2016梅雨時ご挨拶その1『匠君、将来の義姉を見に行く(仮)』(『絶対温度』より)

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 自分で言うのも何だが小銭持ちのボンボンと言うのはタチが悪い。
 親父の再婚が決まった時に一番最初に考えたのは、金目当てと年甲斐もない政略結婚のどちらなのだろうかと言う老いらくの浪漫もへったくれもないものだった。老いらくと言っても親父はまだ壮年と言って差し支えのない程度の年齢であり、そして精力は現役そのものである。早くに妻を亡くした後は浮き名を流しまくった男なので隠し子が半ダース突然湧いても驚きはしないつもりなのだが、その辺りは思いの外しっかりしていたらしい。父一人子一人の温かな家庭などでは当然なく男としての先輩後輩のガチな教育のお陰で俺には家庭への幻想は基本的にない。
 そんなある日突然湧いた結婚話を疑わない方がおかしい。――だが聞いてみれば身体の相性だときっぱり返答され、成る程この男らしいと妙に納得し、そして疑心はささやかな興味に変わった。相手はどんな女なのだろうか。流石に具合を確かめようとは思わないが、聞けば未亡人の母子家庭、親父と後妻の行為はどうせどこかで見てしまうだろうから大学生にもなって初めて出来る義姉とやらを事前に見てみようと考え付いた。
「……。金目当ての線を疑われても仕方ないな、これは」
 高度成長期からのベッドタウンの町の古びたアパートを見上げて俺は思わず唸る。刑事ドラマでしか見かけない玄関脇の廊下に置かれた洗濯機、恐らく風呂は近所の銭湯を使うのであろう家賃月四万七千円の2K。
「こんにちは」
 それでも空室がないのが妙に新鮮だった。集合ポストの表札を確認していた俺は背後からかけられた声に振り向く。
 染めたものではない柔らかそうな焦茶色の髪を軽く纏めた美容院いらずの髪、洗い晒しのジーンズとシャツ、中学のクラスで三番目の美人だが永久三番止まりのパターンであろう派手さのない顔立ちで人懐っこい笑顔で挨拶したのは将来の義姉だった。恐らく相手は俺が将来の弟だと知らない。清潔感はあるが清貧と瞬間的に思える質素さだが意外と身体付きは悪くない。
「こんにちは」
 軽く会釈する俺に微笑んだ後、するりと横を通って歩く足元はサンダル履きに片手に蝦蟇口財布。見るからに買い物らしい姿を俺は尾行してみる事にした。柔らかな明るい声が耳に優しく、不思議と好感が持てる。

 好感が持てたが馬鹿なのかもしれない。
 夕方のスーパーでチラシを持っているのに商店街で商店を含め何軒も回った後に特売の二十キロの米とエコ袋満配の食品にトイレットペーパーを手に満足そうに歩いている将来の義姉を俺は遠巻きに見ていた。何と言うか女子大生の華やかさが欠片もない上に、米などスーパーの宅配サービスを使えばいいのにたかが百円でも節約したいのか細腕をぷるぷる震わせつつもにこにこ喜んでいる姿がどこか間抜けである。
 荷物を持ってやるのは吝かでないのだが相手はまだ俺の存在に気付いていないのだから不審者扱いが関の山だろう。重そうな荷物を手に歩く後ろ姿を眺めながら、予想外にいい腰付きに思わず目を逸らす。
 姉と言うのはどんな存在なのだろう。こちらも相手ももう社会人寸前であり今更犬猫の姐弟の様なじゃれ方をする事はないであろうし、財産に関しては爺さんが死ぬ前からしっかり税金対策や生前贈与も済ませてあるから基本的には困らないレベルには達している。今更勉強を教わる年齢でもないし偏差値はこちらの方が正直高い。同級生の女の様に扱うのは流石に問題があるだろう。
「――わ」
 信号待ちの間ちらちらと気にしていた相手に声をかけた将来の義姉に俺は思わず呻く。大荷物持った老人に声をかけ、既に満杯の荷物を片腕に抱えてもう一方の手で老人の荷物を持って自宅とは反対方向へ歩き出す姿に、やむを得ず歩を進める。
「荷物持ちますよ」
「あらあら御親切に」
「え?」
 どう見ても限界の米袋と老人の大荷物をやや強引に預かり俺は前を歩く二人を観察する。まるで自分の親戚の婆さんと話す様な楽しげな様子で息子一家の家での楽しい土産話を聞いている義姉候補は、老人特有の繰り返しの多い話も本当に楽しく聞いている様だった。田舎まで荷物を運びかねない嬉しそうな横顔を俺はじっと見る。
 新幹線まで送る覚悟を決めたが、最寄り駅で老人の後ろ姿がな見えなくなるまで送ったお人好しがくるりと振り向いて深々と一礼した。
「お婆さんのお孫さんかと思いました」
「それなら『御親切に』はおかしいね」
「確かに。でも本当に親切ですね」
 屈託のない笑顔で俺を見上げる義姉予定に、俺は米袋を持ったまま来た道を歩き始める。
「え?あの、もう大丈夫です。お米自分で持てます」
「持つよ。腕、結構辛そう」

 人懐っこい笑顔が不意に曇ったのは駅前の交差点の信号が変わった直後だった。
 前方から歩いてくる同年代の男女の男の方が彼女を見た瞬間ぎょっとして気まずげに視線を逸らしたが、その腕に絡み付く恋人の方は幸運にも男の人間関係に気が付かなかったらしい。立ち止まり男女がすれ違っても動けずに俯いていた義姉予定に、信号は赤に変わった。
「……。俺は貴女の方がいい女だと思うよ」
「ありがとう。でも今の人、綺麗だった」
 少し泣き出しそうな顔に頭を撫でてやりたくなる衝動に駆られながら俺はすれ違った男女を一瞬思い出す。
「声とか。親切なところとか、ネイルに凝るより家庭的なところとか、他人の小さな幸せ話根気強く聞いて自分の事みたいに嬉しそうに笑うところとか、いいと思う」
「ありがとう」
 こちらを見上げた泣き出しそうなままの笑顔に、俺は彼女を抱きしめたい気分になった。
 義姉と言う存在はどう扱えばいいのか判らないままだが、少なくとも目の前のこの彼女は好意に値するし保護欲に駆られるし……。
 どくんと身体の奥が唸った。
 女としての可愛がり方なら知っているし、その方法で、手に入れたいと、今思った。

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