齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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  メールアドレス:

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齋藤助産院のふつうの日々(2006年)

2006年12月31日(日)

 《 のこしものの多い大みそか 》

☆今年は春から新しい嘱託医制度のことで心のしこりが取れなかった。国会で産科の先生の嘱託医と総合病院の連携病院を決めなければならないことになり、開業の助産婦たちはあたふたしている。きちんと人の命をあずかることを使命とする医師の倫理からいえば、開業の助産婦の仕事などいいかげんで摩訶不思議な世界としか思えない医師は多いだろう。なんでこんなやつと連携しなければいけないのか......私は搬送を依頼する電話をかける時、いつもそれを感じ、緊張する。開業助産婦が過去の仕事といわれて久しい。30数年前、助産婦学校では「正常と異常は紙一重」合い言葉のように教え込まれ、就職してからの日々は毎日緊張の連続だった。「ねばならない」ことが私には多すぎた。そして周りに対しても時々ヒステリックな反応をする自分を感じて嫌だった。もっと個々の人がラクに自分の能力を力いっぱい発揮できる場はないのだろうか。

☆開業して20年、開業助産婦は日本の社会に必要なものと確信している。それについては自信がある。本当に今、必要な場なのだと。だからこの仕事がなくならないよう頑張らなければいけないのだけど、なにしろ試験はいつも一夜漬けだった私のこと、シリが重い。でもやっぱり来年はリミット。なんとかしなきゃーね。

☆1月3日予定の初産婦さんが30日ころから動きがあり、31日5時ころ入院、どうやら長くなりそうな気配です。おせちを作る手も止まり、気もそぞろに新年を迎えそうです。娘が正月休みで帰ってきてくれて良かった、ごはんを作ってくれている。今晩は新開さんと2人、産婦さんの助産で年をこしそうです。

(齋藤弓子)

2006年11月30日(木)

 《 里山公園のレインボーフェスティバルと「時のすみか」の一泊忘年会 》

☆11月は「ふつうの日々」ではない行事が2つありました。里山公園のレインボーフェスティバルの参加と、恒例の一泊忘年会で「時のすみか」に行ったことです。

☆レインボーフェスティバルは助産婦会の活動だったのですが、参加会員が少なく、助産院のスタッフも総動員でがんばりました。お天気に恵まれたせいか、参加人数も多く、結果、今までになく儲かったようです。(お産カーニバルの資金になります。)直前になって、いろんな方が助産院にリサイクル品を持って来てくれたりして、ありがたかったです。(朝は寒く、昼あたたかく、いろいろ売れました。)

☆「時のすみか」は始めて利用するので、どんなところか夫と泊まりに行ったりしてジゼンチョウサもしたのですが、当日はクリスマスイルミネーションがとてもすばらしく、翌日は快晴で富士山の大パノラマをタンノウ出来、本当に良かったです。子供達は「来年もここがいい」と、とても喜んでくれました。ただ出発直前、金子助産婦さんのお母さん(宮崎在住)が急変したとの一報で、急きょ宮崎に行くことになりました。小1、小4、中1の子供達はいつもなら「ママ、ママ」とくっついて行きたがるはずですが、半ベソの母の姿にただならぬものを感じたのか、追いかけませんでした。旅行中も聞き分けが良く、がんばっている様子でした。(日曜日にこども達も宮崎にかけつけ、お別れをした後、亡くなったという電話が月曜日の朝、金子さんからありました。まだまだ若いのです。長年の病気とのたたかい、御苦労様でした。)

☆「時のすみか」で私が一番印象的だったのは、中にある前島秀章美術館で、大きな「パオ」をいくつかつなげた建物の奥、ケヤキやクスノキ(?)の林のような大木に、小人やいろんな動物の木彫りがとまってる(?)作品でした。夫と二人で来た時は「フーン」という感じで眺めたのですが、当日は「時のすみか」合唱団の小学生が歌の練習をしていました。そして、うちの十数人のちびっこ達が寝そべったり、遊んだりしながら時をすごしました。私には作品たち、そこの空気たちがとても喜んでいるように思いました。とてもいい時間だなーと、のんびりしてしまいました。

☆助産院ではこの所、経産婦さんのゆっくりお産が続いています。「2人目だから、3人目だから、もっと楽かと思ったのに....」と愚痴っています。でもお産ですから時間がいくらかかっても、何しろ出てくるパワーが下の方に「ドバーッ」とサクレツしないと終わらない。「いつ産まれるんですか?」と聞いてるうちは多分まだ産まれない。でも、おかげで会陰はおケガなく伸びてくれるので、そういう人ほど、後が元気のようです。12月の予定が4人もう生まれ、11月の予定があと2人残っています。順不同できています。

(齋藤弓子)

2006年10月30日(月)

 《 お産カーニバルが終わりました。 》

☆年々少しづつお客さまが増えているように思いましたが、今年は特にそれを実感しました。いつも何か「忘れた」「どうしよう」ということが二つ三つありましたが、今年はとてもスムーズに流れ、不思議なくらいでした。本当(モト)は「イベント屋さん」というママたちの開場設定、本当はプロの司会屋さん、モト女性センターのスタッフ、そして力仕事に大活躍だったお父さん達、一番大変な保育ママ・パパ達、その間を走りまわっているスタッフ。私は「おでん屋さん」のつもりでしたが、いっぱい手伝ってもらって仕事がなくウロウロすることが多かったです。フラ〜と入って来て戸惑いぎみの妊婦さんをマタニティーヨガにさそったら、終わってチラッとみたら何かホッとしたような嬉しそうな顔でお帰りでした。私もうれしくなりました。出演者も出店者も皆気合いが入っていたと思います。「また来年もやるんですよね」といってみんな帰っていきました。

☆今日はスタッフは片づけやお金のカンジョウで午後は大わらわでした。ボーシと敷物とスリッパの忘れ物がありました。助産院であづかっています。茅ヶ崎助産婦会のリサイクルコーナーも、おもちゃ屋さんも、おでん屋さんも盛況でした。ありがとうございました。市会議員さんや町会議員さんも参加してくださったそうです。こういうイベントを通して、多くの方達の気持ちが行政に反映されていくといいですね。

(齋藤弓子)

2006年10月25日(水)

 《 もうじき「お産カーニバル」です。 》

☆11月3日は「いいお産の日」。かっては東京で開かれていたイベントでしたが、ここ湘南でもやろうということで始まってもう8回目。でも「カーニバル」ですから「お祭り」です。こんどの10月29日(日)11時から15時半頃迄、妊婦さんやダンナさん、いっぱいのこども達、パパさんママさんと集まって、ワイワイガヤガヤおしゃべりしながらリラックスしながら、いろんな知恵を出し合って楽しい集まりにしましょう!

☆齋藤助産院は事務局ですが、先日「これは持ち回りですか?」と聞かれた。4月の場所とりから始まって、実行委員をつのり、出てくださる方の交渉のまとめとか、お金の計算とか、こまごましたこと。また今年はネットでの宣伝も重視して(詳しい方がいたので)こまめに情報を出したり.....で、スタッフは大変です。その間にも赤ちゃんは生まれ、おっぱいマッサージに幼稚園や学校の送り迎えや行事に参加。出産や子育て時期って個人にとっては長いようで短かい。やっぱり、ずっと続けるためには事務局って必要ですね。そのうち○○病院とか、○○助産院でも引き受けてくれるとうれしいかな。

☆でも実は私は何もしていないので、エラそうなことは言えません。当日また「おでん屋さん」をやりたいと言ったら「場所がない」とことわられました。(でもテーブルを持ち込んでやるつもりですが......)今月のお産は11人、みんな生まれて退院したので、今年は全部に参加できそうです(??)

(齋藤弓子)

2006年10月12日(木)

 《 夜の散歩 》

☆ここの所、お産続き。しかも、夜入院して朝生まれる(もちろん安産パターンではありますが)というお産が5件くらい毎日あり、少々バテ気味。しかし、昨日、今日とお産の気配もなく「今晩はねるゾー」とキアイを入れて早々ベッドに倒れた。......ところが、2日前に生まれた初産婦さんの赤ちゃんがおちつかない。お泊まりの雪田さんも「ずっと泣いてる、眠らない」という。最初から吐くこともなく、12時間目くらいから「クレクレ攻撃」なので、ママの乳首は切れてしまい、助産院のおっぱいママ達のおっぱいをもらいまくり、それでも「足りない」とヒーヒー、もうすごく泣きまくるので、お母さんとも相談しミルクを足しはじめた。とにかくチューチューしたがっている。雪田さんと2時位に替わり、ちょっとお母さんを休ませようとあずかるがすぐ起きてしまい家中にひびき渡る声で泣く。1時間くらい家の中をウロウロしていたがおさまらないので、ラップに入れ、ねんねこに包んで外に出る。なるべく家のない所を歩く。10分くらい疝痛発作でもあるかのように泣いていたが、少しづつおさまり、寝息をたて始める。時々ピクッと体を硬くするが全身の力を抜いて眠っている。

☆いつのまにか半月に近くなった月が天上に輝き、時々遠くを通る車の音が波のように聞こえる。眠ってくれると余裕ができて、足を高くあげたり手を振ったり、日頃の運動不足を解消すべく、ちょっと努力しながら散歩する。ネコのニャンポンが後ろからついてくる。きっと「夜でも散歩するんだなー」と戸惑っているのかもしれない。途中、もう1回大泣きされたが、もしかして飲ませすぎてお腹が痛いのかも....と反省し、ひたすらがまん。すごい声なので早足で歩いてしのぐ。5時過ぎに助産院に帰り「おっぱいの時間ですヨ」とお母さんを起こした。添い乳でパクンとおっぱいに吸い付く。今度こそゆっくりしてくれるといいね〜。もう朝ごはんを作る時間になりました。

(齋藤弓子)

2006年9月13日(水)

 《 携帯って便利? 》

☆9月13日、今月あと10人のお産が残っている。大潮もすぎたのに誰も生まれない。こんなにつまって後どうしようかと内心不安。水曜日の子育てサロンだったので、8人のお母さんとその子供たちで大いに盛り上がり、いっぱい作ったごはんもきれいになくなり、スタッフも「またあした〜」と帰っていった。6時すぎ「そろそろ帰ろうかなー」吉本さんと鈴木さんが用意している所に大和のOさんから電話があった。「陣痛のようです」「間に合うよう来てください。遠いし2人目だからネ。」ヨガの勉強に行っていた新開さんは帰りのバスの中だったので鈴木さんが迎えに行ってくれ、まあいつもの夜の体制になった。

☆間もなく車で移動中のOさんから「破水した!」と電話があった。「どんどん出てるー」ちょっとパニック。「大丈夫一度破水したら出るのはふつう。お尻に何か敷いて来てください。」と伝える。ちょっとして「すごく痛い、どうしたらいいですか!」と電話。陣痛は2-3分間隔、どんどん降りてくる声。「今どこですか」「サクラガオカ」「えっ、まだー?」「キューキュー車呼んだ方がいいですか?」「そうだね、その方がいいかも」少しして「走ってる。キューキュー車呼んでない。今信号は長後」「わかった。こちらも2名で出ます。携帯切らないで」吉本さんと帰ってきたばかりの新開さんが助産院カーで飛び出す。「シルバーのカローラだよ」それから私はOさんと連絡、整体師の鈴木さんが吉本さんと連絡。場所を確認しあう。夕方にしては流れがスムーズだったようで信号で止まる以外順調にすすむ。陣痛が来る度「来ました、どうすればいいのー」「ハァーって」。「ハァーハァーハァーッ」もう悲鳴..........

☆「ヨーカドー」が見えてきました」「ヨーカドーの所の信号入ってください」「止まって」「ハザードつけてます。」「見えました、わかりました」「会えました!」両方の携帯が切れた。それから15分くらい、バスタオルとシーツをもって外に出ていたけど、来ない。「生まれたかも....」と思っている所に到着。「マニアッタ」それから15分くらいでかわいい女の子が誕生。パパも間に合ってメデタシメデタシ。「すご〜い」と盛り上がったが、朝になって考えたら、助産院に着いて5分とか、車中で破れ急に陣痛が強くなったーという経産婦さんはけっこういるので、これも又「助産院の普通の日々かナー」となっとくした。そして今朝(14日あさ)も来院して30分、あっという間に女の子が生まれた。経産婦さん、気をつけてネ!

(齋藤弓子)

2006年8月16日(水)

 《 8月の誕生日 》

☆8月は私の生まれた月である。自分がいったいいくつになったのかわからなくなる程、算数に弱い性格なので「だいたい50歳」ということにしている。私の母は、陣痛が来た朝、父に「今日は休んで病院に連れて行って」と頼んだのに、「お前は3日苦しまないと産めないんだ!」と言って仕事に行ってしまった.........と父が生きている間、うらみがましく言いつづけていた。すごく暑い日で、荷物を持ってフーフー言いながら病院に行ったんだよ(初産が時間がかかり病院で産んだので私もその病院で産むことにしたらしい)と何度も何度も聞かされた。「それでお産はどうだったの」と聞くと「すぐ生まれた」でおわりだったので病院に行く道筋がとてもつらかったのだろう。

☆私も8月に初めての子どもを産んだ。34週で破水し、病院に入院し3日間安静にしていて35週に入った夕方、突然2-3分毎の陣痛が始まり、5時間位で産んでしまった。その頃はエコーもなく「未熟児を産むかもしれない」と緊張していたせいかな、「暑かった」という記憶がない。案外大きな娘が生まれて本当にホッとした。夫が家からポットに氷を入れてきてくれた。外は暑かったろうにポットの氷がカラカラカラカラ涼し気なおいしそうな音をたてていた。

☆私が小学校1年の時、自宅で生まれた私の姪は8月15日に生まれた。生まれてから本当によく泣いた。兄嫁は2人目の子どもだったが、はじめての娘は肺炎で1ヶ月位で亡くなり、気持ちの上でも神経質になっていたせいもあったろうか。今考えると環境も悪すぎた。赤ちゃんは暑くて泣くしうるさいので部屋を閉めきる。泣かせないようにミルクをガブガブ飲ませる。気持ちが悪くておちつかない。また泣く。本当にむかしの赤ちゃんもお母さんも大変だったね。姪は「夏子」という名前だった。大きい赤ちゃんでいっぱい「アセモ」が出来ていた。

☆助産院では2日前の朝と午後に生まれた赤ちゃんたちは、まだおっぱいも充分は出てないのに夜も大人しい。のぞいてみると胸に赤ちゃんをのっけたままママも休んでいる。やっぱり前回も母乳でやってきているお母さんたちなので、もう少し待ったら「ドバーッ」とおっぱいが出てくるよ、と自分と赤ちゃんに言いきかせてウトウトしか眠れない時期を受け入れているんだね。

(齋藤弓子)

2006年7月24日(月)

 《 お兄ちゃん達の涙 》

☆今月のお産もあと4件となった。経産婦さんもいろんなお産が続き、スムーズに行かないこともあった。昨日帰った3人目の方は「陣痛!」と張り切って家族4人で入院してきたのに、陣痛が消えてしまい、2日間産まれなかった赤ちゃん。結局、破水してからドンドンすすみ、かわいい女の子が生まれたのは真夜中。小学生の2人のお兄ちゃん達は眠っていた。次男坊はおばあちゃんにバシバシ起こされても半眠状態でぼんやりしていたが、少ししてから大泣き。お母さんのことをとても心配していたのでホッとしたのか状況の大変化についていけないのか眠いのか?パパにずっと抱っこしてもらって泣いていました。

☆おとといの2人目の経産婦さんはパワフル。破水して陣痛が強くなってから、のたうちまわるように動き回り、大声を出して最後はパパにつかまって立ってがんばりまくり、大きな赤ちゃんを産みました。「力むのよ、力を出してー」「ガンバレー」「走れー!」等と家族の大応援もすごかった。助産婦も、パパの首につかまっ(?)た産婦さんの足を持っておみこし状態。お尻をもつ人も必要で、3人で「明日は筋肉痛だね」。赤ちゃんの元気な泣き声を聞きながら、ママ、パパ、おばあちゃん、そして5歳のお兄ちゃんの涙をみて、ウルウルきてしまいました。お兄ちゃん達はママと赤ちゃんが大好き、とっても自慢にしてるんだね。

(齋藤弓子)

2006年6月8日(木)

☆朝の気配を感じる。4時でも5時でも、めざめると外に出る。雑草をむしり、水をやり、時に肥料をやったり、虫をとったり。おかげで、デスクワークが全然できない。「ふつうの日々」も更新できない。今度の参議院で、助産院の嘱託医制度が変わる。従来の開業医を嘱託医にお願いする際、何科でも良かったのが産科医に限られ、さらに総合病院も嘱託にお願いしなければならない。今、助産婦が開業する際、この嘱託医を頼むのがなかなか大変なのだ。開業医だって大変な世の中なのに....。法律で決めるなら、少なくとも公立病院は嘱託を依頼されたら断れない位の道筋をつけて欲しい。産科はこれからどんどん集中化の傾向をたどるようだが、産院や助産院で産むという選択肢も残しておいて欲しい。少子化といわれ、経済的な援助など政府も考えているようだが、外見を良くしようという文化がハンランし、「変わらないこと」を良しとする硬直した社会に、明日の活力は産みだせるのだろうか?何かをしなければいけないが、何をしたらいいのか分からない。ただ、今日、草花を眺めてすごしている。今週は入院のお母さんはいない。今のうち、エアコンがフルに稼動する夏場、電気がとばないよう工事をしてもらおう。

(齋藤弓子)

2006年4月30日(日)

 《 4月のお産 》

☆4月は初産婦さんが4人。そのうち、3人が湘南鎌倉病院で出産ということになってしまった。一人は骨盤位がどうしても治らず、おまけに赤ちゃんの姿勢が悪いということで、下からの出産もトライできず、3月末に帝王切開。あと、赤ちゃんが(38週だったけど)小さいといわれていたKさんが破水し、大事をとって病院で産むことになり(かなり時間がかかり最後は吸引分娩となった)、3人目Mさんは、破水から始まってスムーズに陣痛がつき、子宮口が9cm位開くまで来たものの、頭が下がってこない。強い陣痛が来ないという状態が丸一日以上続き、病院へ。2日間点滴で促進し(でもあまりのってこない)最後は吸引分娩。お一人だけが、助産院で普通に出産。4月は病院のスタッフの交代の時期でもあり、近隣の産院の閉鎖でお産も増え、いつにもまして大変と聞いていたのに、すっかりお世話になってしまった。でもお陰さまで、お母さんや赤ちゃんにとって、一番やさしいお手伝いをしてもらっていると思う。本当に感謝である。

☆気候のせいか、長かった今年の桜、最後の八重桜も散りはじめ、道路はピンクの絨毯。気がつけば緑が美しい。朝起きるたびに外に出て、緑の色の変化に毎年のことながら感謝している。タケノコやフキ、セリ、ミツバ等、タダの自然の恵みを堪能している今日この頃です。毎週水曜日「子育てサロン」をやっています。今ならタケノコ食べられます。助産院に用事のない人でも誰でもどうぞ、遊びにいらしてください。

(齋藤弓子)

2006年3月16日(木)〜21日(火)

 《 3月のお産 》

☆(3月15日)いつ電話がきてもおかしくないお産が5つ。自宅が2人、助産院が3人。今日はお月様がコーコーと輝いて大潮の3日目、電話はウンともスンとも鳴らない。「どうなってんだか....」と今日も早めに休む。......ところが電話が鳴った。23時ちょっと前。今日健診したYさん。「何か破水したみたい、チョロチョロ出てる」えっ、まずいよ。おまけに、まだ34週。湘南鎌倉総合病院も茅ヶ崎徳州会もNICUがないので、34週では受けてもらえない。おまけに今日のエコーではちょっと小さめだった。近隣のNICUのある公立病院に電話する。ひとつは「満床です」ひとつは「土日と夜間は受けないことにしています」と取り付く島がない。ハー、どうしましょう。ダメもとで茅ヶ崎徳州会に電話する。34週といってもあと1時間で35週だ。電話を受けたのが知りあいの助産婦さんだったのが幸いしたのか、なんとか診てもらえることになった。良かった。Yさんに病院に向かうよう電話し、私もバイクにいつ自宅出産に呼ばれてもいいようにお産の荷物一式を積み込んで出発する。Yさんは「言い聞かせておいたのに」「あー、産み方、忘れちゃった」「お産の用意してない」と戸惑いの中、入院することになった。私の電話の後、2件お産の電話が入ったということで、もし電話が遅かったらことわられることもあったかな.....と思うと、心底ホッとする。そして大潮がすぎていった。予定日をすぎたお産が3つ。月の力では生まれない子たち(?)らしい。今夜は何故か4月4日が予定日なのにさっさと生まれてきた赤ちゃん(でも3300g)の子守りですごす。

☆(3月21日)ここ4日間で毎日ひとりづつバタバタと生まれてあわただしく過ごしている。病院へ行ったYさんも昨日無事に生まれ、ホッ。これから18才のゆいちゃんのお産がある。生まれるのは明日かな、明後日かな?かかりそう。今日は助産院の外来はお休みだけど、ゆいちゃんがお産で来たし、産褥のお客さんも二人いるので、スタッフも何人かお手伝いに来てくれた。おかげで春の日ざしの中、私は花粉症の鼻水をすすりあげながら、しばらくぶりに庭仕事に精を出した。昨年よりひとまわり大きくなったミモザの花が満開となり、子どもたちがまわりを駆け回って遊んでいる。

(齋藤弓子)

2006年1月21日(土)〜23日(月)

 《 雪の日 (1) 》

☆1月21日、私は朝からお葬式(名古屋の姉の御主人が亡くなった)のため、夫と出かけていた。「こんな雪じゃ誰も来ないね」と子持ちスタッフは休み、新開さんと井本さんはのんびり本でも読もうかな.....と留守番のつもりでゆっくりしていたらしい。ところがキャンセルは2件しかなく、「あれっ?」と思うような忙しい日になりそうな気配。そこへ、今回が4回目の出産のM2さんから電話で「陣痛です」。急遽、伊能さんを呼び出し(3人の子供とパパも)、あわただしく整体師の鈴木さんも駆け付けて(車はスタッドレス)にぎやかな土曜日になってしまった。

 M2さんはタクシーで三人の子供達を連れてきて玄関のところで遊ばせ、洋室で横になっていたら、数回の強い陣痛で急に赤ちゃんが出てくるのを感じ「お願いします!」3人の助産婦さんがパッと駆け付けたところ、破膜しないまま赤ちゃんの頭が出ていて、新開さんと伊能さんで破膜し、井本さんが介助して、アッという間に四番目・二人目の女の子が生まれた。子ども達も入ってきてワイワイとはっぴいばーすでいになったらしい。お兄ちゃんが赤ちゃんにアンパンマン人形をプレゼントしようとしたり、とてもにぎやかな様子を伊能さんが写真に撮った。後からかけつけたパパは「会社に行かなければ良かった」と立ち会えなかったことを残念がっていたらしい。伊能家の3人の子どもと鈴木さんちのりまちゃんは、伊能パパと一緒に駐車場で雪ダルマを作ったりして「雪の日」を堪能したようだ。いのちが生まれたり、亡くなったり、雪遊びをしたり......いろいろあった一日でした。

 《 雪の日 (2) 》

☆雪の日の前日の夕方、自宅出産の予定で、12月末に3ヶ月に及ぶ切迫早産の入院から退院して、今か今かと待っていたM1さんから「破水した」と電話あり、すぐ駆け付けたけど間に合わず、「2分前に生まれた」とお風呂の中で赤ちゃんをだっこしているのにご対面!雪の日はM2さんのあっという間の出産。そして今朝(1月23日)、《 雪の日 (1) 》を書き終えて、ボチボチごはんの仕度を......と動き出した所にKさんの御主人から「何か間隔が短かい陣痛なんです」とTEL。「来て!来て!」とお部屋の用意をバタバタして「もう来るかなー」と待っていたら「生まれちゃいました!」......新開さんと車で行ってお家に飛び込むと、トイレに座ってバスタオルにグルグルまきの赤ちゃんにおっぱいを吸わせているKさんと赤ちゃんにご対面。「早々とおめでとうございます!」赤々とヒーターをつけて、おちついた顔。それにしても雪の日、何があるかわからない。皆さん、すごいですねえ。赤ちゃん達もすごいですねえ。フーッ。

(齋藤弓子)

2006年1月7日(土)

 《 あけましておめでとうございます 》

☆....といっても、今日は1月7日。昨年暮から産む気マンマンのお母さん達が3-4人いたので「今日かな、あしたかなー」と(気持ちのうえで)待っている時間が長く、1週間たってしまった。誰かひとりでも生まれてくれれば、お産にもエンジンがかかって私も始動できるんだけどね。(それ以上に産む側は待ってる時間って大変だよね。)何しろ今月は13人も入ったので(10人と決めてるのに)部屋の都合もあって、ちょっとあせってるかも。何ごとも思うようにならないのが「お産」です。今年もお母さんたちが安心して自分の力を信じられる子産み・子育て出来ますよう、微力ながらつとめたいと思います。

(齋藤弓子)

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