Re: タミル語に関して

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [8月1日(木)23時00分03秒]

元の発言 [ Re: タミル語に関して ] お名前 [ 游惟 ] 日付 [ 8月1日(木)08時33分57秒 ]

今晩は。
東北弁を話す者としてちょっと割り込ませてください。

>> >>》 蝦夷・俘囚問題 : 12世紀末に源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼして終結
>> >>游惟さんは蝦夷・俘囚をアイヌと考えているように思える。私には、奥州藤原国の国民が現代東北人とそれほど違う人々とは思えないが。

>> ですから、東北住民の日本人化(日本語母語化)も瞬間的に起こるわけではありません。7世紀以降、日本人が東北に移り住むようになり、最初は蝦夷(アイヌ?)対日本人の比率は10:1だったとしても、次第に7:3、5:5、3:7 1:10と逆転していき、12世紀の頃には混血も進み殆どの人々が日本語(ベースのクレオール)を話していたと思われますが、内地(?)の側から見れば、その頃までは中央政府の統制の及ばない奥州藤原氏配下の東北人を「蝦夷」「俘囚」と見なす傾向があったが、奥州藤原氏が滅んでこの地方も中央政府(鎌倉幕府)の統制下に入って、やっと東北人は「蝦夷」「俘囚」とは呼ばれなくなったということです。(ただ、その頃でもやはり山間部の僻地には蝦夷語を使っている人々も少数ながら残っていたのではないでしょうか?)
>> 日本武尊神話は4〜5世紀の史実の投影と見られていますが、日本武尊が征服した「蝦夷」というのは東北地方の異言語話者の「蝦夷」のことではなく、関東地方の大和朝廷に服していない弥生人(日本語話者)のことであり、内地の人々は北方にいて中央政府の支配下にない人々のことをさげすんで「蝦夷」と呼ぶ伝統があったということです

私にはとてもアイヌ語が私の言葉に影響を与えたとは思えません。
東北弁といっても福島県から青森県まで言葉にかなりの違いがあります。
私は東北南部ですが青森の言葉は全く理解できません。
青森がアイヌ語の影響が強いとしてクレオールってグラデーションがつくものでしょうか。

>> この研究はかなり進んでいて、東北人の多くがアイヌと同じ遺伝子を受け継いでいることは確かなようです。

そうでしょうか?例えば顔つきで言えばアイヌ人の特徴である髭の濃さとか彫りの深い顔とか他の地方の人間と差がないように思いますが。
あ、関西だけはちょっと違っていますが。

>> >>》 話し言葉としての東北方言は日本語とアイヌ語が混じって発生したクレオールだ
>> >>私は東北方言もアイヌ語も知りませんが、これはにわかに納得できるものではありません。
>> >>東北方言の音韻体系がアイヌ語に近いのでしょうか。

>> この仮説は現在のところ具体的には全く検証していません。とにかく、日本に帰らないことには何もできませんが、あと2年はここにいないといけないので・・・・(^^;)

一見東北の独特な方言のように見える言葉もその語源を辿ると京都の公家言葉だったり、江戸の侍言葉だったりする事があります。

「笑止」と言う言葉は文字どうりと言うか、「笑いが止まらない=すごく可笑しい事」でしょうが福島では「恥ずかしい」と言う意味で
山形では「ありがとう」です。
直線で30k程度しか離れていなくても同じ言葉が全く違う意味を持っている。
訳が解らないからアイヌ語だろうなどとあっさり決め付ける事は危険です。

私は東北の方言も殆んどが弥生の倭人の言葉が長年にわたって交流がされなかった結果変化していった物であろうと思います。
特に江戸幕府による封建時代に庶民の往来が自由でなくなった事が方言を強めたのでしょう。
それが福島と米沢の方言でもはっきり解ります。

>> ただ、7〜12世紀の東北地方がクレオールが発生する環境にあったことは確かであり、また私の知る限り、東北方言は、簡略な文法、センテンスの短さなど、クレオールの特徴を持っています。

「東北地方がクレオールが発生する環境」ってなんですか?

>> 先週台湾原住民の日本語使用状況調査に来た高名な日本語学者(国立大大学院教授)に会う機会があり、この話もしましたが(その人は青森出身)、「確かにその可能性はある。大いにやってください」と励まされました。(^ヘ^)

>> >>》 その当時中国大陸か朝鮮半島に住み着いていたタミル人が、突然日本列島に引っ越してきたとか・・・(^ヘ^)
>> >>私は「茶をいれる」体験から、いかなるとっぴなアクロバットがあってもよいほど共通の何かがあるような気がしています。とっぴな大陸移動説を疑う人は、今はおりません。

>> タミル人が南インドから陸路ヒマラヤを越え・チベット高原を越え、中国大陸を横断して日本列島に達したと考えることは不可能であり、あるとすればインドネシアあたりに住んでいた同一民族の一方がインドに、一方が日本列島にと考えるしかありませんが、インドネシアと日本を結ぶ海路上のインドシナ半島・フィリピン・台湾あたりの原住民語にタミル語と似たものでもあればともかく、ねえ・・・・・

鹿児島人はインド人に似ていませんか?
西郷隆盛の肖像画を見るとインド人そのものに見えます。
就職して初めて鹿児島の女性を見たとき、色は白いがこれはインド人に違いないと思いました。
ややふっくらした頬と大きな輪郭のはっきりした目と濃い眉毛をしていました。
その女性以外に鹿児島の女性を知らないのですがすごい美人でした。

鹿児島にはタミル人の血が入っているような気がします。



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