Re: Title 承前 24国比定問題

投稿者[ 馬頭鬼 ] 発言日時 [4月12日(金)22時15分57秒]

元の発言 [ Re: Title 承前 24国比定問題 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月11日(木)23時51分51秒 ]

こんばんわ、遅くなりまして

>> >> >> 国といえるような規模の住人に関係する土器、貝塚、住居跡などを
>> >> >> 完全に消し去る・・・それはかなり困難のような気がします。
>> >> >> まあ、祭器とかは海に沈めてしまえば分からなくなってしまうんだけど。
>> >> >> そういう文化って、いままで実際にあるのかな・・・?

>> >> 琵琶湖の水中祭儀や島根で水中に静めるって言うのがあったでしょう。

>> ふむ、なるほど。
>> 確かに祭器はいいのですが、問題は住居跡やゴミのほうです。
>> 遊牧民的な生活をする「山人」「海人」ならばもしかすると
>> 可能かもしれませんが、それらが国を形成できたかどうか。
>> 国というからにはせめて倭人伝での5百戸くらいの規模を考えます。
>> それに「次」や「其」などによりそれぞれの国の固定位置が
>> あったと考えています。

固定単位と言うものに付いては、色々な形態を考える事が出来ますね。
まず、西夏を考えてみると、行国である事がわかっています。
が、都と言うものは、移動していて固定できませんね。
彼等は、目立つものは、墓ぐらいしか残していません。

また、東南アジアやフィリピンには、船を家にして移動生活を送る人々がいます。
場合によっては、使者を海に葬るのはそう珍しくないようですし。
海に暮らし、海に葬る人々がいたかもしれません。
私の知っているのは、陸に葬るようですが、
土器なども、儀式的に廃棄し祭っている気配は、縄文時代からあります。
石器はともかく、土器は、砕いて再度、土器に焼きなおす事も出来ます。
三内円山でも、人口の集中で、衛生環境の問題が出ているような事を、聞きました。
使ったものをリサイクルする高度な知恵を持った人々の存在も、想像できます。
事実、江戸時代は、其れに近い文化がありました。
海に生き海に帰る、山に生き山に帰る、そんな一族もあったでしょうし、
両方を生き両方に帰る、部族の存在は?
この場合、国とは、同じような、衣や違っていても、一つにまとまる、ナットワークに帯なモノでは?
遊牧民や水上生活者の国のように。
この場合、戦や祭りなどの時まとまるのが、国縄毛ですから、そんな例を考えています。
山幸海幸な話からの妄想ですが。

>> >> >> 東海が邪馬台国ということですか、それとも狗奴国?
>> >> >> どのあたりの比定案なのかなあ?

>> >> ありゃまあ。
>> >> 邪馬台国で考えていたんですが、言われてみると狗奴国でも当てられるんですね。
>> >> 今までの議論を聞いていた結果からしますと、どうしましょ?

>> 「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり」
>> を信じるならば、九州東部、四国東部が女王国の有力候補でしょうか。
>> 信じないならば・・・とかやっていると、いろんな比定案が可能です。
>> 大国3ケ国くらいなら、どこでも当てはめは可能でしょうね。
>> そこで、順番にあると記されている21ケ国はどうなってるの、
>> と聞きたいわけです。たいていは、苦しくなって「順番ではなかった」
>> という言い訳をしている人が多いですね。

>> 倭人伝には十分な情報があるにも関わらずそれを有効に使っていないため、
>> 問題が難しくなっているんじゃないでしょうか。

充分の定義が、疑問です。
旅行記だ無いので、目標など書かれてないのですから、文章から当てなめることは、
無理なので笑いでしょうか?
問題は、地理の中で、旅程などの目標の記述に乏しい事ですね。
例として、
隋書では、ヤマト朝廷が、阿蘇山の祭祀をしているように感じられるところがあるようですが、
残されている文書では、ヤマト朝廷が、阿蘇の祭儀をしているような、気配はありません。
気になるのは、推古の墓に阿蘇の石が使われている事ぐらいのように思えます。



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