2023余所自作117『小品三点』

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『小品その1:ピンクのビキニ』

「天音さん、脱げてる」
 真昼の温泉の水面にぷかぷかと漂うビキニの下のピンク色が目に鮮やかで省吾は大きくため息をついた。温泉好きなのかやたらとおねだりされてやってきた温泉宿だが当然日帰りの予定である。真冬の温泉で雪が楽しめるかと思っていたが予想外の暖冬で木々には薄く緑が残っており、ただ只管空気が冷たい。
「はい?あ、やだ」
「何がやだだ…。焦りなさい」
 漂うビキニにおっとりと手を伸ばす彼女の乳房と下腹部が省吾の目に映る。目の前で堂々と晒すのはやめて欲しいと思う省吾は真昼の明るい場所で見てしまったものの気拙さに顔を逸らす。と、それに気付いたのかビキニを手にした彼女の顔が真っ赤に染まる。
「み、み、み、見ました…かあっ!?」
「お願いだから堂々と目の前に晒さないで欲しい」
 とぷんと勢いよく湯に身を沈めてこちらを拗ねた瞳で睨みつける彼女に省吾は大きくため息をつく。
「他の人が来たら拙いんだからそういう水着もやめなさい。誰かに見られたらどうするんだ」
「伊能さんなら問題ありません」
 可愛らしい頬を膨らませる彼女のビキニはとても面積が小さくほんの少しずれただけで乳輪が零れてしまうもの…いや今も少しはみだしている。
 真横ににじり寄り恥ずかし気にこちらを見ている彼女の胸元を指差し、そして不意に悪戯心で手を伸ばし、省吾は彼女の水着の胸元を整える。ビキニの端を引っ掛けた爪に乳首が当たり、彼女があんと可愛らしい声をあげる。
「水着も服も下着もちょっと人目を気にしなさい」
「……。あの、伊能さん以外に下着を見る人はいないのですが?」
 おかしな挑発をするくせにこちらが手を出せば顔を真っ赤にして戸惑うお嬢さんの額を省吾は指で弾いた。


『小品その2:雨宿り』

 北日本や北陸では大雪になっている冬至。急に降り出した雨に地下鉄駅の出口からマンションの間にあるコンビニエンスストアの軒先に駆け込んだ省吾は少し走っただけでずぶ濡れになってしまった髪を掻き上げた。
「寒……っ」
 氷の様に冷たい上に土砂降りと言う風邪一直線な濡れ鼠だがPCの入っているビジネスバッグは完全防水でありそれだけが救いである。と、ぱしゃぱしゃと慌ただしく同じ軒先に駆け込んできた女性を見て省吾は暫し固まった。
「天音さん?何やってるんです?」
「あれー?伊能さん、奇遇です、ね……っくちゅん!」
 どう聞いても胡散臭いご挨拶の後可愛らしくくしゃみをした彼女は省吾と同じくずぶ濡れである。
「今日は有休だったでしょ」
「偶然です偶然。今日は大人しくお掃除してお買い物して……っくちゅん!くちゅん!」
 二連続で可愛いくしゃみをした彼女の服は省吾同様上から下までずぶ濡れだった。はーっと深く息をつき、同じ様に濡れた服であっても直接雨に打たれるよりはマシであろうと背広を脱いで彼女の身体を包み込む。肩幅や丈などは余裕なのだが豊か過ぎる乳房だけはかなりキツそうで、こんな状態であるにも関わらず少し視線に困る。
「駄目です伊能さん風邪ひいちゃ…っくちん!」
「あー…。タクシーも全く通らないみたいだから、ウチに上がりなさい。た・だ・し!おかしな事はしない事!」
「それ女性が言われる事じゃないと思いますーっ」
 やや戸惑った様に頬を真っ赤に染めて省吾の背広に埋もれる彼女の手を引き、省吾は土砂降りの中走り出す。
 どうしてこうなった。
 いや彼女を自宅に連れ込んだのは自分なのだがどうにも納得がいかず省吾はバスタオルで髪を掻く。帰宅して即彼女は風呂に入って貰っており、問題のなさそうなブラウスなどは現在洗濯中で、スカートはエアコンの吹き出し口前に吊るして乾かしている。当然女性用着替えなどないので無難にまだ封を切っていなかったパジャマの上下をバスタオルと一緒に脱衣所のカウンターには置いていた。所謂億ションの彼女の部屋と異なり無難な1LDKはさぞや狭く見えるであろう…それが自分と彼女の世界の違いだと判って貰えればそれはそれで正しいのだと思いながら、若干苦い。
「すみません、お先にお湯をいただきました」
 くしゃみの連発は止んだ彼女の声に振り向いた省吾は視覚的暴力に慌ただしく視線を逸らす。冬用の厚手のものではなく中間期の長袖のパジャマの上下は彼女には大き過ぎてズボンは裾を何度も折り返し、袖からは指先も出ず子供の様に肩が落ちている、それなのに、乳房だけが無理矢理押さえ込まれている。白地に細い灰色の縦縞模様は凝視すれば乳首や乳輪が判ってしまいそうで、濡れた髪が堪らなくいやらしい。
「じゃ。こっちも風呂入るから。そこ、コーヒー入ってる。砂糖も…少し古いかもしれないけどある。ミルクはない。洗濯終わるまで時間かかるから、その辺でTVでも見てて」
 まるで箇条書きの様に伝えてそのまま風呂へと向かう省吾の濡れたシャツの袖をくいと彼女が掴んだ。
「怒ってらっしゃいます?」
「上がりたいなら上がりたいって言いなさい。この手段は、少しアウト」
 彼女の偽彼氏としてマンションへの送り迎えをしてはいたものの省吾の家に上がる事は当然なかった。無邪気な好奇心が向いているのは判っていたが偽である以上は線引きは重要である。しゅんとしょげている彼女の頭をぽんぽんと軽く撫で、袖を掴んでいる指をそっと外すと泣き出しそうな顔で彼女が見上げてきた。
「――俺、すぐ風呂入らないと風邪確実なんだけど」
「ふぁ、ふぁい!ごめんなさい!」
 慌てて手を離した彼女が風呂へと向かう省吾の後をついてくる。
「何?」
「お詫びにお背中流しましょう、か?」
「おかしな事はしない約束は?」
「お礼ですー、おかしな事じゃありませんーっ」
 まるで飼い主の後をついて歩く子猫の様な彼女が脱衣所に入ってくる寸前で目の前で扉を閉めると、向こう側からんもー!と拗ねた声が聞こえてきた。

 浴室の鏡に描かれていたらしきハートマークを見て省吾は膝から崩れた。
 石鹸のついた指で描かれた落描きは、軽く湯で流しても残る。


『小品その3:酔っぱらいと振袖』

「あにょれふね、にぶしきじゅばんていうんれふよ」
「あーはいはいはいはい」
 会社の新年会のあるホテルの一室でベッドに転げた彼女が何が楽しいのかくふくふと笑っているのを聞きながら省吾は冷蔵庫の中の水を取り出し、振り向いて噎せる。
 高値そうな振袖はもう帯が身体に巻き付いているだけの状態になっていた。いや振袖自体は残っているが肩から抜け落ちて帯で身体に貼り付一縷だけに過ぎない。長襦袢はどうしたと思ったが、身体の脇に落ちているのがそれなのだろう。どうした訳か二つに分かれているが。
「天音さーん?」
「らっれあちゅいんれふもの、あしぇきゃいれふりそえらめにしちゃらおばあしゃまかなしまえまふ」
 ころんと転げながら少し気難し気な顔をしているが全体像は立派な酔っぱらいである。豊かな乳房も白い腰も晒したままキングサイズのベッドに転げている姿はぞくりとする位にいやらしい。
「……。大切な振袖ならきっちり脱いでおきなさい」
「……。にゅがひれふらふぁい」
 祖母からの頂き物の額が恐ろしい一般庶民の省吾ははーっと息をついてから彼女の帯に手を伸ばす。振袖を脱がすなどやった事のない一般男性としてはパズルに近い。しかもきっちりと身体を締め付けている帯や紐はなかなか簡単には解けない。それでも手伝っているつもりなのか省吾の動きに合わせてころんころんとベッドの上で左右に転げる彼女の顔は自分で言い出しているのに真っ赤に染まり、そして恥ずかし気に視線を逸らしているのに時折こちらを切なげに見上げてくる。
「いのーしゃん?」
「はい?」
「あけまひふぇおめれろーこりゃいまふ」
「はい明けましておめでとうございます…って元旦に会ったよね?」
「いいんれしゅ」
 ぷうと頬を膨らませている彼女の乳房も、下腹部も、剥き出しである。新年会の祝い酒が回っているのか全身が薄桃色に染まって甘いいい匂いが漂っているのが悩ましい。
「いのーしゃん?」
「はい?」
「……。からら、あちゅいれふ」
「脱いだらお風呂入ってください。いや、いいのかな?お風呂、平気?」
 酔っぱらいにスポーツ飲料と入浴は危険な気がして答えを求めるでなし呟いてしまう省吾の袖をくいと彼女が引っ張った。
「いのーしゃん?」
「はい?」
「……。ちゅー、したいれふ」
 どうせ明日はもう憶えていないのだよなと以前の泥酔具合を思い出しながら省吾は軽く天井を見上げる。殆ど解けた帯に猫の様にじゃれつく彼女は自分の発言が恥ずかしかったのか時折きゃーと鳴きながらベッドの上で身体をくねらせている。白い腰の、すらりと伸びる脚の付け根の辺りが少し濡れているのが悩ましい。
「えい」
 振袖が愛液で濡れては拙いと彼女の身体を転がして振袖を引き抜き、そのまま脱がして省吾は椅子の上にそれを掛ける。
「いのーしゃん?」
「はい?」
「そえわ、きむしゅめこままわひれふ」



『ちょっとおまけの酔っぱらいと振袖前日譚』

 自分の酒癖の酷さを自覚していない彼女の新年会参加を聞き、暫くモニターの前で頭を抱えてから省吾は会場のホテルの空室情報を確認する…病禍にあっても週末のホテル業界は賑わっているのかツインルーム以上は全て満室と出ており深く息を漏らす。とっとと自宅に帰らせるのがいいのかもしれない…がお持ち帰り図を他の人間に見られたくない。何よりそろそろ意中の人とやらに持って帰って欲しい所である…そう考えて省吾は眉間に皺を寄せる。そうである。何でここまで自分が面倒を観なければならないのか。
 不意に鳴ったメール音に画面を開いた省吾は、会場ホテルのスイートルームの予約済案内に凍り付く。転送主は彼女かと思った所、夏のホテルの支配人からである。確かに系列ホテルではある。だが、これは。
 省吾はどっと押し寄せてきた疲れに机に突っ伏した。

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