。
自分は、この大地に誓う事など出来ない。
ただ、願うことしかできない。
それさえも、無意味なことかもしれないけれど。
砂漠にまた一陣の風が吹く。
彼らの歩いてきた道を示すモノは既にない。3人の足跡は砂に埋もれてしまっている。
崩れまた積まれる風紋だけが、砂の大地に刻まれている。
それでも、何らかの変化は望める筈だ。
やがて、歴史という波に飲み込まれてしまう事でも。