Re: 高天原は天国(Re: 高天原と常世)

投稿者[ 牛頭 ] 発言日時 [12月18日(水)19時58分19秒]

元の発言 [ Re: 高天原は天国(Re: 高天原と常世) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 12月17日(火)21時53分40秒 ]

>> >> しかし伝統的な占い、鬼術などの方が彼等の生き方の指針になっていて抜け出すのにはかなり時間を要しました。

>> 抜け出して,その後は,結局,キリスト教でいいわけですか?

ある程度の民度のあるところではキリスト教はそれほど広く受け入れられませんでした。
王に打算があって受け入れた所を除いて。100年以上かければある程度の浸透はしたでしょうね。
でも形だけの受け入れの方が多かったと思います。

>> >> しかし日本の神道はキリストの博愛平等の思想を持っていません。
>> >> 多分、先住民に施しをするのではなく先住民に神に対するお布施を要求したのだと思います。

>> 時代が不明ですが,神とか,お布施というより,
>> 役人の言うことを聞いて国家意思に従え,ということですね。

そうです。

>> たいていの歴史の書物によると,中央政府による地方への政治的な意図は,
>> 儒教や仏教の精神を伴ったものであった,ということです。

>> 特に儒教の理想主義によるものでしょう。

>> 光明皇后による仏教の布教は,慈悲の精神に基づくものです。
>> 先住民に希望する者があれば仏教による出家をすすめたのでありまして。

>> 中央政府から物品を支給していた場合も多いです。

>> ちょっと大雑把な話になりますが,
>> 神道の場合,もしかしたら,国の骨格を握る一方では,
>> 一般には秘伝として布教しない一面があったかもしれません。

>> 記紀神話における天照大神の性格は,明るい,丸い,耐える,つよい,
>> などの理想的な美質をたたえるものです。

>> 古墳時代に戻るならば,鏡とか剣とか,
>> 先進文化の魅力や道教ふうの価値観を伴ったものでしょう。

所謂先住民が鏡とか剣を喜んだとは思えませんが?
食料の生産に関る物なら喜んだでしょうが。
先住民にとって剣などは畏怖の対象で逆らうと殺すぞと言われているにひとしい。

>> >> 先住民は接待をしお布施を上げて帰っていただく。
>> >> だから天孫神は常駐していないのです。恐らく高天原の上にいて時おり降りてきて接待を受けるのです。

>> 先住民といっても,密貿易ではしたたかであった,という説があり,
>> そりゃいろいろでしょう。

>> >> 紀記、その他に書いてある神話は殆んどが支配者側からの視点で書いてありますから、被支配者がどのように感じていたかは民間伝承によらなければ。

>> 民間伝承というと?

山の上や祠などに鬼、怪物などが住んでいて定期的にやってきて作物、宝物、娘などを貢物として出させると言う話などです。

>> >> それをなだめる為に先住民の神も戎神として祀った事を指しているのかも知れません。

>> 先住民というより,出雲系ではないかな。

恵比寿神などは出雲系の主神の傍らにも祀られています。
出雲系とは考え難いでしょう。

出雲、スサノオ系はどう考えても高句麗が妥当だし、高天原はケーマ高原でしょう。
白頭山は牛頭山の事で別名を根山とも言うそうです。

伽耶山を牛頭山とも言うらしいですが『三国史記』には楽浪牛頭山城などという記事があるそうで新羅の牛頭山のルーツはやはり白頭山じゃないですか?

出雲系と天孫系は来日時期に?00年の差があるものの根は同じなのではないかという気がします。

>> >> また、天孫族に属さず天孫族と同じように先住民を支配しようとする勢力があってこれを天孫族に取り込むと言った事もあったでしょう。

>> といっても,古墳時代を通じて,
>> かなり広範に地方の首長層が大和についたようですからねえ。

古墳時代といっても私は本格的古墳の箸墓が4世紀末(あるいはもっと後)であると考えていますから。

>> >> 九州では「あまのはら」は「海の原」ではないかと思います。(^^)

>> 天照大神を海の神と考える説があることはあります。
>> ただし,宗像が航海の神なんでしょう。

宗像あたりは九州がまだ畿内に隷属していなかったころ畿内が半島と交流する為の拠点だったのではないでしょうか?



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