Re: 訂正

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [9月26日(木)20時33分31秒]

元の発言 [ 訂正 ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 9月26日(木)11時47分53秒 ]

>> >> >> 客観的に見て、鐙は農民のものとする理由はありません。

>> >> 鐙が権威のしるしであれば他の馬具と同じくらい多数、馬具と一緒に出てくる筈だ。
>> >> 極端に少ない鐙は権威の象徴ではない。だから4世紀の鐙は少ない。と考えるのです。

>> 鐙も総体としては他の馬具と同じくらい出ています。

ですからそれは5世紀の話でしょう?
日本では初めは馬具があっても鐙はなく5世紀の末になって鐙の副葬が出てくるようです。

>> >> 孫引きですが「脾肉の嘆」というのが馬に乗ることをやめた結果太ももに肉が付いてしまったと言う劉備のの嘆きは「普段は鐙を使わず馬に乗っていた事を意味する」と言う話も。

>> 少なくとも四世紀初頭ではまだ片鐙でしょうから、乗馬してしまったら鐙は使わないでしょう。

>> >> ある論文で硬質鞍の発明も中国で4世紀の事だと書いてあるのを見たことがあります。

>> どういう論文ですか。

学生さんの卒論のようです。「脾肉の嘆」もそれからの引用です。
もう一度検索してURLをお知らせします。

>> 戦国時代の胡服騎射の時期、前四世紀にはあったとどこかで読みましたが、手元に資料がありません。
>> 手元にある資料では、後漢代2世紀の山東出土の画像石に、前輪後輪のある鞍の絵があります。

それが硬式鞍であるという確証はないのでしょう?「前後に盛り上がりが見られる」程度のものだったのでは?
軟式鞍というのは多少の補強がなされて少し前後の盛り上がりはあっても鐙が付くようなものではないそうです。
下の訂正了解しました。

>> 私の知る限り、テン国のものに疑問を持っている話は聞いていません。
>> もっとも最古の鐙とはなっていないところをみると、鐙と認めない意見があるのでしょう。
>> 片足の親指を引っ掛けるだけなので鐙と呼ばないのかもしれません。

テン国は裸足で生活していたのでしょうか。それとも馬に乗るときだけ裸足になったのでしょうか?
子供だけの練習用だったのかも。子供なら裸足でいても不思議は無いですから。
体重も軽いし軟式でもよかったかも。

>> 蹄の磨り減りを防止するために、藁沓を履かせることもあったそうです。
>> 必要がなかったとは思えませんね。

そう言えば街道で馬を曳いて旅人を乗せた馬がいましたね。これなら一日中歩いている。
忘れていました。

>> >> 木製鞍について考えてみました。
>> >> 私は木製鞍はむしろ荷物を運ぶ馬の為に開発されたのではないかと思います。
>> >> 重い荷物を縄で縛って両側にぶら下げたとき鞍が柔らかいと重みが一点集中してしまい皮膚を痛めます。
>> >> 硬い材質であれば重量が分散し痛くありません。しかも安定がよくなる。
>> >> 鞍の使用により荷物を高く積む事もできるようになった。
>> >> それを騎乗に応用して人間用が出来た。
>> >> それに鐙をぶら下げたと言った感じではないか。
>> >> 人間の尻だけなら馬の皮膚にダメージを与える事は無いので木製鞍は必要なかった。

>> 馬の背は滑りやすいので、乗馬時に滑り止めの布をかけることは古くから(前7世紀)ありました。
>> 紀元前5世紀のアルタイの絵には、すでに前後に高まりのある鞍らしきものが乗馬風景に描かれています。
>> 一方牛頭さんの説ではそれ以前にあったはずの、荷物を載せるための鞍の前身になるものは、実物、絵、人形とも全く発見されていません。

木製鞍は5世紀以降のものも殆んど残っていないと思います。鞍も飾り金具などでその存在を推測するのみです。
檜や槇で作ってあれば多数残ったのでしょうが。腐りやすい木をつかっていたのではないでしょうか。

>> 鞍自体は古いものですが、たしかにアルタイのものを含めて、材質の確認されている古い鞍は皮製の軟式鞍らしいです。
>> 硬質鞍の発見は三世紀中葉(340年以前)の中国の墓の出土品が最古であるらしいです。
>> この点は訂正します。

4世紀中葉の間違いかと思います。(^^)

>> ただこの時点で、ほぼ同時期の馬俑からは両側鐙が確認されているらしく、硬質鞍と本格的鐙の発明が同時期と考えられます。

西晋の時代に片足で、続く南北朝で両足になったというので鐙の年代観に変更はないということですね。

>> 少なくともテン国やインドの、馬に乗るときだけの鐙の前身は、軟式鞍についていたものでしょう。
>> 片鐙の発見された、西暦302年埋葬の湖南省西晋墓発見の馬俑の鞍が軟式か硬式かもちょっと確認できません。
>> 馬に乗った状態で使用する本格的な鐙の使用が、硬式鞍の発明を促したとも取れます。

可能性はありますが片足だけの鐙の時は余計に硬くなければ実用にならないので硬式鞍が先だと思います。

>> いずれにせよ硬式鞍もまた鐙同様、その始まり年代を数十年単位で推定できるほどの資料はないと考えられます。

確かに10年単位の年代は難しいですが日本の遺跡で推定した年代より中国の年代の方が史書があるだけに正確と言えるでしょう。



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