Re: Title 承前 24国比定問題(四国東部説)>マルセさん

投稿者[ やまし ] 発言日時 [4月2日(火)22時28分21秒]

元の発言 [ Title 承前 24国比定問題(土佐説) ] お名前 [ やまし ] 日付 [ 4月2日(火)06時53分16秒 ]

#これは、読んでみれば、三国志が間違いだらけなのがすぐわかります。
 中華書局版の校記では410か所も誤字・脱字などの間違いの指摘ありますし、
昨年12月にも書きましたが、錯簡らしいものも含めて日付の間違いは
数え切れないほどあります。
 裴松之の注にも、もとの記述に対して「そんなわけないじゃん」って感じの
やつがたくさんあって、例えば一番最初の武帝紀の中には
(パラパラッとめくってマルセが気がついたところだけ)、建安5年正月、
同8月、8年8月、16年7月の4か所にその手の注がついてます。

ええ?本当に間違い(誤字・脱字)だらけですかね。
まず、410ケ所はすべて確実な間違いとして良いわけですか?
そして、410ケ所がすべて間違いだと仮定して、全体の何%になるのでしょうか?
範囲が良く分からないので、教えてもらえませんか?
そしてその割合だと、2000文字の倭人伝に何ヶ所の誤字・脱字があると推測され、
50文字の国名に何ヶ所の誤字・脱字があると推測されますか?
なお、三国志の文字数については次のようなページがあります。
http://plaza14.mbn.or.jp/~sinkodai/jfuruta/kaihou/kaihou05.html
三国志全体では、38万8千字にもなり、注釈は32万2千になるそうです。

確かに、紹興本の「女三国」は誤字だろうと思います。
しかし「対海」「一大」はミスではない可能性のほうが高いでしょう。
なぜなら、それらの音に対応する地名はあるわけですから。
そして、「邪馬壱国」も正誤の可能性は半々だろうと思います。
せいぜい、誤7分、正3分くらいまででしょう。

>>「不自然」というのはどういう意味か考えましょう。
>>(1)考古学的に不自然である。
>>(2)倭人伝の記述に対し不自然である。

#そうゆうことではなくて、20近い数の小国(やましさんの地図は国境線が引かれて
いないのではっきりしませんが15か国くらい?)が
大国と隣接している国際的な政治状況が、古今東西あまり類例を見ないことを指して、
言っているのです。

大国には、実際には接していませんよ。山によって遮られています。
なお、私の比定案では、郡域によって国境線を引いています。
それから、遺跡地図によって中心的な範囲も示し、
さらに鳥瞰図によってどのように海から見えるか示しています。
HPの資料にありますから、よく見て欲しいです。
古代の郡は、地理的、文化的なまとまりをよく表していると思います。
古墳時代の首長墓の変遷をみても、それを感じます。

それから、古今東西あまり類例がないというのは、本当にそうですか?
中国における国々の勢力範囲の変化や周辺諸国の動向を追えば、
さまざまな国々のありようが分かるはずですが。
現代だって、大国あり、小国あり、さまざまでしょう?
いずれにせよ、倭人伝の主要な解釈ですし、考古学的に問題なければ、
不自然というのはおかしいです。

なお、比定案を簡単に言ってしまえば、
邪馬台国=吉野川流域
投馬国=四万十川流域
狗奴国=桑野川流域
周辺諸国=その他
ということですが、なにか問題があるでしょうか?

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>>著者に読みが分からなくて、しかもその地域が遠く調査が困難な場合、
>>どのように読みを示したのだろうかと疑問なのです。
>>いくつかの読みがあるのは、少なくとも現地人がどのように
>>読んでいたかということを、正確に調査しなかったことを示している
>>と思います。つまり、著者自身の読み方なのだろうと。

#「読み方を知らないので、適当なことを書いた」っていうのは、
さすがに少ないとは思いますが。

そう思いたいですね。でも、著者のそれまでの文学的素養により、
音読された可能性はあると思うのです。
つまり、これはこう読むのが一般的だと。

>>こういう地名が地方にあったとして、和名抄あたりの著者に
>>その読み方が分からなかった可能性はあると思われますか。

#当然あると思います。和名抄は、地名の全部には読み仮名が振られてないですよね。
 ところで、和名抄の成立事情についてはよく知らないのですが、地名のところは、
高山寺本とか東急本とか、本によって仮名として選ばれた漢字が異なっているのですけれど、
これって、「源順が撰んだときには、地名に仮名が振られていなくて、
後の時代に筆写した誰かがそれぞれ勝手に振った」ということなのでは?

そうですね。そういうことがあると、その後の地名の変化なども考慮しないと
いけなくなります。

さて本題です。
天平19年の「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」に「温泉郡三処」とあるのですが。
「温泉郡」はどのように音読されていたとおもわれますか?
和名抄では「ゆ」と訓じています。



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