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| 一番古いピピンの写真 | |||||
| ちょっと画像が不鮮明だけど・・・ | |||||
| [ ピピン(Pippin) ] 1998年7月14日(推定誕生日)〜 2000年6月27日 我が家のガレージの前にとても小さな猫(180g)の猫が捨てられていました。 恐らく人間に捨てられたのではなく、野良の母猫から捨てられたのでしょう。 その当日は何事もなく、翌日の夜、僕が会社から帰ってきても特に何もなく 僕は晩酌と夕食を済ませて、うたた寝してしまいました。 23時頃でしょうか。突然、母が 「子猫の様子がおかしい!」と言って、僕を起こしてきました。 見ると、子猫は呼吸も苦しそうで、今にも生命の危機がせまっていたのがわかりました。 こんな夜中なので、普通の動物病院は空いていません。 電話帳で動物病院を調べて、かたっぱしから電話をかけまくり。 なかなか連絡がつかなかった中で、ひとつだけ、 留守電を聞いてくれた動物病院が折り返し電話をくれました。 容態を話して、これから連れて行く事を了解してくれました。 その動物病院は約10km離れていましたが、車に子猫を載せて向かいました。 実は、この時、僕はまだ酔っていました。 この時だけです。飲酒運転したのは。御免なさい。 動物病院に到着したのは24時をまわっていましたが、 先生と先生の奥さんが準備して待っていてくれて、 お礼も早々に早速、診察を開始しいてもらいました。 体温がかなり下っていて、呼吸も困難な危篤状態との事でした。 酸素の袋の中にしばらく入って、注射してもらいましたが、 先生のお話だと、かなり危険な状態で、やれる事は処置したけれど、 体温が低すぎるとの事です。 歯の成長に比べ、体が小さく、弱かったので母猫に捨てられたのだろうと 先生は言ってました。 自宅に連れて帰ったらば、ペットボトルに熱湯を入れて タオルで巻いたものを近くに置いて暖をとってあげて下さい、 との先生の指示をもらい自宅へ連れて帰りました。 早速、体の上と左右の3箇所をペットボトルで囲み暖め始めました。 やってみると、ペットボトルは1時間もするとかなりぬるくなってしまうので、 20分に1回、ペットボトルに新たな熱湯を入れて、 3つのボトルを回転させて、常に暖をとるようにしました。 それでも子猫の呼吸は苦しそうで今にも死にそうな状況が続きました。 母猫にも捨てられた可哀想な子、 せめて死ぬ時を看取ってあげようとの気持ちで、付き添いました。 可哀想で可哀想で涙が出てきました。 このまま、名前もなくて死んでしまうのでは、この子もあまりにも可哀想なので、 名前を付けました。 中世フランク王国の国王の名前から、ピピン(Pippin)と命名しました。 誕生日も推定時期から、フランス革命記念日の7月14日にして。 せめてこの子死の時を看取ってあげようと、 人間も必死にがんばっているうちに何と、朝を迎えてしまいました。 その朝、8月14日は本来ならば出勤日だったのですが、 実はその日は母の還暦の誕生祝いの日だったので、 事前に休暇を取得していたのでした。 (運の強い、僕の運命がここでも発揮されてます!) 朝の8時をまわった頃には、奇跡でしょうか、少し呼吸も落ち着いてきました。 9時になり、夜中に診察していただいた先生のところへ連れていきました。 先生は一晩、命がもった事を奇跡的だと言って、 驚きつつも、とても喜んでくれました。 昨晩は一睡もせずに、20分毎にペットボトルのお湯を入れ替えて看病した事を伝えると、 その処置と熱意が生命を繋ぎとめたのだと、先生は言ってくれました。 生命の危機の“峠”は越したとの事でした。 以上が、我々家族とピピンとの出会いの物語だったのでした。 そして、その日は、喜びに沸いた母の還暦の誕生日となったのでした。 |