■自循論::知の宗教性

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「知的快感」の正体は、対象を盲信して安心すること。
「深い知」とは、多くの人の意見や、様々な経験を総動員しても 正しいと認めることが出来る、つまり盲信するに足る対象のことである。 人間は、「それ以上は考えなくて良い」という対象を追い求めて、 それを盲信し、自分を預けてしまい、安心したい。 いつまでも安心できない人が、より深く深く「知的探求」を進めることになる。