Re: 「銅鐸」

投稿者[ EK ] 発言日時 [4月8日(月)13時10分42秒]

元の発言 [ Re: 「銅鐸」 ] お名前 [ 白石湖南 ] 日付 [ 4月6日(土)19時30分03秒 ]

>> #この精神衛生上たらいうのはどういう意味でしょうか?
#たらいうのは、少なくとも議論の前提が事実であるからです。

>> #文献に書いてあることから推理して何か悪いことでもあるんか?
#議論の前提が文献の解釈であり、しかもその解釈に私が疑義を感じている場合、議論そのものをバカくさく感じるのはやむを得ないところでしょう。
末慮国の位置はおおむね唐津と考えられていますが(私も賛成)、これにも異論があります。その末慮国から東南500里をどう解釈すれば伊都国が糸島平野になるのでしょうか。つまり異論が極めて少ない伊都国でさえ、文献と正確に対応しているわけではありません。奴国も同様に非常に苦しい文献の解釈をしないと、福岡平野になりません。
このような、どんなに偉い先生方が賛成していても、あくまでも一つの解釈にすぎない理解と、××墓から○○が出土した、という事実を同列に論じるべきではありません。文献を語る場合は、それが一つの解釈の上に成り立っていることを論者は常に明確に意識すべきです。特に、考古学研究者が文献を語るのは自重してしかるべきだと私は考えています。

>>  けれど、古墳からは出てこないという点から、僕は銅鐸は民間の、さらに政府未公認の宗教の道具だったのだろうと考えとる。だから「記紀」にも載っとらん。
#もっと精密なモデルの構築を期待します。「政府」とはどんなものでしょう。銅鐸の分布域が一つの政治的まとまりであるという理解にも様々な異論があるのではないでしょうか。銅鐸の時代の政治的権威と、記紀が主張する天武朝の始祖とが同じであると単純に想定していいのでしょうか。

>>  でも、どうして「魏志倭人伝」には載ってないんやろ。魏の人間が見に来ていたときは住民が
#卑弥呼の時代・場所に銅鐸が存在しなかった、と考えるのがもっとも素直な理解ではありませんか。可能性のあるたくさんの解釈を並べて、比較検討すべきです。



その他発言:



その他発言:


[ 掲示板に戻る ]