-櫻前線- Page5 



 足もとの土が、少しずつ砂混じりになっていく。その上を走りぬけながら、わたしは奇妙な感覚にとらわれていた。
 そうだ、この道は何度も通った。前に通ったときは、こんなに辛くはなかった。あのときは…
 時計で計ればせいぜい十数秒の短い間に、わたしは彼との出会いのこと、今まで二人でいた時間のこと、わたし自身のこと、はては人の運命なんてものにまで、思いをめぐらしていた。まるでそれを考えていれば、これから起こることを知らずにすむみたいに。
 人間て、こんな短い間に、いろんなことを考えられるんだ…

(どうして松の木は、砂みたいな地面でもちゃんと育つんだろ?
 そんなどうでもいいことを考えながら、わたしは歩き続けた。足もとの砂に松の葉が混じってる。緩やかな海からの風に、松林がかすかに鳴いていた。
 ふと、わたしは視線を感じて立ち止まった。あたりを見まわしたが誰もいない。
 「なんだろ…?」
 ふと前を見ると、木の陰に一匹の犬が座って、わたしを見ていた。目が合うと、わたしを見たまま首を傾ける。思わずわたしも微笑んだ。)

 三つに分かれた小道の前で、わたしは立ち止まった。このへんは道が狭くて曲がりくねってるので、木々に隠れて彼の姿は見えない。こうなったら勘で進むしか…
 ふと、一枚の小さな案内ボードが目に入った。まばたきもせずに、しばらくそれを見つめると、わたしは全速力で駆け出した。
(長い茶色い毛の、おとなしそうな犬で、もう小さくはないが、まだ仔犬から大人になりかかってるという感じだ。人なつっこそうな目つきが、なんともかわいらしい。わたしは手を伸ばして、この子に触ろうとした。
 と、わたしが触ろうとした時、その犬はきびすをかえして走り出した。砂をはね上げながら、まっすぐに道を駆けていく。
「嫌われたかな…?」
 わたしはまた歩きはじめた。犬は前からずっと飼いたいと思ってたのだが、うちはマンションなので飼えないのだ。でも今度の家では… 飼えるよう頼んでみようかな?)

 ここまで来ると、もう進む道は一本しかない。それに、なぜかわたしには、倉沢くんが行った場所がわかっていた。砂の上にずっと足跡が続いている。わたしはその先を目で追った。この松林をぬけた先には…

(海からの風に乗って吠え声が聞こえる。さっきのあの子だろうか?
 潮の香りと湿り気の混じった風が、なんとも気持ちよい。公園の桜並木から、この松林をぬけた
 先には… )



  突然ぱっと視界が広がって、見渡すかぎりの、あまり青くはない春の海が目に飛びこんできた。

 あの日と同じように、倉沢くんは海にむかって立っていた。
 なにをするわけでもなく、ただ、海を見てた。




 なぜわたしは倉沢くんを好きになったのだろう?
 前から知ってはいたけど、クラスが違ってたし、特にタイプということもなかったし、マンガでよくある劇的なきっかけなんてのも、なにもなかった。
 ただ、海岸で彼を見かけたあの日以来、自分でも説明のつかないなにかが、わたしの中で広がっていった。それは楽しくもあり、嬉しくもあり、そして、なぜか恐ろしくも感じられた。
 そんな気持を抱えたまま、わたしはある晴れた日に、倉沢くんをここに引っ張り出して告白したのだった。わたしのセリフは最高に陳腐で間の悪いものだったけど、彼はただ一言、
「いいよ」
とだけ言った。そしてなぜか少し悲しそうな顔をして、むこうを向くと、
「ありがとう…」 
と、やっと聞き取れるくらいの声で言ったのだった。

 なぜわたしは倉沢くんを好きになったのだろう?
 それは今でもわからない…



 わたしは風にめくられそうになるスカートを押さえながら、倉沢くんに近づいた。(あ、またあたし倉沢くんの背中見てる…)
 やっとの思いでわたしが口を開こうとした瞬間、彼は一度もわたしのほうを振り返らずに、まるで独り言のように言った。
「遠いね…」
 一瞬なんのことかわからず混乱したわたしが答える間もなく、いつもと少しも変わらない穏やかな調子で、倉沢くんの言葉が耳に届いた。
「札幌に…行くんだろ?」 

 波の音も、風のうねりも、自分自身の鼓動さえも聞こえなかった。
 ただ、倉沢くんの言葉だけが、わたしの頭の中でぐるぐる回っていた…





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