2010寒中見舞『1/02・夜明け』(『誘惑2〜Deduction〜』より)

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 甘い夢を見た気がする。
 綿の様に疲れて眠った筈なのだが、ナイトテーブルの時計はまだ就寝から二時間足らずを示していた。年末年始の休診があっても市立病院の内診に休みはなく、休日診療の担当も回ってくる。開業医の同期は海外旅行で今頃楽しんでいるだろう。あまり羨ましく考えた事はなかったし、今もそう感じる様子はない。――ただ、今、何故か物足りない。
 そのまま横になり続けるつもりになれず、ベッドの上で身を起こす。かすかなエアコンの音。静か過ぎる部屋に時計の音が無機物の脈の様に小刻みに鳴る。その音よりも低く、脈打つ己の身体を感じる。わずかな火照り。シーツの下で張り詰める愚劣な欲望。生理現象の尿意はない。
 長い絹糸の黒髪。白磁の肌。震える声。
 どくんと全身が疼く。
 あの少女を陵辱したベッドで眠ると、まだ残り香が鼻孔に届きそうで呼吸を止めるべきなのか浅ましく深呼吸などをしてしまうか馬鹿らしい選択が頭に浮かぶ。傍にいれば傷つけずにはいられず、離れていれば望まずにはいられない。空気や水を欠いている様な渇望感。触れたい、などという可愛らしい表現は似合わない見苦しい衝動。掴み、奪い、乱し、穢し抜く。破壊衝動に似た凶暴な欲望。
 恐らく神経のささくれ以上に身体は疲れているのだろう、寝乱れた髪を掻き上げるのも煩わしい。同じ漆黒でも自分の髪を指で漉くだけで感じる。あれとは違う。長い、長い細くしなやかな髪。あの華奢な少女のすべてを奪い堕とした筈が、自分の感覚と意識のすべてを、根こそぎ奪われた感覚に男は小さく笑い嗤う。
 初夢の縁起など信じないが、何かが頭の中で無駄に疼き、蟠る。
 肉欲を発散させたいという即物的な衝動を満たすのは簡単である。適当な女を呼び出せば解決出来る。アドレスを押しつけてきた女のメモは手帳に挟んだままであり、馴染みの幾人かの女との通話記録は毎度削除してはいるが携帯の電話帳には紛れている。人妻、未亡人、看護婦、後輩、元患者…少し声をかければ尻尾を振ってやってくる。
 枕元の携帯を一瞥し、男は息を漏らす。
 満たされない事は判っている。あの後何人かと試して、肉体的には満足していた。だが、精神が満たされない。どの女も身体と具合はいい。だが、違う。
 あの少女と、違う。
 性欲処理と割り切って他の女を犯しても発散出来ない、いやより一層深まる不満。
 いっその事惨めに中学時代前半の情けない餓鬼の頃の様に自力で発散した方がまだマシかもしれない。どうせ何をやっても頭に浮かぶのはたった十七歳の少女の姿と声と反応なのだから。
 そんなに調教や開発が楽しかったのだろうか。嗜虐思考の相性がよかったのだろうか。ならばもっと相性のよい女を捜せば済むのだろうか。
 無駄な思考の疎ましさに、男は再び嗤う。
 昨年末に届いていた随分と洒落た招待状の日付は本日で、気晴らしのパーティにでも出て新しい女を愉しんだ方がいいのかもしれない。いや、目的はそれではない。
 自分は壊れている。それも中途半端に。
 人として人を乞う気持ちが判らない。
 肺の奥に蟠るものを吐きだす様に息をつく。最近本数の減った煙草のにおい。本数が減ったのは何故だろうと考えて、ふと思い出す。あの少女の髪に自分の煙草のにおいを嗅ぎ取った時に、それが無性に嫌だった。煙草のにおいを染みつかせたくなかった。自分のにおいが、不快だった。その代りに酒量が増えた。仕事中と眠る時だけ楽になる。
 この惨めさは何なのだろう。
 簡単そうな答えが、見つからない。

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