齋藤助産院

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ゲストルーム(2002年7月頃)

 今回私は二回目のお産でした。一人目の時と、つわりや身体の変化が異なり、お産もどのように進んでいくのか不安でしたし、想像がつきませんでした。ただ、今回のお産は助産院でするということが自分の中ではどこかで安心感につながっていたのは確かです。

 一人目の時、36週と2日でいきなり生まれてしまったので、今回はとにかく37週に入るまでは持って欲しい、持たせて産みたいと思っていました。緊張の10ヵ月目、36週に入った頃から少しずつ辛くなり、37週になってからは、ますます身体が今までとは違ってきているのを感じました。

 37週と5日の夕方、子どもがいきなり救急車で運ばれ、入院となってしまいました。子どももこの1週間くらい前から精神的に不安定ぎみで、私から離れることをすごく拒否し、べったりの状態でした。私も心配だし、入院のつきそいをしました。夜10時半ころ寝ついてくれたのですが、1時ころ急に起きて興奮状態になり、泣き叫び出して手がつけられなくなってしまいました。それでもだんだんと落ち着いてくれ、4時頃には寝てくれました。

 私もほっとして寝ようとしましたが、寝たかとおもうとはっと目が覚めてしまい、10分から15分間隔で起きてしまい、5時少し前、寝てられず起き上がるといつもと違う痛みを感じました。病院だったのですぐに公衆電話を主人にかけに行き、迎えに来てもらうことにしました。どんどん痛みは強くなり、小児病棟でしたがナースコールを呼んでしまうくらい自分でもどうすることもできなくなっていました。そのとき主人と母が到着。立つこともできない私はベッドで車まで運ばれました。「今、車に乗っての移動はまずい!」と思いましたが、病院で待機なんかできないし、とにかく助産院まで行ってしまいたいと思いました。必死の思いでベッドから車に乗ったものの、横に座れないのです。

 後部座席で四つん這いになったまま移動開始。でも痛みは強くなる一方。がまんの限界と思った時、破水したのがわかりました。次にはもう出てくるのを感じ、そのとおり頭が出て来ました。「もう出てきちゃってるよー!」と主人に言い、とっさに頭を手で受け取り、その後はするーっと体が出て来ました。すぐに胸元に持って行き、タオルで顔を拭き、赤ちゃんに呼び掛けました。ふぎゃーと声を出し、目と目がばっちりと合ったのは忘れられません。その後、声をあげて泣いてくれたのでほっとして、とにかくタオルで巻いてだきしめていました。この間は産まれるまでの激痛がまるで嘘のように消えていました。

 セブンイレブンを曲がってからだったと思います、また激しい痛みがおそって来ました。でももう到着です。齋藤さんの顔を見たときはなんとも言えない、もう大丈夫だという想いになりました。

 お産は計画通りに行かないとは良く聞きますが、本当にその通りだったと実感しました。車は陣痛を進めるから、だめそうだったら家で待機して自宅出産というパターンもこちらで教えてもらっていたので、車中でも必死で赤ちゃんを取り上げて運んでこれたのだと思います。

 平成14年7月10日、5時前から始まった1時間ちょっとの劇的な出産の経過は、一生忘れることのできない、自分の中ではものすごい経験のひとつになりました。

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