2020余所自作62『貴方の腕の中で私は変わる(完)』

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「――…ね? 彩音?」
 ぴくっと揺れた手から皿の上に温かいクロワッサンが落ち、ぼんやりとしていたのに気付き彩音は正面で心配そうに自分を見ている青年へ笑顔を作る。
「ごめんなさい。ぼんやりしてた」
「寝不足?」
「そうかも」
 青年の言葉に曖昧に返しながら少女は皿の上に落としてしまったクロワッサンを拾い上げて口に運ぶ。嘘。食べた気がしない。味が判らない。今にも泣きそうになる。それでも目の前の青年に迷惑をかけまいとにこっと笑みを作り、小さく千切ってあるクロワッサンの欠片を飲み込む。まるで砂か何かの塊を無理矢理飲んでいる様だった。こんなに食べ物や料理した人や一緒にテーブルを囲んでいる人に申し訳ない食事をしたのは初めてである。目の前の青年は余程空腹だったのか綺麗に食べ終わって食後の珈琲を飲んでいるが、穏やかそうな様子のその目がまだ心配そうに自分を探っているのが伝わり、更に彩音の胸を塞がせる。
 愛人に過ぎなくても構わないと思っていたが、もしも自分が誰かの元に嫁いでしまえば公孝はもう自分に触れてはくれないだろう…その程度の分別は出来る人だと思う。それと同時に気付いてしまった。同じ様に、家族を愛したら外に囲っている女を愛し続けるのも出来ないだろう。それとも大人になって器用な狡さを知ってしまったのだろうか? そして自分も公孝を愛しながら家族を作れるのだろうか? ぞくりと全身を震わせる寒気に彩音は凍り付く。不誠実でありたくない。不誠実にさせたくない。
「――彩音?」
「結婚…したくない……」
 ぽつりと小さく呟いた言葉の後、空気が変わった気がした。
 空調の利いた静かな居間は日が差していて、滑らかなレースのカーテンもその向こうの青空も美しく、珈琲やクロワッサンの薫りもとても豊かで何一つ欠けていない食事風景の筈だった。
 ふと顔を上げた彩音は、微笑む青年の顔に、動けなくなる。
 優しく穏やかに微笑んでいるのに、何故そんなに深く傷ついているのだろう。
「彩音の気持ちを、まるで考えていなかったね。ごめん」
 判って貰えたと安堵する以上に、傷つけたくない人を傷つけてしまった胸の痛みに呼吸が止まる。何を自分は贅沢を言っているのだろう。没落した家系の自分に救いの手を差し伸べてくれた人に、結婚が決まったからと…そしていつかはこの青年も結婚するからと子供の様に我が儘を言うなど。
「ゆっくり入浴して、それから病院にお見舞いに行くといいよ。約束通り支援は絶対にする。車代や…受け取るべきものは受け取って欲しい。それは対価で、そして……」
 ぽつりぽつりと話す幼馴染みの青年の声は穏やかなのに、軋んだ悲鳴の様に聞こえるのは何故だろう。愛人契約などしてはいけない人なのに、無理をさせてしまったのだろう…そう思うと泣きそうになる。自分が気の毒で本気で心配してくれたのだろう、選ぶ道を間違えてしまう程に。
「ありがとう」ぽろぽろと涙を零しながら彩音は笑った。「――公孝が初めての人で、よかった」

 目蓋が腫れているかもしれない。
 この二日間公孝と一緒に浸っていた風呂に一人で入り散々泣いた彩音は、テーブルに大きなノートパソコンを広げている青年の姿に思わず見惚れかける。仕事でもしていたのだろうか深く考え事をしているのか浴室からの扉に立つ彩音に気付いていない姿は自分の知っている優しい幼馴染みのものではなく、たった数歳差であるにも関わらず大人の風格が漂っていた。社会人というのはそういうものなのだろうか…と、ノートパソコンの傍らにあるグラスを見て彩音は戸惑う。あれはお酒ではなかろうか。仕事をしながらお酒を飲むのは休日であろうと何か問題がある気がして少し咎めたい気分になるが、それを出来る立場ではない。
「――ああ…、彩音、ごめん」
 少女に気付きぽつりと呟いて青年はノートパソコンを閉じた。その顔は浮かない。三連休でも仕事上何かがあったのか、それともそもそも三連休自体無理に取得したのではなかろうかと少し不安になり、だがもう触れてはいけない人相手の距離感が掴めず立ち尽くす少女に、青年が椅子からゆらりと立ち上がる。自分と異なり元から三日間を過ごすつもりだった幼馴染みは着替えなども用意してあり、初日の服をクリーニングに出して着回す彩音と異なり毎日違うシャツとスラックスを身に着けていて、今日もやはり落ち着いた趣味の良い服装に、彩音の胸がちくりと痛む。ときめいてもこの人は他の女性の夫となるのだし、自分は…自分はどうなるのだろうか?非処女の自分が良縁に恵まれるなどあり得るのだろうか?いやそもそも良縁とは限らない。没落した家との縁組みなど何か絶対に問題があるだろう。
「恥と判って敢えて聞きたい。――俺の、何処が駄目だった?」
「……。――え?」
 咄嗟に問いの意味が判らず戸惑う彩音は、自分の近くに来るでもなく窓に凭れる青年に瞬きをする。
 愛人契約自体が無理なのは彩音の事情であり、唐突な結納話さえなければもしかして数年はまだ一緒にいられたかもしれない。公孝はまだ若く、社会人としての基盤を固めるまでもしかしたら十年程度は可能だっただろうか、彩音は縁組みなどそもそも期待出来ないのだからただ厚意に甘え続けられたかもしれない。この青年が結婚して伴侶を得るまでの間の愛人、それだけで十分、いやそれは今でも切に願ってしまう程に得たいものだった。
「公孝は、最高。――駄目なのは私の方」笑顔を作ろう。泣けばこの優しい青年は無理をしてしまう。例えば老人相手の後妻になる代わりに父親の企業に支援されるとしたら、それに従うのは経営者の娘である自分の責務だった。贅沢に育てて貰えた恩義を我が儘に拒む事は出来ない…それは父親への義理でなく、父親の企業に勤めてくれている人達への当然の責任である。「私、結婚するみたい。だから、愛人にはなれないの。ごめんね」
 ぽとりとバスローブの胸元に水が落ちた。ぽたぽたと零れるそれが自分の涙だと気付き、慌てて袖口で涙を拭うものの次から次から溢れる涙に彩音は戸惑う。胸を張って青年の厚意に感謝して離れなければいけないのに何故泣いてしまうのだろう。理由は判っている。だが、それは許されない…何より青年を困らせてしまうだろう。
「……。愛人?」
「うん。公孝が素敵なお嫁さんを貰うまでの愛人。ごめんね、絶対迷惑かけない。縁談とか邪魔しない。こっちの結婚は自分で何とかする」
「ちょっと待っ」
「知らなかったの縁談進んでたの。大丈夫、破談でも結婚でも何とか頑張る。だから気にしないで。公孝は悪くない。変だよね、何でこんなタイミングで急に教えられるんだろう。馬鹿みたい。佳代ちゃんからのメールでなんて変だよね、お父様もお母様も何でもっと早く教えて下さらなかったんだろう……そうしたら…そうしたら……。――悔やんでない!後悔してない!公孝と…公孝が初めての人で……絶対……」
 不意に、誰かに激しく抱き締められた彩音は固まった。淡い灰色の細かなストライプの入ったワイシャツに包まれた厚過ぎない逞しい胸板と、抱き締めている力強い腕。この二日間ずっと離れなかった人のそれだと気付くのに少々時間がかかった後、彩音は慌てて身を離そうとするがその腕はびくともしない。
「――ごめん。彩音。愛人って、何だ?」
 低い声。穏やかそうなのに嵐を含んでいる様な、何かを持て余している様な抑えた声に少女は無性に甘えてしまいそうになり、踏み留まる。
「戸籍入れていない、本妻ではない、金銭的援助されている人。男女逆の場合もあり。でも、考えてみると未婚で愛人作るのって変な話かも?でも既婚者が愛人として囲われるのは変だし、それは不倫なのかな?でも不倫だと金銭的援助ってしないかも。お互い未婚のこの状態は援助交際で、セーフ?」
 説明が終わり納得されればもう一生触れてくれないと思うと皮肉そうな物言いになってしまう。それでもその座に憧れたなど絶対に言ってはいけない。未練が残る。必死に蔑む様に小馬鹿にする様に例える彩音の唇を、青年の口が塞いだ。
 水割りですらないストレートのウイスキーの味が酒にあまり慣れていない少女の鼻を抜け、当然の如く口内に差し入れられる舌の淫らな動きが更に濃密さを増す。どくんと全身が鳴り、折角入浴したばかりの身体の奥から青年の精液を含んだ名残の液体が溢れる感覚に頬が染まる。接吻の仕方も判らなかった数日前と違って、鼻で呼吸する事も唇がずれた瞬間の息遣いの甘いいやらしさも知ってしまっている。全部二人で探って二人で憶えた。
「もう、だ……」
「ずっとそんな気持ちでいさせてごめん。違う。違うんだ」強く抱き締めながら公孝が言葉を遮った。「愛している。ずっと彩音だけを望んでいる。昔から。援助交際や愛人契約なんて考えていない」
 全身から力が抜けて膝や腰がくだけそうになる少女を、そっと青年が覗き込む。
「彩音の家の事情が改善出来るまでは待つつもりだったが、もう待てない。――彩音。結婚して欲しい」
「無理……だって、結納……」
「俺とのだよ。全部筒抜けで親が話を一気に進めたらしい。元から十年程前から話はあった上、俺もまだ修行中の身だったんだが…。ごめん。この二日間、辛い思いをさせていた…笑わないのも当然だ」
「嘘……」
「嘘じゃない」
「筒抜けって……嘘ー!何で!何で小父様や小母様に公孝とふ…二日間ずっと…せ、せ…うにゃうにゃしてるの全部伝わってるの!?しかも避妊してないのも知られてるの!?な、な、な…中出しとか……全部!?」
「そこか」
 脱力した面持ちで苦笑いを浮かべる青年に、顔を真っ赤にして少女は睨み付ける。夢ではなかろうか。もしかして風呂の中で眠って見ている都合のいい夢ではなかろうか。
「こ…交尾見られてるなんてパンダみたい」
 余りのプライバシー侵害に思わず赤面したまま頬を膨らませる彩音に、一瞬の間の後公孝が爆笑した。初対面の時はスーツ姿でとても大人びて見えた幼馴染みが大笑いしている時は年齢相応に見え、どきりとしながら彩音は唇を尖らせる。だがそんな公孝の笑いは長くは続かず、不意に真面目な表情に戻った青年は少女を椅子に座らせた。
「――で、返事を聞く前に言っておかなければならない事がある」
 たった一杯と言ってもアルコールを摂取したとは思えない冷静な口調に少女は思わず内心身構える。自分が望まれているとしても没落した家と幼馴染みの家とでは既に格が違うのだからどの様な条件が提示されてもおかしくはない…例えば父親の企業に関する事だとすれば簡単に娘が口約束を出来る筈もなく、彩音は条件を一瞬考えるものの両家の溝を埋めるだけのものは思い浮かばない。
「今回の件は御両親にどうせ言っていないのだろう?」
「今回……?」
「……。見ず知らずの相手とそういった事をしようとした件だ」
 幼馴染みが静かに、だが深く怒っているのを感じ彩音の息が詰まる。親に言える筈がないのは当然だった。もしも娘が身を売って母親の入院費を捻出しようとしていたと知っていれば外出禁止どころか何をされていたか判ったものではない…必死に企業を立て直そうとしている父親も入院中の母親もとても彩音に構える状態ではないから行ってしまった暴挙である。今、公孝という存在があるからこそ冷静に考えられるが、それがどれだけ親を傷つけるのかをあの時の少女は正しく把握出来てはいなかった。
「御両親にさえ相談出来ない彩音の今回の浅慮に付け入った俺が説教をするのは間違っているとは思う。だが、一度踏み留まれ。自分一人で背負い込むな。どれだけ周囲を悲しませるかを、考えろ。――そして、何より自分を傷つけるな」
「でも…!でも、傷なんて……」
「例えば俺以外で、性欲の捌け口扱いを……」
 相手を納得させられる言葉が紡げない気がして口籠る彩音を説き伏せかけた公孝もまた言葉を凍らせる。だがそれは口にするのも悍ましいといった怒りのあまりだと判り、俯く少女の瞳に涙が滲む。叱られている時に泣くなど狡いと思いながら、青年が口にしかけた内容を想像した瞬間、全身から血の気が引いてしまっていた。とても大切に丁寧に扱われて知った行為だから怖くはなかったが、乱雑に扱われたらどうだったのだろう。母親の入院費の為だと最後まで堪えられるのは自分の強情さで想像出来るが、そこで得られた金銭に、自分は触れる事が出来るのだろうか?それを手に病院へ行き、母親の見舞いが出来ただろうか?だが、他の道を探せたかは判らない。
「――俺が背負う。最善を尽くす。お前が泣かない様に日々努力する。絶対と言えはしないが…彩音を守らせて欲しい」
 そっと、まるで繊細な硝子細工の様に頬に触れる幼馴染みに彩音は小さく鼻を啜りながら見上げるが、その視界は涙に滲んでおり精悍な顔は鮮明には見えない。
「でも私、何の価値もない」
「彩音である事で十分だ。それより価値のあるものはない。――答えを聞きたい」
 いつから会えていなかったのか、幼い頃の園遊会ではいつも一緒にいた幼馴染みはいつの間に大人の男になっていたのか…くすんと鼻を啜る少女の胸が早鐘を打ち頬が染まる。大人の男なのは、よく知っていた。この二日間ずっとその腕の中でその存在を刻みつけられ続けていたのだから。だが二人だけの都合とはいかないのも少女は判っていた。入院費を稼ぐなどと言うその場凌ぎではない重荷を背負わせてしまう引け目を感じ即答していいのか判らないまま、じっと青年を見上げる彩音の額にそっと唇が触れる。
「公孝……」
「ごめん。返事は急がない」
「嫌じゃないんだからね!」
 自分が断ったと思われそうな気がした彩音は咄嗟に大きな声をあげてしまう。目の前で唾が飛んでしまうのではないかと焦る勢いで叫んでしまった彩音に一瞬驚いた顔をした後、公孝が穏やかに微笑む。幼馴染が微笑むだけで何故自分がこうも混乱してしまうのか判らないままそっぽを向いてしまうのも躊躇われ顎を引いて身構えてしまう少女の身体をふわりと抱き上げ、青年がベッドへと運びそのまま腰を下ろす。膝の上に横抱きに座らされた彩音は至近距離から見上げるこそばゆさに遂にそっぽをむいてしまうが、そんな少女に青年はくすりと笑う。
「お付き合いなら、していいのかな?」
 だが既に結納まで話が進んでいるのではなかっただろうか?と疑問が沸くのだが、心の整理が追い付かない少女は自分を追い詰めない様に穏やかに話しかけてくれているであろう青年をちらりと見る。この二日間を考えれば段階を踏んでとは到底言えない状態になっているが、ここからまずはお話などのお互いを知る付き合いから仕切りなおすのも『あり』なのかもしれないと考え、彩音は小さく頷いた。
 大人の異性との付き合いと言うのはどの様な感じなのだろうか。公孝の仕事後にデートを重ねるのは時間的に遅くなり親はよい顔をしないかもしれない、そうなると週末に…。奇妙な気恥ずかしさを覚えながらぽつりぽつりと今後を考える彩音は自分を柔らかく抱き締める公孝の腕にびくっと身を強張らせる。
「公孝……?」
 この二日間外出時を除けば下着すら身に着けていなかった為、今彩音が着ているバスローブの内側は下着すらない、その滑らかな布をするりと肩から落とそうとする青年に少女は慌てて身を捩ろうとし、困惑しながら見たその嬉しそうな表情に頬を染めた。
「じ、時間切れ!チェックアウトしなきゃ……!」
 頬に優しく口づけてから何度も唇を這わせ首筋へと滑らせていく青年に少女の胸が早鐘を打つ。明るい昼間に肌を重ねてはいるものの何故か恥ずかしさが増している気がするのは何故だろう。
「チェックアウトまであと一日ある」
「一日…?え?何で…?だって、三日って話で……」
「今日はまだ日曜で、三泊三日だからあと二十四時間近くある」
「え?あ、れ?え…え……?」
 するりと肩から落とされるバスローブを辛うじて胸に抑えて留まらせる彩音の身体をベッドに横たわらせて覆い被さる公孝に少女は瞬きを繰り返す。
 軽くドライヤーで髪を乾かして整えてはいるもののまだ湿り気の残っている黒髪が幼馴染の額にかかり、大学での知人達とは異なる社会人ならではの落ち着いた大人の色香を漂わせていた。今はルームサービスに対応する為に服を着ているが、その身体が思いの外逞しいのも判っている…その胸板や腕の感触を思い出して一気に顔が熱くなる少女に覆い被さった青年がそっと唇を重ね、そして優しく舌を口内に差し入れてくる。んっと小さな声を漏らしてしまいながらそれを受け入れる彩音の身体をベッドの上で抱き締めるその手が背筋を這う。二日前までは互いに異性を全く知らなかったとは思えない程彩音が反応してしまう場所を心得ている指が楽器をつま弾く様に動き、バスローブを穏やかに剥ぎ取り乳房を揉みしだく。
「ぁ…ぁ……っ!」
 柔らかな優しい指遣いの度にむず痒い甘いもどかしさがじわりと水の波紋の様に肌に残り、彩音はベッドと幼馴染みの間で身を捩る。何かがおかしい。この二日で淫らな行為を教え込まれ徐々に感度が増していっている気はするが、まるで蛹が蝶へと羽化するみたいに何かが根底から変質していた…男の行為の一つ一つが腰の奥や頭の芯に響く、まるで大きな鐘の中で反響に翻弄されているかの様に。
 身体が蜂蜜の様に溶けていく、心臓が破裂しそうな程騒いでいる、消えたくなる位の恥ずかしさの中相手の名前を繰り返し呼ばずにはいられない、一つになって滅茶苦茶に貪られたいと蜜壷が強請っている。愛撫が嫌いなのではない。ただ、欲しさが全てに勝ってしまっていた。それなのに怖い。処女喪失の時の密かな怯えかそれ以上の緊張と興奮に少女は首を振りたくり、男の身体に縋りつく事も出来ずにシーツを握り締める。
「彩音……?」
「変なの…急に全部何倍にもなったみたい」
「……。怖い?」
 まだ服を脱ぎきってはいない青年の手がそっと少女の額を撫でた。
 我慢してくれと言えば恐らく止めてくれると思いながら、少女は首を振る。まるでオーディオの音量が急に大きくなったり、モノクロームの風景がカラフルな色彩に変わった様な衝撃に後込みしてしまうが、青年を拒むつもりには一切なれない。逆に止められてしまえば切なさと淋しさで泣き出してしまうかもしれない。何故フィルターがなくなってしまったみたいな…そう考えかけ、彩音は変化の原因に気付く。
 自分自身の気持ちだった。
 愛人などと金銭問題を意識して仕事みたいに考えていたその条件が根本から変わってしまっている。確かに親の企業や入院の援助は変わらなくても、この青年は自分を愛して抱こうとしているのであって、そして少女も愛しい男として受け入れようとしており、心の痼りがなくなった今、彩音は剥き出しの恥ずかしさと戸惑いに怖じ気付いてしまう。
「恥ずかしい…の……」
 ぽつりと囁き見上げる少女に、青年が一瞬驚き、そして愛しげに微笑んだ。
「可愛いな、彩音は」
 額に口付けた後、頬や鼻に軽い接吻を何度も繰り返して抱き締める青年に彩音の顔が真っ赤に染まる。あまりのこそばゆさに甘えた逆上のまま文句を言おうとする度に唇を塞がれ、濃厚な接吻で舌を絡め取られ、言葉を封じられるがままに貪られる。ベッドの上でもつれる身体に、彩音の膝を割る青年の腰が重なり、にちゃっにちゃっと淫猥な粘液の音が鳴る場所に押し当てられている布越しの熱く滾る長大な怒張に更に愛液が溢れかえってしまう。
「いやらしい音立てている」
「公孝のも…混ざってる……っ」
 僅かに拗ねながら反論する少女を見下ろしながら微笑み、青年が粘液で汚れたスラックスの前を寛がせ、重ねて擦り付けていたその感覚そのままに天へと勢いよく反り返るモノを露出させた。どくりと全身が脈打つ感覚に思わず顔を逸らす彩音だが意識はそれへ向けられたままで決して離れない。もう仕事でも何でもない、身分の差などはあっても、愛し合う男と女なのだと考えてしまうとそれが途轍もなく怖いモノに思えてしまう…それと同時に愛しいとも密かに感じてしまう自分自身に、彩音は竦む。
「部屋…暗くして……」
「ごめん。俺は彩音を見たい」
「意地悪……っ」
 角度を合わせ膣口に傘をめり込ませる公孝に彩音は無駄に手を振り上げ叩く真似をしかけ、宙で両の手首を捕らえられる。自分の手首を軽々と掴みまだ余りある大人の異性の手の大きさにどきっと胸が高鳴り、軽く身を起こして自分を見下ろしている青年と拗ねた顔のままの少女の視線が絡み合う。
「……。大切に…してくれる?」
「誓う。彩音より大切なものは、昔から俺にはない」
「それなら…、お嫁さんに……なってあげる」
 教会でもない。掃除は入っているものの二日間ひたすらに房事に耽っていた寝室の寝乱れたベッドの上で、陽光の差し込む中、バスローブを肌蹴させられ服装は乱れた状態で、膣口に傘を軽くめり込ませた状態で、青年が胸が痛くなる程真摯で幸せそうな微笑みを浮かべる。何もない自分にこの大人の異性に捧げられるものがあるのだろうかと思いながら、少しだけ上半身を浮かせ彩音は一瞬だけ自ら唇を重ねた。
 気恥ずかしさに顔を背けるより先に青年の唇が彩音のそれに重ねられる。何度も繰り返されていた様に貪る動きではなく優しく嫋やかに重ねられているそれが暫く続き、そしてそっと離された。
「愛しているよ。彩音」
 静かな寝室に溶けていきそうな穏やかな囁きの後、今度は濃厚なむしゃぶりつく様な深い接吻を長い間続け、そして青年が腰を遣い膣口に当てていた傘を愛液を溢れ返させている牝肉へとゆっくりと沈み込ませていく。

 身体中が汗に塗れていた。
 ぐちゃあっと淫猥な音を立てて長大な幹が引き戻されていく結合部は撹拌され続けている愛液と精液がクリーム上に塗り込められ、斜めに射す夕日の中激しく貪り合う男と女の情欲の汗に濡れた身体をぬらぬらと滑らせる。声をあげすぎて時折苦しげに声を掠れさせる度にジュースを口移しに与えられるものの、少女には全ての水分は喉の潤いではなく性交の汗と涙と愛液になってしまっている様な気がした。火花がひっきりなしに爆ぜ、執拗に繰り返し与えられる絶頂の果てに失神してはまた貪られる。
 青年が底無しなのは判っていた筈だったが、その認識は甘かった。
 底無しの上、とても、とても彩音を可愛がる…休みを与える間も、手放さない。
 大人の男の大きな手が彩音の乳房を揉む。まるでパン生地や粘土を捏ねる指を沈み込ませ互いの汗を染み込ませるかの様なねっとりとした動きと力加減が、精液と愛液にどろどろに塗れているクリトリスを舐る事すら厭わず寧ろ愉しげに音を立てて啜るいやらしさとその刺激が、激しい腰の動きを補う抱き締める腕と胸板…大人の異性の引き締まった逞しい身体が、彩音の戸惑いを強引に削ぎ落としていく。二日間に十分覚えた筈の男と女の情交よりも深く淫蕩に貪り合い睦み合うものへと変えていく。
 んっんっと微かに声を漏らしながら男の腰の上で彩音は腰を振る。豊かな乳房がたぷんたぷんと大きく揺れるその先で硬く尖りきった乳首を、男の指が摘まむ。鴇色なのは乳首だけではない、乳房中、身体中に男が吸い付いた痕が無数についている。恥ずかしいのは変わらないが、何故かそれが誇らしい。喘ぎながら少女は仰け反りながら、腰を振る。とても大きくて逞しいものが膣奥までずっぷりと貫いている。恐ろしい位で、苦しさは変わらないまま、愛しさが募っていく。一生、これを充たせるのは自分だけ、自分を貫くのはこれだけ。愛人等と考えていたが浮気出来る程器用な人ではないと、今では判る。何年も自分を待っていてくれていた…こんなに立派で凄いものが。
「公孝…すき……ぃ……っ」
 ぐいと身体を押されたと感じた彩音の身体を器用に操り、結合部から肉棒を引き抜ききらないまま青年はベッドの上に少女の身体を四つん這いにさせ、ずぶりとまた深々と貫いた。濡れた腰を打ち付け合う激しい打擲音が鳴り響き、膣奥をがつがつと打ち据える傘の切っ先にシーツに顔を埋める彩音の口から悲鳴に似た嬌声が迸る。腰を両手で抱え込まれ荒々しく揺さぶられるのも素晴らしいが、両の乳房を掴まれるのもよかった…何もかもが彩音を手放すまいとしている。青年は後背位で犬の様に噛み痕を付けるのですら執拗で、そして狂おしい熱が籠っている。
 彩音はまだこの時気付いていなかった。
 自分の爪が青年の背中に血が滲む程の傷を幾つも作っている事に。そして傷を付けられる度に、相手が苦痛に僅かに眉間に皺を寄せながら愛しげに自分を抱き締める腕に更に力を込める事に。
 来て、叫んでいた言葉が意味を成さなくなり牝の獣の様に鳴き狂うのもやっとになってきた頃、背後の青年の呼吸が荒いものへと変わっていく。楔を打ち込む様な大きな動きで膣奥に傘の先端を突き立てる身体から、エアコンで補われてもまだ性臭が濃厚に漂う空気に汗のにおいと湿り気を孕んだ熱気が立ち上る。既に互いに醜悪とは感じる事のない性器がぬらぬらと照り、長大な幹を全体で使った大きな抽挿の度に太い径そのままに限界まで広げられている鮮やかな鴇色の膣口と窄まりの辺りの女性器全体が肉食獣の咀嚼の様にぐびりぐびりと痙攣を切り返す。その奥で、達している少女の牝肉が限界まで圧し広げている様な青年の男根を絞り上げ、突き入れられる傘を自ら貪り膣奥へと引きずり込む蠢きを繰り返す。
 そんな牝肉を捩伏せる様な激しい抽挿が幾度も繰り返された後、少女の腰を力の限りに押さえ込み限界まで肉棒を深々と突き立てた青年のものが大きく脈打ち、精子を夥しく含んだ精液がどぷりどぷりと少女の膣奥に迸る。まだ幼さの残る綺麗な色合いの粘膜と、赤黒い幹とその下の袋が独立した生物の様に重なったまま脈打ち、少女の絶頂の甲高い嬌声が途絶え、青年の荒々しい呼吸が落ち着き、牡と牝の身体がベッドに沈み込んだ後もその結合は解かれる事はなかった。

「――信じられない」
 口を尖らせている少女は漸く座る事の出来た車の助手席で婚約者を睨みつける。
「そう言われても。こちらも童貞だったと前もって伝えたし」
 あれからほぼ二十四時間睡眠と食事の時間以外は情交に溺れていた結果、彩音の腰はまるで重傷者の様な摺り足も覚束ない状態になっていた。同じか、いや確実にそれ以上の運動量があった筈の青年の両腕で抱き抱えられて母親の病室の前まで移動しての見舞いは、少女にとって居心地の良いものではなかった。その上、十何年振りかで会った筈の母親と青年は何故か打ち解けており、無数に付けられた唇や歯の痕やホテルを出る間際まで続いた行為に性臭がまだ抜けてはいないのではなかろうかと気が気でない少女はすっかり取り残されてしまっていた。病室の椅子に腰かけていても膝が震え内腿が急に痙攣してしまう上に退出しようにも腰に力が入らなかった情けなさを思い出し、手加減を出来なかった弁明をしているらしい公孝に、彩音は更に膨れる。
 童貞だったと言いながらも荒淫をものともしない涼し気な態度も体力も、まだ社会人としての年月も浅い青年が乗り回すには高級な外車も、見舞いに合わせたスーツ姿も、自分にはやはり不釣り合いな存在に思えて不安定になりそうな少女の手を恭しく取り、その左手の薬指に光る指輪に青年は口づけた。
「無様な所は見せられないよ」
「私が無様なのっ」
 病室内だけではあったが、だからこそ母親には見せたくなかったみっともなく腰の引けた摺り足姿に向けられた笑みを思い出し、彩音は公孝から顔を逸らす。ホテル内ではそこそこ砕けていた装いは今は挨拶に合わせて隙がなく、その落ち着いた佇まいが少女を更に拗ねさせた。
「……。次は、いつ会えるの?」
 愛人などと考えていた時は青年が訪れるのを待つ人生の始まりかと思っていたが、自由になれるとそれはそれで不安になるものなのかもしれない。気付けば何も知らない。何処に住んでいてどの様な日常を送っているのかも、何が好きで何が嫌いかも。
「本当はもう連れて帰りたいくらいなんだ」
 困った様に微笑む婚約者に、病院の駐車場からまだ発進していない車の周囲に誰もいないのを確認して、彩音は瞳を閉じて相手へと少しだけ顔を突き出した。

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