齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

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  メールアドレス:

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齋藤助産院のふつうの日々

2008年7月28日(月)

 《 いろいろ考えさせられるお産。 》 

☆7月は予定では、お産の多い月だった。あと2人残っているが、去年の夏の16件、17件の「次々産まれる!」という感じではない。(全部で11件産まれた)。初産が5人と多く(1人は6月末に出産)、そのうち搬送も2件。1人は子宮口が7cm位開いた所で赤ちゃんの心音が80〜90台に低下、1回だけで体位を変えたら大丈夫だったが、陣痛も弱く3日目だったので、病院でちょっと促進剤を使って無事出産。もう1人は、助産院での出産にはむかない人で、ご主人ともども、痛みを止める処置を希望され、「あと一息」という所で、どうしても私達にはお手伝いさせてもらえず、湘南鎌倉総合病院へ。結果的には何の薬も使わず、元気な赤ちゃんを下から産むことが出来た。奥さんが外国人で私達も言葉が通じず微妙な感覚が伝えられず、強引に誘導することも出来ず、私達としては疲れた不完全燃焼のお産だった。彼女としては希望をすれば麻酔を使う国に生まれ(お母さんは無痛分娩)、陣痛をマイナスイメージにとらえる環境にあったようだ。お産もしっかりした体だったのでスルッとはいかず、長い時間の戦いで大変だったのだろう。彼女にかぎらず、今月は経産婦さんも、今までの齋藤助産院のお客様とはちょっと感じが違う人がいて、「すごく痛いけど大丈夫!」というパワーが受けとめられず、手伝う方も落ちつかなかった。妊娠中にお産のイメージ作りとかもっとしておくべきだったのか、それとも社会的状況で仕方がないことなのか......これからの課題になりそうだ。これとは正反対に、安産すぎて車で産まれちゃうハプニング(しかも初産で???)があったり、本当に「いろいろ」です。昨晩は遠く湯河原から(それも里帰りです)助産院で産みたいとハルバルいらした方が、本当に安産でご主人と彼女の両親に見守られてスルーッと男の子を産みました。本人も安心したでしょうが、私達も安心しました。

☆日常ではない出来事もありました。なんとここに県知事さんと寒川町長さんが(おまけに県会議員さんも)お見えになったのです。といっても助産院の視察にお見えになったのではなく、「はぐはぐ」という寒川の子育て支援の団体が始めた「高校生とのボランティア」活動の視察です。(講演会のようでもありました)。そもそもは助産院で出産された方のお母さまに「高校生に『命の大切さ』を実感してもらうようなナマの体験ボランティアを企画したので協力して欲しい」と依頼され、気楽に引き受けたことが大事になってしまったのです。この事業は県からの支援を受けていたので、その意味での視察だったようです。当日は私は3時起きであちこち片づけ、会場設定。30人を想定しました。夫は駐車場の誘導係。スタッフも接待係。10時からは普通の営業の予定でしたので、知事さん一行とお客さまの入れかえがうまくいくかやきもきしましたが、なんとかスムーズに終わり、知事さんが高校生達と下の助産院に歩いていく様子を台所の窓から見送った時は本当にホッとしました。下の助産院で高校生達が子供達と遊ぶ様子を見守られたようですが、子供達に「チジさんですヨ」と何度も自己紹介してたそうです。子供達は夏休み中、お姉さんお兄さんと遊ぶのをとても楽しみにしています。間接的にも、助産院を知事さん御一行に見ていただいたのは良かったナーと思いました。

(齋藤弓子)

2008年6月27日(金)

 《 どろどろの世界。 》 

☆わたしは殺人事件とかケイジモノが大好きで良く見ている。今回も引っ越しにあたり「大きなテレビを買いたい!」と言って、スタッフには「どうせ犯人がつかまるまでは起きていないのに....」と言われる程、夜のゴールデンアワーはどろどろどっぷり。でも21時には瞼が閉じてしまうので、ほとんど結末は......。このところ、引っ越しのいろんなイベントも落ちついて、おまけに6月のお産もスムーズに終り、今は入院さんが一人もいない。おまけに7月の始めのお産の人たちに生まれる気配はない。もうちょっとソワソワしてもいいのに〜という程、ヘーキそう(遅れそうー)。昨晩は新開さん、ウッチーとヒマにまかせて3人で当直(?)。「ラストフレンズ」総集編を見た。性同一性障害あり、DVあり、近親相姦あり、ゴタゴタのまさにマイワールド!(実際にあったらこわいけどね....)。22時〜23時半位まで、なぜかしっかり起きて見た。この「ややこしや〜」の世界!抜け出すキーワードは、ドラマの中でしっかり語られていたと思う。

☆お産にも、子育てにも通じることだが、うまくいかない時でも「自分の力で」「自分の生きることをまっとうする」というパワーがうけとめられない時がある。黒子としての自分達に何が要求されているのか不安な時である。いろんな人が産みにくる。そして生まれる。そしてそれがハッピーに終わるようにお手伝いすることが私たちの仕事だ。しかしやっぱりドロドロの世界は人と人との中にはついてまわるものかもしれない。「思うようにはいかせないヨ」という神さまのささやきを心にとめて、それでもやっぱり頑張ろうと思う。

☆お庭はだいぶん形が見えてきました。浜松から長男が夏休みで帰ってきて、ツルハシで穴を掘ってくれ、お父さんがどんぐりの木を植えました。あと、こどもたちの小屋を作り、もっと花を植えて、お金の余裕が出来たらお庭にフェンスを作って、子供達が遊ぶ時、落っこちないようにしたら、多分イイ感じです。家の中は、むくの床がだいぶ汚れてきました。これも又、生活している以上、しょうがないのかもしれません。皆がいろんなものをプレゼントしてくれて、とってもお家が喜んでいます。ありがとうございました。

(齋藤弓子)

2008年5月25日(日)

 《 新しい助産院の出発です。 》 

☆前の助産院から歩いて5〜6分、4月の末、建物がほぼ完成したということで、谷から丘の上の新しい助産院に引っ越しました。大きな荷物は5月4日、スタッフのパパさん達の協力のもと、運び込めたのですが、それからが大変。市役所の完成検査が遅れ、なかなか本格的な仕事が出来ません。赤ちゃんたちには5月の連休がすんだらイイヨと言ってあったので順調に(?)生まれて、9日の保健所の検査が済んだ所であせってお産も引っ越し。なにしろいろんなものを引っ越しさせてしまっていたので、少々バタバタでした。やっぱり、役所からみのことは1ヶ月くらい(連休もあったので)余裕を見ておけば良かったナーと少々後悔しました。

☆さて、丘の上の助産院での生活にも少しずつ慣れ、風の音や車の音もそれほど気にならなくなりました。こちらに来てから3人目の赤ちゃんを迎え、どうやら日々の生活も落ちついてきたようです。広々とした空間ですべてが新しく、なんかとてもすばらしいようですが、何が変わるのでしょうか。私たちは何の努力もしていないのに、半年位で建物が出来てしまい、ちょっと戸惑っている所もあります。設計士さんや建築会社の人達が頑張ってくれて新しい助産院が出来ました。銀行が、何もない私たちにいっぱいお金を貸してくれて、すごいお金を払って行かなければなりません。「夢が実現しましたね」と言ってくれる人もいます。「そうかなー」と思います。

☆私たちの夢は、赤ちゃんが力いっぱい元気に生まれ、お母さんが産んで育てていく自分の力を信じられる場を作ることです。そして私たちの子供も、親の仕事の中で育っていくことです。この場所が出来たということは、私たちにとっては「新たな出発」。これからが試練の日々と考えて、一人一人のお客さまと、自分の子供達の育ちを支えて行こうと思います。(そうだよね。みんな。)私も借金が払い終わる十年後までは、元気に働き続けようと思います。(お酒はちょっと控えめに、歯は大事に!頑張りたいと思います。)今の夢は、お庭にお花をいっぱーい咲かせることです。5月31日、お披露目会します。11時30分と夕方6時と2回です。時間のある方、どなたでもいらして下さい。待ってます。

(齋藤弓子)

(前の助産院は、昼間の子供達の遊び場になっています。)

2008年3月28日(金)

 《 嘱託医療機関の届け出完了! 》 

☆嘱託医療機関の届け出終わりました。これで4月からの助産院でのお産が続けられそうです。本当に長い時間でした。どうすれば病院からハンコをもらえるのか分からず、皆さんに署名してもらったり、アポのとり方(誰に、どんな風に)も分からず、途方にくれた時期もありました。まさに右往左往、何をすればいいのか全く見えず分からず、それでも嘱託医の先生の言われたように「ギリギリになれば、必要なものは残るんだよ」という風が吹いてくれたのかナー???!。

☆嘱託医療機関は湘南鎌倉総合病院と茅ヶ崎徳洲会総合病院です。茅ヶ崎市立病院からも嘱託医にはなれないけれど搬送には従来通り受けられる旨の回答を市長名でいただきました。一度法律ができると、それに従わないと法律違反になります。法治国家なので大事なことですが、今回お産を止められる助産婦さんもいらっしゃるようです。何十年も続けてきて、自分でも続ける意志があり、そこでのお産を望む人もいるのに残念なことです。長い間のナンモンが一段落つき、ホッとはしていますが、今後考えていかなければならないことが山積みです。

(齋藤弓子)

2008年3月16日(日)〜17日(月)

 《 つながっている。 》 

☆3月16日、神戸で開かれた「日本助産学会学術集会」に行ってきました。何ヶ月も前から「行きたいなー」と思いながら(私の尊敬する毛利多恵子さんが会長の会で、鈴木秀子さんの講演があったから...)ポスターをながめていた。残念ながら1日目(15日)は大事な用事が夕方あって行けなかった。でも2日目は朝一番の新幹線に乗れば、なんとか9時からのワークショップに間に合うということで、参加することが出来た。行けば私にとって意味がありそうな気がしていた。沢山の題目の中から「誕生の環境」「誕生と喪失-対話というサポート」の2つのワークショップ、午後から「臨床心理からみた助産ケアの重要性」(教育講演-村本邦子)を聞くことが出来た。頭がクラクラする程いっぱいのことを聞いた。あとで先生方の本を読んで、もっと頭を整理しないと何を聞いたのか分からない程だ。

☆会場で会った友人が最近「誕生死」に立ち会った経験を聞いて大きなショックを受けた。その後「誕生と喪失」のワークショップに出たので、いろいろ考えさせられた。そして家に帰ってきて、「Mさんが来たよ」と夫に言われ、びっくり。Mさんの上の子は助産院で産む予定だったけど、破水してなかなか進まず、最終的に病院で吸引分娩になった。2人目の今回の妊娠では、お正月に赤ちゃんの異変を告げられ混乱状態にあった時、電話をもらっていた。ずっと気になっていたが、翌日その後のことを話にみえた。予想もしなかった赤ちゃんの状態。あちこちの病院にまわされ、下された結果が「治療対象外」の先天的な異常。羊水過多による苦痛、そして2月8日、35週での早産。間もなく昇天。小さなお骨になるまで、そばにおいて過ごした日々のこと、そして今の気持ち。じっくり型の彼女とは、前のお産の時も、長い長い陣痛の時、いろいろ考えさせられることが多かったが、ご夫婦で見えて語ることばは重く、悲しく、そして豊かだった。まだまだ混乱しているというものの、彼は夫婦に息子としての不動の位置を築いているようだ。

(齋藤弓子)

2008年3月5日(水)

 《 さようなら 新生児訪問 》 

☆私はこの3月、20年以上やっていた藤沢市の新生児訪問を降りることになった。助産婦による「新生児訪問」から「こんにちは、赤ちゃん事業」として全戸訪問することになり、主に虐待等の早期発見をめざすという政府方針を受け、藤沢市が実施することになった為だ。「新生児訪問」は主に助産婦が各家庭を訪問して、お母さん達の悩みを聞いたり、赤ちゃんがすこやかに育っていけるようお手伝いするものだったが、全戸訪問だと助産婦だけでは手がまわらず、また予算の関係もあり、今回募集をかけたら、看護婦さんが大分集まったということで、年令制限もあり、ちょっと働きにくい時間割りだったので降りることにした。

☆この仕事は開業助産婦として始めからやっていた仕事だったので、いざ降りるとなるといろんな思いが去来する。はじめた頃は私も30代、戦前からご活躍の助産婦さん達もまだお元気で、「ゆみこちゃん」とかわいがってもらい、私は病院勤めの後だったので地域の助産婦としての姿勢をすごく勉強させてもらった。一人一人の助産婦さん達の話し方、笑い声等が今も想い出すことが出来る。共通していたのは皆さん赤ちゃんが大好きで、赤ちゃんの話をする時はお月様のように笑っていたっけ...。新生児訪問すると、デーンと大きな結婚式の写真が張ってある家が多かった時や、テレビがつけっぱなしのままのお家もあるし、一時期はレンタルの体重計等に囲まれている人が目につく時期もあった。今はお母さんやご主人が一緒というお宅もある。本人より積極的に質問してきたりする。気のせいか年令が高くなり、不安顔の人に出会うことも多くなったようだ。ある時スーパーで買い物をしていたら声をかけられて「新生児訪問の助産婦さんですよね。おかげで母乳育児が続けられました」と言われた時はとても嬉しかった。自分の子供よりも若いお母さんも多くなり、「母乳にはいろんな免疫があるから....」と言いながら、すでに予防注射の世代だからな...と、自分の子育て時代とは違う背景を実感しています。

(齋藤弓子)

写真はお雛様と並んでポーズをとるニャンポン。お客さんから「かわいいネ」とネコ缶をもらって御満悦です。

2008年2月3日(日)〜11日(月)

 《 雪の中の移動 》

 

☆2月3日、朝起きたら一面の雪景色だった。「きれいだね」と木につもった雪の写真を撮ったり、お産の人もいないし、雪も降ってるし、のんびり過ごすつもりだった。9時ころ、2人目38週のSさんが「陣痛が来た」と連絡がある。午前中はお風呂に入ったりして、わりとゆっくり経過。13:30、陣痛がきつくなったころ、自宅出産予定の2人目38週のAさんから「おしるしが...」、何故かもう声がひっくり返ってる。「陣痛は?」と聞いても「わからないけど腰が...」という。とりあえず金子さんと新開さんに連絡し行ってもらう。緊張が強いせいか、一時赤ちゃんの心音が低下したり、大騒ぎのわりに進まない。大分苦戦している様子。一方、Sさんは、順調に15時半ころ出産になったが、出血が多くてすぐには離れられない。18時ころ、収縮剤が効いて、すっかりSさんも落ちついたので、自宅出産のAさんの所に行ってみる。状況からみて、赤ちゃんのことも心配だし、「助産院に行こうか」ということになる。昼は晴れて雪も融けていたが、この時間にはまた降り出していた。陣痛の間隔は4〜5分位。2人の助産婦さんは車で来ていたので先に行ってもらい、ご主人の車に乗る。走り出して2回くらい来た所から陣痛間隔も3分位になり、いい感じにお尻を押してくるようになる。相変わらず大騒ぎだが「いい感じだね、お尻押してるヨ」と言うと、ウンウンうなずいている。そして助産院に着いて、なんと30分で産んでしまった。降る雪とさけび声で、まわりのものは大分まいったが、本人も赤ちゃんも元気いっぱい。「おいで、おいで、大丈夫ダヨー」と赤ちゃんを抱きしめてニコニコしている。......「ホッ」。金子さん、新開さん、お休みの所、ゴクロウサマ。

☆2月9日、この日も夜中雪だった。土曜日のお昼、自宅出産予定2人目41週のIさんから「朝から陣痛、今5分間隔」と電話ある。「発作は短いが、来て欲しい様子なので...」と新開さんが内村さんと自宅に向かう。検診でかかわっていた宮内さんが「自分も...」ということで、15時ころ皆のお昼を持って行く。夜になっても陣痛は3〜5分おき40秒位できているが、進みそうもない。22時「場所を変えたら?」ということになり、助産院に来る。夜半からボタ雪が降り出し、道はアイスバーン状態。場所を変えても陣痛は変わらない。家族の人にも帰ってもらう。スタッフも1人を残して休むことにする。吐き気が強く、ほとんど食べれず、眠気が強い。明け方にはだんだんお腹は張るだけになってしまった。この後も、子宮口が出てきて病院に行ったり、午後からは1時間半の山道散歩に行ったり、ダラダラした陣痛との戦いが続いた。状況が変わったのは19:30ころから。トイレに行った後、急に陣痛の声が変わった。この時の内診で、本格的に子宮口と児頭がフィットしていた。日付が変わって2月11日、1時37分、立ったりしゃがんだり、マックロバーツしたり、トイレに座ったりして、かけつけた夫に手をにぎってもらい、元気な男の子を産みあげた。ママの第一声は「(赤ちゃんのハダの)色いいねー!」だった。陣痛が弱かったせいか、やはり出血が多かったので、様子を見て、3食たべて、ドロのように眠り、21時、元気に帰って行きました。後は自宅までお世話に行きます。雪がもっとドカッと降れば、もっとパワフルな陣痛が来てくれたのかな〜。本当に、いろいろ個人差がありますね。

(齋藤弓子)

2008年1月2日(水)

 《 あけましておめでとうございます 》

 

☆平成も20年になりました。「ヒトが退職する頃に...」と妹君に心配された天皇様も、大正時代よりも長く20年、頑張ってお仕事されています。私もネズミ年で、今年60才!ヒトより多少、年のとり方が早いのか、病気らしい病気はしませんが、歯はガタガタ、筋力低下、何より頭の方が大分いかれて、記憶がところどころ飛んで(もっともこれはアルコールのせいというウワサも???)、「ヤバイ」という自覚も持ちながら、365日、1分1秒、自分の「天職」を実感しながら、本当に「有能な」「若い」「やさしい」「パワーのある」助産婦さん達と共に「新しい命のすこやかな誕生」や「頑張るお母さん」達のお手伝いに日々、精進したいと思います。

☆何年ぶりかで、今年のお正月はお産のお泊まりもなく、のんびり過ごさせていただいています。4人の子供達も次々帰ってきて、それなりに親のことにも気遣ってくれているようなフンイキです。ヒマにまかせて作ったおせちもいっぱい食べてくれて、親としてはそれだけで大満足です。(育ち盛りより食欲は減ったようですが....。)最後に今年、大学を卒業する子がいますが、これがまだまだ「海のもの」とも「山のもの」とも道が決まらないようです。でも親としては「60才」を子育ての定年退職と決めていますので、あとは本人の生き方でがんばってもらうことにしましょう。

☆今年は新しい助産院が出来ます(5月ころかな?)。広さ的には少し大きくなるだけでそう変わりませんが、来ていただく方がゆっくり出来るように、自然な産み方がいろいろチャレンジ出来るように、イロイロ考えて作ってもらっています。まわりの景色も本当に良くて、夕陽の富士山、丹沢の山々、畑や空。生まれてきたことや生きていることが嬉しくなる場所にしたいです。笑ったり怒ったり泣いたり、今年はどんな1年になるかナー、皆様よろしくお願いします。

(齋藤弓子)

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