Re: Title楽浪土器 - 前後しますが

投稿者[ 牛頭天王 ] 発言日時 [8月22日(木)23時44分21秒]

元の発言 [ Re: Title楽浪土器 - 前後しますが ] お名前 [ キムイルボン ] 日付 [ 8月22日(木)07時58分18秒 ]


>> 別件逮捕でこじつけて有罪に追い込んだということですか。この辺は科捜研(うちのバーさんなんか毎晩見てる)がしっかりしてくれなくっちゃ。

いわゆる見込み捜査と言う奴ですね。
初めから箸墓を卑弥呼の墓と決め付け、取るに足らない証拠を掻き集めて逮捕し検察に不利な証拠は無視する見たいな事をしている?
冤罪の典型的パターンです。

>> >箸墓の周濠からは底の方から木製の輪鐙が発掘されま>したがこれはすごく重要な発見であるにもかかわらず>あまり話題になりませんでした。
>> >これは古墳時代の始まりを繰り上げようとする一連の>動きに水を注す物だったからです。
>> >倭人伝にも倭国には馬がいないと書いてあるのですか>ら。日本で馬の飼育が始まったのは5世紀と言われて>います。
>> >3世紀半ばにしたい箸墓からでてきてはいけない物だ>ったのです。
>> >しかしさすが公の機関である橿原考古学研究所はこれ>を隠す事はしなかった。
>> >ただ一切の論評を加えずひっそりと発表しました。

>> 馬の存在は農業生産性に極めて深刻な影響を与えるものと考えられ、もし伝聞にせよこの点の確認を取っていたとすると魏国の諜報組織もなかなかなものと思います。更に馬の輸出で巨億の蓄財ができますので経済情報としても貴重なものです。ただスサノヲが輸入品の斑馬のローハイドを直営縫製工場(多分竪穴式で屋根が低く、採光のために女工連が天窓などを作っていたもの)に、公孫、高句麗系ノウハウによってキルト、パオのような全天候型に改善しようとしたところ保守的な女官群並びに政治家の物議をかもし、これが農作知識の欠如(田んぼのあぜの破壊)、宗教儀礼知識の欠如(聖域での生理現象の始末の仕方、これは女官の目に止まったのだろうか)等とあいまって政界追放のもとになったのではなかろうか等と考えています。山陰からヤマトに出張してきたと考えると現実味があります。

スサノオの伝説も馬の存在を考えると5世紀頃の逸話でしょう。
モモソ姫が箸でホトを突いて自殺と言うのも3世紀に箸はなかった(手食)と倭人伝に書いてあり、3世紀の話では無いことになります。

>> >しかし箸墓が三世紀半ば築造の線はほぼなくなりまし>た。
>> >4世紀半ばないし4世紀後半と言うのがまっとうな回>答でしょう。
>> >そして古墳時代の始まりも以前どおり4世紀初めとい>うのが正しいのではないでしょうか?

>> 箸墓にはスケール的存在感があり、古墳の全体的ランキングといった点から、いわゆるベンチマーク的存在にもなっており、この年代を動かすことはパラダイムシフト的なことを意味しますので、総合的アプローチを要する問題と認識せざるを得ません。

箸墓や天皇陵を発掘すれば本当の築造時期も判るんじゃないでしょうか?
宮内庁は何の権利があって拒否するのでしょう。
天皇の祖先の墓なら天皇家の許可があればかまわないでしょう。
今上天皇なら許してくれるような気がします。

>> >邪馬台国からは時折奴隷を献上していました。
>> >長い戦いの中で人口が激減して労働力が慢性的に不足>していたようです。
>> >僅か10人程度の奴隷でも喜ばれていたかも知れませ>ん。

>> 向こうの諜報機関が倭国潜入のスパイ養成のために倭国語教官に使用しようとした、こりゃーないだろうなー。

>> >天皇陵の発掘さえできれば古代史の不明な部分がかな>りはっきりするのに宮内庁は歴史を隠蔽しようとして>いるとしか思えませんね。

>> マッカーサーも言ってるようですが日本人の精神年齢には若いところがある。だから天皇制を解剖するような行為はInhibitされる(タブー視される)べき なのかなー。われわれは科学的研究による建国の究明は国益に資すと考えるのですがねー。隠したり盲目的絶対服従をすることこそわが国を脆弱化するのでは。その一方で永遠の謎を抱えた国というのもロマンチックだなーとも思いますが。歴史は所詮歴史じゃないですか。

>> >大学での師弟関係などのしがらみがない分、素人の方>が正しい結論を導く事が出来るかも知れません。

>> >私は邪馬台国論争は推理小説に似ていると思います。
>> >証拠が極端に少なく死体もない殺人事件の犯人探しで>はないかという気がします。
>> >有るのは一枚の遺書(魏志倭人伝)のみ。

>> >読んだことがありませんが推理小説の作家が邪馬台国>論争に参加しているらしいです。
>> >松本清張、高木彬光、etc.SF作家もいましたっけ。

>> 全く同感です。金印紫綬の行方についてヒントがあれば教えてください。奴国の場合は壇ノ浦的な最後を思わせますが、神功-カゴサカオシクマ戦争の時辺りに琵琶湖の湖底でも沈んだのかなー。

ヒントは私も欲しいです。箸墓ではないと信じつつも代わりの卑弥呼の墓候補は皆目見当がつきません。

箸墓ってむしろ神功皇后の墓にふさわしいような気がしますね。
天皇の血筋とは言え一介の斎宮の為の墓としては箸墓は多き過ぎます。


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