Re: 松本説はトンデモです

投稿者[ 游惟 ] 発言日時 [7月20日(土)17時17分43秒]

元の発言 [ Re: 松本説はトンデモです ] お名前 [ ピクポポデミ ] 日付 [ 7月20日(土)07時54分10秒 ]

>>私も、ねこねこねこねこ、と呪文を唱えました。

じゃあ、ついでに「タコタコタコタコ」と呪文を唱えてみてください。(^ヘ^)
鏡を見ながらやれば、「ネコ」の「コ」と「タコ」の「コ」の唇の形が違うことがわかるはずですが、(但し、母音を確実に発音し、音程を変えずにやること)、「タコ」の「コ」が甲類、「ネコ」の「コ」が乙類です。

>>オ列のみならず、イ列やエ列についても、異音関係であると説く説はありますが、書き分けているものを異音とするのはどうも納得のいかないことです。

その説を唱えているのも大野晋氏と松本氏ですが、イ・エ段音に関する限り、これは異音ではなく日本人自身が意識的に聞き分け、発音し分けていた可能性があります。(故に、上代特殊仮名遣いがイ・エ段音だけなら朝鮮帰化人記述説を持ち出さなくても説明できます)
日本人でも「インドウ(引導)」と「ウィンドウ」、「エイガ」と「イェーガー(作曲家)」はちゃんと聞き分けるし、発音し分けることも出来ます。これらは合成母音ないし二重母音であり、ちゃんと意味弁別に機能しているのであって「異音」ではありません。
「上(カミ)」と「神」は「ミ」の甲乙で書き分けられていますが、「神」のほうは「カムイ」が合成母音化したものと見られ、発音する方も聞く方もちゃんと区別していたと思われます。(それが時代が下るに従って区別しなくなった)

大野氏のような高名な学者でさえ「異音」の概念を誤解しているのですから(大野氏は松本氏の上代五母音説を批判していますが、やはり「条件異音を母語話者が書き分けるはずがない」という点には気づいていない)、一般の人が誤解するのも無理はありません。

誤解その1 
「サケ(酒)」と「ヤ(屋)」、「シロ(白)」と「カワ(川)」をくっつけると、「サカヤ」「シラカワ」と変化するような現象は異音ではありません。その方が発音しやすいから母音が交替しただけで、「サケヤ」と「サカヤ」、「シロカワ」と「シラカワ」を日本人は同じ音だと思っているわけではなく、発音しわけられないわけでもありません。

誤解その2
「ヤマ(山)」と「キワ(際)」をくっつけると「ヤマギワ」に変わる連濁現象も、異音ではありません。
この場合は発音上の便による変音現象ですが、「きんさん」「ぎんさん」は意味が違うのであり、意味弁別に機能する音節の違いは異音とは言いません。

誤解その3
「アオウメ(青梅)」が「オウメ」、「カエル(帰る)」が「ケール」のように変化するのも異音ではありません。二つの母音が合成母音化し、別の母音の範疇に入っただけのことです。

誤解その4
英語のcupの「u」、中国語の/e/のように、日本語では言語音として通常発音されることのない音節も異音ではありません。「異音」とは「母語話者自身が無意識に発音しわけていながら区別していない音」であって、当該言語体系にない音は異音ではないのです。

じゃあ、どういうものが「異音」かというと、例えば「マンガ」「カンダ」「マンボ」の「ン」です。これらは音声学的には[ng][n][m]であって皆違う音なのですが、日本人自身はそんな区別があることにすら気づいていません。また、東京人が「菊池さん」と言えば、「キクチ」の母音は全く発音されず、関西人が「菊池はん」といえば母音が全部発音されますが、そんなことは東京人も関西人も全く気づいていません。仮に気づいたとしてもその区別によって語の意味が変わるわけではなく、書き分けても無意味であることは母語話者自身が一番よくわかっています。こういうものが異音なのです。

子音の異音や母音脱落による異音は割に気づきやすく、言語学者や方言学者によって数多く発見されていますが、母音の異音に関しては、母音の「ウ」が標準語では円唇化しないのに対し、関西方言では円唇化するということが定説になっているくらいで、「オ」の異音に関してはこれまで研究した人がいませんでした。

私は韓国にいたおかげで、朝鮮語では日本人には聞き分けられない円唇の「オ」と非円唇の「オ」を明確に区別することを体験的に知っていたため、上代特殊仮名遣いオ段音に興味を持ち、日本語(特に関西方言)の「オ」の円唇化、非円唇化法則を研究してみたところ、その法則がオ段甲乙音の書き分け法則と全く一致していることを発見したのです。
何故日本人が朝鮮語の円唇の「オ」と非円唇の「オ」を聞き分けられないかと言えば、中国語の/e/のように日本語にない母音ではなく、その両方ともを自分自身が無意識に発音し分けているで、逆に朝鮮語話者が日本語を聞けば「日本人も二つのオ段音を使い分けている」と思うはずです。そして、記紀万葉が成立した時代には、日本国内に663年の白村江敗戦以降大量亡命してきた百済人を中心とする朝鮮帰化人一世・二世がわんさと存在したのです。

>>この場合上代特殊仮名遣いの範囲は、平安初期の痕跡程度のものまで含めると結構広いと思いますが、日本では相当の期間相当の範囲で、文字という文字は朝鮮帰化人が書いたものでしょうか。

奈良時代以往、「史」即ち文書事務官を意味する姓を持つ氏族はほぼ100%帰化人氏族であったことが確かめられています。
森博達氏によれば、日本書紀β群を書いたのは山田史三方という人物だそうですが、「史」姓ならもちろん帰化人であり、しかもこの人物は新羅に留学していたとのこと。要するに新羅に行って朝鮮語を学んでいたのではなく、朝鮮語が出来たから新羅に留学して別のことを勉強していたのでしょう。

国語学者は誰も指摘しないことですが、663年の白村江以前に作られ現存する文書は、鉄剣銘・鏡銘・仏像の光背銘など数える程しかなく、特に都以外で作られた文書と言えば、続日本紀に引用される推古期の「伊予道後温湯碑」というのがただ一つあるのみです。
ところが7世紀後半、と言うより白村江以降になって、突如として大規模な全国規模の編纂事業が始まります。まず670年に全国戸籍の庚午年籍が作られ、690年に庚寅年籍、702年にも戸籍、711年古事記撰上、713年風土記編纂の詔、720年日本書紀完成、万葉集が編纂されはじめたのも7世紀松頃からでしょう。
草深い東国でさえ、681年上野国山名村碑、700那須国造碑、711年上野国多胡郡碑などが作られ現存しており、この時代に地方にも読み書きの出来る人間が広まったことを意味しています。

それは、百済滅亡(660年)と白村江敗戦(663)により、大量の教養ある(読み書きの出来る)朝鮮帰化人
が日本に亡命してきたからに他ならないでしょう。

>>万葉集の東国の歌などには、甲乙の区別のあいまいなものなどあるようですが、これは方言でしょうか帰化人が絡まなかったということもあるのでしょうか。

東国には666年に2000人の百済帰化人が配置されたのを初めとして、その後三々五々やってくる帰化人達は殆ど東国に送られています。上の681年の上野国山名村碑以下の文書を書いたのも彼らでしょう。
東国の歌の甲乙の区別が曖昧なのは、当然東国の方言が畿内方言と異なるからで、朝鮮からやってきていきなり東国へ送られた帰化人達には、日本語の方言も標準語も区別がつかなかったでしょうから、朝鮮語音韻体系で聞こえる音を聞こえるままに記述したのが、当時の東国方言の記録となって残っているのでしょう。

要するに白村江以前、日本国内で読み書きが出来たのは、貴族達と文書事務の為に雇われた帰化人書記官だけで、その数が少なすぎたため、全国規模の編纂事業などは不可能だったのです。白村江以前の帰化人書記官は日本の朝鮮権益を守るための専門官でもあり、日本移住後何世代経っても家庭内では出来るだけ朝鮮語を用いるようにし、年頃になれば任那や百済に駐在したり留学したりして、朝鮮語能力を失わないよう教育されていたでしょう。白村江以前の文書にも上代特殊仮名遣いが見られるのはその為です。
ところが、白村江敗戦の結果、日本は朝鮮権益喪失と引き替えに、亡命帰化人という形で大量の文書事務官が得られ、それによって多数の文書事務官を必要とする中央集権の律令制の施行が可能になった、ということです。
律令制が施行されたから読み書きが出来る人間が増えたのではなく、読み書きが出来る人間が増えたから律令制の施行が可能になったのです。

特に、直接朝鮮から渡ってきた一世達よりも、日本生まれの二世達が8世紀前半の記紀万葉編纂の主力であったはずです。来日当時すでに成人していた者は、年齢にもよりますが、読み書きは出来ても日本語の方が不自由だったでしょうから、地方に派遣されることはあまりなかったでしょう。しかし、日本生まれの二世達は日朝バイリンガルに育ったはずで、地方の国府などに派遣されても不自由はなかったはずです。

但し、バイリンガルと言っても、学校のないこの時代、読み書きは一世たるの父や祖父から朝鮮語で習うため、漢字音は朝鮮語モードの中にしかありません。(この時代に日本漢字音、要するに「音読み」が成立していたという証拠は何もなく、あったとしてもそれは日本人が朝鮮漢字音を真似ただけでしょう)だから、日本語を音写するときは、頭の中の日本語モードと朝鮮語モードを切り替えつつ、日本語に似た音の漢字を探して当てはめていったと思われます。

このバイリンガルの二世書記官達は、日本語も支障なく話せるのだから、純粋な日本人と結婚することに何の問題もなく、派遣先の豪族などに請われて婿入りすることもあったでしょう。日本人と結婚すれば家庭内では日本語を話すに決まっており、生まれた子供は帰化人の血を引くとは言っても日本語しか話せません。特に、当時の上流階級は通い婚だったと言われており、生まれた子供は母親(日本人)の家で育つのだからなおさらです。大きくなった子供に二世帰化人達がいくら朝鮮漢字音を教えても、子供達はもはや朝鮮語音韻体系を持たないのだから、円唇・非円唇の/O/の区別などできません。
当時書記官の職は世襲だったと思われますが、バイリンガルの二世書記官が死に絶え、日本語しか出来ない三世が主流になるのが八世紀後半と見られ、上代特殊仮名遣いが崩壊してゆく時期とぴったり一致します。

また、白村江敗戦により朝鮮権益を喪失した日本では、朝鮮語が出来る人材の必要性が低下します。更に、奈良時代に入る頃から日本は朝鮮(新羅)蔑視政策を採るようになり、日羅関係は悪化の一途をたどります。そして、朝鮮半島を経由せず、直接東シナ海を渡って遣唐使や留学生を唐に送るようになり、先進文明の担い手は朝鮮帰化人から入唐留学生に移ります。
このような政治状況下では、もはや朝鮮語を話す朝鮮帰化人であることはエリートどころかハンディにさえなってきたはずで、それが白村江帰化人三世以降の日本語同化を促進したでしょう。9世紀初めに作られた新撰姓氏録で、明らかに朝鮮帰化人であるはずの氏族が、自らの祖先を架空の天皇や中国皇帝に結びつけたりして来歴を詐称していることはよく知られていますが、それがこのことを物語っています。

このように、言語学・国語学・朝鮮語学・歴史学・社会学等の知見を総合すれば、「上代特殊仮名遣い」とは朝鮮帰化人の用字法であったことは明白なのですが、「専門(バ)家」の皆さんは、自分の守備範囲内の重箱の隅を突っつくばかりで、隣合った学問の領域さえ覗こうとはしません。「史」がほぼ100%帰化人であったことは隣の日本史の世界では動かしようのない定説なのに、国語学者の上代特殊仮名遣い研究はそのことを全く考慮に入れていないのですから・・・・




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