Re: 北方系弥生人

投稿者[ たかとり ] 発言日時 [4月26日(金)01時24分32秒]

元の発言 [ Re: 北方系弥生人 ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 4月25日(木)22時00分17秒 ]


>> >>  私も似たようなことを書きましたが、しかし、前方後円(方)墳を造ったのは北方系である、とまで断言できるかどうかですね。

>> 四隅突出墓や、前方後円墳の前身とも言われる祭壇付きの積石塚が平壌近くで見つかっているらしいです。
>> 徳島でしたっけ、積石塚と言われる三世紀の古墳があって画文帯神獣鏡が出ているとも聞きました。
>> 画文帯神獣鏡は楽浪鏡らしいし。

>> この事を無視できません。

 詳しくは解りませんが「飛禽鏡」というのも来ているようですね。

 古墳時代の形成に北方系が大きな役割を果たしているとは思います。
 しかし、その比重や推移がよく解りませんね。
 墳丘の形ひとつ取りましても、前方後円墳のいくつかのタイプ、前方後方墳との違いなど、なかなか説明をつけ難いのではないでしょうか。
 特殊器台にしてもそうですね。
 北方系と、弥生の基層にある江南系の原始道教とが結びついたのだろう、と漠然と考えているのですが。

 それと、奥野正男『考古学から見た 邪馬台国の東遷』に、
「前方後円という形態そのものの祖型についても中国・後漢代の湖南打虎亭一号墓や内蒙古和林格尓壁画墓などとの関係が指摘されており、」とあり、写真が載っています。写真で見る限りでは前方後円墳そのものです。
 どういう性格のものなのか大いに関心があるのですが、よく解りません。
 何かご存知ではないでしょうか。

>> 南方系に混じって少しだけ北方系もいたと言うニュアンスでしょうか?

 今までは、弥生人は呉越系、その上に古墳時代に北方系が重なったと考えていたのですが、弥生時代にも北方系が来ただろう、という方向で考え直してみようということです。

>> 「畿内古墳人の頬骨弓幅は向野田古墳人、西日本古墳人よりも顕著に広い。」
>> というのが北方系(モンゴル人に似ている)が畿内を征服した証拠になると思います。
>> そしてこのスレの趣旨でもあります。

 仰有るように、畿内古墳人は特に北方系要素が顕著なようです。
 しかし、その主な理由は、中後期古墳時代以後の大量渡来にあるのではないでしょうか。
 私は崇神や応神の実在性を疑っていますので、江上説の、崇神・応神をリーダーとする部分には賛同できないのですが、大枠では、北方系の扶余族の分流が畿内を征服した、とする説に賛同しています。

>> 「百越」の意味は?百に分かれた少数民族という意味でしょうか?

 「多様な越族」という感じの括り方で、それほど厳密な意味の言葉でもなさそうです。
 江南からベトナム辺りまでの稲作民・海民を一括して総称したのでしょう。



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