Re: 箸墓にこだわるのはわかる気がしますが

投稿者[ ちょっと一服 ] 発言日時 [8月23日(金)19時08分10秒]

元の発言 [ Re: 箸墓にこだわるのはわかる気がしますが ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 8月23日(金)09時03分31秒 ]


>>倭国においてAD180年くらいに長年、戦争状態があった訳です。


この戦乱が収束して直後から,古墳の築造が始められた,
という組み立てでしょう。

>>この間は大きな古墳を作る事は不可能でした。卑弥呼の時代も狗奴国
>>との対立があり大きな古墳は作れなかった。


狗奴国との対立上,大きな墓を作る必要があったかもしれませんね。

>>卑弥呼の死後も内乱が発生し、壹與が女王に就任するまでは国内が安定
>>しなかったので大きな墓を作る客観情勢には無かったのです。


内乱については,小規模説もあり,検討が必要です。

箸墓については,もともと二代目である台与(壱与)の墓とする仮説があります。
この場合には,倭人伝の台与(壱与)=日本書紀のヤマトトトビモモソヒメかな。

# 台与はトトと読めたりして・・・(^◇^)


では,初代の卑弥呼とは,となると,ミホツヒメが,
九州から畿内(三輪)へ移っているかもしれないですね。
この場合,ミホツヒメが卑弥呼の候補の一人となりますが,
しかし謎につつまれています・・・。

ミホツヒメとモモソヒメとは,大物主神と縁があります。

いずれにしろ,
邪馬台国とは,あくまで畿内の大和(三輪)と考える組み立てになります。
が,初めは九州にあった,とする推理も可能ではあります。

そこで,九州における「故地」は何処か,ということになると,
奴国というのが,女国に同義とも考えられるから,奴国であろう,とか,
甘木説とか,伊都国説とか,いくつかありますよね。




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