齋藤助産院

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2004年11月

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ゲストルーム(2004年11月頃)

「こんにちは赤ちゃん」 by 鳩オヤジ

 私が高知を出て早二週間になろうとしていた。出産予定日を五日過ぎ、嫁のポワン(以下P)も焦り始め、近くの【腰掛神社】へ願を掛けに行った翌朝三時、突然それはやって来た。「いっ、痛い....」「どうした?」「何だかお腹が....」産院の先生には『10分間隔に痛み出したら電話を』と言われてた。「どんぐらいの間隔よ?」「ずっと痛い....」『こいつ、もしかして....』どうやら連日のウオーキングでダレこけて初期の陣痛に気付かず爆睡していた様である。さすがはP....。助産院の先生に電話を入れ、ダンディーなPの父さんを起こして慌てさせ産院に向かった。

 産院の先生はユーリーズミクスのアニー・レノックス似の欧州美人風な女性。アニー先生の「気楽にいきましょう」の言葉とともにPの闘いは始まった。「そばにはいるが立ち会わない!」という事前の私の宣言も全く関係無く次々事が進んで行く。リラックスさせようとまずは池マサトのCDをかける。曲はもちろん【モンシロ】だ。Pのおっぱいの根っこに響いているのか段々陣痛は激しくなる。私は後ろからPを抱きかかえて背中をさすったりお茶を飲ませたりしていた。二時間くらいたった頃、もう一人....辺見えみり似だけど10倍くらい可愛くした感じの若い先生が登場。ためらいも無く赤ん坊の扉部分をマッサージし始める。大久保和花のCDが終わった頃になると外も明るくなり握り飯を携えた義母さんとPの妹のミチコが登場。全員で身体のあちこちをさするがPは陣痛の時だけ意識を取り戻し大きなうめき声を発し、腹の痛みが治まれば死んだようにグッタリしていた。一人外で煙草ばっかり吹かして待ってた義父さんが娘の聞いた事の無い叫び声に耐え切れず、とうとう産室の扉を開けると、そこには扉方向に向かって今まさに自身の扉をこじ開けようとする娘の姿が!「あっ、これは失礼....」慌てて扉を閉める義父。ん〜ダンディズム。そうこうしてる内にえみり先生のマッサージの効果か、お産もいよいよ佳境を迎える。どうやら赤ん坊の頭が見えて来た様子で「お父さん、髪の毛ありますよ〜」とえみり。「あっ、ありがとうございます!」と何故か礼を言う私。数々の歌小屋の仲間達のCDコレクションがPを勇気付け「近いですか?」と聞くと「もうすぐですよ」とアニー先生。「ミチコ、矢野絢子をかけて」「はい!」出産時にはPの大好きな絢ちゃんの歌をかけようと二人でずっと前から決めていた。『さあ来るか〜最初は【てろてろ】だったはず』と思ってると突然....”頭のイカれた男のギターを手に入れたのさ〜♪”とザッとした歌。『何これ?鳩sやん!』【ナイルの一滴】の中身が鳩sの【畜産祭り】ライブCDにすり替わっていた。「ミチコ、これ違うき!」「あれっどうしてだろ?」「ぷっ、何だか面白い歌ですね」とえみり。「これでいいの?」とアニー。突然うめき苦しむPが渾身の力を振り絞って「旦那が....旦那が歌ってるんです....あー痛、痛いー!」一同大爆笑。その後、Pは鳩sの【カノン】で私に抱えられながら踊りゆらめき【長い長い旅(牛)】で四つん這いになって踏ん張り、午前十時前【家畜チク】で無事赤ん坊を産み【ホルモン・ラブ】をバックに後産を出した。

 この先何度も、Pと喧嘩をしたり綺麗なお姉ちゃんにウツツを抜かしたりするだろうが、この日のPの頑張りを忘れる事は出来ないだろう。私の手を握りしめたPの力の強さや最後の大きな声、めったに見せない涙....。

 子供の頃、親にノートを買って貰うと嬉しくて最初の一行はメチャ丁寧に書いたものだ。継続力の無い私はすぐにまた汚い字に戻ったものだが、最初のその気持ちをいつまでも大切に出来る男になって欲しいと願い名前は【初行(はつゆき)】と付けた。みんな今年もいろいろありがとう。来年もよろしく♪

(「こほろぎ通信第73号」より転載しました。)

2004年11月