Re: 「宋史日本伝」における地名

投稿者[ マルセ ] 発言日時 [4月13日(土)20時52分37秒]

元の発言 [ 「宋史日本伝」における地名 ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月11日(木)23時18分51秒 ]

>> (1)(2)は分離できないのですが、これほどまでに多くの誤りがあるのは何らかの理由を考えざるをえません。それぞれの差異から判断すると、もとの文書の文字が不明瞭、あるいは不正確だった可能性が高そうです。つまり宋史の編纂者の責任にするのはどうだろうかということです。もとの文書が不明瞭であった場合は、どんなに正確を期してもいくらかは誤記が起こり得ます。

#宋史には「[大/周]然善隷書」とありますよ。少なくても、皇帝に提出したちょう然の文書がへたな読みにくい字で書かれていたなんてのは、ちょっと考えにくいです。それより、国名を書き写した回数が、[百衲本→開明書店版]間より[ちょう然提出文書→百衲本]間のほうが断然多かったと考えるほうが普通じゃないでしょうか。

>> 以上は、宋史での他の文書の転記について調べれば判断できます。

#是非調べてみてください。


>> 倭人伝の場合の同時代の同国人(あるいは中国語原音を知る者)による音訳語とは状況が違うのではないでしょうか。三国志における倭人伝以外での音訳語の多くが間違いならば、倭人伝の音訳語も間違いが多い可能性は高いでしょうが・・・。

#この感覚はちょっと理解できません。宋史の場合より、三国志の場合は、倭人の話を音訳するという工程が一つ余計に加わるということですよ。三国志のほうがより多く間違っているというならわかりますが。


>> その年数の数え方は、あまり意味がないと思います。原本から現在残った最も信頼できる史料に至るまで、どのような人々によって何回書写がなされたか、というのなら分かりますが。

#当然そうでしょうけれど、現実には書写された回数は双方ともわからないわけですから、書写回数の推定値としては、古く成立した史書ほど多いというのは妥当な話と思います。


>> 「対海国」「一大国」については対応地名「対馬」「石田」があると考えます。

#紹興本(1131〜1162年)に「對馬國」、紹煕本(1190〜1194年)に「對海国」とあるのですよ。「對海國」ができたのは「邪馬壹國」ができたのより新しそうですけれど。
「一大國」のほうは、太平御覧(983年)の引用する魏志にもそうあるので、もう少し古そうですが、壱岐の石田の地名は、古くは「いはた」と読まれていて「いした」ではなかった可能性が高いです。万葉集にそういう歌があります。
 「對海」は「對馬」の、「一大」は「一支」の、それぞれ、日本の地名をよく知らない人物による後年の誤写と考えたほうがよいでしょう。

万葉集15/3689 到壹岐嶋雪連宅満忽遇鬼病死去之時作歌一首[并短歌]反歌二首
「伊波多野尓(いはたのに) 夜杼里須流伎美(やどりするきみ) 伊敝妣等乃(いへびとの) 伊豆良等和礼乎(いづらとわれを) 等波婆伊可尓伊波牟(とはばいかにいはむ)」



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