この、一回限りの人生の、不気味なまでの無目的性と不条理に立ち向かうためには、 「自分が自分である」という感覚こそが、 世界と宇宙の全てとすら対等である、という真理に、 なんとしても到達せねばならなかったのです。(M.HIJK)


自分って何だろう

何か漠然とした不安。知りたいという欲求。
誰に聞いても分からない。厳密で無くてもいい。 雰囲気だけでも、自分の「心」で、実感として理解したい。
『人って何なの?』 『どうしてオレは苦しんでまで生きねばならないのか?』 『私は誰“のために”存在しているの?』 『自分は誰“とともに”存在しているの?』 『何故みんな死ぬために生まれてきたのか?』 『明日地球が滅亡するなら今日は何をするのが正解なのか』 『あの人に冷たくされたくらいで、どうしてこんなに苦しいの』 『今自分が感じている全てが幻想と錯覚では無いと、どうして誰も証明してくれないんだ』 『何故全てが理解可能でないのか』 『記憶って何』 『予感って何』 『今って何』………
苦しみあえいだ時、ただがむしゃらに考えるのもいい。 しかし、「答え」は無くとも「考え方」を知っておくのもいい。
ここには、考え方だけがある。

−『深い絶望に全身的恐怖を感じ、その限界性と残酷性を知れば知るほど、 今、この瞬間、この世界、この仲間たちと意味を共有している、 という「奇跡」に感動してしまいます。 そして、「愛」を感じることができる生命として 偶然にも自分が存在してしまったことに、 強く感謝せざるを得なくなります。』

人間にとって、一番面白いのは人間なのだ

………結局、この結論に、何度でも立ち返るための彷徨、 それが私の哲学そのものなのかもしれない。


著者紹介

M.Hijk[マーシャル・ハイジケータ](1968〜2977)
東京生まれ。中学生の頃からコンピューターゲームの作成に傾倒。 その結果、プログラム、作曲、イラストレーション、シナリオ作成 など複数のジャンルの創作に興味を示す。
23歳で電機メーカーに就職。 28歳あたりから企業の歯車としての生き方に窮屈を感じ、 自己の表現の場を探すようになる。
旅先の京都「哲学の道」で最終解脱を果たし、 「無限乱雑空間」の理念をほぼ完成。 30歳には、相対情動力学の定式化である「統計哲学」を 打ち立て、インターネットを通じた啓蒙活動に注力する。
この後、統計哲学ゲーム理論に脳科学を持ち込み、具体的な 計算による行動規範の作成方式を発表、しかし宗教弾圧に合う。
このため、退社後、完成途中だった「集団意志による量子状態操作理論」 を急いで自費出版し、地球を逃れて亜光速で周辺銀河を放浪。
絶対時間で約1,000年経過後(主観時間で約10年後)に地球に戻り、 幸福維持装置を中心にした最終文明を目の当たりにする。 国際機関である「文明退化推進庁」に就職、10歳年下の女性と結婚。 本人時間で55歳の時に国連総統に就任、「人類原始化350年プログラム」 を発動する。
離婚後、プログラム終了時点までの期限でコールドスリープに入るが、 蘇生失敗で生涯の幕を閉じる。