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匠の「甘辛放談」


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<目次>


第二十二回「梅干しの味」

第二十一回「奉仕と強制」 
第二十回「偽善者」   
第十九回「嬉しくてやがて哀しき春の雪」 
第十八回「いい加減にしろ!!大甘 少年法」  
第十七回「事実と真実」     
第十六回「ガンバレ 日本!!」 
第十五回「父帰れ!!」<後編> 
第十四回「父帰れ!!」<前編> 
第十三回「梅雨時の楽しみ方」 
第十二回「今だからお話しできます」
第十一回「目には目を・・・・・」
第十回 「Going On Seventeen」   
第九回 「街の 灯」  
第八回 「御犬様が通る」      
第七回 「親達よ!教師達よ!子供達よ!」
第六回 「Y2Kはまだ終わってない!!」 
第五回 「嗚呼!! ハッピーマンデー成人式」
第四回 「真の豊かさとは?」  
第三回 「師走百景」 
第二回 「本当のブランドとは?」  
第一回 「下町商人の独り言」 


























第二十二回「梅干しの味」

しかし暑い!!

夏だから暑いのは当たり前ですが、それにしても暑い、暑すぎる!!

一体、30℃以上の真夏日は何日続いたのでしょう。

考えてみますと、今年は梅雨らしい梅雨を経験せずにいきなり夏真っ盛りになってしまったような気がします。

勿論、日本全体を考えれば、それなりに梅雨を感じるところはあったんでしょうが、関東圏に住んでいる私にとっては、西日本各地に降った豪雨のニュースを聞いても何故かピンときません。

やっぱり、少しづつ、地球全体が異常気象に陥っているのでしょうか。

私達の八百屋業界にとって「梅雨」のメーン・イベントと言えば、まさに、読んで字の如く「梅」の販売です。

梅干し、梅酒、梅ジュース、梅シロップ、梅ジャム、カリカリ梅、等々、家庭における「梅」の存在は、近年の健康志向ともあいまって、すっかり定着してきました。

しかし、この数年、全体の消費量の伸びとは裏腹に“自家製「梅加工」”においては、はっきりと陰りが出始めて来たのです。

「梅酒」を例にとってみれば、多くのお客様が異口同音に「何年も前に造ったものがまだある」とおっしゃいます。

昭和30年代の前半、それまで統制品として個人が酒類を製造することは禁じられていたものが、果実酒に限っては一部許可されました。その年から、一大果実酒ブーム(特に梅酒)が巻き起こったとされています。酒屋さんで買ってくるより、かなり安価で梅酒を楽しむことが出来た時代でした。

ところが、現在ではコンビニで、数多くの酒造会社から販売されている「梅加工酒」が、いつでも手に入ります。それも家庭で造るより安く。

おそらく、そう遠くない将来“自家製梅酒”は一部のマニアだけのものになるような気がしてなりません。

しかし「梅干し」は別です。

自家製の酸っぱくて、しょっぱい梅干しは残さなければなりません。

なぜなら、最近特に、梅干し業界に許しがたい堕落が起きていると私は思っているからです。

ハチミツ入り梅干し、減塩梅干しの出現です。

ハチミツ入り梅干しなど、甘いんだかしょっぱいんだか酸っぱいんだかわからないので、気持ち悪くて食べられたものではありません。

別の名前で売り出す新食品というなら許せますが、あれを梅干しといって欲しくはありません。少なくとも、私は認めません。

そもそも、ハチミツ入りや減塩の梅干し、甘くないケーキなどは、すべて最近のいじましくて、ずるがしこい世相や人間の態度を反映しているように私は思っています。

つまり社会の誰からも悪く言われたくないのです。

酸っぱいというのは一種の“激烈さ”です。それが梅干しの使命なのです。その力によって殺菌が出来たのです。コレラも梅干しがあれば怖くなかった。

しかし、目的が明快なものは、一面で欠けるところが出てきます。

それが怖くて特徴まで無くそうとするのです。

だから「地球に優しい」人や「部下にやさしい」上役ばかりが求められ、ついでに酸っぱくない「舌に優しい」梅干しや、「高血圧でも食べられる減塩」梅干しが出現するのです。

酸っぱさや塩辛さが身にしみる商品があった時代には、人々は誠実で正直でした。

ガミガミ親爺は自説を曲げず、自分の店の商品の質と伝統を一生かかって守り抜く頑固一途の商人がいました。

誰にでも合うことを売り物にするフリー・サイズの衣服は、つまりは、誰の体型にも合わないという鉄則があるように、誰にでも食べられるようにした加工食品というものは、最初から誰も本当には好かないのです。

ケーキは甘いからケーキなのです。

うまいという字は漢字に直すと、「美い、旨い、甘い」と三通りになります。

甘くないケーキはうまくないのです。

反対に、多くの醤油は塩味が足りません。約束違反という感じです。

怖くない父親も偽物の一つでしょう。同様に全く料理をしない母親も、どこか怪しい感じがしてなりません。

偽物に囲まれていては、子供達が人生の目を養えるわけがないのです。

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第二十一回 「奉仕と強制」


総理大臣の諮問機関である「教育改革国民会議」が過日、答申を出しました。

その中で、学年・年齢に応じた奉仕活動を義務づけるという一項が設けられていました。

それに対して「義務づける」とは何ごとか、奉仕とは全て「自発的」でなければならない、という批判記事が、日本人の平和主義と良識の証(あかし)とでも言わんばかりに、有力な新聞数社の社説に掲載されていました。

私にとっては大変な驚きであり、落胆でもありました。

私も、全ての勉学や人生における選択は自発的なものでなければならない、という姿勢に基本的には賛成です。
しかし、戦後五十五年間、教育が自発的に健全に推移するのを待ったその結果、教育の崩壊は極限に達してしまったのです。いつまで自発的教育の結果を待てと言うのでしょうか。

学校教育に関しては、そろそろ“自発的”などという“幻想と甘え”に対して考え直す時期が来ているのではないかと思っているからです。

だからと言って、私は徴兵制をすぐにやれと言っているわけではありません。

世界中で、多くの国が徴兵制度を取っており、息子や娘をその制度に送り出して、人が変わったように自立の精神ができて、見事な青年になって帰ってきた、というような話は度々聞いた事はありますが、今、日本で軍事に役立つ若者を養成する必要はどこにもありません。

しかし、私はあらゆる国民が、自分の体力や才能に応じて、同胞の為に働ける心構えと体力を保っていることは当然であり、大切な事だと考えているのです。

自分で言うのもなんですが、私は日本国にかなり多額の税金を納めてきたつもりですが、安全・教育・医療・交通機関などで恩恵も受けてきました。「恩恵じゃない、それが当たり前」という人がいますが、世界中の多くの国では、そんな甘い事は全く信じられないほど国民を放置しているのが現状なのです。

義務教育をうたいながら公立学校の教師の給料も払わず、救急車は金が無ければ乗れず、犯罪事件の殆どは解決される事は無く、金持ちほど税金を払わず、母子家庭にはなんの手当てもない、という国がアフリカや南米ではいくらでもあるのを御存知でしょうか。。

私は、日本国家に心から感謝しています。国家に感謝すると、それは徴兵制度につながる、というのは、手垢のついた老人の発想と言うべきです。

いつまで同じ型の発想を繰り返していれば済むのでしょう。私達は、半世紀前とは、かなり違う社会の進展を実際見てきたのですから。

奉仕とは一体なんでしょう。

一言でいえば、奉仕は人に仕えることです。

過去の歴史を振り返れば、奴隷制度を含め、弱者が強者に仕えて来たといっても良いでしょう。
しかし、奉仕は本来、強力な者にではなく、弱い人に仕えるのが本質です。

現実には、この高齢化の時代に向かって、日本という国家を経営していくのに、手薄なところを支えていく人手が否応なく必要となっていくことでしょう。そうした人間的ないたわりや必然に、ある程度、若者達を(もちろん壮年・高齢者も進んで加わるべきですが)動員する事をまるで悪事のように言う日本人がいる事が私には信じられません。

私の育ったごく普通の庶民の道徳の中では「人さまのお役に立つこと」は光栄ある仕事だったし、今でも変わる事はありません。ごくささやかではあっても、自分の事をする以上の余力を差し出すことができるという状態は、むしろ可愛い誇らしさのあるものだと受け取られて来たものです。ですから、商店街や町内会の有力で元気な旦那衆は積極的に自分が先頭に立って町を掃除し、防犯に協力し、お祭りを仕切って人々を楽しくさせる努力をしてきたのです。

しかし一部の人達は、国家が我々にすることは当然であって、それにいちいち感謝したり、国家にお返しをするという発想を持つことはありません。

「国家」という存在を擬人化して悪役のように扱っていますが、「国家」という人はどこにもいないのです。

つまり、国家は私達の同胞、友人、知人の事なのです。その人達の為に、奉仕を義務化、制度化することに反対なのが前述した有力新聞A紙やM紙の「良識」なのです。

してもらうだけで、自分からは何もしないことを、“乞食根性”だと親から教わってきました。今回の奉仕活動義務化に反対する人のほとんどが、手を汚すような奉仕活動を経験したこともなく、常に、何かをしてもらうことしか頭にない人に思えて仕方がないのです。

学生時代、私が読んだ或る左翼的な教育雑誌には「社会の役に立つような人間を作ることは、資本主義に奉仕するだけだ」と書いてありました。それとは対象的に、おととし都内のホテルに宿泊した際、枕もとにあった聖書の中に「受けるより与える方が幸せである」という箇所を読み、いたく感銘した覚えがあります。

この聖書の言葉は決して特別に高級なものではないと思います。むしろ、私達平凡な人間の最も初歩的な「幸福の心理学」と言えるのではないでしょうか。

多くの病人、高齢者、定年退職者の不幸は、与える機会を失うことによって、自己の存在意義を周囲の人達や社会に対して見せられなくなったからだと思うからです。

与える機会のない若者は、いつまでも自信をつけられないから大人になれないのです。荒れる若者も、引きこもりも、全てとは言わないまでも周囲の大人が彼等に「与えて」ばかりいて、「与えさせる」機会を奪っていたからなのではないでしょうか。

だから気の毒に、彼らはずっと大人になれなかったのです。

どこの国でも、どの社会でも、子供の教育は初めは全て強制から始まります。

挨拶や簡単な生活のルールも理由なしに頭ごなしに教えます。また、多くの家元の跡継ぎたちは、六歳の六月六日に稽古をはじめるといいます。

六歳の子供が心から稽古始めを望むとは思えません。

よほど天才的な子供だけが自分からバイオリンを欲しがり、いつも弾くようになりますが、普通の子供は、なかば強制的にさせられて、やっとその面白さを発見するのです。

どの場合も強制と義務の観念が始動力となり、やがて納得と自発が伸び伸びと取って代わるのです。それが自然な教育の姿です。

私自身の体験を考えれば、私は小学校四年生の時、母親の強い勧めで「書道」の教室へ通わされました。お稽古日は週二回、土曜の午後と日曜の午前中。

遊びたい盛りです。

どうにかして行かなくて済むような理由を考えたり、仮病を使ったりと駄々をこねましたが母は絶対に休ませてはくれませんでした。ところが、半年、一年と通ううち、先生に上達を誉められたり、昇級試験に受かったりするうちに、だんだん自分でも面白くなってきたのでした。

良き師に恵まれたこともありましたが、最終的に書道会認定の六段にまでなり、以後、現在に至るまで、毛筆を使う場面で気後れすることは全く無くなりました。

お客様のお名前を入れる進物用の熨斗紙(のしがみ)、冠婚葬祭に際しての芳名帳への記入等々。

本当に心から母には感謝しております。

もう一度整理しておけば、すべての教育は強制と義務感で始まっているということです。「奉仕」を義務付けることはいけない、というのは、私が以前読んだ「役に立つ人を作るということは資本主義に奉仕することだ」という考えと全く同じ体質を持っているように感じられて仕方ありません。

「義務」はいけない、と一部の“進歩的?文化人”はいきり立って言いいます。

しかし幼い時期に、生活を背負って立つような義務が無かったから、子供たちは生活から遊離した“馬鹿お坊ちゃま”“馬鹿お嬢ちゃま”に育ったのです。

昔の子供たちは、兄弟の数も多かったし、生活がそんなに便利ではありませんでしたから、普段の暮らしの中にも彼等が義務的に働かなくてはならないことがありました。

門の前を掃く事、弟妹の子守、農作業の手伝い、井戸からの水汲みなど、子供の年齢や体格を考えた義務的な仕事は必ず割り振られていたものです。

それらは「嫌な仕事」ではありましたが、その中から子供たちは大人の世界を学んだのです。人間は、したいことから多くの才能を伸ばしますが、同時にしたくないのにさせられる中からも自己を創っていくのです。

以前は私も奉仕活動はしたい人だけがすればいいという考えでした。

ところが、海外勤務になった友人家族の、何の体験もない娘が、学校からボランティア活動に連れて行かれて、「行ってみたら面白かったよ」と言った話は大変印象深いものがありました。
無理やりに、というほどではないにしろ、義務的に連れて行かれて、そこで面白さを発見したという、よくある人生体験です。

つまり、したい人だけというボランタリーな自由を残すと、すでに意欲のあった子だけがすることになり、ポックリシューズをはいて、ヤマンバ化粧をし、渋谷界隈をほっつき歩いているような子供たちはどうしてもその貴重な体験をする機会を失う事になります。

第一、ヤマンバ娘たちが、必ずしも優しさや奉仕の気持ちを持っていないというわけではありません。むしろ奉仕の現場へ連れて行ったら、彼らや彼女らこそ優しい気持ちを持っていることが証明されるかもしれないのです。だからこうした子供たちを「からめとる」ためにも、義務化は必要だと考えるようになったのです。

もちろん、何の経験もない若者に老人ホームのおむつの世話をさせればいい、と言っているわけではありません。仕事にはそれぞれ、いささかの技術や体験が必要です。それを考慮しなければ大混乱が起きてしまいます。

ですから子供たち、若者達には年齢に応じて、未経験でも通用はするが、少しだけ辛い仕事と生活をさせるのが目的なのです。

つまり、奉仕期間中には個室がなく、暖房はあっても冷房はなく、テレビとケイタイが許されない暮らしを体験させるのです。

掃除も洗濯も皿洗いも一応体験させ、自分が口にするものが、どのようにして運ばれ調理されるのか、一部を知る仕組みも置いておかなければなりません。

仕事とは、少しだけ暑く、寒く、辛く、重く、疲れるものだ、という事を知らせなければならないと考えているのです。

その仕組みを作る事が大変だ、という人がいますが、大変だからしないと言っていては何もできません。他の国では、徴兵制で、軍事教練さえ行える体制を作っています。それができるのなら、奉仕活動の仕組みくらいできない事はありません。

それが嫌で自殺する子が出たらどうなるのか、という声もあります。

しかし、奉仕を義務化しない今でも、自殺する子、いじめで殺される子、犯罪に巻き込まれる子は、これほど多くて大きな社会問題になっているではありませんか。

辛い体験をする事のメリットは実に大きいものです。間違いなく人間はそれで自信をつけます。

怖いものが完全に無くなりはしませんが、少なくとも少し減るのです。

一晩でも戸外で野宿を体験した人なら、この地球上の大地すべてが寝る場所でありうることを自覚するでしょう。星や月が自分一人の天井を覆う飾りに思える贅沢を知るのです。

そして、その時以後、学校や駅や空港などの建物の床に寝させてもらうなら、それはごつごつの大地に寝るのとは違って天国の幸せだ、と思うようになるのです。そういうことが、現実的な人間の精神に解放をもたらすのではないでしょうか。

それでも強制はいけないとおっしゃいますか?

義務も嫌なこともさせず、若者達に自発的にしたいことだけさせた結果が今の社会の姿です。電車の中でも、テレビの画面でも、レストランでも、教師に生命の危険を覚えさせるほどの荒れた教室でも、私達はいくらでもその結果を見てきました。

もう、大人として、ことなかれ主義は「悪」でしかありません。目を見開き、耳をすませ、声を大にして一人一人が行動を起こす時なのです。

そして、絶対忘れてはいけない大切な事があります。

最強にして最高の教育者は親であり、家族である事を。

社会がやらなくとも、教育だけは家庭が補えるのです。嫌なことはできないという子供は恐怖そのものだし、彼らに未来はないと思うのですが、そういう教育の「良識」なるものが放置した部分でさえも、実は家庭で補うことはできるのです。

“愛する我が子”が“愛される我が子”になるために・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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第二十回 「偽善者」


三月一日付けの朝日新聞の投書欄(東京本社発行分)に、公立学校教員・平井慶造(神奈川県、57才=仮名)という方の投書が載っていました。

この方の勤める学校の職員会議では、先日、四月の入学式の式次第についての話し合いをしたのですが、出席していた五十人くらいの教職員は全く黙ったまま。

校長は国旗を掲揚し国歌を歌う事にすると言い、それを皆が無言で承認したそうです。

理由は、式次第は「職務命令」で、それを「妨害するものは処分する」と言われたからだったといいます。

「学校は、子供たちを次の主権者として育てる場であり、民主主義を学ぶ場だ。『命令』と『処分』による学校運営からは、民主主義が育つはずが無い。職員にとっても、職員会議に出る事がむなしく、苦痛さえ感じられるようになることが心配だ。学校では今、教職員がここまで追い詰められている」

とこの人は書いています。

私は地球上にある全ての国を見たわけではありません。せいぜい十五カ国程度にすぎません。

しかし、何か行事があるたびに、国旗がはためき、国歌が吹奏されない国を見た事がありません。面白い事に、アメリカやフランスも国旗と国歌が始終登場しますが、ロシアや中国ではもしかするともっとしばしば登場するのではないでしょうか。

北朝鮮に至っては、行ったことは無いのですが、写真だけ見ても必ず金正日総書記のお姿の後ろには国旗があると記憶しています。

世界の国々の中にはいまだに王室あり、専制的な色合いの強い大統領あり、党員が特権階級を造っている国あり、閣僚や官僚の根強い体質的汚職あり、内戦の殺し合いあり、武器を売って恥じない国あり、女性にベールをつけ続けさせている国あり、国家経済が全く破綻している国ありですが、それでも国旗と国家を否定しているところは一国もありません。

ありがたいことに、日本は国家として国民に教育、保安、衛生、交通など様々な組織が機能した社会形態を与え、日本の皇室は世界に誇るべき、禁欲的で堕落していない御家族です。

国家・国旗に関するこんな常識を長い間生徒に教えることを教職員組合が妨害して来たわけですが、やっと世界的な常識に戻せたのです。

この投書の主のように、自分達こそが子供の理解者であり、権力と闘うヒューマニストであると言わんばかりの人のことを「偽善者」というのです。

私なら職員会議で校長に対し「よかったです」と間違いなく言うでしょう。

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第十九回 「嬉しくてやがて哀しき春の雪」

おとといの土曜、関東地方は三年ぶりの大雪に見舞われました。

とは言っても、北国の人達から見れば「どこが大雪なの?」っと笑われてしまいそうな位のものかもしれません。

しかしながら、東京では積雪が5cmを超えると“大雪”と呼ばれ、15cmを超えようものなら“豪雪”となり、主要な鉄道、幹線道路は殆ど機能を停止し、大パニック状態を引き起こしてしまいます。

所詮、「便利さ」とか「華やかさ」などというものは人間の作り出した“蜃気楼”のようなものに過ぎず、日頃、自然界に対して不遜・不敬であった自分を、この時とばかりに思い知らされてしまうのです。

TVやラジオでは首都高速道路をはじめ、東名・中央・東北・関越、各高速道路の入口閉鎖箇所をぞくぞくと伝え、甲信越方面への鉄道は運行の見込みが立っていない事を、繰り返し放送していました。

そんな中、大雪警報が発令された「山梨県 石和(いさわ)温泉」に出かけた、物好きがいたのです。

一体誰でしょう?

それは、私です!!

仕入先である大田市場の所属組合が、新年懇親会を土・日の一泊旅行で行う事になっていたのです。

豪雪の「山梨県 石和温泉」で。

案の定、前もって手に入れておいた新宿発、座席指定の「スーパーあずさ」は運休。後発の特急も運行のメドは全くたっていないという駅員さんの“つれない”返事です。

そう言われても、組合の役員をしている都合上、私もあっさりと引き返すわけにも行きません。

再度、駅員さんに尋ねてみると、中央線は動いているといいます。かなりの遅れを覚悟すれば“おそらく”目的地へ着けるだろう、などと、何とも心細い限りです。

その間にも、朝の天気予報をあざ笑うかのように降り続く“ボタン雪”で、みるみる都心は銀世界になりつつあります。

そこで、ついに意を決した私は、石和温泉駅までの各駅停車の旅を選択したのでした。

仕事柄、普段電車などというものには乗った事がない私にとって、同じ車内に乗り合せた人々の服装やお喋りの内容、果ては化粧の仕方までが大変新鮮で興味深く、長時間の旅の退屈を忘れさせてくれるにはもってこいとなったのでした。

さらに、いい意味でも、悪い意味でも、忘れられないようなドラマが、この限られた小空間の中で繰り広げられたのです。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

その姉弟は中野駅から乗ってきました。

三、四歳位の男の子の手を引いたその少女は、ピンクの防寒コートの上からミッキーマウスの絵柄の入った真っ赤なポシェットを首から下げ、長い髪とパッチリとした目が印象的な可愛い子でした。

私の姪っ子と年格好が似ているところをみると、おそらく小学校四、五年生ではないかと思われます。

少女はぐるりと車内を見渡し、空いている席を見つけると、弟の手をしっかり握りながら、二人で腰をかけました。

ちょうど私の正面でした。

「お姉ちゃん、お外が見たい。」

雪の降りしきる街を見たかったのでしょう、弟は車窓に向かうように、くるりと背中を見せ、座席に膝を着いたのでした。

すると、少女は間髪を入れず、弟のゴム長靴を脱がせ、自分のほうへ身体を寄せるように指図したのです。

しつけの行き届いた子だなあと感心しておりましたら、なんと、その続きがあったではありませんか。

高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪と、だんだん車内が込み出してまいりました。

そして、電車が吉祥寺に着いた時、一人のおばあさんが乗車して来たのです。

車内には、すでに空いている席はありません。

その時、例の少女がするするっとおばあさんに近づき、着物の袖を軽く引っ張りながら、自分と弟が座ってた席を指さしたのです。

まるで少女漫画に出てくるヒロインのように、大きな目をキラキラ輝かせながら「どうぞ」ですって。

さらに、この話しにはおまけもついているのです。

席を譲ってもらったおばあさんが、持っていた巾着袋の中から飴を取り出し、姉弟に差し出したのです。

「よかったら食べてネ」

一瞬、戸惑ったような表情を見せた少女でしたが、すかさず「ありがとうございます」と言ってペコリと頭を下げ、受け取った飴を大事そうにポシェットの中へ入れました。

横で見ていた弟が、少女の顔を覗きこむようにして「お姉ちゃん、見せて、見せて」っと駄々をこね始めると、少女はポシェットの中から飴を取り出し、弟に見せ、小さな声で「今は駄目、おうちに帰ってから」っと諭したのです。

三鷹駅で降りようとした姉弟に、おばあさんが「お姉ちゃん、ありがとうネ」と声をかけると、弟の手をしっかり握った少女はくるっと振りかえり、にこっと微笑みながら、また、ペコリと頭を下げたのです。

本当にいいものを見させてもらいました。嬉しくなってしまいました。心が温かくなっていました。

出来る事なら、この姉弟の御両親に会ってみたい。

会って、この車内の一部始終を伝えたら、どんなにか喜ぶだろうと、私も子供を持つ親として、そんな衝動にかられてしまうほどでした。

躾(しつけ)やマナーというものは、親が子に伝えなければならない最も大切な社会のルールであり“処世術”です。

理屈や強制ではなく、自然と身についていた少女の振る舞いから、御両親の聡明さと、我が子へ対する深い愛情を感じ取る事が出来ました。

降り止まぬ雪で滑りやすくなった駅のホームを、弟の足元を気遣いながら、仲良く手を繋いで歩いていく二人の後姿を、私はいつまでも、いつまでも、名残惜しく、目で追っておりました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

朝の天気予報は見事に外れ、午後から回復するどころか、益々、雪の勢いは酷くなっていくばかりです。

ここまで順調?に来た、中央線 各駅停車の旅もついに、ここ立川駅で、積雪と時間調整のために待たされる事になってしまいました。

さて、それでは本日の“忘れられないドラマ”第二幕のはじまり、はじまり・・・・。

その娘が乗車したのは、ひとつ手前の国立駅でした。

まだ十代とおぼしきその娘は、素顔が想像できないくらいの厚化粧(歌舞伎の隈取【くまどり】を連想してください)で、電車が動き出すなり車内で禁止されている携帯電話で話しを始めたのです。

それも、まるで“船を見送る”ような大きな声で。

別に聞きたいわけじゃなかったのですが、あまりに大きな声で喋るものですから、耳に入ってきてしまいます。

会話の内容は、昨夜何を食べたとか、モーニング娘のだれそれが好きだ、嫌いだといった、他愛も無いもので、どう贔屓目に見ても緊急を要するようなものとは思えないものです。

すると、すぐ隣にいた中年の男性が「うるさいからやめなさい!」っと注意をしました。

さあ、“隈取娘”の怒った事、騒いだ事、なじった事。

「何すんだよ!さわるなよ!暴力じゃねえかよ、この痴漢野朗!!」っと来たもんだ。

立川駅のホームに降りると、なんと、男性のおしりあたりを2、3発右足で蹴り上げたのでした。

「ちょっと手が当たっただけじゃないか」という男性に「絶対警察へ突き出してやる」と譲りません。

駆けつけた駅員さんが、興奮する二人の間に入って「まあ、落ち着いて。まずですね、車内での携帯電話はマナー違反でして・・・・」とやると「それぐらいわかってるよ!だからって暴力を振るっていいのかよ!」と、今度は駅員さんに食って掛かる始末。

事の始めから見ていた私は、男性が“隈取娘”の顔を殴ったり、腕をねじ曲げたりの暴力を振るったわけではない事は当然知っています。

そこで、野次馬だった私が、よせばいいのに駅員さんにそのことを告げ「君こそ、その人を蹴り上げていたじゃないか」と口を挟んだら、私に向かって「うっせえんだよ、てめえ、関係ねえだろうが、クソおやじ」と、今度は矛先を私に向けて来たのです。

その場は、駅員さんのお陰で何とか収まりましたが、ついに最後まで“隈取娘”から、「ごめんなさい」の一言を聞く事は出来ませんでした。

それどころか、別れ際に「覚えてろよ、スケベおやじ!!」の捨てぜりふ。

正直、怒る気にもなりませんでした。

ただ、無性に哀しい思いにかられてしまったのです。

昨年は十代の少年犯罪が多発しました。

今年は成人式で若者が逮捕されました。

彼等も、そして、今日の“隈取娘”も、いずれは恋をし、結婚をして子供が生まれるでしょう。

その子供をどう育て、どう教育していくのでしょうか。

親と同世代のものに対し「痴漢野朗」「クソおやじ」と平気でなじり、他人より自分が絶対主義。

こんな子ばかりで無い事は、30分前に出会ったあの少女が教えてくれたはずなのに、何故か心は空しさでいっぱいです。

相変らず降り続く雪を、いつ動き出すかも解らない電車の窓からボーっと見ていました。

「嬉しくて やがて哀しき 春の雪」

えっ!?なんですって?

石和温泉には到着できたのかって?

おかげさまで、1時間遅れの宴席にはなんとか間に合いました。

心残りは、せっかく練習して来たサザン・オールスターズの「TUNAMI」の披露が、時間短縮のあおりで、来年に延びてしまったことです。

そこで、私は決めました。

来年の新年懇親会は都内のホテルで食事会にするよう、役員会で提案するつもりです。

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第十八回 「いい加減にしろ!!大甘 少年法」


予想どおり、今年もまた全国各地で成人式が大荒れになってしまいました。

その中でも一番マスコミに取り上げられたこともあって、四国の二会場における新成人達の傍若無人な振るまいが大変話題になりました。

ひとつは香川県高松市。新成人に対して祝辞を述べていた増田高松市長に向かって壇上まで駆け上がり、クラッカーを鳴らした挙句に式場の最前列で酒盛りを始めた“バカども”がいた一件。

もうひとつは高知県高知市。これも同じく祝辞を述べていた橋本県知事に対して大きな声で「帰れ、帰れ」と連呼した“バカども”がいた一件です。

私が大変興味を持ったのは、TVニュースに映し出された増田市長と橋本知事のこの“バカども”に対するリアクションの違いについてでした。

クラッカーを鳴らされた増田市長は、一瞬けげんそうな表情は見せたものの、用意した原稿を最後まで読み、目の前で一升瓶を一気飲みしている”バカども”に関しては終始、無視を決め込んでいました。

かたや橋本知事は皆さんも御承知のように、「静かにしろ!お前達こそ帰れ!」っと一喝し、会場にいる他の新成人に対し「皆さんはどう思いますか?」っと問い、割れんばかりの賛同の拍手を貰ったのでした。

前者の増田市長は当日、マスコミのインタビューに対し「騒ぎを大きくして、会場にいる他の新成人達を動揺させたくなかった。」と答えています。

そして、あまりにも、この“バカども”に対して全国からの非難が強いので、翌日、威力業務妨害罪であわてて告訴した事は皆さん御存知の通りです。

増田市長と橋本知事。果たして、どちらが“大人”としての正しい判断だったのでしょうか?

当然、意見の分かれるところではありますが、私は橋本知事を支持したいと考えます。

“バカども”は自分達の行動を「目立ちたかっただけで、こんなに大騒ぎになるとは思わなかった」と述べています。

呆れて物がいえないとはまさにこの事です。

自分の身勝手な行動に対して注意されたり、叱られたという経験が、生まれてこのかた、ほとんどと言っていいくらい無かったのでしょう。勿論、親や教師も真剣にしつけ、叱った事など無かったはずです。

自らの都合だけで勝手気ままに行動し、まわりを気遣うデリカシーも皆無。成人とは名ばかりで、まさに3歳の子供が身体だけ大きくなったにすぎないのです。

こんな“バカども”には、すぐその場でこっぴどく叱りつけてやらねばならないのです。

まわりにいる責任ある立場の大人達による、その場しのぎの「事勿れ主義」が、こんな“バカども”を日本中に大量生産してしまったように思えてならないのです。

その意味においては彼等も被害者なのかもしれません。

さて、来年は一体、どんなパフォーマンスを“バカども”が見せてくれるのでしょうか。とっても楽しみ?です。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

新世紀を迎えても一向に出口が見えてこないのが、「少年犯罪」です。

それどころか、さらに兇悪になり、益々増加の傾向を辿っています。かなり記憶力に自信のある人でも、去年マスコミを賑わせた全ての「少年犯罪事件」を列挙する事は困難なのではないでしょうか。

何か途方も無い大きな音を立てて、今まさに日本の社会規範が崩壊していこうとしています。

去年、殺人によって摘発された少年だけでも71人。前年の倍になっているといいます。

よくもまあこれだけ兇悪事件が続くものです。

私達の子供の頃、兇悪事件と言えば「吉展ちゃん事件」ぐらいのものでした。

「小原 保」という犯人が吉展ちゃんを誘拐して、身代金を要求したうえで殺してしまったという事件。
当時はこの小原がもの凄い凶悪犯だといわれたものでした。

今じゃ、こんな事件はザラにあります。少年が殺人事件を起こしても、またか、って感じで、誰も驚かなくなってしまいました。

以前と一番変わったのは、犯行の動機です。

昔は犯人の方にも、貧困とか痴情のもつれといった切羽詰った事情がありました。

ところが今の少年殺人犯たちは、たいした理由も無いのに、チョットした事で衝動的にプッツンときてしまいます。

風呂場を覗いて見つかったからって、その家の全員を皆殺しにしようなんて昔では考えられないことです。

考えるに、ある種の現代病ではないかと思うのです。

もともと「発作遺伝子」みたいな因子があって、それが時代の環境の刺激で突然出てきたのではないでしょうか。

病気というのは、その時代時代によって、新しく出てくるものです。症状としては昔からあったものが改めて病気と認められたり、環境の変化で突然、症状が現われたり。

以前はノイローゼがそうだったし、最近ではアトピーや花粉症など、いわゆる「近代病」といわれるものです。

キレて人殺しをやるような少年達も、何か共通するビョーキを持っているのではないでしょうか。

ビョーキといっても、精神病というのではありません。

なにしろ連中は、こうすればこういう結果になるって事はハッキリわかっているのです。目的を達成するための手段の選び方などは、並の人間よりよっぽどしっかりしているからです。

私達の子供の頃は、例えば線路に石を置くのでも、結果がどうなるかなんてわからないで、ただ面白いからイタズラで置いていました。

ところが今の連中は、電車が脱線するのがわかってて、その結果を見たくて石を置いているのです。

前述した風呂場覗きの大分の少年殺人犯も「6人全員殺す」っていう目的に向かって、最短距離で行動しています。

私がビョーキだなと思うのは、その目的にいきなり突き進んでしまう行動パターンについてなのです。

子供というのは、何となく生き物を殺してみたくなるものなのです。

しかし、昔はせいぜいザリガニやカエルまでで、ネコを殺すようなヤツは異常だと思われていたものです。仲間から「こいつ、おかしいよ!!」って。

それがネコどころか、いきなり人間にいってしまうのです。

しかも、大分とか岡山とか、今や都会と田舎の区別もなく、周りに自然があるか、生き物と触れ合っていたかどうかなんて全く関係がありません。

要するに現実感が希薄というか、仮想現実の中を生きているのです。

そういう事を言うとすぐ、少年犯罪はビデオやゲームの影響だっていう声が出てくるのですが、それもまた短絡的といわざるをえません。

映画やテレビも含めて、昔からそんなものは山ほどありました。しかし、チャンバラや西部劇を見て、人殺しをした奴がいたでしょうか。

ビデオやゲームの影響だなんて言うのなら、世の中、犯罪者だらけになってしまいます。

現実とウソの区別という当たり前の事がわからないというのは、親や周りにいる大人の責任も大きいのです。

たいていの事は「お前、何をバカな事やってるんだ!」と注意されればわかることなのです。

それをまわりの大人から、一度も言われなかったってことこそ問題なのです。

最近店頭にいて、つくづく感じるのは、小さい子供が目の前で悪い事をしても、全く怒らない親が増えて来た事です。怒られなければ子供は好き勝手をやってしまうのです。

つまり、今の子供達は、親を含めたまわりの大人達という環境がビョーキの大きな要因になっているのだと思うのです。

環境というのがどれほど恐ろしいものか、それを如実に表した事件が去年大阪の泉南市で起きた集団餓死事件です。

宗教がかった母親の元で、五人の子供達が餓死した例の事件です。

子供といってもみんないい大人、一番上は四十一歳でした。

それが中学までしか学校に行かせてもらえず、家に閉じ込められて、教祖みたいな母親の言いなりになって暮らしていたそうです。

で、食い物がなくなって全員餓死。

「何で食わないんだ!」「外に出りゃいいじゃないか!」って思うのですが、外部と遮断された中で自分達だけの世界を作っていたから、妄想が膨らんでしまったのです。外の世界と接触する事は不浄の始まりだと繰り返し繰り返し母親から言われつづけていたというのです。

亡くなった方々には失礼ですが、結局、こんな妄想の中に閉じこもったような人間でも生きていける社会が問題なのではないでしょうか。

今の日本は、社会性の無い人間だろうが、どんな人間でも生きていけます。

昔は引きこもりなんか、できやしませんでした。

親からはドヤされるし、だいいちそれじゃ食って行けません。

ところが今じゃ、自分の部屋にこもっていても、親掛かりで食って行ける世の中になっているのです。

学校を出てからもそうやって親に寄生しているような奴が増えています。

その諸悪の根源は子供に個室を与えた事なのです。

私達の子供の頃は個室なんてものはありませんでしたから、引きこもろうにも場所がありませんでした。居間の隅っこにちゃぶ台を置いて、勉強もそこでしていました。

そういえば、あの頃、一人だけ自分の勉強部屋を持っている奴がいました。

そいつはみんなで一緒に遊んでても、途中で「オレ帰る」って言って、さっさと帰っちゃう。

私の近所の辺りでは、とにかく暗くなって親が呼びに来るまで遊ぶのが当たり前。

自分から「帰る」って言い出すなんて考えられない事でした。だから、その時は「変な奴だなあ」と思っていました。

そいつは宅地ブームで建てた家に引っ越して来た奴で、それから何人か同じ様な連中が引っ越してきました。

みんな同じように個室を持っていて、同じように「オレ帰る」って言うのです。

あの頃がちょうど過渡期だったのかもしれません。その個室化の行き届いた先が、引きこもりの時代なのです。社会性が無くて、自意識だけが異様に肥大化しているのです。

昔は群れた“悪ガキ”が事件を起こしていたのですが、今は一人で閉じこもるような奴がプツンと切れて罪を犯すようになってきているのです。

岡山の少年のように、野球部で部活していても、周囲になじめない。

レギュラーになれなくて、後輩にいじめられ、自分の中に閉じこもってどうにもならなくなって、キレてしまう。

個室化が環境病の要因の一つですが、もっと大きな要因は、やっぱり戦後教育だという気がしてなりません。

この岡山の少年もそうです。

レギュラーになれないくらいで、どうして悶々とするのでしょう。「野球だって上手な奴より下手な奴が多いのは当たり前。補欠は補欠なりの生き方がある」と言ってやるくらいの指導を、監督なり周りの大人が何故出来なかったのでしょう。

それを、みんながレギュラーにならなきゃいけない、頑張ればみんなレギュラーになれるんだ、って事にしてしまったのが戦後教育なのです。

勉強にしても出来ない奴のほうが多いのは当然なのです。なのに「やればできる!」式に呪文の様に唱えて、そう思いこませてしまったのです。

人間はできない事の方が多いに決まっているのですから・・・。

昔は勉強が出来なくとも、それでイイって笑っていました。だいたい、学校の勉強と実生活の頭は違うってわかっていました。

私の近所には中学中退みたいな奴ばっかりでしたが、腕の良い棟梁になっているのもいたし、宅建の資格を取って頑張っている奴もいました。

勉強がダメな奴はダメなりの生き方があるのです。それをダメな奴まで同じように頑張らせて、挙げ句に追い詰めてしまうのです。

こういう教育が子供達の脳に及ぼした影響は計り知れないものがあると思うのです。

私に言わせれば、カラオケやストーカーも戦後教育が生んだものだと思っています。

みんな何かになれるって錯覚させられるから、自分の存在に注目して欲しいって思ってしまう。
カラオケはスポットを浴びたいって気持ちを一時でも満たしてくれるし、ストーカーは「オレがいるんだ」って事を相手にアピールするわけです。

嫌がらせをしてまでかまって欲しい。歪んだ形ではありますが、究極の自己表現なのかもしれません。

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以前にも一度書きましたがもう一度、少年法について考えてみたいと思います。

先日、「犯罪白書」を読んで驚いたのですが、平成十年に警察に検挙された少年は、十八万四千二百九十人。成人が十六万六千八百七十八人ですから、少年の方が多いのです。

しかし、少年の場合は、まず家庭裁判所に送られて審理されて、これは成人と同じように刑事裁判したほうがいいと判断された事件だけが検察に「逆送」されるのです。

平成十年の場合、この逆送の手続きをとられたのは、たった百九十九人しかいないのです。

少年法の規定では、十六歳未満は刑事処分の対象にはなりません。ですから、大分の十五才の少年に関しては裁判も行われないし、刑事罰も課せられません。

三人も殺しておいて、初等少年院に何年か入るだけで終わりなのです。

少年法で思わず吹き出してしまったのは、家庭裁判所の審判の仕方について触れた第二十二条です。

「審判は、懇切を旨として、なごやかに、これを行わなければならない」なんて大真面目に書いてあります。

「どうしちゃったの。三人殺しちゃったんだってえ。あらまあ、それは大変だったねえ。お茶でも飲んで、よかったら少しお話を聞かせてもらえないかなあ」

実態と完全にズレています。

冗談はともかく、少年を甘やかすような少年法自体が、今蔓延している環境病の大要因なのです。

去年、静岡でもとんでもない事件がありました。

増水した川の中州でキャンプしていた悪ガキどもを消防隊員が救助しようとしたら、感謝するどころか、「頼んじゃいねえ」なんて罵声を浴びせ掛けたというのです。

おまけにそれを取材に来ていた記者につかみ掛かったりもしていたのです。

あんな”バカども”はそのままほっておけば良かったんです。勝手に溺れちまえってね。その方が世の中のためにもなる気がします。

そうするとまた「なぜ助けなかったんだ」なんて批判する、識者・文化人と称する人が出てきますが、それならせめて救助費用を親から徴収できないものでしょうか。少なくても「バカども」のために我々の税金から払うなんて真っ平御免です。

そもそも未成年が酒盛りをしていたというのに、なんで捕まえろって誰も言わないのでしょう。

マスコミもだらしが無い。

TVなんか目線にボカシを入れて、名前も出さない。

普通の遭難者だったら「行方不明になっているのは00県の00さんです」って顔も名前も出る。未成年だってそうです。

それなのに、なぜ「ワルの遭難者」にはボカシを入れて保護しなきゃいけないのでしょう。

そうやって甘やかすから“バカども”がつけあがるのです。

「子どもの権利条約」なんていうものがあって、日本でも金科玉条のように考えている人がいます。

でも、あれはもともと貧困にあえいでる国や、公然と児童虐待をしている国を想定したものであって、何不自由の無い暮らしをしている日本の“バカがきども”には、本来は全く関係の無いものなのです。

少年法が甘すぎるから最近は「少年のうちなら大した罪にもならないから・・・」って考えて、兇悪犯罪を起こす少年が増えているといいます。

それほど少年犯罪というビョーキは深刻なのです。

そこで私からの提案です。

恐喝は鞭打ち百回。万引きは市中引き回しか島流し。

勿論、顔写真と名前は新聞の一面にデカデカと載せるようにします。「今日の少年犯罪者」って。

それでも懲りずに罪を犯すようなら、即自衛隊へ入れるのです。これは抑止効果もあるし、たるんだ奴も一発で叩きなおせます。

配属部隊は海上自衛隊所属の特別ヨット部隊。

もちろん隊長は、あの戸塚 宏さんです。

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第十七回 「事実と真実」

今世紀最後の開催となったシドニーオリンピックが閉幕して、はや1週間。振り返ってみれば女性選手の活躍ばかりがやけに目立った大会だったように思います。

「メッチャくやし〜」の一言で、一躍お茶の間の人気者になった女子競泳の田嶋さんを皮きりに、「最高で金メダル、最低でも金メダル」の名言を、見事実現した女子柔道の田村さん。そして、死闘とも言える過酷なレースを制した直後のインタビューで、「42kmをとっても楽しく走る事が出来ました」なんて、ケロッと笑顔で答えてくれた、女子マラソンの高橋さん。来春から、女子中高生の競技人口が激増する事まちがいなしと言われるほどの、大健闘をみせたソフトボールの女子チーム。
そのほか、ビーチバレー、テコンドー、シンクロナイズドスイミング、新体操でも“大和撫子(やまとなでしこ)”の活躍は、我々に数え切れないほどの感動と勇気を与えてくれました。

そんな中、私にとって忘れる事のできない日本男子選手が2人いたのです。

1人は男子柔道100kg級で、見事オール1本勝ちで金メダルに輝いた井上康生選手。表彰台に亡きお母様の遺影と供に上がったあの映像、不覚にも涙が止りませんでした。

もう1人は、同じく男子柔道100kg超級の篠原信一選手です。

もうすでに皆さん御存知のように、決勝戦においてフランスのデュイエ選手の掛けた「内股」を「すかし」ての見事な1本勝ちに思えたものが、主審の誤認としか言いようのない判定の結果、悲運の銀メダリストになってしまったという、なんとも後味の悪い試合の事です。

当然、山下泰裕総監督をはじめ、日本柔道連盟として厳重なる抗議を表明してはいますが、メダルの色が変わる事は考えられません。なぜなら、あの試合は日本人以外には“普通”の試合にしか見えないからです。

「そんなバカな!誰が見たって篠原選手の1本勝ちじゃないか!!」

嘘だと思うんでしたら、ちなみに海外(特にフランス)のスポーツ紙関連のネット上のホームページを覗いてみてください。「異口同音」にデュイエ選手のオリンピック2連覇を称え、柔道の伝説的な英雄として最大級の賛辞を贈っております。“ 微妙“な判定であった事は各紙とも認めてはおりますが、“デュイエ選手の勝利が揺るぎ無いものであることに変わりはない”という論調なのです。

さらに、日本は最終的に判定を受け入れて銀メダルを受け取り、表彰式の際も会場を埋め尽くさんばかりの日本人観客からさしたるブーイングもなし。これが国際社会では通用しないのです。

私達日本人の感覚からいけば、誤審であることは間違いない事だから、大会関係者に迷惑を掛けないよう、ここは“潔く”一歩引いて、後ほどゆっくり抗議すれば必ず解ってもらえるはずと思いがちです。

ところが、この“潔さ”は国際社会においては“熱意の無さ”としか受け入れてもらえないのです。

*言いたい事があったら、断固その場で主張する。
*自分(自国)の不利益になるような事は認めない。
*簡単に謝らない。

まさに、私の母親から“はしたない事”と戒められてきたことばかりです。しかしながら、これが国際関係においての常識なのです。

今回の篠原選手の誤審問題においても、ある意味では良い勉強になったと考えるべきなのかもしれません。

すなわち、「事実」と「真実」は必ずしも同じであるとは限らないという事です。

ひとつの事柄に対して利害関係が生じたふたつの国家がある場合、一方の主張だけが正しいなどと言うことはありえないのです。特に、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する国際政治の舞台においては、国益を第一に考えた、さまざまな駆け引きが繰り広げられています。

どれだけ声高に、そしてヒステリックに世界へアピールしたか、どちらが国際社会に対しての影響力があるか、といった事が判断基準になりかねないのです。「真実」はいつのまにか捻じ曲げられ、都合よく整えられた「事実」として一人歩きしてしまうのです。

考えてみれば、日本人はこの手の事に関してはハッキリ言って「下手」です。“慎み”や“控え目”は古くから日本人の美徳とされてきたからです。

しかし、日本の国益を担っている政治家に関しては「下手だから」では済まされないのです。主権を侵害し、国益を損ねるような暴言や中傷には毅然たる態度で反論してほしいものです。しかし、残念ながら、これがまったくと言って良いほど成されていないのが現状なのです。

特にお隣の「中華人民共和国」(以下、中国)と北朝鮮に対しての外交姿勢は、日本国政府には将来を見据えた明確な戦略やビジョンも感じられず、まさに、その場しのぎの国辱的な土下座外交としか言いようがありません。

国連に加盟している世界の国々の中で日本は米国に継いで2番目の国連運営資金を差し出しています。そして数多くの未開発・後進国に対しても莫大な無償の援助金を拠出し、さらに人的な貢献も果たしております。しかしながら、その事を知っているのは世界でも一握りの人々にしか過ぎません。しかも、日本政府はそれを強くアピールしようともしません。

中国だけに関して言えば、日本からの政府開発援助(ODA)は過去20年、総額240億ドルという途方もない額にのぼるのです。しかも、その事実を中国政府はほとんど自国民には知らせてはいません。それどころか、以前にもまして“反日キャンペーン”を繰り広げているのです。そして、忘れてはいけない事は、この5年間、中国が最新鋭の軍艦や戦闘機を建造・購入し、大幅に軍備を増強しているという事実なのです。日本からのODAは一体何に使われているというのでしょう。

御礼を言ってくれと言っているのではありません。感謝の気持ちを表せ、なんてことも言いません。

ただひとつ言わせてもらえば、自国の事は棚にあげ、なにかというと、日本は軍国主義に走りそうだから気をつけろとか、南京事件を誇大に喧伝したり、盧溝橋事件は全て日本軍の仕業がきっかけだったような言い方だけは止しにして欲しいのです。

歴史の解釈は、関わった国の数だけあるのです。中国だけが常に正しいなどという事はありえないのです。勿論、不幸な戦争を繰り返さないために双方が戦争のメカニズムを研究する事は大事です。

その中国政府が日本の国連常任理事国入り反対を公式に表明しました。理由はやっぱり”軍事大国を目指している”とかなんとか・・・。

一国の行政の長である総理大臣が、自国の為に尊い命を捧げた英霊に対し、公式に参拝も出来ない国のどこが軍事国家だと言うのでしょう?

わがまま放題に深夜まで遊びまわり、髪は金色、鼻にはピアス。渋谷や新宿を徘徊している腑抜けの甘ったれな若者集団を見て、国防や国益の意識を感じ取る人が一人でもいるでしょうか?

日本が軍事大国を目指しているなどという事は、当の日本人自身があり得ないと思っているのです。

どうしてそんなにも日本を嫌っている、いや敵対視している国に巨額の国民の血税を献上しなければならないのでしょうか?国民が納得できる説明をしてほしいものです。

同じ事が北朝鮮にも言えるのです。

国家が自国民に対して最も重要な役割といえば、いうまでもなく「生命と財産を守る」事に他ありません。

その基本的役割さえ果たせずにいるのが現在の日本政府なのです。

皆さんも御存知の、横田めぐみさんをはじめとする、7件10人にのぼる北朝鮮拉致事件被害者の事です。

その極悪非道なるテロ国家に「人道的支援」の名目で米(こめ)を送るというのです。それも『世界食料計画』が世界各国に要請した量を遥かに超える50万トン規模になるという。ここでも国民の血税が数百億円かかるのです。

敢えて申し上げますが、ハッキリ言って日本では余りすぎて困っている位の米です。善隣友好関係を標榜する日本にとって、食糧難で困っている隣国に50万トンなんてみみっちーことは言わないで、100万トンでも200万トンでも要るだけ援助する事に反対する国民はひとりだっていやしません。

しかし、それには条件があるのです。

難しい事じゃありません。北朝鮮が開かれた民主国家である事なのです。

日本政府が「人道」という観点が重要だと本心から考えるのであれば、この拉致された我が同胞の救出という課題に対してこそ、本来の意味での「人道」の旗を掲げてその解決に全力を挙げなくてはならないはずです。

しかしながら、政府の姿勢は到底この問題に真剣に取り組んでいるとは思えないのです。それどころか、拉致工作の実態が次第に解明されていく過程の節目節目で、政府は国策として被害者を見捨てる道を選択したのではないかと思われる場面が続いてきました。

森総理大臣は先に、「拉致問題を棚上げしての国交正常化はありえない」と明言されました。しかしその一方で、政府としての食糧支援方針決定などという報道に接すると、この国の政府は、統一的な国家意思を形成し、貫徹するだけの精神力すら欠けているのではないかと疑りたくなります。

だってそうでしょう!

「人道」を口実に食糧支援を実施するというのは、日本国民の拉致誘拐という北朝鮮の国家的犯罪を不問に付すという暗示を与えたに等しいではありませんか。

北朝鮮はこのほど韓国から「非転向囚」と称する政治犯63人の返還を受けましたが、その中には拉致問題の重要証言者たり得る人物も含まれていたのです。

日本政府は事件解明の鍵として、この人物の身柄引渡しを強硬に韓国に要求すべきだったのに、結局出来ずじまいだったのです。この事もまた、日本政府は拉致問題の解決にそれ程熱意があるわけではない、と相手からなめられる一因となってしまいました。

日本国民の生死と名誉に関わる人道問題は見て見ぬふりをして、北朝鮮にならば人道を名目に、実に道理に外れた屈辱外交を敢えてする、日本政府の対応は錯乱そのものといわざるを得ません。

数年前から、偶然、横田めぐみさんの御両親が隣町の高層マンションに引っ越されたのを知り、以前にもまして他人事とは思えなくなったのです。新聞・雑誌・TV等で必死に政府関係者や一般大衆に訴えかけるその姿を見るにつけ、御両親の心中、察するに余りあります。

外務大臣をはじめ、関係の議員諸氏に申し上げたい。

もし、あなたの子供・孫・兄弟・妻・夫・親が北朝鮮に拉致されたとしても、やっぱり現在と同じ方法で気長に解決を待っていられるのでしょうか?是非、お答え下さい。

国民が、国外からの何か無法な暴力によって、生命と人権の危険にさらされた時、現在の日本国政府は国民を頼もしく保護してくれる父性的な国家ではなく、無力で無名な国民個人個人は無為無策の政府の犠牲となって見捨てられていく・・・・・、そんな諦めを抱き始めている国民に対して、口先で愛国心を説いても無駄なのです。

日本国政府よ、「人道的支援」は北朝鮮にではなく、先ず我が同胞の拉致救出運動に向けて発動されるべきなのではないですか?

もういい加減に中国と北朝鮮の顔色をうかがいながらの屈辱外交はやめにしましょう。

我々国民が本当に知りたいのは偽善的な「事実」ではなく、毅然とした「真実」なのです。

          主権国家としての名誉と誇りを守るために・・・・。

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第十六回「ガンバレ 日本!!」

記録的な猛暑もやっと終わりを告げ、朝晩の涼しさに“小さい秋”の訪れを感じるようになりました。先人に曰く『暑さ寒さも彼岸まで』とは、よく言ったものです。

これから本格的な秋をむかえ、しみじみと物思いにふける季節の到来を待つ日本とは裏腹に、国を挙げてヒートアップしているところが地球上にあります。

今世紀最後のオリンピック開催地、言わずと知れたオーストラリアのシドニーです。

日本との時差は2時間。全ての競技をTVを通じてリアルタイムで見られるという事もあって、日本でも異常なまでの盛り上がりを見せております。

もちろん、各競技にエントリーされた日本の代表選手達の頑張りと活躍があってこそ、という事は言うまでもありません。

中でも、大会初日に行われた女子柔道48kg級で悲願の金メダルを獲得した田村亮子さんと、並み居る世界の強豪を押さえ、日本の女子陸上界で初の金メダルに輝いたマラソンの高橋尚子さんの二人の快挙にはTVの前で思わず感動で目頭が熱くなり、胸に込み上げてくるものを押さえる事が出来ませんでした。

競技直前まで、二人に対するマスコミの過剰とも言える報道と、日本中の熱い期待。彼女達はライバル達に勝つ前に、この重圧にこそ勝たねばならなかったのです。

もともと一発勝負の色合いが強いオリンピックでは本命といわれる選手が順当に結果を残す事の方が少ないと言われています。

「勝って当たり前」「金メダルは当然」とでも言わんばかりの風潮の中で、見事に答えを出した彼女達の精神力の強さには、心底頭が下がり、心から拍手を贈るほかありません。

本当におめでとう!!そして、感動をありがとう。

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今回のオリンピックを見ながらつくづく感じた事があります。

それは、自分が「日本人」であるという事です。今更何を・・・、と言われそうですが、普段の日常生活においては国籍などというものを意識する事は殆どありません。

以前に比べれば我が町内にも東南アジアや南米からの就労者や定住者は格段にふえたものの、単一民族・単一言語・単一国家の日本においては、ことさら「日本人」を意識するという機会は少なかったように思います。

ところが、オリンピックは違います。

200以上の国と地域から選りすぐられたアスリート達が集う五輪競技においては、彼等達はまさしく「祖国の代表」なのです。

私達は今、不思議な17日間を過ごしています。ふだんならそれほど見ない人もテレビ画面にかじりつくばかりか、「よしっ」とか「残念!!」とか思わず声をあげ、熱くなってしまっている自分自身に気がついているはずです。

近代オリンピックの創始者、クーベルタン男爵の言葉を思い出すまでもなく、“参加する事に意義がある”し、オリンピックの主役は選手達であることに間違いありません。

しかし一方で、五輪は選手達のためだけの大会でもないのです。選手の属する国とその国民も、選手を支えるかたちで参加する国際イベントなのです。

それぞれの試合会場では、選手の名前を書いた垂れ幕などが目に付くほか、大小多くの日の丸が打ち振られていました。テレビを見ている国民のほとんどが心の中で日の丸の旗を振って応援しているのではないでしょうか。

各競技会場で行われた表彰式でも、メインポールに上がる日章旗と会場に流れる君が代に対し、健闘した選手個人に対する賞賛と供に、同じ「日本人」としての誇りと名誉を感じるのは私一人だけではありますまい。

戦後55年が過ぎ、国民一人一人が国を愛する機会など、残念ながらなくなりました。その意味においてもオリンピックはまたとないチャンスと言ってもいいと思うのです。

紀元前8世紀、ギリシャのオリンピアを会場に始まったと言われる古代オリンピックは、戦争状態にあった都市国家同士が争いを中断し、それぞれの国を代表する戦士達に神々の前で技を競わせたといいます。都市国家の栄光と誇りをかけて争う祝祭だったのです。

100年余りの近代オリンピックの歴史の中で、不幸にして「国家」のために五輪を悪用した時期がありました。第二次大戦後も、東西の冷戦が厳しかった時代の一部の国家は、威信をかけて選手達を育成しました。

スポーツを通じた国際交流という五輪の理想には程遠いものだったのです。

今はそういう時代ではありません。今回の日本の選手達にも、そうした意識は見られません。

しかし、8年越しの念願の金メダルを獲得したYAWARAちゃんの「支えてくれた日本中の人達に感謝したい」という優勝コメントなどを聞いていると、現代の若者なりの自然なナショナリズムの表現に思えて、私には大変好感が持てました。

いよいよ明日でシドニーオリンピックも最終日です。

鍛え上げられたアスリートたちの競技に純粋に感動するだけでなく、競い合う選手をも含め、それぞれの国々に対して興味を持ち、知識を深め、敬意を表すことこそ本来の五輪の精神に一歩でも近づく事になるのではないでしょうか。

ガンバレ 日本!!
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第十五回 「父帰れ!!」 <後編>

本編は前回(第十四回 「父帰れ!!」<前編>)の続編です。

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もったいぶった終わり方をしまして、大変失礼を致しました。

いえね、一度こんな風に「前編」「後編」ていうのをやってみたかったんです。ただそれだけなんです。

いつから父親の権威や威信が失われたか!って事でしたね。

私が思うに、誰が何と言おうと、あの「給与振り込み」ってやつが“つまずき”のはじめじゃないかと思うわけです。

働く父親のありがたみが判りずらくなっているんじゃないですか?

お給料日の当日、子供達に向かって「お父さんが稼いでくれるからあんた達も学校に行けるんだよ」と母親が父親を立てる。
父親から、「太郎、花子、これ今月分。無駄にしちゃ駄目だぞ!」なんて子供達に直接小遣いを手渡す。

細かい事のようですが、これって案外、父親に対する“敬意”とか“服従”といった「絶対的」なもの、言い方を変えれば、「頼りになる存在」として一家の尊敬を集めていたのではないでしょうか。

今はどうでしょう?

給与明細はガラス張りで、殆どのサラリーマンが女房に全額握られています。自分で稼いだ金なのに、タバコ代とか昼飯代をカミさんから「お小遣い」として貰う。

赤提灯一つ行くにも、女房に電話して、気兼ねしながら行かなきゃならない。

「今夜チョット遅くなるから」
「どっかで飲んでくるんじゃないでしょうね」
「違うよ、仕事だよ」
「あなた、家のローンもあるんだから、無駄遣いしたらだめよ」
「わかってるよ」
なんていう具合です。

考えてもみて下さい。いったい、母親から「お小遣い」を貰う父親のどこに子供達は威厳を感じるというのでしょうか。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

諸悪の根源はやっぱり“戦後民主主義”と“悪しき人権主義”ではないでしょうか。

戦後強くなったのは「女性と靴下」だなんて言われた時代がありました。確かに女性の社会進出には目を見張るべき物があります。

女性が強くなれば、相対的に男は弱くなります。おまけに子供の権利なんていうのも無条件に尊重されたもんだから、子供もいい気になる一方。
いつのまにか、母親と子供が増長した、得体の知れない家庭がそこらじゅうに出来てしまいました。

家庭だけじゃありません。いまや日本は社会全体が「女・子供社会」になってしまっているのです。テレビCMを見てください。

化粧品やアクセサリー、ブランド品と女性の使う物は高級品が揃っています。子供相手の商品も、TVゲームやらなんやらけっこう高額商品があります。

ところが、男性向けのCMといえば、安売りの服やドリンク剤ばかり。あとはせいぜいカツラくらいのモンです。男性向けの高級ブランド品のCMなんて、見た事ありません。

最近は競馬場までファミリー向けになってるらしいし、パチンコ屋は主婦だらけ。男の遊び場もついに女・子供に占拠されてしまいました。

社会から「父親」や「男」を消して来たのが戦後の日本だったのです。例の「バスジャック事件」では、52才の男性が我先にバスから逃出しましたが、あの姿なんか実に象徴的な光景でした。

男と女の役割が崩れてしまえば、父性や母性が希薄になっていくのも当然の事といえるのです。
女・子供中心の家庭というのは、要するに審判のいなくなった野球やサッカーのようなもの。
父親というのは、家庭においてはルールであり審判であるべきなのです。

いつも家にいなくとも、母親と子供がぶつかったり、何か事が起こったときに判定を下す存在。逆に、いつも家庭にいても、審判役が出来ない父親なんてまったく意味がないのです。

家庭内暴力が起きたり、事件の起こる家庭というのは、往々にしてそういうケースが多いような気がします。歯止め役がいないから、やり放題になってしまうのです。

去年起きた音羽の「お受験殺人」も幼稚園という女・子供社会の中で、あの犯人の女性がいわゆる“煮詰まって”しまったわけです。

あの時、旦那さんが審判としてちょっと現実に引き戻してやれば、防げた事件だったような気がしてならないのです。

偉そうなことばかり言ってますが、私自身、子供と話をする事はめったにありませんでしたから、へたをすれば息子が荒れる可能性もあったわけです。

中学校の1、2年の頃はけっこう反抗期で、カミさんとはしょっちゅうぶつかっていました。

ある時、仕事でくたくたになっているカミさんが息子に何か頼み事をしたのです。その時、なんだかんだと屁理屈をこねて、一向に言う事を聞こうとしません。
隣の部屋にいて一部始終を聞いていた私は、息子の前に仁王立ちになり、鬼のような形相で一喝しました。

「お母さんに対して今の口のきき方はなんだ!!大人をナメてんのか、この野郎。二度とそういう口のきき方はするな!!」

息子は顔面蒼白で震え上がっていました。

それ以来、私や女房に生意気な口をきかなくなったし、いまだに一応、親父には敬意を表しています。

言い方は悪いかもしれませんが、子供の教育はサルを仕込むのと同じ。幼い時に「こいつには勝てない」と思わせなければいけません。親が社会的な序列を教えなければならないのです。ですから私は息子の先生に対してはきちんと頭を下げてきました。

自分にとって怖い存在である父親が「息子がいつも世話になってます。どうもすいません」ってペコペコしてる。そういう姿を見れば、先生に対しても尊敬の念を抱くはずです。

ところが、今の親はまったく逆なのです。

子供になめられているような親父が、先生に対して「どーなっているんだよ、あんたの教育は!」なんて言うから、子供も先生を軽く見てしまう。父親と母親との間も同じです。

駄目な亭主だと思っていても、子供の前では「お父さんは偉い」って刷り込みをしなければなりません。何故なら親の役割というのは演じるものだからです。

子供は父親との緊張関係の中で、父親の向こう側に社会を見ながら大人になっていくのです。今は父親がただ無意味に家庭のほうばかり向いてしまって、その窓の役割を果たしていません。それこそが最大の問題なのです。

今のままじゃ、酸欠になった家庭の中で、事件が起こり続けるだけです。父親がなまじ中途半端に家庭にいるからいけないのです。だったらいっその事、みんなで本当の「父親不在」になってみたらどうでしょう。

まずは3ヶ月、家に帰らない。給料も振り込み口座を変えて家に入れないようにするのです。そうすれば、少しは父親のありがたみが判るんじゃないでしょうか。

残された女房、子供が涙を流しながら、口を揃えて叫んでくれます。

「父帰れ!!」っと 

だといいんだけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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第十四回 「父帰れ!」<前編>

大変長らくご無沙汰致しました。

月は巡って、はや9月。70日ぶりの「甘辛放談」になります。

ありがたい事に、こんな稚拙なプライベート・コラムにも大勢のファン?の方が応援して下さっている事をこのブランクの間に再認識させて頂きました。誠に照れ臭いやら、恥ずかしいやら・・・・・。

通常、新編をUPすると、12〜3人の常連さんからすぐに“感想メール”を頂戴します。
「大変共感した!」「キンデンさんはそう言うけど、私はこう思う」「よくぞ言ってくれた!」といった内容が殆どです。

ところが、70日のブランクの間にこのコーナーに寄せられたメールの数はなんと158通。
その大部分が「初めてメールを差し上げます・・・」なのでした。

「楽しみにいつも拝見しているんですが、最近、更新されませんね・・・」とか「さぼってちゃいけません!毎回見てますよ!!」なんて。
中には「商品を買った事はありませんが“甘辛放談”だけは必ずチェックしています」といった人までいたのです。

ありがたいことです。と同時に怖い事でもあります・・・・・・。

こんなにブランクが長くなったのは、ま、言い訳するわけじゃありませんが、おかげさまで、今年の夏のフルーツギフトが、思った以上に忙しかったからなのです。

うれしい悲鳴と言ってはなんですが、毎晩遅くまで、インターネットからの御注文への対応だけでヘトヘトになってしまいました。加えてこの猛暑です。さすがに、集中して文章を書く気力が湧いて来ませんでした。

やっと先週で一段落もついたところで、また、言いたい放題を書かせて頂きます。出来れば月2〜3篇のペースで。何卒宜しくお付き合いの程をお願い申し上げます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


今年は本当にいろんな事件が起きます。

しかも、親殺しだの子殺しだの少年事件だの、要するに家庭が原因になっているものがやけに目立つのです。
岡山県の金属バット少年が捕まったと思ったら、今度はまた山口県で16才の少年が母親を金属バットで殺すという事件。そんな矢先、九州の大分県では15才の少年が親戚同様の付き合いをしていた一家6人をサバイバルナイフで殺傷するという、とんでもない事件までマスコミを賑わせております。

この事だけでなく、いわゆる凶悪少年犯罪事件に共通しているのは、どの家庭も父親の存在が見えて来ないということです。

新潟の監禁事件では、父親は息子の暴力に耐えかねて、とうの昔に逃出していたと言います。
岡山のバット少年の頭にあるのは母親の事だけで、父親は事件の外にいる感じです。山口の事件でも父親は数年前に病死しているのです。

こんな事件が起こるたびに、評論家やら識者と呼ばれる人が出てきて、「父親よ家庭に帰れ」とか、「父親の不在が問題だ」とか、もっともらしい事を言います。

しまいには、「晩御飯を家族みんなで食べないのが問題だ。晩御飯の時は家族揃って、テレビを消して、会話を楽しもう」なんて言い出す。

チョット違うんじゃありませんか?

殆どの家庭のお父さんは毎日、毎日、必死になって仕事をしているんです。いつも家で晩御飯を食べられるほど早く帰れるわけがありません。

昔は親父が戦争で死んだりして、父親のいない家庭は珍しい事ではありませんでした。それでも殆どの子供はまっとうに育ったんです。

私にしても、父親は八百屋の店主で、四六時中家にいたわけですが、殆どまともに話をした記憶はありません。父親と子供の関係なんて、本来そんな物なんじゃないでしょうか。

父親の不在がいけないなんていうのはアメリカの映画やホームドラマの影響に違いないのです。あれが理想の家庭だって思いこんでいるのです。

いくら親子で話し合いをして、友達みたいにベタベタしたって、いざという時にはなんの役にも立たない。

それの象徴的な事件が4年前に起こった息子殺し事件です。

52才の父親が14才の息子の家庭内暴力に耐えかね、息子が寝ている隙に金属バットで殴り殺したという、あの事件です。

父親は東大卒のインテリで、出版社に長く勤めて障害者の本を作ったり、セラピストとして福祉関係の仕事に就いたりしていたのです。

子供を殴った事も無いし、子供と過ごす時間もたっぷりありました。いわゆる「優しくて、理解のある父親」だったわけです。

それなのに、荒れた息子を殺さなければならないほど追い詰められてしまったのでした。これこそ、「友達親子」が行き着いた先の悲劇と言わざるを得ません。

世の評論家先生達は「父性の復権」だの「父親の権威を取り戻せ」なんて気楽に言いますが、今や父親には家の中に居場所すらないのです。

昔だったら、ちょっと良い家なら父親の部屋というものがありました。茶の間で話してて気に入らない事があると、「不愉快だ」なんて言って立ち上がり、自分の部屋にこもったりしました。

子供達がそこへ入ってきて「お父さん、ごめんなさい」なんてやったモンです。

でも今は「不愉快だ」って怒鳴っても、お父さんに行くところはないのです。そこに座ったままで、座がシーンとするだけで間が悪いったらありません。しょうがないから便所にこもったり、しまいには外に出たりする始末。

子供にはみんな部屋があって、母親も寝室とか逃げ場があるのに、お父さんにはこもる場所すらないのです。

昔は父親が怒ってちゃぶ台をひっくり返したら、家族みんなが後で取り成してくれたもんです。今そんな事をしようもんなら「バカじゃないの」って目で見られるのがオチ。

マンション暮らしは特にひどくて、タバコだって部屋の中じゃ吸えない。蛍族といって、ベランダで寂しそうに一人タバコを吸う姿は、“哀れ”を通りすぎて“惨め”その物です。

子供が娘だったら、臭いだの汚いだの言われて、パンツも一緒に洗ってもらえない。

一体、どうしちゃったというのでしょう!!

あの、誇りと威厳に満ち満ちていた一家の大黒柱たる父親の存在感は何処に行ってしまったのでしょうか!!

私には分かっているのです。誰が何と言おうと“原因”はあれからなのです・・・・・。

以下次号 <後編>に続く

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第十三回「梅雨時の楽しみ方」

梅雨時とはいえ、今日で3日連続の雨模様。

土曜日に至ってはなんと9週連続で晴れ間が無いそうです。

路面店の 商人にとっては、客足が極端に減ってしまう「雨」はまさに厄介者です。

ましてや、かき入れ時の週末ともなれば尚更です。

もっとも、四季折々の農作物を扱うことを生業としているキンデンとしては、これも畑にとっては“恵みの雨”という捉え方をしなければいけないのでしょうが・・・・・。

私個人としてはそれほど雨は嫌いではありません。

もちろん休日に限る、という条件付ですが。

シトシト降る小雨も、ザーザー降る大雨も、妙に心が休まるのです。

買ったままにしてあった多くの本を読みたくなるのが、何故か雨の休日です。

普段であれば難解に思える文章も、どういうわけか、すんなり頭へ入ります。

雨音以外の雑音が無いためなのでしょうか、集中力が増すような気がします。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

中学生時代、同級生で秀才の誉れたかいH君が夏休み中にトルストイの『戦争と平和』を読破したというので担任の先生がえらく感心していた事を覚えています。

思えば、今日では読まれざる名作の一つになってしまいました。

昭和23年から24年にかけて出版された米川正夫訳の岩波文庫では全8冊もあります。

もちろんロシア語の原文『戦争と平和』も当然長いのです。

若者は読みません。

そこで一計を案じたモスクワの某出版会社が『軽薄版・戦争と平和』を出し、よく売れているという、新聞記事を最近見つけました。

日本の新刊書の帯にあたるダストジャケットには「二倍短く、五倍面白い『戦争と平和』!」と書かれ「哲学的な議論を全て削ったので、百倍読みやすい!」とも謳っているというのです。

最大の特徴は、戦争の部分を少なくし、平和の比重を高めた事にあるといいます。

短いだけではありません。

ハッピーエンド、つまり公爵ボルコンスキーも伯爵ロストフも死なないそうなのです。

では、前者の死後にピエールと結ばれるナターシャの運命はどうなるというのでしょう?

トルストイさえも切り刻まれるのです。

日本の『金色夜叉』『婦(おんな)系図』「不如帰(ほととぎす)』が再び読まれる日が来るとは思えません。

漱石、鴎外、露伴、いや志賀、谷崎も似た運命を辿るのではないのでしょうか。

子供の時、劇画になれてしまった若者は、一生に一度も優れた文学を楽しんで読まないし、古典派の絵を見る気がしないはずです。

ロックを聞いてしまった者は、もはやベートーベンの懊悩(おうのう)に堪えられないでしょう。

それが人間社会の「進歩」だというのなら、私は旧人類であることに誇りを感じざるを得ません。

除湿を利かせた部屋で一人静かに読書、梅雨時のこんな楽しみ方は如何ですか?


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第十二回 「今だからお話できます」

まあ、お聞き下さい。

キンデンが今の土地で商売をはじめて今年でちょうど50年。

先代が引退し、旧店舗を取り壊して現在の三階建てのビルに建て替え、リニューアル・オープンしたのは忘れもしない、あの昭和最後の年でした。

開店からの慌ただしさからやっと開放されて、しばらく経った頃でした。

ある日の午後、1本の電話がかかって参りました。

「毎度有難うございます、フーズファームキンデンです」

「こちら宮内庁です」

「宮内庁?」

最初は冗談だと思っていました。

だってそうでしょう?なんで下町の八百屋ふぜいに宮内庁からわざわざ電話が?って思うでしょう。

「あの〜失礼ですが、宮内庁の方が当店に何の御用なんでしょうか?」

「実は、内々のお話なんですが、お宅でこの度取り付けたリフト式のエレベーターを拝見させて頂きたいのです、御都合のよい日をお聞かせ願えませんでしょうか?」

“か細い”声ではありましたが、ハッキリとめりはりの利いた、品のよい話し方だったのを今でも覚えています。

「で、それが何でまた当店なんでしょうか?」

「施行の業者に聞きましたところ、あの形式のものは現在お宅だけにあるという事なのです。」

「は〜、そうなんですか。それで一体、何にお使いになるんですか?」

「申し訳ありませんが、これ以上の詳しい内容は今は言えません」

いよいよ面白くなって参りました。

不謹慎とは思いつつも、まるでスパイ映画の主人公にでもなったような気分だったのです。

指定の日を取り決めて電話を切り、事の顛末を家族と従業員に話してからがモー大変!!!

「あなた!いったい何したの?」と女房。

「まさかお前、大それた事をしたんじゃないんだろうね?」と母。

「店長!隠れたほうがいいんじゃありませんか?」と店員。

まったく、本当に俺って信用が無いんだなあ・・・・・とほほ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

指定の当日は雨降りでした。

昼過ぎ、例の「宮内庁」の方は二人で御見えになりました。

一人は背の高いガッチリとした目の鋭い体育会系の人。

後に聞いたところでは、皇宮警察の「SP」だったんだそうです。

「先日はお電話で大変失礼を致しました。わたくし、こういう者です。」

おもむろに胸ポケットから黒塗りの手帳風の物を取り出して、私に確認を求めました。

“菊の御紋”の入ったそれは、間違い無く身分証明書でした。

もっとも、はじめて見る物ですから、それが本物か偽物かは当然、解るはずも無いのですが・・・・。

中肉中背、年の頃なら還暦前後、俳優の西村 晃さんにチョット似ているその方は、つけ過ぎではと思われるほどのポマードで、七・三に分けた髪型のYさんという“宮内庁の人”で肩書きは「侍従」となっておりました。

「早速拝見させて頂きます。」

挨拶もそこそこに、あらかじめ来ていた施行業者と一緒にリフトの前で何やらヒソヒソ話。

そして、 自らリフトに乗り、スイッチを押しては昇降をただただ繰り返すのでした。

「どうもありがとうございました。大変参考になりました、これで失礼いたします。」

帰り支度を始めようとしているYさんに思いきって聞いてみました。

「このリフトを何にお使いになるのですか?」

一瞬、ためらってるような表情のYさんでしたが、

「いいでしょう、お話しましょう。でも内密に願いますね、他言は無用ですよ!」

・・・・・・そういうのって大好き!!

「私共の仕事の一つに宮中内での宮様の身の回りのお世話があります。現在、私は皇太后様付きを仰せつかっております。ここ数年、皇太后様は御自身だけの力で歩行するという事が、甚だ難しくお成りでございます。いきおい、車椅子での御移動になります。階上・階下へ御越しの際は周囲の私共も含め、大変な労力を必要とします。そこで、エレベーターを設置できないものかという話になりまして、私がその調査の担当になったという訳です。ただし、エレベーターであれば何でも良いという事ではないのです。無音・無振動、しかもコンパクト、これが絶対条件なのです。お宅で御使いになっていらっしゃる物の他にも幾つか候補がありまして、現在検討中という次第なのです。」

「そういう事だったんですか、ご苦労様です、御事情はよくわかりました。」

「くれぐれも他言は無用ですよ、それではこれで・・・」

くるりと背中を向けたYさんに、ぶしつけを承知で私は声をかけていました。

「皇太后様は御元気なんですよね」

振り向いたYさんの表情が一瞬緩み、「もちろんです、御心配なく」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

・・・・・・・・・・・あれから11年。

今日、皇太后様の崩御の訃報に接しました。

最初で最後のキンデンと「宮内庁」の、いや“皇太后様”との妙な御縁・・・・・。

昨日まではお話できない事だったのです。

今はただ静かに目を閉じて、お別れを惜しむばかりです。

嗚呼! 合掌・・・・・

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第十一回 「目には目を・・・・・・」
2000.5/22 (月)PM10:07

どうしても納得のいかない事があります。ど〜してもです!!!

新聞・TV等で大きく報道された事なので御存知の方も多いのではないかと思います。

去年、山口県 光市で起きた母子殺害事件の容疑者に対する判決内容についてです。

その事件とは、犯行当時18歳の少年が水質検査を装ってアパートに侵入、抵抗する23歳の主婦を殺して犯した上に、泣いてる赤ん坊を床に叩きつけ、ひもで首を絞めて殺したあと屋根裏に隠し、財布を盗んで逃げたという、まさに悪魔でさえ、ここまで無慈悲にはなれないと思われるような、凶行の事です。

判決は当然、死刑だと思っていたら、無期懲役。

無期懲役というと死刑の次に重い刑だから、死ぬまで刑務所に入っているもんだと思われがちですが、まったく違うのです。

刑期が決められていないという事で、大体は20年位で仮釈放になります。

少年なら早ければ7年ほどで出られるらしいのです。

判決を聞いた夫の本村 洋さんが、「被告を早く社会に出して欲しい。私が殺す」と言った気持ちが痛いほどよくわかります。

無期懲役に減刑した理由を読むと、これがまた、開いた口が塞がらない!!

裁判官は、犯人の行為がどうしようもないほど極悪非道である事は、認めています。

「性欲の赴くまま犯行に及び、誠に身勝手かつ自己中心的な犯行動機に酌量の余地はない」
「冷酷かつ残忍で、非人間的行為といわざるを得ない」

ところが、その後にこんな但し書きが続くのです。

「計画的犯行とは言えないし、家庭環境に同情の余地がある」

計画的であろうがなかろうが、やった事の重大さになんの変わりがあるというのでしょうか。

家庭環境に同情の余地があるって言ったって、家庭に問題のある人間はいくらでもいるのです。
その人達が全員、人殺しになるわけじゃありません。

犯罪が起きると、すぐ加害者の生い立ちだの心理だのを分析して、加害者をかばう理由を探そうとします。

覚醒剤を常用している奴が人を殺したら「あれは覚醒剤のせいだ」なんて。

何を言ってるんでしょう!!

覚醒剤を常用したのは自分の意思でしょう?

加害者の側の事情なんて、斟酌(しんしゃく)してやる必要なんてありません。

そんなの被害者にとってはなんの意味も持たないのですから。

スピード違反や駐車禁止なんかは問答無用で捕まえるくせに、なんで殺人事件の凶悪犯になると犯人の言い訳を聞くんでしょう?私にはどうしても納得できません!!

「被害者らに思いを致し涙を浮かべた様子からすると、一応の反省の情の表われと評価でき、
改善更生の可能性がないとは言いがたい」

ここまでいわれると、怒りを通り越して、ただ呆れるばかりです。

法廷で涙を流したからって、なんの涙だかわかりゃしません。

単に“どじ”を踏んで捕まった自分が情けないだけかもしれないし、ウソ泣きかもしれない。

百歩譲って、本当に反省していたとしても、そんなのは当たり前の事です。

それなのに、反省しただけでなんで罪が軽くなるんでしょうか?

それに「更生の可能性がないとは言いがたい」っていうけど、この場合の「更生」って
どういう意味で使っていると言うのでしょうか?

この男がまっとうな生活をする事を指すんでしょうか?

きちんと働いて、家では女房子供と一家団欒を楽しむ?

冗談を言わないで下さい!!

そんなのは誰もが望む最高の贅沢じゃありませんか。

私だってそうなりたいと、いつも思っています。

殺人犯になんでそんな贅沢をさせてやらなければいけないのでしょう!

これで「犯人は更生しました」なんて言われたら、被害者は殺され損としか言いようがありません。まるで、この男を幸せにしてやるために殺されたようなものです。

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一説によると、法曹界には暗黙の“量刑の相場”というものがあるそうです。

殺人罪の最高刑は死刑ですが、実際に死刑が適用される事は少なく、“相場”に従えば
普通の殺人は3人殺して死刑。強盗目的殺人は2人殺して死刑。身代金誘拐目的殺人は1人でも死刑、とされています。

去年9月、死刑を執行された3人の死刑囚は、全員が殺人で無期懲役になったことが過去あったといいます。

「更生した」とみなされて仮出獄させられたのですが、それでまた人を殺して、二度目はさすがに死刑判決を受けました。

そのうちの一人は、刑務所の中ではずっと復讐のことばかりを考え続けていて、仮出獄になってから、その復讐を実行したといいます。

三流の“ホラー映画”じゃあるまいし、誰が考えたってこんな理不尽な事がまかり通って良いわけがありません。

第一、警察の捜査に協力しようなんて考える一般市民がいなくなるのは目に見えてます。

人殺しをするような奴が、そんなにすぐ真人間になるわけがありません。

簡単に更生するくらいなら、最初から人殺しなんてしやしないのです。

被害者の無念・苦しみ、残された家族の怒り・悲しみ、を本当に考えているのでしょうか?

裁判で無期懲役を勝ち取った人権派の弁護士には、「出所連帯保証人」になる事を義務付けるべきです。

そいつがまた犯罪を犯したら、「出所連帯保証人」も一緒に刑務所に入ってもらいましょう。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 戦後の混乱期、国土は荒廃し、人心はすさみ、人間としての尊厳さえも失いかけていたあの頃。

そういう時、一番しわ寄せが来るのは、いつの時代も社会的弱者である「子供達」です。

都市部を中心に、親を戦争で失い、身寄りのない子供達が数え切れない位いたといいます。
空腹に耐え切れず、止むに止まれず食べ物を盗んだ子供も少なからずいたはずです。

そんな時です。

現 少年法が成立したのは。

少年法を読んでみて、その精神に共鳴できる個所は数多くあります。

しかし、しかしです。

現代のように、物質的豊かさに溢れ、毎日、洪水のように情報がもたらされる時代には、あまりにも無理があるのです。

「時代」という器にサイズが合わなくなっているのです。

勿論、 不変であるべき法律も多々あります。

しかしながら、時代に即して変化させなければならない法もまたあるのではないでしょうか?

是非、この機会に 皆さんも少年法について考えてみて下さい。

つい最近、多少の手直しがありましたが、まだまだ不充分に思えて仕方がないのです。

これからの日本にとって、一番大切な事なのです。

ただ、これだけは忘れないで下さい。

悪い事をした人間は、それと“同等”の罰を受けねばならないのです。

様々な考えを持つ人間が共存していく社会において、この約束事があるからこそ、罪に対しての「抑止力」になるのです。

薄っぺらなヒューマニズムは、人間と社会を間違いなく堕落させていきます。

ひいては、国家の規範をも崩壊させていくのです。

「目には目を・・・・」なのです。


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第十回「Going On Seventeen」

大型連休も終わり、また普段どおりの顔ぶれが商店街に勢揃いです。

先週1週間は、いかにも“行楽疲れ”といった表情のお客様が多く見受けられたように感じました。
それにしても、ゴールデンウィーク中の海外旅行者数は過去最高を記録したとか・・・。

未曾有の大不況とは一体どこの国でしたっけ?

私はというと、世間で言われているような「7連休」とか「9連休」なぞ、当然とれるわけもなく、定休日以外は真面目?に営業していた事もあって、もっぱら、ひとけの少なくなった商店街の留守番役を務めておりました。

もっとも、市場が休みという日が何日かあったおかげで、いつもより夜更かしができ、ビデオに録画しておいた数多くの映画をこころゆくまで楽しむことができました。

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」もその中に入っておりました。

いい映画は何度見てもいいものです。

私が高校生の時、初めて銀座の映画館で観て超感激して以来、繰り返し観ること20数回。

その時、館内で販売されていた「サウンド・トラック版」をすぐさま購入し、朝と言わず、晩と言わず、レコードがすりきれるのでは・・と思われるほど毎日熱心に聴いたものでした。

現在でも殆どの曲は“そら”で唄うことが出来る程です。

“レイン・ドロップス・オン・ロージーズ・アンド・ウィスカーズ・オン・キティン・・・”で始まる「マイ・フェバリット・シングス(私のお気に入り)」や、「エーデル・ワイス」に至っては、今でも無意識の内に口ずさむことが、しばしばなのです。

当時、高校生の私が目を輝かせ、胸躍らせながら観た、忘れられないワンシーンがあります。

フォン・トラップ大佐一家の長女、リースルが、一つ年上の郵便配達員であるボーイフレンドと庭園で密会する場面がそれです。

ロマンチックなロケーションや優雅で華麗な踊りもさることながら、劇中でリースルが唄う「Going On Seventeen(もうすぐ17歳)」が私の心に響き渡ったのでした。

リースルはボーイフレンドに歌で訴えます。

「今は16歳で子供だけど、もうすぐ17歳になれば私は立派なレディーよ。夜のパーティーにだって出られるし、お酒だって飲めるの。大勢の紳士達も私を見る眼が変わるのよ。でも、今は16歳。私はあなたに頼りっぱなしなの。」っと。

チョット背伸びしてみたい乙女心と、いつまでも誰かに守って欲しい幼(おさな)心。

「子供」ではないけど、かと言って「大人」と呼ぶにはまだ早い。

そんな、微妙に揺れ動く思春期の“心模様”に共感したからなのかもしれません。

「17歳」

いい響きです。

“夢・希望・挑戦・冒険・未来”

その全てが、この響きに含まれています。

最近、この「17歳」が“危険・暴走・孤独”の代名詞になろうとしています。

過剰に反応するのも大人げない気もしますが、だからと言って、一過性の偶然と考えるのも如何なものかと思うのです。

言うならば、過去50年のいわゆる“戦後民主主義”教育が見事に?成果を発揮して来たからなのではないでしょうか。

国家・伝統・規律・躾(しつけ)を悪しき因習として極力軽視し、自由主義という名の「わがまま」、平等主義という名の「無気力」、個人主義という名の「無関心」に多くの日本人が洗脳されて来たのです。

50年間の呪いを解くには、やはり50年の時間を要するのかもしれません。

しかしながら、明日の日本を担う若者に対して、私達大人が一体何が出来るのかを自問自答する事は決して無駄な事ではないのです。少しづつ、そして1歩づつなのです。

それこそが「大人の責任」なのではないでしょうか。

前述したリースルと郵便配達員のボーイフレンドには続きがあるのです。

ナチスに侵略されたオーストリアからトラップ大佐一家はアルプスを超えてスイスに脱出を計ります。
しかし、一家をかくまってくれた修道院から出ようとした時、すでにナチス党員になっていたボーイフレンドに見つかってしまいます。

みつめあう互いの目と目。

「彼なら見逃してくれる」

そう信じてリースルはボーイフレンドに1歩近づこうとしたその時、

“ピーッ”っと、彼の口から一家発見の合図である笛が、けたたましく鳴ったのです。

一瞬、凍りついたような表情のリースル。

しかし次の瞬間、画面に現われたのは、全て吹っ切れたかのような、まさに毅然とした表情の「大人のリースル」でした。

きびすを返し、幼い弟や妹達をかばうように脱兎の如く修道院から脱出したのでした。

まぎれもなく、「もうすぐ・・・」いや「もうすでに17歳」のリースルがそこに居たのです。

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第九回「街の灯」

新宿へ行きました。

夜の新宿へ行きました。

土曜の夜の新宿へ行きました。

15年振りに、土曜の夜の新宿に行ったのです。

学生時代の悪友たち四人と、久々の“思い出話の会”の集まりだったのです。

前回、同じメンバーで“一杯やった”のは、いつだったろう?

ゆうに一昔は経っているに違いない。

仲間の出世頭で,新宿界隈をテリトリーにしている、K信用金庫の支店長、Oが、気の利いた店を定め、集合時間7時厳守の呼びかけとともに、駅からの道順を書いたファックスを送って来たのは、すでに1週間も前の事でした。

定刻5分前に到着した私を、15年前と変わらない、人懐っこい優しい目で迎えてくれたのはYでした。

Yはタクシーの運転手を皮きりに、観光バス、路線バスと、ドライバー人生を歩み、現在は中間管理職としての悲哀を感じながら、バス会社のデスクワークについているとの事。

黒々として多い髪。リーゼント・スタイルまで30年間変わらない。

「A(長男)は自衛隊に入っちゃってよ〜」

自衛官姿の長男と、奥さんのRちゃんにそっくりな、高校生の長女が写った写真を照れ臭そうに胸ポケットから取り出して、見せてくれました。

          記念のテレフォン・カードになっていました。

不機嫌そうな顔をして、件(くだん)のK信用金庫 支店長を務めるOがやって来ました。

さも、毎日会っているかの如く平然と席につき、二人に一瞥(べつ)をくれると、おもむろに
煙草に火をつけました。

全く昔と変わらない!

“照れ屋”なのです。それも、超ど級の“スーパー照れ屋”

昔から“この世の終わり”といった風な、しかめっ面をしながら、いつも一番楽しんでいるのは誰あろうOなのです。

そのOがK信用金庫を6月で辞めるという。信金合併に伴う人事に嫌気が差したからだと言うのです。

「辞めてどうするんだよ」とY。

「わかんねえ。ラーメン屋でもやろうかな」とO。

真意の程は定かではないにしても、そのぶっきらぼうで愛想のない言い方。

これも、全く昔と変わらない・・・・・・・・・・。

「ゴメン!ゴメン!おくれちゃった」

15分遅れでFがやって来ました。

誰も遅れた理由なんて聞こうともしません。

何故ならFが集合時間に遅れることは、何も今日が初めてではないからです。

昔からの「常習犯」なのです。

「タクシーが渋滞に・・・・・」 「出掛けに来客が・・・・・・」

なんと、言い訳まで全く昔と同じ。

しかし、何故か憎めない奴なのです。

それどころかFが居たからこそ、いい想い出を沢山作る事が出来たに違いないとさえ、全員が思っているのです。

容姿・風貌を見れば“几帳面の国から、几帳面を広めに来た”ようなFですが、オッチョコチョイ加減は仲間内随一。

それに加えて、無類のお人好しです。言い方を変えれば「すごくいい奴」。

騙される事はあっても、騙すなどという言葉はFの辞書にはありません。

そのFが、卒業以来24年間勤務した会社が、去年倒産しました。

寝装寝具を扱う、業界中堅クラスの会社です。

幸いにも、好条件で再就職先がすぐ決まった事はラッキーであり、“Fの人徳”という他ありません。

「Mが来られないんだってよ」とF。

Mというのは現在、福島県の郡山でブティックを経営している、これまたユニークな奴。

今日の集いを人一倍楽しみにしていたにもかかわらず、急用でドタキャンになってしまいました。

15年振りに会いたかったなあ!!

               宴もたけなわ!!

午後9時近く、本日の紅一点、私の家内の登場です。

「急いで来たからノドが、からから!!」

注がれたビールを美味しそうに飲み干した。

いつもながら、いい飲みっぷり!!

       さらに、宴もたけなわ!!


何も変わっていませんでした。

誰も変わっていませんでした。

しゃべり方も、笑い方も、声の大きさも、表情さえも、まるであの頃のままです。

ただ、“時の流れ”という名の色眼鏡をかけて、彼らの背中をそ〜っと見ると、全員重い荷物を背負っているのがよくわかります。

変わらない事の素晴らしさ・・・・・。変わらなければならない難しさ・・・。

「さ、次行きましょう!!」と私。

Yの知り合いがやってるというパブに行く事になりました。

店の表へ出て、おもわずビックリ!!

人・人・人!まるで人の波です! 地面が見えません。さすがは新宿と言うべきでしょうか。

それにしても”ギャル”の多いこと!! とっくに10時は過ぎています。

ほとんどが、一目で10代とわかる女の子達です。

どの子も、派手な化粧と挑発的な服に身を包み、外国なら間違いなく「街娼」と思われるような格好です。

最近、高校生は勿論、小・中学生まで化粧をする子が増えているといいます。

今は化粧と言うと古いと笑われ、”メーク”と言わなければならないようです。

大手化粧品メーカーも、小・中学生をターゲットにした化粧品を開発・販売しているのです。

TVニュースが伝えるところでは、中学生になって初めて“メーク”に挑戦し、月に3000円を投資した女の子もいるとか。

しかも、小・中学生の我が子がメークをする事に、すでに80%の母親が肯定的だと言います。

さすがに父親は反対、もしくは複雑な心境を示していました。

これは、ある新聞の実態調査ですが、620人の小・中学生にアンケートを求めたところ、マニキュアをしている女の子が68%。口紅・アイシャドウが19%いました。

いま若者に、なりたい職業は?とたずねると必ず上位になるのが「メーキャップ・アーティスト」だという時代です。

しかし、メークという“禁断の木の実”を味わってしまった子供達が、さて後戻りできるものなのでしょうか?

できるとは思えません。時代はここまで来てしまったのです。

今はただ、頼むから通学電車の中でだけはやらないでくれよと願うばかりです。

腕時計を覗き込むと、すでに日曜日になっていました。

ぐるりとまわりを見渡すと、眩いばかりのネオンの洪水。

まさに、眠らない街がここにありました。

もう1度、あの青春時代に帰りたいと思っている者と、早く大人になりたいと思っている者。

いったい、新宿の「街の灯」はどっちの道を照らしているのでしょうか?

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第八回「御 様が通る」

まさに春爛漫!!

キンデンに隣接しているA小学校の「ソメイヨシノ」が、今年も忘れずに満開の花見を
楽しませてくれています。

昨日の週末特売では、店頭で販売している商品全てに“さくらの花びら”が、もれなくサービス?されていました。

ところで、何かと話題のミレニアム年に当たる今年ですが、まだ 四分の一が過ぎただけにもかかわらず、年初から国民の耳目を集めるような、大事件が続発しております。

新潟県で明らかになった、9年間にも及ぶ少女監禁事件。

真犯人と思われる被疑者が、複数の警察官が同行しているにもかかわらず、尋問中に逃走し、マンションの屋上から飛び降り自殺をするというショッキングな結末を迎えた、京都の小学生刺殺事件。

つい最近では、北海道の有珠山噴火災害。

そして、小渕総理大臣を突然襲った「脳梗塞」による解任、内閣総辞職、森 喜朗 新総理誕生と、どれをとっても10年に一度、あるかないかといったビッグニュースばかりです。

思いつきで書いた事とは言え、
この「甘辛放談」で予言した事(注 第六回 「Y2Kはまだ終わっていない!!」)が、これほどまで、ものの見事に的中するとは夢にも思いませんでした。

                 ★  閑話 休題   ★

世はまさにペット・ブームです。

毎日のように、キンデンの前を大勢の「犬好き」「猫好き」「ペット好き」が通ります。

最初にお断りしておきます。

私は動物が嫌いなわけではありません。
それどころか、子供の頃は動物園に連れていってもらうのが無上の喜びでした。
現在でも、年に複数回は動物園や水族館に足を運んでおります。

ただ、生き物を飼う気にはなれないのです。

理由は至極簡単です。

生き物はいずれは必ず死ぬからです。

そして、そのほとんどが飼い主が死を見取る事になります。

心から愛するものの死を見取るなんて事は、自分の両親だけでたくさんだと思っているからです。

生鮮食料品やお惣菜を扱う商店にとって、このペット(特に犬)と飼い主に関しての逸話は枚挙にいとまがありません。

それも大部分が世の中の常識に照らしても、眉をひそめるようなことばかりなのです。

典型的な例を御紹介しましょう。

★<配達の悲劇>★

「大丈夫よー。うちの犬は絶対にほえたり、噛み付いたりしないから・・・・・・」

配達を希望されるお客様のほとんどが、そうおっしゃいます。

しかしながら多くの場合、その言葉が“悪魔の囁き”であった事に、後になって気づかせられるのです。

一度などは、お客様が飼ってらっしゃる犬の事を「うちのマリリン・・・」なぞと呼んでいたので、つい油断をして配達に出かけました。

勝手口の戸を空けてお庭に一歩足を踏み入れたら、ナ・ナ・ナ〜ンとそこに居たのは
白く鋭い歯を剥き出しにし、地の底から響いてくるような「グルル〜ッグルル〜ッ」という
唸り声を上げている、ドーベルマンの「マリリン」がいたのです。

もちろん、鎖に繋がれてはいましたが、その恐怖といったらありません。

台所のドア―までの、たかだか7〜8mが100mに感じられるほどでした。

なにが「マリリン」だ。ややこしい名前をつけるな!!

座敷犬にも泣かされました。

配達にうかがってインターフォーンを鳴らすと、けたたましい“ソプラノ声”でキャンキャン吠えながら、何故か必ずご主人様より先に玄関先に到着するのが特徴です。

そして、台所から奥さんの“悪魔の囁き”が聞こえてきます。

「いまチョット手が離せないの。悪いけどドア―を開けて品物入れといて〜。」

いやな予感・・・・・・・・・・・・・

結果は・・・・・・・御想像のとおり。

考えてみますと、この手の方々に共通するものは

@ 世の中の人は全員、犬好きに決まっている。
A 我が家の犬ぐらい、従順でおとなしい犬はいない。
B 万が一、人に危害を加える場合があったとしたら、それは相手が犬の機嫌を損ねるような事をしたに決まっている。


<犬>という個所を<子供>に置き換えて読みなおしてください。
何となく本質が見えて来るとは御思いになりませんか?

店長 第一販売部 主任 第二販売部チーフ 歴代 アルバイト
噛まれた数 1回(軽傷) 2回(軽傷1出血1) 1回(軽傷) 数知れず
引っかかれた数 3回 1回 1回 数知れず

*上表が「座敷犬」とキンデンの戦いの歴史です。

★<ペット溺愛の喜劇>★
「この干し柿、どこ産?中国?国産? うちのミーちゃん(たぶん猫)は国産以外は食べないの」
「一番甘〜い蜜柑下さい。高くたっていいのよ、イブ君(間違いなく犬)が喜ぶんだから」

この手合いが結構居ます。
それも、店内にお客様が大勢の時に限って、この手合いの声が響きます。
まるで船を見送るような大声が・・・・・。

「犬や猫が食べるんだったら、こっちの安い方で充分ですよ」っと、いつも喉の先まで出掛かっているのですが、ここが商人のつらいところ。情けない・・・・。

いったい、どういう神経を持ち合わせているのでしょうか?

こんな不況の時代です。

1円でも安く、少しでも美味しいものをと、殆どのお客様は頭を悩ませているっていうのに。

一緒に居合わせたお客様が、犬・猫のほうが自分より高いものを食べてるなんて聞かされて、いい気分な訳ないじゃないですか。

そこらへんのところをどう考えているんでしょうか?

一言で言えば、わがまま・社会性の欠如・想像力の欠落・思いやりの欠乏。

お叱りを受ける事を覚悟で言わせて頂きます。

この手の、いわゆる「ペット溺愛型」の飼い主の子供達で、まともに育っていると思われる例は稀有です。

要するに、ペットに対する躾(しつけ)の概念と我が子に対するそれがイコールなのです。

自分達が 甘やかせ過ぎたばっかりにドロップ・アウトした、手のつけられない悪ガキに代わって、物も言わぬ、口答えもしない小動物に乗り換えるのです。

そのペット達が飼い主の意にそぐわなかったり、可愛いのは小さい時だけで、大きくなって手におえなくなったら、今度はどうするつもりなのでしょうか?

ポイっと捨てるのですか?

自分勝手もいい加減にしろ!!!

生き物の面倒を見るって事は本当に大変なことなんだぞ!

人間に限った事じゃない。

犬や猫、植物もそうだ。

この世に生を受けたものの面倒を見るって事は、その「死」を見取るまで責任を持つって事なんじゃないのかい?

              あー、すっきりした!

今日もまた、キンデンの店の前を「ペット好き」が大勢通ります。

隣のお肉屋さんで買った、半透明のビニール袋に入った肉を“愛犬”の口にくわえさせて、
さも御自慢といった風情の中年の奥さん。

またそれを「可愛い!お利口さんね」などと、何をとち狂ったのか、自分の無神経ぶりを
町内中にアピールしている、大あわて者。

そうかと思うと、 ねんねこ半纏の背中には犬の首がちょこんとのぞいてる。
「うちの犬は寒がりなのよ」 真面目な顔でのたまわった、60才はとうに過ぎている御婦人。
♪いぬは喜び♪庭かけまわり♪(童謡 「雪やこんこん」)を知らないのかね?

ま、これだけ大人の常識が崩壊していれば、子供にまともな躾なんて照れ臭くてできっこありませんよね。


あっ!
今度はブランド物の、防寒コートを着た犬を連れた女性が前の道を通って行く。

下に〜、下に。「お犬様が通る」

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第七回 「親達よ!教師達よ!子供達よ!」

弥生三月もすでに後半。

九州からは例年よりやや早め、今シーズン最初の桜の開花ニュースが伝えられてきました。

明日から小学校は春休み。

日曜を除く毎日、裏の A小学校四年生が受け持つウサギ小屋の飼育当番が、
餌の残菜を貰いにキンデンに来るのも今日が年度末になりました。

思えば先代の時からすでに五十年、小学校で飼っている小動物の餌は殆ど当店の野菜で
賄ってきた事になります。

育ちがいいわけだ・・・・。

これもささやかな地域貢献の一つとキンデンは考えております。

小学校の生徒たちが当店を訪れる機会が毎年もう一度あります。

二年生の社会科授業で地元商店の話を聞く「お店屋さん調べ」がそれです。

一クラス、三十名前後が店内に入り、五・六名の班に分かれ、私とのQ&A式で八百屋さんへの理解を少しでも深めて貰おうという授業内容なのです。
なかには「売れ残った野菜はどうするんですか?」とか
     「自分の子供にも八百屋さんをさせるのですか?」
なんていう一瞬答えに詰まるような質問をしてくる子も珍しくありません。

いずれにしても、この土地で生まれ育った私にとって自分の母校の後輩たちとどんな形であれ
交流の機会が持てるというのは嬉しい事です。

今年度も“ある一つの些細な事柄”を除けば例年どうり、子供達と有意義な時間を過ごす事が出来ました。

“ある一つの些細な事柄”とは、
引率の先生が生徒たちに対する名前の呼び方です。

「男の子」にも「女の子」にも全て苗字に対して“さん”付けで呼んでいたのです。

  『別にどうって事ないんじゃない。』

そう言われてしまえば、そうなんですが・・、何故か妙にその事が気にかかったのです。

その日の放課後、授業のお礼を言いに先生がキンデンにいらっしゃいました。

 私は思いきって先生にお尋ねしました。

「さきほど先生は男の子に対しても“さん”付けで名前を呼んでいらっしゃいましたけど
 なんで“くん”じゃないんですか?」

 笑顔だった先生の表情がみるみるこわばっていくのがよくわかりました。
「・・・・・色々ありまして・・・私自身も不本意なんですが・・・・男の子と女の子の
 名前の呼び方を変えると言う事は・・・『性差別』・・・にあたるという事で・・・・・」

「何処が差別なんですか?」と私。

「・・・・・・・・・・父兄からの御指摘がありまして」と苦渋の表情の先生。

もうそれ以上、私は何もたずねませんでした。

まったく!!

“ 理屈と膏薬(こうやく)は何処にでもくっつく”とはよくいったものです。

男の子が“くん”で 女の子が“さん”これの何処が『差別』だと言うんでしょう。

どなたか解り易く教えてください!!

いえいえ、どんな高邁な理論を御披露して頂いたところで私にとっては所詮「屁理屈」
にしか聞こえません。

そう言えば去年、都内の小学校の運動会をテレビニュースが報じていました。

インタビューの中で若い男の先生がしたり顔でこういっていました。
「今年から徒競争はゴール前で先に行った生徒が後から来る生徒を待って、全員仲良く
一等賞でゴールインすることにしました。走るのが遅いから運動会は休みたいなんていう
生徒はうちには一人も居ません。みんな平等なんです。」

ば〜か!!

いつから日本は共産主義国家になったんでしょう!!

学校教育の大事な理念の一つに「集団生活の中での“個”を自覚させる」っていうのが
あるんじゃないんですか?

簡単に言うと、世間にはいろんな人が居るんだなあということを気づかせるって事。

算数は出来ないけど、足は滅法速い奴。

給食の時間になると活き活きして、好き嫌いなく何でもムシャムシャ食べる奴。

勉強もダメ、運動もダメ、だけど妙に指先の器用な奴。

居たでしょう? こんな奴。

要するに、他人と自分の違いを認識させること。得手もあれば不得手もあるってこと。
その意識があってはじめて他人を尊重することが出来るのでは有りませんか?

そんな当たり前の理屈すらわからない教師が現実にいるってことが怖いことなのです。

あえて先生の名誉のために申し上げますが、私の知る限り殆どの先生は尊敬に値する
素晴らしい熱血漢揃いです。

しかしながら、純白のシーツについたシミが、小さくても目立つように、一握りの
「似非 人権派教師」が何故か発言力があり、存在感もあるのが現状なのです。
「差別と人権」

ここ数年、やけにこの言葉を耳にする事が増えて来たように感じます。

私に言わせれば、こういう口当たりの良いキャッチフレーズを前面に押し出して
近づいて来る輩(やから)は最も信用できないのです。

よく私が使う「悪魔は天使の顔をしてやって来る」そのものだからです。

「平和」「市民」「平等」などを連呼する輩も同類です。

「差別」「人権」「平和」「市民」「平等」といった、誰にも反対できない事柄を“錦の御旗”にして
さもヒューマニズムの権化(ごんげ)のような顔をして、日本中に悪性ウィルスを撒き散らしているのです。

このグループにいる教職者の特徴は「日本は世界で一番悪い国」であると、生徒を洗脳している事です。

「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱は侵略戦争を肯定する物だから反対だと言う。

世界中見まわして、いったい自国の国旗・国歌に対して敬意を払わない国が何処にあるというのでしょうか?

侵略戦争と言うのなら、ハワイやフィリピンを侵略したアメリカ合衆国の国旗である
「スターズ・アンド・ストライプス」は汚れていないのか?

植民地主義を過去貫き通してきたイギリスの国旗、「ユニオンジャック」は別なのか?

長い歴史の中で二千回以上も韓国を侵略し、現在もチベットを違法に抑圧している
中国の国旗、「五星紅旗」は中国人民から認められていないとでも言うのか?

フランスの国歌である「ラ・マルセイユズ」の過激な戦争賛美の歌詞にフランス人は
ウンザリしているとでも言うのか?

ことさらに日本だけが悪いみたいにいわないでくれ!!

百歩譲って、あなたがたが日本を嫌いなのは構わない。しかし公務員である以上、
国民の税金で大部分を賄っている公立学校の生徒達に、特定の偏った思想を植え付ける
事だけは止めてくれ。

生徒たちが自主的に決めた?

いい加減にしろってんだ!!

あなたがたが、おだて・すかし・煽動したことは、みんなお見通しなんだよ。

しかし、“本当に日本はいい国だ”と思っているのはあなたがたじゃないんですか?
だって世界中で、公務員が自国に対して口汚くののしっても免職にならない国は日本以外ありませんよ。

援助交際、学級崩壊、不登校、キレる子供・・・・・。

どうしてこんな惨状を呈したのでしょうか。学校が悪い、教師が悪い、親が悪い・・・・

巷間、犯人探しが盛んですが、私はあえて言うならこれは家庭教育、特に「躾(しつけ)」と
よばれる幼児教育の問題であると思うのです。

現代の子供達の親に当たる世代は、もはや子供に対して有効な家庭教育をなし得ません。

なぜなら、彼ら自身が戦後民主主義が浸透する過程で、充分な「躾」を受けてこなかったからです。
ここに「教育の断絶」があったのです。

私が幼い頃、学校の先生に叱られると、うちの母は先生に「よくぞ叱ってくださった」と
感謝していました。

それは勉強を教えることが仕事である先生が、本来は家庭の仕事である子供の躾を手伝ってくれたという感謝です。

ですから自らの義務を放棄しておいて、子供が叱られたと言って学校へすっ飛んでいく今の親の姿は本当にみっともない。

どうしてこういう状況が生じたのでしょうか。

思うに、いわゆる戦後の「民主主義」教育が何処かで歪んだからだと思います。

自由と平等という言葉のみが一人歩きして、それに付随するはずの義務とか責任の概念が
すっぽり抜け落ちてしまったのです。

「先生と生徒は平等だ」
なんていう事を言う人がいますが、こういう言葉を聞くと唖然としてしまいます。

教えてもらう側と教える側が対等なわけがないのです。

親子の関係も同じ。

養ってもらってる側と養っている側が平等なわけがありません。

今の先生も親も物分りのいい顔をして、子供の「言い分」に耳を傾けるのが民主主義だと
思っているきらいがあります。

誰だって子供はかわいいし、できれば叱ったり殴ったりしたくはありません。
けれどそこを子供のために、やせ我慢して、叱らなくちゃならないし、場合によっては殴らなきゃいけない。

「子供がかわいいから叱らない」というのは、ほんとうは「自分がかわいいから叱らない」ことに他ありません。

「躾」という字は「身を美しくする」と書きます。
この字が意味するのは、躾なるものは身体に染み込んだ一種の条件反射のようなものでなければならない、という事です。
だから躾とは、理屈を超える物だと思うのです。

テーブルにヒジをついて食事をしてはいけない、のはなぜか。

合理的な意味があるわけではありません。ヒジをついても食べることが出来る。
そうしていけない理由はただ単に「みっともないから」です。見た目が美しくない。

それを「どうやって食べようと、誰に迷惑をかけるわけでもないし、勝手でしょ」っと言われては元も子もない。ヒジをついて食べるのは気持ち悪い、という感覚が条件反射的に身についていなければ何を言っても無駄なのです。

理屈ではなく、「ダメな物はダメ」と言いきる勇気と信念を親は持っていなければならないのです。

この「誰にも迷惑をかけなければ、何をしてもいい」といった価値観は今や日本の社会全体を
席巻しつつあるように思います。
この言葉は周囲の人のことを気遣っているようで、実は他人に対する想像力を失っているにすぎません。

他人の視線を感じないから、みっともないという感覚がない。

立ち食いも平気だし、電車の中で大声で携帯電話で話をする。それで
「誰にも迷惑をかけていないんだから・・・・」っとくる。
人間は生きているだけで、多くの人に支えられて、つまり「迷惑をかけて」いるという感覚が見事に欠落しているのです。

先に私は、子供と親は平等ではない、と言いました。
だからこそ躾は難しいのです。

なぜなら親の言葉は絶対であるからこそ、親は自分の言葉に「責任」を持つ必要が出てくるからです。

「怒る」と「叱る」は違うという事なのです。

感情を剥き出しにして「怒る」とき、子供はただ恐怖を覚えるか、少し大きくなれば
「また感情的になってる」と親の内面を見透かしてしまうかで、教育的な効果はゼロです。

子供が悪い事をした時にこそ、お母さん(お父さん)はぐっと怒りを押さえて、冷静に
「叱る」べきなのです。
「叱る」とは「ここを直せば、あなたはもっと良くなるんですよ」という励ましなのです。

「怒る」のではなく「叱り」ましょう。

そして、もっと大切なのは、どんな小さな事でもいい、良い事をしたら思いっきり褒めてあげましょう。
「褒める」ことは「叱る」ことより十倍の効果があるそうですから。

最後に

冒頭で御紹介した小学校の飼育当番。

挨拶が元気良く言えた時はキンデンの従業員,全員で、
生徒が照れくさくなるほど、褒めてあげているのです。


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第六回 「Y2Kはまだ終わっていない!!」

今回はチョット“学”のあるところをひけらかします。

コンピューターの誤作動は必ずしも2000年の元日だけに起こるものではないという事です。

「そんな事言われなくたって知ってる!!」ですって?
まあ、そう言わないで!知らない人も居るかもしれませんから。

恥ずかしながら、実は私もそれを最近知ったのです。

それって言うのは、閏年(うるうどし)の2月29日もかなりコンピューターが危ないらしいのです。

今月はその危険日があります。

ところでグレゴリオ歴がカトリック圏で始まったのは、1582年10月15日であります。
ユリウス歴を改め、1年を365日としました。

ただし4で割り切れる年は、2月が29日ある閏年にしました。

実は、もう1つ「100で割り切れる年は、100で割った商をさらに4で割って
割りきれる年だけを閏年とする」という<きまり>があったのです。

つまり太陽暦が採用されてから今日まで、00年の閏年は1度しかなかったのです。

それは前記の条件を満たす1600年で、今回は400年ぶりの2度目という事になります。

前回閏年だった1600年はどんな年だったのでしょう?

英国はエリザベス一世の治世下で、当時、人気絶頂のシェークスピアが今まさに話題の
「商工ローン」問題を取り上げた『ベニスの商人』の初演がありました。

ウイリアム・アダムス(三浦按針)らが日本に漂着したのもこの年です。

秋には天下分け目の「関が原の合戦」もありました。

なんだかいやな予感がするなあ〜。

皆さ〜ん!!

今年はヒョットすると何か大変な事がありそうですよ!!

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第五回 「嗚呼!!ハッピーマンデー成人式」

今年から祝日法が改まり、1月の第2月曜日が「成人の日」になりました。
連休が増えていいという人もいらっしゃるでしょうが、「匠」は祝日の移動はどうも
落ち着かない気分がします。

成人の日と言えば、昨年の仙台市の“成人式騒動”はずいぶん話題になりました。

講師に招かれた吉村 作治・早大教授が、会場のあまりの私語やケータイの
話し声のひどさに激怒し退席した一幕です。

もっとも、仙台市ばかりではなくて、ほかの市町村でも同じ様なケースが
頻発していたそうです。

過日、ひょんな事で学生時代の先輩からお誘いを頂き
フランスからやってきた少年合唱団の歌を聴く機会がありました。

パリ郊外のパシー・ビューザンバルという中高生の生徒達で、
カトリックの聖歌を中心に歌っており、海外での公演も多いそうです。

会場となった教会は丹下健三さんの設計で、ひときわ荘厳な建物でした。
音響も良く、「アヴェ・マリア」「ハレルヤ」など少年達の澄んだ歌声に
心洗われる思いでした。

しかし、もっと気持ちが良かったのは、そのあとの歓迎パーティーでの
彼らの態度です。

12才から17才ぐらいまでの男の子達です。歓談の間は
ふざけあったりもしていました。

ところが来客の挨拶がコールされると、「シーッ」「シーッ」と全員が声を掛け合い、
直立不動のようにして話に耳を傾けておりました。

周囲の大人達もつられて私語をやめるほどだったのです。

夜も遅く、小さい子供達は眠たそうにしていました。

ところが、余興でコンサートでの歌をもう一度歌うことになると、
脱兎のごとく壇上に駆け上がり、懸命に歌ってくれるのです。

このケジメの良さのわけは推測がついておりました。

決して訓練されたわけではありません。

彼らは聖歌の練習やミサで歌うため、一日あるいは週に何時間かを
教会などの“聖なる”空間の中で過ごします。

いくら外では自由気ままでも、その時、その場所では厳粛でなければならない。
そうやって自然にケジメといったものを身につけていくのですです。

戦後の日本社会は、「鎮守の森」をはじめ日の丸、君が代、
「仰げば尊し」といった聖なる時間や空間を捨て去り、軽視してきました。

そう思うと、所かまわず携帯電話をかけまくる若者や、
パーティーで人の話を聞けない大人がいても不思議ではないのです。

新 成人諸君!!

難しいことは言いません。
この問題はうんと簡単に割り切って考えればいい。

頭の「切り替え」なのです。

これなら君達の得意とするところでしょう。

「おはよう」「こんにちは」といった挨拶で一日が始まるように、
人間社会にはルールやマナーや約束事があります。

「ざけんなよ」とか「チョーむかつく」といった言葉遣いはそれなりに
生き生き?として、仲間内では存在理由もあるのでしょうが
それを面と向かって会社の上司や学校の先生に使うのはまずい。

丁寧な言葉遣いに変えねばなりません。
その使い分けが社会のルールなのです。

そしてそういう使い分けこそ“文化”であり、
大人になったことを示す人間の成熟度のバロメーターなのです。

成人式に出席したら講師や来賓の祝辞を静かに聞いて、
厳粛な式の雰囲気を尊重する。

それこそが成人になったことの証じゃありませんか?
ネ、チョ―簡単でしょう?

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第四回 「真の豊かさとは?」
明けましておめでとうございます。今年も相変わらずの御愛顧を願います。

日本中まさに飽食の時代です。

物余りの、いや、物溢れの時代です。

先日、ある光景を目撃し大変ショックを受けました。

まだ夜もあけきらぬ早朝でした。

市場へ買出しの途中、缶コーヒーを買おうと立ち寄ったコンビニエンスストアーの従業員が
ゴミ出しをしている最中でした。

何気なく目をやったそのゴミ袋の中から透けて見えるのはナント!!
おびただしい数のパンとお弁当ではありませんか!!

「それ、もう食べられないの?」

「そんな事ありません。」

「だったらどうして捨てるの?」

「賞味期限が切れたからです。」

「捨てるくらいだったらその前に安く売っちゃえばいいのに。」

「それは出来ません。本部からのマニュアルにはそんなこと書いてありませんから。」

「・・・・・・・・。」

“いつでも新鮮作りたて”

この耳障りの良いキャッチコピーの裏には、腹立たしいほどの無駄と
大企業の“イメージ戦略”という偽善が潜んでいる事を忘れてはなりません。
本当の悪魔は天使の顔で近づいてくるのです。

「汗水たらしてお米を作ってくれたお百姓さんに感謝をしながら最後の一粒まで残さず食べましょうね。」
給食の時、こんな事を言ってくれる先生は、まだ今でも居るのでしょうか?

“ハレ”の日と“ケ”の日という言葉があります。

“ハレ”の日とは記念すべき日、特別の日。“ケ”の日は普通一般の日。

「匠」の少年時代、ケーキと言えば年に2回、誕生日とクリスマスの時。それもコテコテの
バタークリーム。
お餅と言えばお正月の一回だけ。まさに“ハレ”の日の御馳走でした。

「だから今の子供達は幸せだ。」などと言っているのではありません。
それどころか逆に“不幸”なのではないかと思うのです。

”ハレ”の日を指折り数えて待つ事や“ハレ”の日まで我慢するといった事は
その当時、必ずしも苦痛ではなかったような気がするからです。

それが世間一般当たり前の環境に居たせいかもしれませんが、
今思えば、幼少年期の「匠」の人間形成にとって“物事のけじめ”を学ぶ絶好の機会だったのかもしれません。

戦後の混乱期、ただただ空腹を満たす事に明け暮れていた時代。
日本人全てが貧しかった時代。

まさに隔世の感を禁じ得ません。
しかしながら、物質の豊かさと日常生活の便利さと引き換えに、もっと人間として大切な物を
何処かへ置き忘れてしまったのではないでしょうか?

誰でも毎日好きな時に好きなだけケーキやお餅を食べられる日本という国。

この、世界でも類を見ないほどのありがたい国を、少なくても子供達に当たり前だと思わせるような教育だけはして欲しくありません。

明日から西暦2000年。

次代を担う子供達に“ハレ”の日の尊さを理解してもらえるように、学校・家庭・地域が三位一体となって「けじめ」と「我慢」の大切さを教えていきましょう。

もちろん、すでにキンデンは裏の小学校の生徒から“小言おやじ”として煙ったがれております。

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第三回 「師走 百景」

師走の雑踏の中、所用があって久し振りに駅前へ出かけました。
足早に行き交う人の波。

“歳末売りだし”“ミレニアムセール”“今度こそ本当!閉店セール!!”、

大きな垂れ幕の字がワルツを踊っています。

“ただなんとなく歩いている風”の厚底20cmブーツの3人娘は各々が大声で携帯電話の真っ最中。
いわく、「・・・・じゃないですかぁ。」「私が? 今? 南武線で? 3両目?・・・・」
変なしゃべり方! いちいち語尾を上げるなってんだ!!

多少ハウリング気味の拡声器からは、かすれ声で必死に客の呼びこみを繰り返す男性の声が耳に飛び込んで参ります。

この一見、わずらわしくさえ感じる町の喧騒風景ですが、なぜか「匠」はこの空間が妙に好きです。
生まれついての“商人”なんでしょうか?

用事を済ませ、お出かけ時のお約束。
駅前にあるデパートの地下食料品売り場を冷やかし行脚です。

エスカレーターを降りてすぐにある果実専門店での事。

お客様が、今日食べ頃のマスクメロンを御注文なさっている風でした。

店内からおもむろに出て来たのが50才がらみの女性従業員。
見るからにパートタイマーのおばさん。

オープンケースのわきからそのやり取りをうかがって居ましたら、ななな〜んと
そのパートのおばさん、1個7000円もするメロンのおしりを両方の親指で押し始めたではありませんか!

そして、したり顔でこう言い放ったのです。

「これなら食べ頃ですよ。」

余計なお世話と知りつつも「匠」は切れました。メロンの底の部分というのは一番果肉の薄い場所です。
そこをギュウギュウ押せば果肉の繊維が崩れて台無しなのです。押した指の跡さえ付きかねないデリケートな場所なのです。

ふざけるな!!浪越徳次郎じゃあるまいし、指圧と勘違いするな!!

高級なメロンになればなるほど、果肉のしまり具合や、食べ頃は指で叩いて判別しなければならないのです。
長い間の経験と修行が活かされる、まさに“プロの技”に他なりません。

パートのおばさんは悪くないのです。

名の通った有名果実専門店が、そんな貧弱な接客しか出来ない素人を店番においておく事が問題なのです。

責任者出て来〜い!!

あれじゃあんまりお客様が可哀想じゃありませんか!!

夕暮れ迫る帰り道、「匠」の心は錯綜しておりました。

また一人、メロンにがっかりしたお客様をつくってしまったという思いと、

まだまだキンデンの存在価値は充分あるな、という確信の思いと・・・・・・。

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第二回 「本当のブランドとは?」
お客「贈り物にしたいのですが、去年と同じ愛媛みかん下さい。」

匠「すいません、今年は扱ってないんですよ。」

お客「どうして?去年もおととしも、先様から美味しいと大評判だったのよ。」

匠「9月に大量の雨が降ったおかげで、例年に比べて内容が著しく劣るんですよ。」

お客「そう言うけど“愛媛県のみかん農家はみかん作りに対する姿勢も技術も超一流だ”って
言ったのはあなたじゃないの。第一、愛媛みかんって言ったらブランド品でしょ。」

今シーズンになって何回こんなやり取りがあったことでしょう。

幸いにも、大多数のお客様は「匠」のお薦めするものであれば、文句も言わずお買い上げいただいている事は当店にとって大変ありがたいことです。

フーズファーム・キンデンのホームページ開設当初から、以下のような御意見のメールを何度か頂戴しました。いわく、

「今は“こだわり”の時代です。貴社のH・Pにある果物・野菜には明確な産地表示もなければ、生産者の個人名も記していません。また、使用している肥料は“化学肥料”なのか“有機質肥料”なのか、栽培方法は“無農薬”なのか、も明示されていません。これでは通販の利用者の支持を得ることは難しいと思います。」

ありがたいことです。見ず知らずの方々から貴重な御意見を頂いて、心底、頭が下がります。

しかし「匠」は決まって、その方たちへ次のような内容の返信メールを打つのです。

どんなに名人上手と言われる高度な栽培技術を持った農家でも、敵わない物があるのです。
それは“天候”です。

過去10年間、どんなすばらしい出来の農作物を作ったとしても、今年も絶対に良いとは限らないのです。それが農業なのです。工場で作るポテトチップスとはわけがちがうのです。

出来の良い時はチヤホヤと持ち上げ“こだわり農家の名人”とかなんとか誇大宣伝し、悪い時は見向きもしない。

そんな薄情な商いは「匠」には出来ません。
それが原因で商品が売れないのであれば「匠」は潔くオンラインから姿を消します

誰かのせいにするような商売はしたくないのです。

「美味しかった」と言うお褒めの言葉も、「まずかった!金返せ!!」と言うお叱りの言葉も
全てひっくるめて「フーズ・ファーム・キンデン」に対するお客様の評価であると言う認識を持って営業していきたいのです。

昔からの名店・老舗と言われる果物屋さんは、その店名こそが「ブランド」であったはずです。
“あそこに行けば美味しい果物があるよ”

“あの店で扱っているんだから間違いはないよ”


そんな信頼と親愛に満ちた店にしたいのです。

そして願わくば、お客様がこう言ってくださることを

「フーズ・ファーム・キンデンはブランドだよ。」と

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第一回 「下町商人の独り言」
早いものでインターネット上でホームページを開設してから今日でちょうど100日目を迎える事が出来ました。その間、延べ800人もの方にキンデンの“素人ホームページ”を訪問して頂いたわけです。

1日に直すと8人。これは当初、私が考えていた予想を遥かに上回る驚異的な数字なのです。笑っちゃいけません!!考えてもごらんなさい。2年前までパソコンのパの字もわからなかった”下町の中年八百屋”が一銭の経費も掛けず、慣れない参考書と首っ引きでこしらえた、言わば安物のプレハブ住宅みたいなものなんですから。

それがどうでしょう!一面識もない方々から甘口・辛口取り混ぜて様々な提言を頂戴したり、驚いた事に商品の御注文まで数多くいただくことが出来ました。

実際の店頭で、しばらく忘れかけていた“商人とお客様との心のふれあい”とか“信頼関係”といった、商売でもっとも大事なものを皮肉にもインターネットの中で思い出させてもらった格好になりました。
もちろん、ここまで来るには大勢の方々にお世話になりました。特に友人のKさん(通称 先生)にパソコンのイロハから始まって、今でも解らない事がある度に適切なアドバイスをして頂いている事を忘れてはなりません。感謝!感謝!!

今、日本全国の八百屋さん・果物屋さんが悲鳴を上げています。そればかりでなく肉屋さん・魚屋さん等々、いわゆる「零細個人商店」が存亡の危機にさらされているのです。

ある方はこう言います。「自助努力が足りなかった」「生鮮食料品の対面販売は若い世代には支持されない」と。「どの業種にも淘汰はある」「効率的な商売に職人気質はマイナスだ」とも。本当にそうなんでしょうか?

我々に不遜やおごり、甘えが全くなかったと言えばそれは嘘になるでしょう。
5年先、10年先を見据えた商売をして来たかと言われれば、素直に頭を下げるしかありません。
しかし、だからと言って簡単に“白旗”を掲げるわけにはいかないのです。確かに個人商店は効率的でもないし、接客マニュアルがあるわけでもありません。店主は頑固一徹だし、子供が桃でも触ろうもんなら顔を真っ赤にして母親をなじります。挙句の果てに「おじさんに怒られるからやめましょうね。」っとくる。かくして“怖い八百屋のおじさん”の一丁あがり。
冗談じゃない!!

我々が長年培って来た商品知識や生産者との太いパイプ。コンピューターより正確に記憶しているお客様一人一人の“お好み商品”。そして誰よりも商品を愛する、プロとしての“情熱と誇り”。これを活かせない訳はないのです。

狭い町内だけを考えずに視野を広げましょう!日本は広い!世界はもっと広い!
必ず「職人気質」を評価してくれるお客様がいると信じています。理屈は要らないのです。
ただひたすら“お客様に美味しいものを提供する”のみなのです。

お客様の笑顔が見たいのです。

お褒めの言葉が欲しいのです。

この文を読んでくれている同業者の方に申し上げたい。
お気づきの方も多いと思いますが、現在インターネットを利用したフルーツ・野菜の通販事業に取り組んでいるのは、ほとんどが産直・農協・中卸業者・量販店・百貨店・「銀座千疋屋」「新宿高野」といった超有名果実専門店ばかりです。

いわゆる路面店・中小小売店は皆無に等しいと言っても過言ではありません。
TVコマーシャルにあるように、店舗の広さや立地条件には一切関係なく、事業者個人の才能とアイデア次第で無限の可能性を秘めた、まさに究極の最終兵器がこのオンライン通販だと私は確信しております。

勇気を持ってください!希望を捨てないで下さい!!

いよいよ我々零細小売店の反撃が始まるのです。 誰にも負けない商品知識と、ただひたすら “味”に対する強いこだわりという強固な鎧で完全武装するのです。

価格だけが武器のディスカウントストアーなど怖くありません!

素人集団の量販店・スーパーマーケットなど恐るるに足りないのです!

ネームバリューのみに依存し、法外な価格をむさぼるデパートなど論外です!

まるで農民は全部が善人だと言わんばかりの産地直送など軽く蹴散らしましょう!
同志諸君!今こそ我々真のプロフェッショナルの底力を見せようではありませんか!!

お為ごかしのキャッチコピーなどではなく、「お客様に満足して頂ける」商売、
「お互いに顔の見える」商売、「気配りの行き届いた」商売を今こそ胆に銘じて、この戦いを勝ち抜いていきましょう。援軍(お客様)は必ず現われます。

どこで戦うのかって?

もちろん、戦場はインターネットです。

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