Re: Title神社形式

投稿者[ キムイルボン ] 発言日時 [6月9日(日)18時54分41秒]

元の発言 [ Re: Title神社形式 ] お名前 [ 韓国から ] 日付 [ 6月9日(日)09時15分10秒 ]

一般的に弥生とは集約的、組織的稲作が開始され、その文化が日本全国に広がった時代をさすものと考えられています。
縄文とは漁労、採集、粗放、亜熱帯焼畑農業の時代であり、弥生とは全く異なるものであったと考えられます。日本の弥生は稲作農業の生産性向上を求める集団が中国長江下流域から韓半島南部及び日本に移住をすることによってもたらされたのではないでしょうか。ただし韓半島は、中央アジア、中国東北部、ロシア極東を含む広大な地域の一部としての側面があり、韓民族が半島の固有の民族として非常に長い歴史を有する一方、欧州におけるイベリア、バルカン半島のように多くの異民族の通り道でなかったのではないかと思います。しかし韓民族は日本人よりも異民族との同化には積極的ではなかったような感じを受けますが如何でしょうか。いずれにせよ韓半島北部から中近東、欧州にかてては小麦、麦の生産に適したところがあるようですがロシアなどの極寒地においてはソビエト時代でも小麦生産に非常に苦労しており、稲作以上に天候の影響を受けるところもあり、とうもろこし、そば等の雑穀に力点がおかれているようでね。これからは夏も盛り、冷麺のおいしい季節になります。夏の盛り北京で食べた冷麺にふと日本の夏を思い出した思い出を又思い出しています。そういえば中国には石製の鳥居に似た建造物が多いようですが、弥生時代の日本人は明治時代同様文化吸収力がきわめて強くなんでも吸収したものと思いますので、中には中国直輸入とか、韓国経由とかいろいろあったのではないでしょうか。大体弥生人というのは韓国人ではないようですが中国南方の系統が多いようですね。
さて、小麦は中近東、中央アジア、湿潤温暖であったタクラマカン砂漠と、 中国西部、外モンゴル等を経由して韓半島虫部に達したものと思われ大発見であると思います。しかしこの掲示板は魏志倭人伝、邪馬台国の議論が主であり、現在文献研究による仮説と考古学発見による立証に中心があり、どちらかといえば、考古学新発見が最優先されているようです。だが、文献には韓国の記述が数多く登場するために中国、韓国、日本の3カ国を含んだ研究が重要です。研究社各位は歴史をlきわめて重視する学級肌のかたがたで、日韓中全ての関係者がこのように冷静に学術的に歴史を研究すれば極めてすばらしい結果となるでしょう。イルボンヌ大学中退キムイルボン


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