Re: 馬が出た

投稿者[ ピクポポデミ ] 発言日時 [9月18日(水)00時49分10秒]

元の発言 [ Re: 馬が出た ] お名前 [ 牛頭天王 ] 日付 [ 9月17日(火)20時32分08秒 ]

>> >> 布留0については一般的には280年頃、人によっては250-260年頃とするようです。
>> >> それに沿って考えると、布留1は一般的には300年頃、人によっては270-280年頃となるでしょう。
>> >> 私独自の根拠はありません。

>> そう思いたいと言うことですね。このあたりは私も鐙以外の証拠は持ち合わせていません。

起源のはっきりしない鐙では、暦年代決定の証拠になりません。
というのが私の論旨です。
以下引用
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劉備や曹操が活躍した三国志の時代にも騎馬兵はおり、漢代には鐙があったと説く研究者もいる。騎馬民族のスキタイが残した紀元前の黄金製品に鐙の表現があるという見方もある。実際のところ、鐙がいつ、どこで発明されたのかははっきりしない。
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>> >> >> 劉備のことですか?農耕民を出自とする支配者とは具体的にお願いします。

>> >> 漢人のことです。

>> 北の漢人は乗馬は得意だったのではありませんか?
>> 南船北馬と言いますから。
>> 馬が苦手なのは呉人だったんでしょう。

その北にはもっと乗馬の得意な遊牧民がいます。
胡服騎射という有名な話もあります。
以下引用
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樋口隆康・県立橿原考古学研究所長は「騎馬が下手な漢人が、騎乗の際の足踏み台として発明し、その後、騎馬民族にも普及した」と鋭く。
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>> >> よく読んでください。
>> >> 「農耕地帯で被支配階級の農民」と言っています。

>> >> >> 農民も農耕馬があり貴族階級や武将が馬に乗っていれば自分たちも乗って見ようという気になったでしょう。

>> >> まず馬が伝わった最初の段階で、農耕馬が有ったでしょうか。

>> 私は日本ではなく中国の話をしているのですが。
>> 紀元前から馬は騎馬用だけでなく農耕用にも利用されていたでしょう?

ところが鐙はなかなか発生しなかった。
なぜでしょう。
牛頭さんの言うように、馬に乗るときだけが問題なら、華北で乗馬を受容し始めた頃に発明されてもよさそうですが。

>> 箸墓で見つかった鐙は馬が日本に来た初期のものでなく馬が大量に居た時代のものであろうと申しています。

布留1時代に大量にいたなら、それ以前の布留0や庄内期にも馬はいたでしょう。
するともっと多くの馬関連の遺物が、布留1までの時代にあってよさそうです。
しかし見つかっているのが布留1の鐙の断片一つというのはどうしてでしょう。

>> 当初、鐙は梯子のような使い方で馬に乗ってからは不要なものでした。
>> 片足分しか必要なかったのです。出てきた輪鐙も片方分でこれと符合します。

まさに初期の鐙が伝わったものでしょう。
ところで、片方しか出てこなかったから、片方しかなかったとどうして分かります?
3世紀末−4世紀初頭なら、片鐙の可能性は高いとは思いますが。

>> >> >> >> 初期の乗馬用具は全て支配階級のものです。

>> >> >> 墓の副葬品として出てくるものは当然支配階級のものです。
>> >> >> 下層階級は鞍なんかなくても固めの座布団があれば十分だったから。

>> >> 古代においては、布も決して安価なものではありません。
>> >> そもそも馬を飼育できるのは、それなりの階級であったことでしょう。

>> 農民だって貧富の差などがあって富める者は馬を飼い、盗賊から資産を守るため武装する事もあったでしょう。

まるで武士ですね。
時代が違いませんか。
この富める農民って豪族ですか。
であれば支配階級ですね。

>> 農民が馬を飼うことに何の不思議もありません。

もう少し時代が下れば、有力な土地所有者=豪族が飼育して、農民に農耕馬として使用させるということならありそうですが。
農民がわざわざ鐙まで作って乗るもんでしょうか。

>> 前のコメントで新羅の土偶の鐙を紹介しましたが従者用は片方しかなかったと言いましたがこの事とも符合するのです。
>> 要するに武将の物ではないと言うことです。

5世紀の新羅になると両鐙が普通のようです。
牛頭さんのおっしゃっているのは以下の人形の話ですか?

下記リンクの一番最後
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/clm/yw0065.html
以下引用
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さて,障泥を吊る帯が剥離してしまうのであれば,鐙も剥離したかもしれません。右側のように,途中で折れるのではなく,完全に剥離したとすると……という目で,改めて騎馬人物形容器の左側を見ると,鐙のあるべきところは,微妙にくぼんでいて,周囲よりも少し色が青い感じです。この部分を下に辿ると,鞍の端に刻まれた文様がかすれています。これって,縦長の粘土紐が剥がれた跡ですよね。

とすると,騎馬人物形土器の従者の方も左右に鐙が揃っていたことになります。前の話は何だったんでしょ(^^;ゞ。
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というわけで従者も両方有ったみたいですね。

>> >> >> >> 農耕地帯では、乗馬は特権であって、誰でも馬に乗れるというものではなかったのです。

>> >> >> それは日本だけで言える事ではありませんか?

>> >> いいえ、ヨーロッパでも言えることです。

>> 絶対君主制とか封建時代とか、かなり時代が下がっての話ですね。

古代ギリシャとかローマとか、古くから馬に乗れるのは貴族ですね。

>> >> 乗馬は危険で有るばかりでなく、飼育、調教、乗馬訓練など非常にコストのかかる行為であり、遊牧地帯のように生活上の必要のある場合を除いて、一般人にはなかなか普及しません。

>> 農耕用でも調教は要ります。荷物運搬用なら馬体保護の為、布とか毛皮とかを乗せたでしょう。
>> 当然、轡もつけています。乗るのに何の不自由もないのです。
>> ピクポポデミさんは乗馬の経験ないんですか?
>> 確かに初めての乗馬は怖いです。でも乗ってしまえばどうって事はない。
>> 乗る時、誰かに手綱を持っていて貰えば簡単です。

乗馬が農耕地帯に入ってくるまでに、ずいぶん試行錯誤があったことが分かっています。
乗馬スタイルが決まるまでは、ずいぶんと変な乗り方もしています。
ところがなぜか鐙はなかなか生まれません。
なぜでしょうか。

中世に入る頃、例えば中国では三国志のころから、農耕地帯では馬の機動力よりも、その体力を生かして、馬にも人にも重装備をし、その防御力を生かす戦術が流行し始めます。
鐙は社会の中でこの重騎兵が重要になった後普及してきます。
重装備の武将が馬に乗る足がかりとして、また機動力を生かした伝統的な一撃離脱ではなく、戦場に踏みとどまって戦うために、鐙の使用が広まったのではないでしょうか。
滑り止めの布を馬の背にかけただけで身軽に乗る人間には、巧拙に関わらず鐙は必要なかったのでしょう。




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