日本の稲作の起源

投稿者[ くみ ] 発言日時 [7月9日(火)21時32分12秒]

上にも関連したスレッドがあるので、新しいスレッドをたてるのを躊躇ったのですが、よろしくお願いします。
ちょっと一服さんの投稿で紹介いただいた
ときめきゼミナール/『日本の稲作起源と吉野ケ里遺跡』/<これまでの日本への稲作伝播説とその問題点>
http://www.sagatokimeki.ne.jp/kouza/chishiki/seminar/tokubetu/tokubetu4.html
なども大変興味深く読みました。

中公文庫「日本の古代4 縄文・弥生の生活」を大変興味深く読んだのですが、稲作に関して何カ所も引っかかるところがありました。
それは私と意見が違うからですが、まず「日本の水稲農耕の故地は朝鮮半島の西海岸でもさらに南部の海岸部に限定できそうである」(P354)という断定です。稲作ルートは「ときめきゼミナール」のサイトにもあるように

1.朝鮮半島経由説
2.江南からダイレクト説
3.南西諸島伝播説

があって、まだ断定出来る状況ではないと思っています。そして私自身は 2.の江南からのダイレクト説です。理由は

A.稲作の起源が江南地方であること。
B.江南から朝鮮半島南部も九州も等距離であること。
C.朝鮮半島と同様、日本列島でも縄文時代から稲作(陸稲)をしていたこと。

以上から、日本の水稲農耕は朝鮮半島と同時期に江南からもたらされ、朝鮮半島南部と影響を及ぼしあいながら、広まったのではないだろうか。水稲農耕の故地と呼べるのは江南であって、朝鮮半島ではないのではないだろうか。と思っています。

ところが、この本には以下のように書いてあります。
「弥生時代早期には、水稲農耕の技術体系と青銅器を除く朝鮮系舶来品が認められるが、中国系舶来品はないし、弥生文化独自の要素が認められない。言いかえれば、弥生早期は稲作導入期であり、縄文系の色合いが濃く、独自の文化を創造するまでには至らない段階ということができる。」(P251)

本当でしょうか? 朝鮮系の影響はあっても中国系の影響はない?
高床式建物は稲作農耕と一緒に入ってきたのではないのでしょうか?
水稲稲作と金属器の出現はリンクしているのでしょうか?
弥生土器は朝鮮半島の無文土器の影響なのでしょうか? それとも縄文土器から弥生土器が生まれたのでしょうか?

この本には不思議なことがたくさん書いてあって、付箋だらけになってしまいました。
水稲については、ネットで調べても本を読んでも、いろんな方がいろんなことを言っているようです。
この本は「水稲稲作が朝鮮半島から入った」という考えの方が書いたのだと理解することにしました。

ただ、この本はいろんな方が執筆していて、特に「弥生時代農業のすがた」(P387〜)は同じ考えなので嬉しかったです。
> ・・・弥生時代が水田の稲作を基盤とした文化と社会に特徴づけられていたとはいえ、彼らの日々の食卓に上がるものは、イモや雑穀やドングリ粉が主役の粥やカテめし(まぜごはん)であった。・・・年にいく度かのハレの日以外にはなかったことだろう。・・・少なくとも弥生時代の前・中期に、輝く黄金色の稲穂一色に染まった整然たる広大な水田の姿と、甑(こしき)を利用して強飯を常食したかのような復元図絵は多くの博物館から撤去しなければならない。このことはまた、日本文化の基層を水田の稲作を基軸とする価値体系のみに求めるのではなく、畑作を基軸とするもうひとつの類型にも目を向けようとする民俗学者坪井洋文氏(第六章参照)などの立場とも深くかかわる点が多いことだろう。(P402)

引用が長くなってしまいました。あらためて読むと過激なことが書いてあったのですね。
私も歴史の中で日本人の主食が米だというのには疑問を持っているので、大変心強いです。


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