齋藤助産院

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助産院のふつうの日々

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電話:0467-54-8841

住所:神奈川県茅ヶ崎市

    芹沢1004-10

  メールアドレス:

umu-umu@cg.netlaputa.ne.jp

  
スタッフの日々

 

齋藤助産院のふつうの日々

2014年12月31日(水)

 《 この1年。 》  

 

☆全国各地には大変な雪が降ったりしているようですが、ここは晴天にめぐまれ、おだやかな日々が続いています。年末恒例の大掃除も予定通り終り、30日にハッと気が付いて天井を見上げて「忘れてた!」。4枚羽根のシーリングファンが汚れたままでした。ハシゴを持って来てやろうと思ったけど、夜勤の安藤さんと顔を見合わせて「あぶないね」。どうにか夫がハシゴに乗ってくれて、とりあえず下から見えるところはピカピカになりました。同じ日に庭師さんも2人、来てくれて「野原のような林のような...」イメージで整えてくれて、とてもいい感じになりました。

☆お産した方は1人で、今日(31日)帰るので、入院さんが居ない年越しになりそうです。1月4日の予定の方がいましたが、赤ちゃんのエコーで「念のため」病院の方がいいということになり、病院で産むことになりました。「産まれたら助産院に帰りたい」と言っていたけれど、赤ちゃんの状態次第のようです。助産院のお産も基準(「助産所業務ガイドライン」)に添ってやらないと、病院で受けてもらえなくなるので、厳しくなりそうです。ここはわりと「しばり」の少ない助産院ですが、それも病院あってのこと。助産院としてやっていくためにはやはり「ガイドライン」はしっかり守ってやっていく必要があります。緊張します。

☆この1年、助産院で生まれた子ども達も日々生長していることでしょう。体重も増え、フワフワでかわいかった体もパワフルに動きだし、昨日できなかったことを今日はできるようになり、そして「ママ」の存在に安心して甘えてくる姿に、母親としての喜びを感じていることでしょう。でも同時に色んなストレスをかかえこんだり、辛い思いをしているお母さん達のもう一つの「実家」のように、時々里帰りして「元気にやっているよ」と見せてもらえる場としても、時代に合わせて「助産院」を守って行きたいと思います。来年もよろしくお願いします。

(齋藤弓子)

2014年11月11日(火)

 《 10月、11月... 個人的なこと。 》  

 

☆10月27日は看護学校の同窓会でした。お産の人は3人程いて、いつ生まれてもいいような状況でしたので、ちょっと後ろ髪をひかれましたが、電車に乗ってしまえば「もうどうにもならない」と晩秋の十和田湖・おいらせを楽しませてもらいました。帰ってみると誰も生まれておらず、入院さんもいなくて静かな助産院でした。

☆そして11月に入り、11月7日に次女の結婚式がありました。娘は去年もう入籍していたのですが、「式もあげたいナー」と色々物色していて、決めたところが江ノ島神社でした。二人で同じ仕事をしているのでなかなか時間がとれないようでしたが、形にしてくれて、親もなんだか安心しました。京都から彼のご家族も来てくださり、93歳になる夫の母も楽しみにしてくれていたので、和やかなうちに無事に終り、良かったです。

☆娘は自宅出産で産みました。上の2人の子ども達の世話のことを考えると、とても自分が入院できる状況ではありませんでした。夫は夜中の1時2時に帰る仕事づけの毎日、そして何より「自分は安産だ」という自信(?)がありました。その頃、自宅で産む人は今より少なかったので、何だか悪いことをしている気分で、助産婦の友人たちにも迷惑をかけたくなかったので、夫と2人で(子どもたちも立ち会って)産みました。お産後、子どもたちは保育園へ行っていたので、昼の時間は赤ちゃんと二人でした。何日目だったろう....赤ちゃんにおっぱいをあげながらふと窓をみると、青い青い五月の空が広がっていました。その時、理由もなく涙が出てきました。「ブルー」とかそういう気持ちではなく、とても静かで安心できる時間....後にも先にも経験のない貴重な時間でした。今も大人になった娘に「生まれてきてありがとう」と心の底から思っています。

(齋藤弓子)

2014年10月9日(木)

 《 9月のお産をふりかえって。 》  

☆9月はもともと13人くらいの出産の予定でした。前半は19日まで6人しか生まれていなくて、残暑も無く「いい季節だね。どっか行きたいね。」等とのんびりした気持ちですごしていました。19日、20日となかなか産まれない初産婦さんと時間をすごし、湘南鎌倉総合病院に搬送して、20日、帝王切開になりました。お産の学校からいけば、大学も出て大学院も入った気持ちだと思います。でも前向きに一生懸命がんばったので、気持ちを切り替えて今は育児を楽しんでいるようです。「ママを大事にしろよ!」と言ってやりたいです。(未来の彼に...)

☆24日からは大変でした。経産婦さん7人、初産婦さん3人というお産ラッシュ!。早すぎて助産院に着いたとたん車の中で「おめでとう」になった人。のんびりしすぎて「まだまだ」と思っていたら破水して車の中で生まれてしまい、救急車で助産院まで運ばれて来た方。「痛いのが嫌い」で自分で陣痛を制御(???できるの?)していて2日程ぐずぐずしていたけど、観念(?)したら急に進んで可愛い男の子をゲットすることが出来、マイペースが効を奏したのか、おっぱいもよく出て、何ごともなく退院していった初産婦さん。.....いろんな面白い人達がいました。家族入院も居て、和室希望も多く、夫の使っている部屋も使ったり、整体室も布団を敷いて入院室に早変わりしました。お買い物も毎日行って、「流行っている民宿のおばちゃん」並みにご飯を作りました。鍋物が強力な助っ人でした。身体がヘロヘロで、自分でもかなりヨボヨボしているナ〜という自覚がありました。

☆でも10月予定のうちの5人が9月に生まれてしまったので、10月は楽勝です。今日は2人が入院中ですが、中旬ころはヒマになりそう。10月27〜28日と東北旅行を計画していますが、お産の方はどうなるでしょう。この頃は母乳相談の予約もびっしり入っていて緊急のおっぱい相談になかなか対応できなくて心苦しい思いです。キャンセルの方は早めにご連絡をお願いしますね。

(齋藤弓子)

2014年8月31日(日)

 《 8月のお産。 》  

☆陽がだいぶん短くなり、夜はかすかに虫の声が聞こえるようになりました。8月のお産は11人。うち初産婦さんは2人いましたが、夜中に陣痛が来て、朝方生まれるという早いお産で、とてもスムーズでした。1人はとても若い10代のカップルで、ゲームなど全然分からない私としては、二人の会話の意味がほとんど理解不能でした。それでも「かわいい、かわいい」と赤ちゃんにおっぱいをあげたり抱っこしたりしているのをみると「赤ちゃんに育ててもらってね」と期待してしまいます。この二人にはスタッフも目を白黒させていましたが、もうすぐ自分の子供もその年齢と思うと複雑なものがあったようです。当分はおばあちゃん(若い!)だのみにいくしかないのかな。

☆7月に引き続き、8月、9月中旬くらいまで聖路加の大学院の学生さんが実習中ですが、8月からは神奈川県衛生看護学校の助産学科の学生さんも来ています。妊娠中期から1人づつ妊婦さんをお願いし、一緒に妊娠・出産・産後を継続的にケアしていくお勉強です。病院での分娩介助の実習もあり、学生さんは大変です。

☆リサイクル品やカルテ等がいっぱいになり、収納スペースの確保のため、屋根裏に床を張って物入れを作ってもらいました。お盆休みを返上して、昔のお客様の御主人が、40度C近い暑さの中、頑張ってくれました。今のところ、全部収納しても大分スペースが余っていますが、数年後はどうなるでしょうか。

☆8月は私の生まれた月、そして開業助産婦として届けを出してから今年で30年になります。短かったような長かったような....。お祝をいっぱいいただいたけれど、「そうなのか」というのが実感です。でも大きな病気もせず元気にやってこれて良かったです。夏休みも今日で終り。明日から小学生たちは学校がはじまり、助産院もちょっぴり静かになります。仕事のやりくりも少し楽になるでしょうか。

(齋藤弓子)

2014年7月28日(月)

 《 7月のお産。 》  

☆子ども達も夏休みに入り、お約束のように暑い夏がやってきました。連日35度C超えで、風の通る助産院も冷房のお世話になり、何とかしのいでいます。特に今年は沐浴室に冷房が入り、保育器が外気温が高すぎて役に立たないという状態がなくなり、ホッとしています。赤ちゃん達は暑い夏、外気温で体温も上がりやすいので充分注意したいところです。

☆今月の最初のお産はスタッフのクマちゃんでした。7月1日の破水から始まり、1日かけて子宮口が7cm位までは順調に進んできたのですが、夜中すぎから陣痛が弱くなり、赤ちゃんは降りる気がないのか脇腹や子宮の上の方ばかり痛くて進まなくなりました。それでも翌日には全開近くまで行きましたが、なかなか降りてくれず、午後に湘南鎌倉総合病院に搬送し、翌日、子宮収縮剤の力を借りて、7月3日の夕方、男の子を産むことができました。赤ちゃんは破水からの時間も長く、生まれた時ちょっと元気がなかったので入院し抗生剤の点滴など受けたりしましたが、7月7日、助産院に帰ってきた時はとても元気になっていました。クマちゃんはおっぱいも良く出て、今は東京の実家で「新米」お母さんを満喫していることでしょう。どんなに努力しても頑張っても、「思うようにはいかない」というのが母親になって学ぶ大きなことの一つです。クマちゃんはその一つを上手に乗り越えたなと思いました。助産婦としてもすごい勉強だったと思います。

☆その後、「夜中過ぎ助産院に来て明け方生まれる」という経産婦さんのお産が続いていましたが、7月14日夕方、逗子から「10分おき」という陣痛で自分で車を運転し、45分で助産院に着いて、すぐ破水し、20分くらいで出産というスリリングなお産がありました。初産も早かったので、予定日近くなったら「下の助産院」に泊まって待機する予定でしたが、ちょっと早まり、ご主人も仕事中ですぐに来れず、「行くっきゃない!」とスイッチが入ってしまったようです。すごいパワーだと思うけれど「マネしないでね」と言いたいですね。7月予定日の人は全員生まれました。8月はどんなお産が、どんなドラマが待っているのかな。「人の命」をあずかるお仕事です。赤ちゃんもお母さんも最大限の力を発揮できるよう「環境づくり」に頑張ります。

(齋藤弓子)

2014年6月20日(金)

 《 時代はかわる。 》 

☆6月10日、ニャンポンが死にました。12才でした。捨て猫でした。長女の杏奈さんが友達にたのまれて、生後数日、ひん死のところを連れて来て病院に行き、命は助かりましたが、片目が飛び出して緑内障で「ブルーアイ」とか呼ばれていました。そのまま家にいるようになり、外で遊び、ウンチして、家に帰ってエサを食べて誰かの布団で寝るという毎日でした。12年間のいっぱいの想い出を残して昇天し、上の助産院の畑のモミの木の下に埋めました。ニャンポンは心の中に残っていますが、もう新しいページは作れません。

☆杏奈さんの双児の赤ちゃんは6月17日に湘南鎌倉総合病院で生まれました。ママの感想は「牛のように産んだ」。考えればいまどき双児を四つん這いで本能のまま産めるなんて幸せです。そして3人とも元気。赤ちゃん達も2900g台と2700g台だったので、翌日いろいろ検査してOKが出て、帰ってきました。二人ともかなりよく泣いて、元気いっぱいです。新しい時代が始まります。どんなページが出来るのでしょう。楽しみです。

☆5月、6月のお産は一時的に5〜6人、3〜4日で集中し、あと入院が誰もいない日が続くというパターンで来ています。皆スムーズで嬉しいです。

(齋藤弓子)

2014年5月2日(金)

 《 春まっさかりです。 》 

夏やさい(トマト、なす、ししとう、...)の苗を植えました。キヌサヤは毎日収穫しています。
 

☆今年はカレンダーに合わせたように、入学式の頃、桜が満開になり、遅咲き系の八重桜も終り、気がつけば山は緑。畑のチューリップもスギナやカラスノエンドウに押されながらポコポコと健気に咲いています。畑が楽しい季節になりました。

☆4月の助産院は、スタッフの子供たちに新一年生が3人もおり、行ったと思ったら帰ってくるので、スタッフも人数がそろいません。外来は1時間に2,3人しかできなかったり、午後に入ってもらったりして、やりくりしていました。そんな中で、お産は10人。初産婦さんが4人もいて(1人は病院に搬送になりました)、家族入院も多く、気がつけば「けっこう働いたナー」という月でした。

☆5月の連休に入ると、私の子供達も帰ってきたり、お客様たちが5月6日の「サンバテント」に向けてリサイクル品を持ってきてくれたりして、なかなか賑やかです。サンバテントは家族で楽しめるイベントです。里山公園には鯉のぼりも泳いでいます。カレーを食べたり、ヨガをやったり、子供と手作り品を作ったり...と、いろいろあります。そうそう、中ムラサトコの歌も聞けます(時間は未定。お昼前後?)。幾多の人生の波を乗り越え、歌い手としても成長したのでは...と楽しみにしています。

(齋藤弓子)

2014年3月27日(木)

 《 3年目の春。 》 

こどもたちの庭に新しい車がやってきました。
 

☆3月は花粉症と戦い(?)ながらの日々を送っています。最近はいい薬があるとのことで、周りにはクスリで何とか乗り切っている人もいますが、私はクスリに弱い体質なので困ります。幸い、目薬とイタミ止めは大丈夫なので、使いながら、マスクを常時して、何とかしのいでいます。5月の連休明けにすっきり治る日が楽しみです。

☆3年前の震災の時、2番目の赤ちゃんを産んで入院していたIさんが、3番目の赤ちゃんを今月出産しました。あの時、入院していた方は4人、赤ちゃんは5人いました(1人は双児を産んだ後の産褥入院)。地震の後、東北に大きな津波が来て沢山の人が犠牲になり、原子力発電所が壊れ、大変なことになりました。私は自分の仕事で精一杯だったけれど、子供を産んだばかりで身体も落ちつかず入院されていたIさん達はどんな気持ちだったでしょう。みんな居間に集まり、黙ってずっとテレビを見ていました。Iさんの新しい赤ちゃんの名前は「キヅキ」です。男の子です。名前の由来は聞いていませんが、私はこの名前を聞いた時、震災とその後の日々でいろんなことに気付かされたことを思い出しました。「自然の恐ろしさ」「人間のはかなさ」そして「現実の不安定感」。そんな中で、生きものは生かされています。どう生活していったらいいのか....ということを託した名前なのかな〜と、ホントに勝手にイメージしてみました。

☆去年よりちょっと遅いけれど桜も開花し、これからにぎやかな春です。チューリップもかわいい花をつけ出し、少しづつ伸びてきています。ヘナチョコだった「コブシ」も今年は少しは賑やかに咲いています。あっという間に暖かくなりそうです。

(齋藤弓子)

2014年2月18日(火)

 《 大雪の2月。 》 

☆ここは茅ヶ崎の「海の方」とは違い、「山の方」なので雪も多めに降りますが、今年は本当にすごくて、2月14日の「助産院誕生日」も朝から降り出した雪で午前中から予約のキャンセルで、午後になるとスタッフもあたふたと帰ってしまい、予定日を過ぎた方から「陣痛のよう...」と連絡が入った夕方にはもう10cmくらい積もっていました。「早めに」来てもらい「今晩は泊まるつもりで様子をみましょう」と入院してもらったところ、夕ご飯を食べた20時くらいから陣痛も強くなり、21時43分に2700g台の女の子が生まれました。風と雪で外は20cm以上積もり、吹きだまりも多く、助産院の周りは長靴がズボッと入って大変なことになっていました。あと2人、予定日を過ぎた人がいるけれど、土日は動きがとれないまま、日曜日の午後になり駐車場も4〜5台は入いれるようになりました。「これで何時お産の連絡があっても大丈夫」と一安心。長い長い週末でした。もうすぐ42週になる方もいて、「今日明日にも陣痛が来てくれるといいな」と願うのですが、赤ちゃんも「ケーカイ」しているのでしょうか。.......そしてそして、2月17日の月曜日、41週5日目で明日は病院へという3人目の経産婦さんが午前中に来て「今日はお腹もしっかり張るようになったし、いけるかも...」と前倒しのカレー(サロンのカレーは火曜日)を食べ、子供と遊びながら駐車場の雪かきをし、17時に破水、仕事中のパパに連絡。不安そうだった子供たちもパパの到着で落ちついて、18:22に家族で新しい命をむかえることが出来ました。「満を持して」という言葉がありますが、本当に何も欠けることのない瞬間でした。

☆助産院は有床施設になって今年で17年になります。毎日毎日いろんな人が来ていろんな事が起こっています。最近退院した方がお産の感想に「♪...いつも何かがおこってる〜♪...さいとうじょさんいん〜♪」と歌っていました。これからもうれしいことがいっぱいあって欲しいです。

☆今は流れ流れて四国に住んでいる歌い手の中ムラサトコさん(齋藤助産院で出産され、その縁で「お産カーニバル」の常連さんでした)とサンドアートの田ムラユウコさんのコラボを紹介します。とってもとっても癒されます。題して「Long winds ago(遠い風)」です。

(齋藤弓子)

2014年1月13日(月)

 《 2014年 あけましておめでとうございます。 》 

☆12月31日の夜に陣痛で入院した、2人目のWさんが順調にすすみ、年が明けて「おめでとう!」と言いあったところで、00:33(!)珠のような大きな男の子を産みあげました。産声も太く力強くひびきわたり、元気げんき!オッパイもバンバン出て何の心配もないスタートです。5日間、家族でマッタリとして帰りました。

☆暮れの30日に高校時代の同級生の大瀧詠一が死んだというニュースが流れ、その後テレビでは彼のヒット曲が毎日聞こえてきます。実は同級生といっても、うすボンヤリと短髪で学生服のポケットに手をつっこんで伏し目がちに歩いていた姿しか思い浮かびません。子育てと仕事で忙しかった30代に友達から「応援しよう」とカセットやCDが送られて来ましたが、その後も何のアクションもしませんでした。(それどころではない日々)。今となって、どんな人生だったのか気になっていろんな人のエッセー等を見てみました。「すごい人だ」とか「才能があった」とか書いてあったけれど、一番気になったのは「キャデラックに乗って帰った」という一文でした。そうか、石つぶてのような寒風吹きすさぶ所で高校時代を送ったのち、キャデラックに乗ったんだ....、そうしてもう死んでしまった。私の高校時代は「生まれた時から墓場までキョーソー!」と尻をたたかれまくり、私の居場所は生物部の部室でした。ショウジョウバエのエサ作りを3年間やって(何のため??)ウスボンヤリと時間を過ごしていました。故郷のいちばん賑やかだった所は津波に流され、ますます記憶のかなたに消えていくようです。今年も私はご飯を三食作って、時々お産を手伝い、ちょっとおっぱい相談にもかり出され、孫たちやスタッフの子供たちと遊んで日々を送りそうです。

☆スタッフの金子さんの長女が20才の成人式を祝いました。生まれて1年くらいで私が始めた助産院(といっても団地の一室)に遊びに来て、とても大人しくてママのそばにジッとしている子だったので、金子さんも一緒におっぱい相談を始め、そうしているうちに「自宅は無理だけど助産院で産みたい」というおっぱいのお客さん(今の保育スタッフの浅井さん)がいたので、場所を一緒に探して今の「下の助産院」に引っ越し、幼稚園も一緒に行って決めて....と、助産院と共に成長してきました。今はママと同じ道を歩みたいと勉強中です。たのしみだね。遅くなりましたが本年もよろしくお願いします。何かアドバイスがありましたらどんどん教えてくださいね。

(齋藤弓子)

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