齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1004-10

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp

  
スタッフの日々

 

齋藤助産院のふつうの日々

2018年12月7日(金)

 《 師走になりました。 》 

☆でも、連日ストーブのいらない日々が続き、なかなか実感がわきません。私は仙台で看護学生の頃、ボランティアサークルに入っていました。寮間サークルというのがあって大学生たちと近くの身体の不自由な女性たちが職業訓練を受けている施設に週末訪問し、算数や漢字の練習、手紙を書いたり、おしゃべり等を一緒にするのです。ある時、片足が不自由で歩行時もちょっと杖を使うくらいの人から「普通に下から子供を産みたいけれど、この身体では無理だよね」と相談され、病院の分娩台に固定される姿を想像して「やっぱり無理かな...」と答えてしまいました。「あまり役に立ってないな」という思いとともに「何か方法はないのかな...」と考えてしまいました。開業助産婦になって、分娩台のない介助をやってきてフリースタイルのお産に慣れた頃、市の母親学級の講師として「お産について」というところを受け持っていました。そこでフリースタイルのことも少し説明しました。その後、会場にいた妊婦さんから「それなら私も下から産めますか」と質問されました。その方はかなりの未熟児で生まれ、先天性股関節脱臼で歩くのも大変そうでした。私はフリースタイルで産める湘南鎌倉総合病院を紹介し、医師との話し合いにも同席し、フリースタイルの練習に付き合い、お産の時も一緒に過ごしました。もう20年くらい前です。分娩台でしたが、四つ這いでクッションを使ってとても上手に産めて、彼女は嬉しそうでした。私もスタッフも感動しました。「帝王切開の方が安全ですよー」と言うことは簡単ですが、彼女たちの中の「普通に下から産みたい」という希望は、その当時の彼女にとってはすごく大事なことでした。

(「杜の都」仙台の写真です。2枚の出典元:http://korekuru.com/morinomiyako-sendai-100/

☆私のところに「TENOHASI」というホームレスの人たちを支援している団体(特定非営利活動法人)の会報誌が届きます。助産師のクマちゃんが東京にいた頃、炊き出しや夜回りを手伝っていた団体で、私は最初「どうしてホームレスになるのかな」と不思議でした。でもその人たちは精神疾患や知的機能の障害を持つ人が多いということを聞き、それからは盆・暮に少しお金を寄付するようになりました。そして会報の「TENOHASI」を読んで、個人個人とても「こだわり」の強い人やアルコール依存の人たちに時間をかけて、裏切られても逃げられても支援している人たちにいろいろ教えられることがいっぱいです。TENOHASIはいつもお金に困っていますが、来年は特に大変なようです。今年も私の働いたお金をTENOHASIに少し送れることを幸せに思います。クラウドファンディングも始めたようです。会報のWeb版もあります。

☆....そして、来年もよろしく御願いいたします。

(齋藤弓子)

2018年11月13日(火)

 《 11月になりました。 》 

☆夜、雨が降って朝には晴れる...そんな秋晴れの気持ちのいい日が続いています。11月18日は19回目の「お産カーニバル」です。お産や子育てにまつわるいろんな話題、子供が楽しめるパフォーマンスや色んなブースがあります。これを始めた頃にくらべて、今は情報をスマホで簡単に入手出来る時代ですが、生身の人にふれて、会話のキャッチボールやその場の雰囲気を感じて楽しんでもらえたらいいナと思っています。天気が良ければいいのですが、予報では「......」かな?

☆10月のお産は予定日過ぎてのゆっくりお産が多く、そのため11月に2人ずれこみ、今月は今まで忙しかったです。家族の入院も3組くらい重なったりして夜と朝の待合室はご家族の子供達とスタッフの子供達もいて「児童館」みたいでした。でも夜9時を過ぎるとシーンとなって赤ちゃんの泣き声すらあまり聞こえません。みんな「赤ちゃんかわいい」と楽しんでくれているようです。

☆新しいホームページができました。お産が年々減って、その割にはまだまだ助産院の認知度が低い、なんとかみんなに助産院を知ってもらい、少しでもお客様を増やしたい......ということで、今はやりのスマホ対応のホームページにこの夏前から着手。若いスタッフと専門家(松島さん)で頑張りました。写真はお掃除担当の稲森さん、イラストの絵はうちの長女の杏奈さんの作品です。長女は下の助産院の時にいろいろ手伝ってくれたりして、東京に行ってからも孫たちをここで産んで過ごしたりしていたので本当にここの雰囲気がでているイラストを描いてくれました。私はスマホを持っていないので若い人たちがどう反応するのかわかりませんが、今後をとっても期待しています。

☆11月は県の助産師学生さん4人のケースさんがお産で、今は毎日実習生さんがいる状態です。妊娠中の健診からお産、産後と長期間かかわるので、たのまれたお母さんたちも助産師学生さんに親近感を持っているようです。上の子供達ともよく遊んでいます。はるか昔、私が助産師学生だった頃に本当に一生懸命ケースのことを考えて過ごしていました。今の学生さんたちも本当に頑張っていますので応援する責任を感じています。いつか「苦しい時、あなたが居てくれて本当に良かった」と言ってもらえる助産師になってくれるでしょう。

(齋藤弓子)

2018年10月10日(水)

 《 台風とお産カーニバル。 》 

☆このあいだの台風(24号)で畑のもみの木が根元から倒れてしまい、庭やさんに来てもらい植えもどしました。10年前までは植木鉢に入っていたので地植えされた今も根の張りは弱く、ダメかもしれないということです。他所の人が見たらただの1本の木ですが、私にとっては家族の思い出の木なので、なんとか頑張ってもらいたいです。今はもう大きくなりすぎて飾れませんが、子供達が小さかった頃、クリスマスになるといっぱい飾りつけしてパーティの主役でした。

☆この度の台風では収穫前の果樹が折れたり、道路に大木が倒れて通れなかったり、台風のすぎた朝、自宅のお産があったのですが、いつもなら30分で行けるところを1時間以上もかかってしまい大変でした。

☆今年の夏休みに、17年くらい前にウチで女の子を産んだお母さんたちが娘さんを連れて4人も「見学」に来てくれました。「娘が助産師になりたい」そうです。お母さんたちも自分の出産にまつわる記憶につながり、心から喜んでいる様子が伺えました。私もとても嬉しくなりました。出産に向かって頑張るお母さんのそばにいて一緒に過ごし、元気な赤ちゃんの誕生を見守る....シンプルで勢いがあって希望にみちたお仕事です。「でもそれだけではないよな」という気持ちはあるけれど、その思いはとりあえずしまって、彼女たちが一人前になって遊びに来てくれる日を楽しみに待とうと思います。

☆例年やっている「いいお産の日in湘南 お産カーニバル」今年は19回目になります。11月18日(日)午後から近くの「ひかりの子幼稚園」でやります。いろんなブースやお産のお話、歌、子育てのヒントになるようなお話もあります。ご都合つけてぜひ参加してください。

(齋藤弓子)

2018年8月16日(木)

 《 暑い夏。 》 

☆朝起きて、水やりに外に出たら涼しい風が心地よかった。今年の夏は連日ものすごい暑さで、夜中でさえも「もあーっ」とあつかったから「秋が来たのかな」となんとなくホッとした。庭に変わった実が落ちていた。調べたらヤマボウシの実だった。白いヤマボウシの花からは想像できない面白い形です。

☆私もこの8月10日でなんと70歳になりました。今年は鼠径ヘルニアの手術をしたり、足が痛かったり、物忘れがひどくなったりで、体全般の不調を感じている。子供の頃は自分が70歳になって生きているなんて想像できなかったけど、不思議なものだ。ちっともお目出度くない。

☆夫の母も今年で満95歳になり、ここ数年は冬場はここで過ごし、春から秋までは山形の自宅に居たけれど、この夏から日中は自分の家ですごし(昼は御膳付きの配食)夜は施設で過ごす(夕食朝食付き)というケアを受けていて、今の所気に入っているようです。義母は10代で横浜で数年暮らした以外はずっと山形県の清川(鶴岡、酒田の近く)というところで生きてきたので、どうしても郷里で暮らしたかったようです。子供2人は県外に出ていて緊急時はあてにできず、高齢になって目がほとんど見えなくなって全くの一人暮らしは心配だったので、夫も少しホッとしているようです。当分1ヶ月に1度くらい通うそうです。ここにいる冬場にお産や研修で過ごされた方々も話し相手になっていただき、ありがとうございました。スタッフも「あれっ、2階に行ったきり帰ってこないなー」と思うと、おばあちゃんの昔話につきあっていました。義妹は「母は冬、助産院でご飯を食べて何とか体力を維持している。」と言っていましたが、こんどの施設でもお食事はとても良くて喜んでいるようです。「ご飯が楽しみ」っていいですね。

☆助産院の8月の出産予約は5人くらいですが、9月からは少し多くなってくるので忙しくなりそうです。スタッフの夏はみんな一週間くらいずつ休みをとっているので、昼のスタッフは2人くらいという日もあります。永く通っているおっぱい外来のお客様も「スタッフ少ないですね?」とびっくりです。おかげで出勤者は大忙し。....と、ここまで書いたところで、夜中に「陣痛です」と来てまだ進行状態になかったので一旦帰った初産婦さんから「強くなってきました」と電話がありました。少し進んでくれているかな?。

(齋藤弓子)

2018年6月10日(日)

 《 「マタニティ座禅」と5月のお産。 》 

☆6月8日(金)、鎌倉の建長寺で湘南鎌倉総合病院主催の「マタニティ座禅」(3回目)があり、齋藤助産院では毎回、妊婦のスタッフが参加していましたが、今回は私も2人のスタッフと一緒に参加しました。気持ちのいい日でした。お寺の周辺は紫陽花の季節なのでとても混んでいましたが、空は晴れて風が気持ち良く吹いていました。講堂の中は観光客の声も遠くに聞こえ、指導してくださるお坊さんの話に従い足を組み、指の形を作り、1時間ほど座禅のまねごとをしました。その後、禅の作法に則った精進料理をいただき、最後に湘南鎌倉総合病院副院長の井上先生のお話を聞きました。30人くらいの参加者で、半分くらいは妊婦さん、そして御主人と思われる方も数人いらっしゃいました。地元紙(?)の取材もありました。

☆生きている今に起きていることに注意を向け体感していくこと。深い呼吸と自分の体の緊張を解き放つことを意識すること...。もっと言われたかも知れないけれど、指導長さんのお話はそういうことでした。ご飯に感謝する気持ちを大事にすること。一粒のお米も大事にする、タクアンとお茶できれいにしてお返しする...ということも学びました。厚揚げが大きすぎて、ご飯もちょっと多くて食べきれるか心配でした。でも頑張って完食しました。お代わりをしている人もいました。井上先生のお話はよく聞こえなくて残念でしたが、「陣痛の痛みや不安を避けるのではなく、前向きに経験していくことも大事なのでは...」というようなことを言っていたと思います。私の長女が双子を産んだ時にとてもお世話になったベテランの助産婦さんが、赤ちゃんとパパと一緒に参加していました。「お産はどうでしたか」と聞くと目を丸くして「看ているのと自分で産むのとは大違い。大変でした。」と笑っていました。

☆終わって急いで帰りました。「合宿(おっぱいを直接吸えない母子のためのデイケアプログラム)」のお客様を送る予定があったのです。合宿2回目ですが、あまりうまく行かず、私たちが助産院に帰ってからもいろいろ相談をしていて16時過ぎに帰りました。そうしたら18時過ぎに本人からとってもうれしい電話がありました。「吸ってくれました!うれしくてうれしくて、つい電話をしてしまいました。」「みんなに言っておくねー」私もとっても嬉しくなりました。せっかく良く出るおっぱいなので、できたら直接吸ってもらいたいのですが陥没乳頭でちょっと吸いにくいようです。

☆5月のお産は5件で、そのうち自宅出産が3件ありました。助産院のお産は2件だけでした。自宅でのお産は、過去の出産がスムーズな人という条件をつけているので、お母さんも自分のお産に自信を持っている人が多く、こちらも家族の会話を楽しみながらお仕事をさせてもらっています。私も1件お手伝いに行きました。真夜中でしたが、赤ちゃんが生まれる直前に三男坊が起きてきたのが印象的でした。おめでとう、お姫様。これからの日々が楽しくありますように。

(齋藤弓子)

2018年5月1日(火)

 《 「さんばテント」と4月のお産。 》 

☆4月29日(日・祭日)は恒例のさんばテントでした。昔(20年くらい前)、茅ヶ崎の中央公園でリサイクルや食べ物、手作り品などを売ったり、舞台で子供や大人たちのダンスや歌などの発表をするお祭りがあり、すごい人で賑やかでした。私たち「茅ヶ崎助産婦会」も長老や諸先輩がお元気で、医師会や薬剤師会のとなりのテントでリサイクルの販売や「出産・子育て」のお話をさせてもらい、助産婦という仕事の存在を知ってもらおうと参加していました。それが「さんばテント」の始まりです。

☆あまりの人混みでほこりも多く、小さい子たちを連れて参加するのは大変な感じだったので、地元の里山公園まつりの方の参加に移り、これも抽選に外れたりして、だんだん助産院での「さんばテント」になってきました。今も井本さんや昔からの会員が参加してくれて手伝ってくれています。

☆今年は4月29日にやろうということは決まっていたものの、何をやるのかナカナカ決まらず、1ヶ月を切ろうとしていた頃から「おむつなし育児」や「ゆるべじ離乳食と大人ごはん」の参加があり、その関係で紹介いただいた上甲さんの「絵本で子育て」も決まり、気がつけば子育て中のお母さんの妊娠しお産をし、子育てをしていく中での創意工夫の講座が並びました。当日はどの講座も熱気にあふれ、とてもいい会になったと思います。私はカレー屋さんだったので、最初の倉田さんの歌(赤とんぼ、花...)を楽しく聞いただけでしたが、講座に参加された方からは「元気が出た」「明日からの日々の参考になった」など嬉しい感想をいただきました。来年も今頃「さんばテント」やると思いますので遊びに来てくださいね。

☆4月の助産院でのお産は8件でした。3〜4人づつまとまってきてくれて賑やかに過ごしました。スタッフも4月は子供達の送り迎えが忙しく、行ったり来たりに大変だったと思います。そうこうしているうちに、あっという間にまわりが緑いっぱいになり、空には鯉のぼりの泳ぐ季節になりました。振り返れば私の人生にとって、4人の子供たちを産み育てたということは大きな意味のあることだったような気がします。お産も子育ても仕事も、思うようにはならないことが多かったし、いつもあわただしく生きて振り回される日々だったけれども、私の生を豊かにしてくれたのもそんな普通の日々でした。これからも助産院を訪れる皆様が豊かな人生を送れますように、日々小さなお手伝いをしていきたいと思います。

(齋藤弓子)

2018年3月31日(土)

 《 春だよ〜。 》 

☆寒い寒いと言っていた今年の冬も、お彼岸を過ぎてから急激に気温が上昇し、日によっては「昨日より10度以上の差」などとテレビで言っている。こぶしの花がゆっくり咲き、あっというまに桜も満開、天気が良いので何回も花見が出来た。安売りで買った残りもののチューリップも賑やかにきれいに咲いています。

☆3月のお産は6件でした。1件、破水してお腹が張っているだけなのに心音がちょっと落ちてきて病院に行った経産婦さんがいました。病院で陣痛をおこす点滴をしたら1時間くらいで生まれましたが、最後はお腹を押してもらって「力め、力め!」と言われて「助産院とは真逆なのでどうして良いか分からなかった」とのこと。「でも心音落ちていたから急いだんでしょう」と言うと「そうだけど.....でもびっくり」。翌日、元気な赤ちゃんと一緒に退院して助産院にもどることができ、ご家族と元気に過ごしていました。

☆貧血がひどくて長らく病院管理だった38歳の初産婦さんも助産院で無事に生まれました。ずっと2分間隔くらいの陣痛で苦しくて手足をバタバタさせて叫ぶので「この人にマインドフルネスは無理だな〜」とながめていたら、そのうち赤ちゃんの下降にあわせて右を向いたり左を向いたり....。「右のほうにいる」と言うと右足をガンガン踏んで(一見あばれている風)赤ちゃんの下降を助け、お風呂も2回入り、助産院に到着してから12時間くらいで産みました。キズも無く、赤ちゃんも元気でした。翌日ママは不思議なことに声も枯れておらず、筋肉痛も軽微で私たちは「???」な世界でした。本人曰く「手足をバタバタさせていたのは痛みを他に逃すため」だったそうです。

☆3月31日、湘南鎌倉総合病院の出生前診断に関する勉強会に行きました。とても良い勉強会でした。昔、赤ちゃんの心臓に異常が見つかり、心像だけでなくあっちもこっちもおかしい、ダウン症の可能性もある...等と言われて、妊婦さんと一緒に途方にくれたことがありました。待たされたあげくの告知だったので、午後の3時頃二人で泣きながらたらこスパゲッティを食べました。そして「医学は人間の幸せのためにあるんだよね」と彼女に言いながら自分にも言い聞かせました。その後こども医療センターに転院し、詳しい検査を受けた後で「赤ちゃんは今はとても元気なんだって。でも生まれた直後が大変で手術とかが必要で、その後も様子を見て何度か手術をするかも知れないんだって。でも心配していたお金もかからないし、私がんばります。」と彼女はおどろくほどの決意を見せました。今はペースメーカーを入れながら優しくておもしろい中学生に成長しています。

(齋藤弓子)

2018年2月28日(水)

 《 さむ〜い 2月。 》 

☆2月も寒い、寒い日々でした。ちぢこまっているうちに梅のつぼみがふくらんで、白梅も紅梅も咲き出しました。足元には水仙もちらり、ホラリ。足腰強化のための散歩に出かけましょう。

☆2月14日のバレンタインデーは助産院のお誕生日。今年で満21周年。ということで2月18日(日)におもちつきをしました。あまり声掛けをしなかったので何人来てくれるか心配で、「でも来なかったら自分たちで食べればイイヤ」という気分でしたが、前日フェイスブックに載せた効果もあったのか、けっこう集まってくれました。おもちもあんこ(つぶ、コシ)やきなこ、ごま、くるみ、大根おろし...といろいろ楽しみ、豚汁7杯おかわりというツワモノもいて、みなさんホントによく食べてくれました。また来年この時期にやります。もちつきはもちろん、前日からの段取り、火の番、からめ番、ご苦労様でした。

☆2月のお産は3件しかありませんでした。一週間遅れて「病院かな?」と心配していた経産婦さんも無事に陣痛が来てくれて(来たら早かった...)、上の3人の子供達とにぎやかに過ごし、楽しい入院生活を送って帰りました。その後10日間くらいお産がありません。3月上旬予定日ですが「2月に産む」と言っていた経産婦さんも全然音沙汰なし....ヒマな日々です。

☆そんな中、5ヶ月の赤ちゃんと一緒に「産後入院」してきたお母さんがとても辛そうでした。上にお姉ちゃんがいるのですが、お父さんと保育園に見てもらって、助産院には10日間くらい居ました。お母さんはもともとの病気があって、対症療法をしていたのですが、だんだん症状が強くなって根本的な薬を使いはじめたところ、もともとの症状は改善されつつあったのですが、副作用なのか食事がとれず、全身倦怠感で入院した時は倒れこむように入ってきました。ちょうど引越しと重なって疲れていたようです。2日間くらいはトイレ以外は「ねたきり」で、「でも赤ちゃんの世話もしたいし...」ということで3日目くらいから夜はそい乳でそばに寝かせ、朝になると預かる...というパターンで少しづつ元気になりました。が....薬を増量したところ、また逆戻り。お膳を前に3時間くらいも佇んでいる姿は本当に心配しました。でもそのうち1日1食くらいは食べれるようになり、「引越しの片付けもあるし、家族に協力してもらい、ダメなら実家に帰るかな...」と退院していかれました。子育て中のお母さんが病気になると本当に大変です。何ともなりません。友人やら親戚の手伝いもやっぱり限度があります。お預かりした赤ちゃんはとっても可愛くて、歩行器もすごく上手になり、歯も生えてきて10日の間にとても成長しました。気になって何回か電話しましたが段々元気になってきているようで良かったです。

(齋藤弓子)

2018年1月31日(水)

 《 さむ〜い 1月。 》 

☆今日で1月も終り。あわてて「ふつうの日々」を書いています。今月のお産は3人で、そのうち自宅が2人でした。先日、雪が降って夜半から5〜6cm降り積もった朝の4時半すぎに電話が鳴りました。「アッ、○○さん!」「陣痛ですか?」「ハイ、すみません、こんな日に」「行きます、行きます」....「やっぱり」というか「今朝でなくても...」というか、ともかく行かなくちゃ。芹沢の道はすっかり雪をかぶってクルマの轍が2本あるのみ。クルマの雪をはらって夜勤の白水さんがソロソロと出発です。県道に出てからは雪も少なく、わりと早く着いたそうですが、海の方に住む安藤さんが先に来ていて、本人さんはとても落ち着いていたのですが、モニターをつけたらわりと短くヤマが出てきたので「アレッ」と思って見たらもう頭が近くまで...あっという間、2階にいる子供たちを起こす間もなくパパの立会いだけで出産となったそうです。5人目の男の子でした。

☆スタッフの齋藤かおりさんも1月16日の朝から少しきざしはあったものの、ゆのかわさんもついて近くのスーパーに行ったり散歩したりしていて、帰ってきたところで破水。すぐこちらから龍瀧さんも行って、到着後2〜3回のビッグウェーヴで生まれたそうです。3人目で女の子でした。上2人は男の子なのでバアちゃん(私)も楽しみです。助産院でも1月10日に男の子が生まれ、産褥入院の方が1週間滞在したりして前半はわりと賑やかでした。

☆1月27日、夫の母が例年通り避寒に来ました。スタッフの子供たちも「おばあちゃん」とよく遊んでもらっています。来月で満95歳、まだまだ元気です。あと、防火のため法律で今年の3月末までに自動火災報知設備の工事をしなくてはならなくなり、3〜4日かけて工事が入りました。費用も大金です。助産院仲間の中にはこれで院内出産をやめようというところもあります。ガイドラインにしろいろいろ安全のためにがんばらないといけないことが多いです。お産のお客様の数が減る傾向にあり、マイナス思考になりがちな日々ですが、でも「ここ」を必要と思ってくれる人がいるかぎり「助産婦魂」を灯し続けたいものです。

(齋藤弓子)

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